第31話:真体顕現


 積み重ねられた黄金の山、その頂点を玉座にする者。

 《円環》のズリエル。以前に遭遇した時と変わらぬ姿で、半神はそこにいた。

 見下ろす瞳を細め、超越者は招き入れた冒険者たちを睥睨する。


「光栄に思えよ、人間ども。この領域に生きたままたどり着いた者は他に──」


 戯言を語る蛇に、刃は真っ直ぐ襲いかかった。

 アリスだ。話など聞く必要はないとばかりに、無言で宝の山を蹴散らす。

 金貨がキラキラと舞い散る中を、最短距離で剣を叩きつけた。

 得物は当然、竜殺しの剣ドラゴンスレイヤーだ。

 まともに受ければ、強固な《円環》の守りも貫くのは実証されている。


「人の──いえ、神の話には耳を傾けるものですよ?」

「っ……!」


 対するズリエルは、大人しく刃を受けるようなことはしない。

 右手をかざし、不可視の力を使ってアリスの剣を空中で受け止めていた。

 ギリギリと、押し込もうとするがまったく動かない。


「眷属を仕留めたぐらいで、私を討てると勘違いしましたか?

 まぁそうでもなければ、こんなところまでわざわざ下りては来ないでしょうね。

 思い上がりも甚だしいと、この手でしっかりと──」

「ホント、口数が多いよね」


 真横から、風の速度でくるいが迫る。

 思い切り振りかぶった竜殺しの大斧を、側面から全力で打ち込む。

 人外の膂力から放たれた一撃だが、それも当たり前のようにズリエルは防ぐ。

 どれほど強力な刃であれ、身体に触れなければ意味はない。

 手のひらの上の猿を嘲笑う神の表情で、ズリエルは愉快そうに喉を鳴らした。


「武器があれば何とかなるとでも? 次はそっちの少年が仕掛けてみるか?

 前は上手く行ったから、次も同じように出来ると思っているか?

 だったら試して──」

「《解呪ディスペル》」


 一言。巌が短縮した呪文を、低い声で呟いた。

 次の瞬間、空中で止められていた二つの刃が動き出す。

 言葉を遮られたズリエルは、表情を驚愕の形に歪めながら後方へと飛び退いた。

 紙一重のところで、縦と横を切り裂く剣と斧から逃れる。

 しかし、冷たい感触が背後に生じた事を《円環》は感じ取っていた。


「お望み通り、試してやるよ《円環》……!!」


 マヒロだ。ズリエルが退いたのとほぼ同時に、短距離転移で先回りしていたのだ。

 握った竜殺しの剣で、躊躇わずに突きを繰り出す。

 回避も防御も間に合わない。切っ先はズリエルの肩を捉え、その血肉を抉った。

 痛み。許しがたい苦痛を受けて、《円環》は咆哮する。

 不可視の力が膨れ上がり、マヒロはなす術もなく吹き飛ばされてしまう。


「おっと! 大丈夫かな、少年?」

「っ……ありがとう御座います……!」


 宝の山に突っ込みかけたところを、アリスが素早くキャッチしてくれた。

 礼を口にしながら、視線は真っ直ぐに前へと。

 左肩を流れる血で赤く染めて、憤怒に燃える眼差しでズリエルが睨みつけてくる。


「人間が、一度ならず二度までも……!!」

「あの目に見えない力は、予想通り《念動力テレキネシス》だな。

 普通はちょっと物を動かすのが限度なはずだが、アイツのは出力がべらぼうに高い。

 だが、《解呪》で打ち消しは可能だ。やられたら都度こっちが消してやる」


 半神の怒りを聞き流し、巌が己の分析を淡々と言葉にする。

 黒壇の杖を軽く振るって、その切っ先を恐るべき《円環》へと向けた。


「支援は任せろ。お前たちは兎に角、奴を削ることに専念しろ」

「ハハハ、お前に背中を預けるのも随分と久々だな!」

「ん。頼りにしてるから、パパ」


 最強の魔法使いである《怪力乱神》に、《迷宮王》と《八鋼衆》の第三位。

 迷宮でもトップクラスの実力者たちが並び立ち、恐るべき《円環》と対峙する。

 マヒロはまだ、そこに立つには力不足だ。

 それを自覚しているからこそ、自らの役割を思考する。

 隙を突く。アリスたちとまともにぶつかれば、ズリエルも余裕は無くなる。

 生じた好機を逃さずに、手にした竜殺しの剣を確実に当てていく。

 故にマヒロは前には立たず、ギリギリまで距離を取った。


「図に乗るなよ、人間ッ!!」


 ズリエルが怒りを叫ぶと、黄金の山が大きく波打った。

 山の奥底に長らく埋まっていた、《遺物》らしき宝剣宝刀の数々。

 数十を数える武器を、ズリエルは強力な《念動力》によって引っ張り出したのだ。


「ホント、信じられねェ出力と精度だな……!

 全部は撃ち落とせん! 危ないのは気合いでどうにかしてくれ!」

「実に頼もしい言葉だな、まったく……!」


 笑いながら、再びアリスが先陣を切った。

 降り注ぐ武器が届く前に、淡い光が彼女の身体を包み込む。

 巌の魔法だ。アリスが飛び出すのに合わせ、防御の術を施したのだ。

 その上で、襲ってくる刃の幾つかは空中で力を失った。


 防御術を発動させた直後、素早く《解呪》を連打したのだろう。

 魔法使いの真価は、派手な攻撃魔法を使うことではない。

 巌の腕前は、その格言を体現するかのようだった。


「流石は私の仲間だな、巌!!」


 《解呪》を受けた事で、薄くなった剣の弾幕に正面からぶつかる。

 片手に竜殺しを握ったまま、もう片手に王剣を抜き放つ。

 二刀を巧みに操り、飛んでくる刃を次々に撃ち落としながら前へと進む。

 遅れて、くるいもまたアリスに続く形で宝物の上を駆け抜ける。


 先を行くアリスが打ち漏らした分を、斧を振り回して軽々と叩き落していく。

 止まらない。たった二人の冒険者が向かってくるのを止められない。

 その事実に奥歯を軋ませ、《念動力》の出力を更に増大させる。

 百や二百で足らないのなら、千の刃で押し潰してしまえば良い……!

 《解呪》で十を落とせようが、膨大な数の前では無意味だ。

 ズリエルは即座に意識を集中させて、力の範囲を広げようとする。


「大技なんて、撃たせるワケがないだろ」


 だが、その隙を狙い続けた者がいることを、ズリエルは失念していた。

 武具の雨がアリスたちに集中した事で、生じた微かな空隙。

 そこをすり抜ける形で、マヒロはズリエルのすぐ傍に転移していた。

 力に集中していた《円環》は、反応が一瞬だけ遅れる。


 一瞬。その一瞬で、竜殺しの剣がズリエルの胴体を切り裂いていた。

 浅い。如何に刃が通じると言っても、マヒロでは単純に腕力が足りていない。

 非力ではあるが、切っ先は《円環》の血肉を確実に抉っていた。


「ッ──『同類』だと思い、優しくしていればつけ上がって……!」

「ぐ……っ!?」


 当然の如く、ズリエルの《念動力》がマヒロを捉えた。

 凄まじい力だ。本来、《念動力》は精々が物を動かす程度の術のはず。

 しかしこの力は、肉体を物理的に折り畳まれそうな圧があった。

 現実に、マヒロの身体からミシミシと軋む音が聞こえてきた。


「いい加減に目障りだ! 先ずはお前から……!」

「させるわけがなかろうよ、馬鹿者が!!」


 圧死の数秒前に、アリスの剣が割り込んできた。

 肩と胴体に続いて、竜殺しの刃はズリエルの右腕を捉える。

 肉だけではなく、骨まで削られる痛み。

 非力なマヒロとは異なり、アリスには十分以上の腕力が備わっていた。


「痛っ……!?」

「ん。痛かった? なら、もっと痛くしてあげる」


 間髪入れずに、くるいの大斧も隙を晒したズリエルの身体を打つ。

 横薙ぎに振るった刃が細い首元に直撃する。

 血肉が裂けて骨が砕ける感触が、柄を通して握る指先に伝わる。

 全力全開のフルスイングは、ズリエルを宝の山を崩す勢いで吹き飛ばした。


「“穿て、穿て、穿て、穿て! 《魔法の矢マジック・ボルト》!!”」


 呪文を叫ぶ巌の頭上に、力場で形成された『矢』が無数に生じる。

 杖を掲げれば、『矢』は一斉に《円環》目掛けて降り注いだ。

 物理的な防御は意味をなさず、『矢』は次々とズリエルの身体に突き刺さった。


「今のうちに体勢立て直しとけ!!」

「助かる! おい少年、流石に今のは無茶し過ぎだろう!」

「っ……すいません……けど、多分アリスさんたちも間に合うと思ったので……」

「間に合うと思っても、あそこで飛び込むのは命知らず過ぎるかな」


 アリスに助け起こされ、くるいには呆れたため息をつかれた。

 苦笑いを浮かべながらも、マヒロは手にした剣を握り直す。

 手応えはあったが、まだ終わっていない。《円環》は、まだ砕けていない。


「巌の魔法が途切れたら、もう一度仕掛けるぞ」

「……出来れば、アレで死んで欲しいんだけどね」

「俺もそう思いますよ」


 きっと、この場の誰もが考えている事だろう。

 呼吸を整え、意識を集中させる。マヒロは次に使うべき魔法を頭の中で思い描く。


「『矢』が途切れたら、二人とも俺が魔法で飛ばします。

 合わせて、《円環》に対して仕掛けて下さい」

「心得た。千切れかけの首を、私がきっちりもぎ取ってやろう」

「仕留めるのはワタシだから。アリスは援護してよ」


 武器を構える。巌が放つ『矢』は雨のように激しいが、いずれ終わりが来る。

 『矢』の攻撃が終われば、その一瞬でズリエルは動くだろう。

 こちらはそのタイミングで動き、何かをされる前に今度こそ致命の一撃を与える。

 マヒロも、アリスも、くるいも。巌もまた、その一瞬の訪れを待った。

 やがて、撃ち込み続けていた『矢』が途切れて──。


『──

「ッ……!?」


 大気が、いや魔力が爆ぜた。

 《念動力》ではない。突然膨れ上がった魔力が、物理的な衝撃を伴って弾けたのだ。

 あまりの圧力に、撃つ前の『矢』まで蹴散らされる。

 思わず息を詰めた巌に、巨大な『何か』が襲ってきた。


「ぐぉ……っ!?」

「パパ!!」

「待て、くるい!!」


 咄嗟に《シールド》の魔法を展開したが、それでも防ぎ切れない。

 ダンプカーに跳ね飛ばされた勢いで、巌は激しく宝の山を転がった。

 反射的に駆け寄りそうになったくるいを、アリスが肩を掴んで抑えた。


「ちょっと、アリス……!」

「あのハゲ入道があの程度で死ぬものかよ。それより、前を見ろ」


 抗議には視線も向けず、アリスは言葉通りに前を見ていた。

 マヒロも、言葉も出ずに同じ場所に目を向ける。

 吹き荒れた魔力の嵐。その向こう側に、『何か』が蠢いている。

 恐ろしく巨大な、『何か』が。


『不遜。不遜、不遜、不遜、不遜。

 よもやたかが人間如きに、《真体》を晒す羽目になるなんて』


 声は、間違いなくズリエルのものだった。

 しかし響きというか、声が伝わってくる感じが先ほどとは異なっている。

 空気を震わせた音ではなく頭の中に直接響いてくる声は、《念話》に近く感じた。

 ズルリと、引きずる音と共に『何か』が動く。

 魔力で歪んでいた空気が戻ってくると、その姿もハッキリと見えてきた。


「……竜」


 そう呟いたのは、果たして誰だったか。

 現れたのは、白い鱗を持つ竜だ。見上げる程に巨大な、一頭の竜。

 翼は地下暮らしで退化してしまったのか、肉体のサイズに比べれば大分貧弱だ。

 それだけなら普通の竜と大きく違わないが、異常な特徴が一つ。


 蛇だ。竜の両肩辺りから、それぞれ二本ずつの黒い蛇の頭が生えているのだ。

 奇怪にうねる蛇の頭は、見ているだけで怖気を誘う。

 竜と蛇で、合わせて五本首。蛇の目は赤く、竜の目は青い。

 特に竜の瞳の中には、輪っか状の奇妙な『印』が浮かんでいるように見えた。


「……やられそうになったから、真の姿を現して本気モードか?

 なんとまぁ、神様とやらは随分と古典的な流れが好きなようだな」

『屈辱だ。人間風情に、この姿を晒す羽目になるなんて』


 アリスの軽口も、今度ばかりは冴えがない。

 傍らのくるいは何も言わず、冷たい汗の浮かんだ手で大斧を構えた。

 予想を遥かに上回る脅威を前に、マヒロも言葉が出てこなかった。


『神を讃えろ、我を讃えろ。そして思い上がった己の身を恥じるのだな、人間』


 竜の瞳と蛇の瞳が、その場にいる冒険者たち全員を見下ろす。

 憤怒に燃える眼差しは、『絶対に逃さない』という意思を叩きつけてくる。


『祈るが良い。せめて、死後の安息がある事をな』


 重々しい言葉は、処刑宣告に等しかった。

 同時に全てを薙ぎ払う衝撃が、宝物に埋もれた空間を激しく揺さぶった。

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