第30話:はらわたの中
『迷宮津波』が収まったのを確認してから、マヒロたちは深度『六』に下りていた。
《組合》から依頼を受けて合流したのは、二組の冒険者チーム。
合わせて十人の冒険者たちは、深度『六』までの探索経験のある腕利きだ。
彼らと共に未探索領域を攻略し、最終的にはアリスたちが《円環》を討伐する。
その手はずを確認し、改めてズリエルが潜む迷宮、《蛇の祭祀場》へとたどり着いた。
以前にアリスたちも探索したはずの場所だが……。
「これはまた、随分と様変わりしてしまっているな」
「……そうですね」
苦笑いのアリスに、マヒロは硬い声で応じる。
この前探索した時は、そこは石造りの通路が伸びるスタンダードな迷宮だった。
けれど、今は違う。壁や床、天井に張り付く無数の血管。
脈打つ肉塊があちこちに張り付いてる様は、生き物の
「気持ち悪い」
「まったく同意見だな。こんなもの、娘に触らせたくないんだが」
くるいが不快そうに呟くと、巌も眉をしかめながら頷いた。
加えて、変わったのは見た目だけではない。
漂う魔力の濃さは深度『六』とは思えず、また通路の分岐なども明らかに増えていた。
「どうしますか、《迷宮王》。このまま探索を?」
「無論だ。ここまで来た以上、後は進むのみだ」
冒険者チームの一人、戦士らしき男が確認の言葉を口にする。
アリスは当たり前のように返しながら、自分の耳元を指で触れて確かめる。
『全員、渡しておいた《念話の耳飾り》はちゃんとチェックしておけよ。
この深度では電波は通じんが、これなら離れた状態でも会話が可能になる。
話せる距離に限界はあるが、その外でも耳飾りを付けた者の位置は分かるからな。
さて、この声が聞こえた者は手を上げてくれ』
「大丈夫です、聞こえてます」
「よろしい。他の者たちも問題ないな?」
「ええ、問題ありませんよ」
マヒロを含め、全員がアリスの念話に応じて手を上げた。
「良し。ではこれから、私たちはチーム毎に分かれて探索を行う。
竜殺しの武器は他二チームにも支給してある。
これを使えば《円環》にも傷を与えられるが、決して無理はするな。
眷属である大蛇相手ならまだ戦えるが、仮に本体が出てきた場合はすぐに逃げろ」
「ええ、分かりました。流石に《円環》相手に勝てるとは思っていませんよ」
「判断は任せるがな。《円環》討伐の本命はこちらだ。
諸君らは迷宮内の危険を排除し、最深部に続く道を探して欲しい。
発見し次第、私たちに知らせてくれれば任務終了だ」
並び立つ冒険者たちは、《迷宮王》の言葉を静かに聞いていた。
戦士と斥候、魔法使いまで含めた歴戦の冒険者たち。
《遺物》も複数装備した姿は、マヒロの目には物凄く頼もしく見えていた。
そんな彼らでも、《円環》に出くわせば容易く死ぬかもしれない。
冒険者たちも、その事実を認識した上で。
「《迷宮王》、もし途中で《遺物》などの宝物を見つけたらどうすれば?」
「見つけた者の所有になる。山分けする時は喧嘩せんようにな」
「《円環》がいる迷宮だしな、案外良い物が落ちてるかもしれない」
「欲をかき過ぎるなよ。
今回の仕事は、あくまで《迷宮王》チームのサポートなんだ」
「まぁまぁ、眷属ぐらいは別に倒しても構わないだろ?」
「それは完全に死亡フラグだからやめろ」
重苦しくはなく、けれど決して軽んじているわけではない。
死地へ踏み込む前でも、冒険者たちは実に自然体だった。
そんな彼らを、アリスは満足そうに笑って見ていた。
「実に冒険者だな、諸君は。分かっていると思うが、生きて戻ってこその冒険だ。
死んで来いなどとは言わん。絶対に死なずに戻ってこい。
最悪死んでも、すぐなら私が蘇生薬を奢ってやろう」
「高いドリンクだなぁ……!」
「奢ると《迷宮王》は言ってるけど、最悪借金になるから絶対に死ぬなよ」
「いきなり借金まみれは嫌だなぁ」
笑い合う冒険者たち。彼らも既に覚悟は完了し、準備は万端だった。
頷いてから、アリスはマヒロたちの方を向く。
こちらもまた、いつでも動ける状態だ。
「ヨシ、進もうか。先頭は私とマヒロ、次に巌で最後はくるいだ。異論は?」
「ないです、大丈夫です」
「まぁ順当な並びだな。くるいは良いか?」
「ワタシが一番勘が鋭いし、殿は任せて」
何も問題はない。他のチームも隊列を整えたところで、冒険者たちは進み出す。
見える範囲でも分岐は多く、それぞれ別の通路に入っていく。
彼らは二度と戻らないかもしれない。嫌な想像を、マヒロはすぐに払った。
その想像が現実になるのは、自分たちになるかもしれないからだ。
「気負うなよ、少年。普段通りにやれば良い」
「……はい。大丈夫です」
「いつでも頼ると良い。私たちは仲間なんだからな」
笑顔のアリスに対し、マヒロもまた笑い返しながら頷いた。
出来る事をする。やるべき事をやる。
自分は一人ではない。胸中で己に言い聞かせて、マヒロは呼吸を整えた。
延々と続いているのは、内臓の内側を思わせる腸の道。
巨大な蛇に呑まれたなら、こんな光景が見られるのだろうか。
慎重に、けれど可能な限り迅速に先へと進む。
「……妙に静かだな」
最初にそう呟いたのは、先頭に立つアリスだった。
くるいのような天性の勘ではないが、彼女もまた経験で培われた感覚がある。
嫌な感じはするのに、罠もなければ魔物の姿も見当たらない。
前の時と同じく、不可視の魔物が潜んでいる危険も当然考慮していたが。
「罠だらけかと思ってましたけど、それらしい物は全然見当たらないですね」
「あぁ。巌、魔力の感知は怠っていないだろうな?」
「当たり前だろ、こまめにやってるよ。
けどな、魔力が濃すぎるせいで術式じゃロクに判別はできんぞ」
「くるいの方はどうだ?」
「んー。嫌な予感はずっとしてるけど、具体的には分からないかな」
嫌な予感はずっとしている。アリスと同じ答えだった。
「どうしますか?」
「進むしかあるまい。《円環》が待つのは、恐らくこの迷宮の深層。
向こうも、私たちが来た事にはとうに気づいているだろう」
言葉を交わしながら、進む足に淀みはない。
前へ、前へと。奥へ、奥へと。
誰も踏み入った事のない領域を目指して、冒険者たちは進む。
『こちら《迷宮王》、問題はないか?』
『ええ、こちらアルファチーム。問題はありませんよ』
『ブラボーチームも同じく。流石に静か過ぎて不気味ですけどね』
それぞれのチームリーダーと連絡しても、やはり状況は同じのようだった。
神を名乗る者が、自らの庭を踏み荒らす人間を放置するのか。
そんな事はあり得ない。間違いなく、自分たちは逆鱗の上を歩いているはずだ。
《円環》は今、何を目論んでいるのか。
答えは出ないまま、時間だけがただ過ぎていく。
「随分と進んだと思いますけど……」
「そうだな。ここまで魔物の一匹すらいないとは」
やや困惑気味のマヒロに、アリスは難しい顔で頷いた。
再び、《念話の耳飾り》を起動する。他のチームの状態を確認しようとして。
『──ッ──ザザ──くそっ──なんだ、こ──!』
『ッッ──ザッ──ちら──応答──ザザ──』
『っ……おい、どうした? 何があった?』
耳に飛び込んできたのは、酷いノイズと微かな声。
明らかに異常事態が発生している。驚くアリスの様子に、他の者たちも気づいた。
「アリスさん? 何かありましたか?」
「他二チームからの応答が、同時に途絶えた」
「死んだの?」
「いや、まだ分からん。分からんが、どちらも腕利きのチームだ。
そう簡単にやられるとは……」
『……ええ。彼らはまだ死んではいません』
通路全体を震わせるような、無機質な声。
聞き覚えのある声音に、マヒロは背筋が凍りつくような戦慄を覚えた。
即座にアリスは剣を握り、くるいと巌もそれぞれの得物を構える。
声の主──ズリエルは、酷く愉快げに喉を鳴らしたようだった。
『死んではいませんが、それは彼らの奮戦によるものなどではありません。
全ては私の慈悲。わざわざ腹に入ってきた餌を、まだ消化せずにいるだけの話』
「餌か。餌に腹を食い破られては、もう神を名乗るのも難しいのではないか?」
『はっはっはっは、同じ立場の餌の分際で良く吠えるな!』
最大限に警戒するアリスに、ズリエルは楽しそうな声で笑う。
いや──マヒロは、あるいは他の者たちも感じていた。
愉快そうに、余裕を見せつけるように哄笑する《円環》だが。
その声の芯には、隠しようもないぐらいの激しい憤怒の炎が燃えている事に。
「それで? わざわざ迷宮の主様が、餌相手に雑談しに来たの?
だとしたら随分と暇なんだね、こっちは忙しいから放っておいてくれない?」
『口の減らん小娘だな! だが許そう、神は寛容だからな。
今こうして語りかけているのも、同じく慈悲という奴だよ』
笑う、笑う。神を名乗る《円環》は笑っている。
怒り狂いながら、同時に楽しくて堪らずに。
『あなた方は餌です。
こちらがそのつもりなら、すぐにでも溶かして消してしまえる。
ですが、そんな簡単に済ませては面白くはないでしょう?』
「言いたい事があるならハッキリ言ったらどうだ、《円環》。
話が回りくどい年寄りは、若い者には嫌われるぞ」
『それは自分の話か? 《怪力乱神》よ。まぁ良いさ、結論を急ぐんなら是非もない』
無意味な言葉の応酬をしている間も、冒険者たちは警戒を続けていた。
いつ、どこから何を仕掛けてくるのか。
他の二チームも、当然奇襲の類には常に注意を払っていたはずだ。
そんな彼らがあっさり無力化された以上、僅かにでも気を抜くことは出来ない。
冷たい緊張の中、マヒロは小さく喉を鳴らした。
『お前たちはメインの
オレの首が欲しくてここまで来たのだろう? だったら急がなくては。
胃袋に捕らえたままの連中も、やがて溶けて無くなってしまうぞ?』
嘲り囁く声と共に、周囲の光景がぐにゃりと歪む。
視覚ではなく、物理的な歪曲。迷宮そのものが生き物の如くねじ曲がる。
「アリスさん……!!」
「離れないよう、全員身を寄せろ!」
迫る、迫ってくる。壁が、床が、天井が、迷宮の全てが。
恐らく、二チームはこれでやられたのだろう。最初から胃袋の中では抗いようもない。
力技で食い破る覚悟を決め、アリスとくるいは武器を強く握った。しかし。
「うわっ!?」
「ッ──!!」
いきなり、足元の感覚が消失した。床だった部分が、丸ごと消え失せたのだ。
突然始まる自由落下。真っ暗な闇の底へと、四人は凄まじい速度で落ちていく。
ただ無限に落ち続ける罠なら、すぐに命に支障はない。
しかし、このままの速度で『底』にたどり着いてしまったら。
「巌!」
「分かってるよ! “我らの背に僅かな羽根を、《
《怪力乱神》が素早く呪文を唱えると、落下速度が一気に軽減された。
全員が魔力に包まれて、闇の中をふわりと浮かび上がる。
これで少なくとも、墜落死の危険はまねがれた。
マヒロはそっと安堵するが、むしろ問題なのはここからだ。
「……これ、どこに繋がってるんでしょう」
「相手の言葉を真に受けるのなら、恐らくはボス部屋だろうな。
加えてさっさと向こうの首を取らねば、他のチームの命の保証は無いと」
「完全にブチギレだったね。神様名乗る割に器が小さいというか」
「挑発はほどほどにしとけよ。相手も絶対に聞こえてるだろうからな」
巌が調整した速度で、ゆっくりと落下は続く。暗闇はまだ途切れない。
落ちる。落ちていく。無防備に近い状況ではあるが、《円環》は沈黙していた。
果たして、落下はどれだけ続いただろう。
やがて暗闇の底に、キラキラと光るものが見えてきた。
「あれは……金貨……?」
呟く。近づくにつれて、マヒロの目にもそれはハッキリと見えてきた。
金貨だ。金貨以外にも銀貨や様々な像に、他にも無数の高価そうな宝物たち。
それらが文字通り山になって、足元の空間を埋め尽くしている。
あの場所が、この《蛇の祭祀場》の最深部か。
《浮遊》の魔法で、四人は慎重に宝の山の上へと降り立つ。
同時に、乾いた拍手の音が響き渡った。
「ようこそ、私の玉座へ。この迷宮の主人として、改めて歓迎致しましょう」
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