第29話:迷宮津波


 迷宮世界である《アンダー》では、稀にだが内部構造の変動が発生する。

 『迷宮津波』と呼ばれるこの現象は、原因は不明で自然災害の一種と考えられていた。

 しかし現在、迷宮深度『六』を中心に発生している大規模な『迷宮津波』。

 タイミングを考えれば、とても偶然とは思えなかった。


「十中八九、ズリエルが起こしているものだろうな。

 まさか『迷宮津波』まで操れるとは、《円環》の恐ろしさを再認識させられるな」

「ん、怖気づいた?」

「誰に物を言ってるんだ、くるい。未知に挑むのは冒険者の本懐だろう」


 場所は迷宮深度『三』、《百騎八鋼》の本拠ホーム

 大蛇を撃退後、可能な限り最速で準備を整えて、マヒロたちはこの場に下りてきていた。

 ホームでも一番広い通りを歩きながら、アリスとくるいは言葉を交わしていた。

 やや後ろをついていくマヒロは、街の様子を観察するように見回す。

 以前来た時も、迷宮内にあるにも関わらず活気づいた場所だった事を覚えている。

 けれど今は、あの時とはまた異なる賑わいを見せていた。


「おい、『迷宮津波』の影響はどうなってる?」

「今のところ、目立ってるのは深度『五』以上への魔物の流入だな。

 こっちはまだ静かだが、下の魔物がこっちまで押し上げられる可能性は高いと思う」

「遠征組が様子を見に行ってるし、目につくところは狩ってるらしいけどな」

「出来る備えはしとけよ。《百騎》の誇りにかけて、魔物は一匹たりとも街に入れるな」


 武装した戦士や魔法使いたちが、強烈な戦意を漲らせて走り回っている。

 『迷宮津波』で迷宮の構造が変われば、魔物たちの動きにも変化が起こる。

 過去にも下層の津波に押しやられ、大量の魔物が低階層に流れ込んだ事もあった。

 街の者たちはそれを警戒し、街を守るための準備を迅速に進めていた。

 本来なら、《八鋼衆》であるくるいもそちらに加わりたいはずだが。


「お前こそ、あちらに行かなくても大丈夫なのか?」

「守るだけじゃ意味ないでしょ。元凶を潰さなくちゃ話が終わらない」

「ありがとう御座います、くるいさん」

「お礼は良いよ、仲間でしょう?」


 くすりと微笑む少女に、マヒロも感謝を込めて笑い返した。

 街の雰囲気は物々しいが、人々の営み自体は変わらずに回っている。

 通りには幾つもの店が立ち並び、中には香ばしい匂いを漂わせているものもあった。


「ふむ。くるい、『もう一人』の準備はまだだったな?」

「色々やる事があるから、もうちょっとかかるはずだよ。そっちは?」

「通信可能距離まで近づけば、私の持ってる無線に連絡を入れてくるはずだ。

 まぁ、無事に辿り着けるかどうかは何とも言えないがな」

「大丈夫ですよ、きっと。

 どの道、『迷宮津波』が落ち着かない事には迂闊に近づけないですし」

「最悪、嵐の中に突っ込む覚悟を決める必要があるかもしれんな」

「流石に『迷宮津波』が起こってる中を突っ込むのは、無謀だと思うんだけど」

「昔に何度かやった事はあるが、案外何とかなるぞ?」


 そりゃ何とかならなかったら死ぬだけでしょう、とはマヒロも口には出さなかった。

 実際、その類の困難をどうにかしてきたからこその《迷宮王》の称号だ。

 くるいは呆れた顔でため息をつくが、アリスは気にしない。

 機嫌良さげに、先ほどから気になっている香りの元へと足を向けた。


「へい、いらっしゃい! おや、くるいちゃんもいるのかい?」

「こんにちわ、店主さん。景気はどう?」

「緊急事態だからねぇ。

 《百騎》の子たちが腹ごしらえに来てくれるから上々だよ」


 屋台風の店で、串に刺さった物を焼いてるのは白髪交じりの男の店主だ。

 網の上で炙られているのは、見た目は焼き鳥に似ているが。


「店主、これは何の肉か聞いても?」

「コイツはコカトリスだね。

 肉質がほぼ鶏だから、地上の人でも食べやすいんじゃないかな」

「焼き鳥ならぬ焼きコカトリス……」


 コカトリスとは、蛇の尾を持つ大きな鶏に似た魔物だ。

 嘴に生き物を石に変える呪いを帯びており、その危険性は良く知られている。

 肉は上質な鶏に近いため、魔物食としては高級食材の一つでもあった。

 マヒロの認識では、地上で食べたワイバーンと大差ないぐらいの代物のはず。


「食べてくかい? 今ならお安くしとくよ」

「ふむ、支払いは地上の金で大丈夫だったかな?」

「あぁ、問題ないよ。

 こんな場所に籠もっちゃいるけど、上とも取引きがあるからね。

 現金支払いのみになるけど、問題ないかね?」

「あぁ、カードのみでは何かあったら不便だからな。

 現金もちゃんと持ち歩いてるぞ」


 何故か自慢げに頷きつつ、アリスは懐から財布を取り出した。


「マヒロもくるいも、出陣前だ。私が奢ってやるから、好きな物を食べなさい」

「わーい、アリス大好き」

「ハッハッハ、まさに現金な好意だが私は許そう。マヒロも遠慮するなよ?」

「あ、はい。ありがとう御座います」

「私のことを『大好き』と言っても構わんのだぞ?」

「それはちょっと、往来なので……」


 少年の返答にアリスは喉を鳴らし、店主に見えるよう幾つかの串を指さした。


「とりあえずはコカトリス焼きを人数分だな。こっちの肉は少し違うな?」

「あぁ、こっちはミノタンだねぇ」

「ミノタン。ミノタウロスの舌か?」

「地上じゃあ、人型に近い魔物はゲテモノ食いであんまり評判良くないだろ?

 けどウチだと密かに人気でね。特にホラ、ミノタウロスはな」

「……《迷宮児》の人が、多いですよね」


 角の生えた異形から、時に《迷宮児》はミノタウロスの蔑称で呼ばれる。

 それとは無関係に、牛の頭部を持つ人型の魔物、ミノタウロスも存在していた。

 同じ呼び名を持つ魔物となると、あまり気分の良いものではなさそうだが。


「逆にみんな良く食うし、ミノタウロスを見たら積極的に狩りに行くぐらいだ。

 『俺たちとコイツのどこが同じなんだよ!』ってね。

 あと単純にミノタンは美味いしな、焼きコカトリスと並んで人気商品」

「なるほど、逞しい……」


 改めて、迷宮に生きる者たちの強さに触れた気がした。

 感心しているマヒロの横で、くるいが少しだけ身を乗り出す。

 網の上で焼ける肉の香りを軽く吸い込み、何度か頷く。


「店主さん、コレとコレとコレ、あとコレとコレとコレをお願い」

「はいよ、くるいちゃんは良い肉を見分けんのが上手いんだよなぁ」

「選んであげたから、支払いはアリス宜しく」

「うむ、任せたまえ」


 鷹揚に頷いて、アリスは店主が提示した額を支払う。

 ぱっと見ただけで結構なお値段だったが、マヒロは見なかった事にした。


「はい、毎度! 熱いから気をつけて食べてくれよ!」

「ありがとう御座います。アリスさんも」

「目下に施すのは先達の義務だとも、気にせず食べて欲しい」


 微笑むアリスに頷いて、マヒロは遠慮なく手渡された串を受け取った。

 焼きコカトリスに、焼きミノタンの串。

 前者はタレにたっぷり浸かっており、後者は恐らく塩コショウのみの味付けだろう。

 鼻先を近づけると、それだけで脳が痺れるような香りが襲ってきた。

 確かに空腹を抱えていたが、食欲が刺激されて余計に酷くなった気がした。


「……いただきます」


 地上のワイバーンステーキに続いて、二度目の高級魔物食だ。

 タレをこぼさぬよう、先ずは焼きコカトリスの方から口をつけた。

 肉質は、驚くほど柔らかい。程よく甘辛いタレも絶品と言って良い。

 焼き加減も絶妙で、肉の甘みに焼けた香ばしさがバランスよく混ざり合っている。

 これがコカトリスだと、聞いていなければ信じられない程に鶏の味に近かった。


「美味しい……!」

「うむ、コカトリスの肉を食べるのは久々だが、やはり美味いな」

「ん。店主さんの腕も良いから」

「はっはっは、そう褒められると照れちまうね!」


 店主の笑い声を聞きながら、続いてミノタンの方に歯を立てる。

 こちらの肉も柔らかいが、焼きコカトリスよりもずっと歯応えがあった。

 しかし硬いというわけではなく、力を入れればぷつりと噛み切れる。

 そして塩コショウのみで焼いたシンプルな調理法が、肉の味を強く引き立たせていた。


 美味い、としか表現のしようがない。

 塩辛さが加わった肉の甘みは、舌をこれ以上なく喜ばせてくれる。

 確かにこれは、細かいことを抜きにして人気になるだけの美味さだ。


「んー、出来れば毎日食べたいぐらいだよね。これ」

「くるいちゃんが頑張ったら、近くのミノタウロスは絶滅しちまいそうだねぇ」

「一時いなくなっても、また時間が経てば迷宮のどこかで発生するから問題ないだろう」

「それが問題ないかどうかは、ちょっと意見が分かれそうですね……」

「はっはっは。ほら、飲み物はどうだい? こっちは奢りで良いよ」

「あ、ありがとう御座います」


 味が濃い物を食べて、丁度水分が欲しくなっていたところだ。

 差し出された紙のコップを、マヒロはありがたく受け取る。

 入っていたのは透明な液体で、普通の水かと思ったが。


「キンキンに冷やした核抜きスライム水だ、美味しいよ」

「核抜きスライム水……!?」

「ん。マヒロは飲むのはじめて?」


 何か聞いた覚えのない単語に戦慄してる間に、くるいはゴクゴクと飲み干していた。

 アリスの方も、そこまで勢いは良くないが普通に口をつけていた。


「少年もスライムは知っているだろう?」

「それはまぁ、はい」

「アレは魔力が結晶化したと言われる核を中心に、水が生物化した魔物だ。

 魔物の一種ではあるが、核の部分以外は九割以上が水なワケだな」

「だから、動かしてる核を抜いちゃえば水に戻るんだよね」

「それは……失礼ですけど、飲んでも大丈夫、なんですよね?」

「核を抜いた後のスライム水は、程よく魔力が溶け込んでいる。

 ちゃんと煮沸さえすれば全く問題ないし、魔力の影響で味も良くなってるぐらいだ」

「地上だと、持ってく前に魔力が抜けちゃうから。

 迷宮の中でしか飲めない、地味にレアな飲み物だよ」

「なるほど……」


 魔物食というのも、実に奥が深い。

 新たな世界に触れたと思いながら、マヒロもスライム水を飲んでみた。

 美味しい。確かに、うっすらと甘みを感じる以外は普通の水だ。

 しっかり冷やしてあるので、喉越しも実に心地良い。

 味わって飲むつもりだったが、あっという間に飲み干してしまった。


「はっ……美味しかったです、ごちそうさまでした」

「あいよ、お粗末様。是非また寄ってくれよ、サービスするからさ」

「ありがたいな。では、祝勝会はまたここでやるとしようか」


 店主の言葉にニヤリと笑ってみせるアリス。

 そんな彼女の後ろで、大きな影が動いた。


「ここにいたか。待たせて悪かったな」

「良いさ、どの道まだ『迷宮津波』で迂闊には動けんからな。

 それより、そちらは本当に大丈夫なのか? 巌」

「心配は心配だが、ガキどもに『こっちは任せろ』と言われちまった以上はな」


 《百騎八鋼》の長、《怪力乱神》の巌。

 彼が《円環》討伐に参加するという話をマヒロが知ったのは、少し前のことだ。

 アリスの昔の仲間であり、《アンダー》でも最高位の魔法使い。

 その実力がどれほどのものか、信頼に満ちたアリスの態度が何より物語っていた。


「結局パパが来る事になったんだね」

「まぁ、お前も心配だしな。

 出せるなら一番強い奴を出すべきだ、とも言われたからな。気合い入れるさ」


 笑いながら、巌はマヒロの方を見た。


「つーわけで一時的だが、オレたちは仲間だ。宜しく頼む」

「こちらこそ……!」

「肩ひじ張らなくて良いぞ、少年。

 実力不足を自覚して、不安なのは分かるけどな。

 相手は《円環》、仮に《八鋼衆》総掛かりでも仕留めきれるか分からん化け物だ。

 極端な話、実力不足って意味じゃこの場の全員そう差はないだろう」

「…………」

「要は役割だ。オレやアリス、くるいはどうにか戦える。

 お前さんは戦うには力が足りないだろうが、期待してるのはそれ以外の『何か』だ。

 その『何か』がなんなのか、そもそも吉と出るのか凶と出るのか。

 この場の誰も分かってないのが問題だが──」

「どうにかなる。そう信じて挑む事が『冒険』だぞ、同志諸君」


 巌の言葉に混じる微かな不安すら、突風で吹き飛ばすように。

 自信と確信に満ちた笑顔で、アリスは言ってのけた。


「こちらの無線にも連絡が入った。間もなく《組合》の冒険者チームも到着する。

 『迷宮津波』が落ち着き次第、本格的に《円環》討伐のための迷宮攻略に入るぞ」

「予想される魔物の氾濫は、ウチの戦力がこの場を防衛ラインの要として防ぐ予定だ。

 多少の取りこぼしは出ると思うがな」

「そちらは《組合》が何とかする。一応は《迷特対》にも連絡は入れた」

「ん。それ、お役所のお飾り部署って聞いたけど?」

「お飾りだがパイプにはなる。

 最悪、国が部隊を動かして地上に魔物が溢れるのだけは阻止してくれるだろう」


 多くの可能性を考慮し、そのために予め手を打っておく。

 危うい死線の上から、自分たちは危険が満ちる迷宮の奥底を目指す。

 改めて現状を自覚して、マヒロは強く拳を握った。


「マヒロ、覚悟はできているな?」

「はい。いつでも大丈夫です」

「良い返事だぞ、少年。とはいえ、出発はすぐじゃない。

 今は気を落ち着けておくと良い。本番は深度『六』の迷宮にたどり着いてからだ」


 アリスは笑う。それは未知に挑む前の、《迷宮王冒険者》の表情だった。


「目標となる迷宮を、これより《蛇の祭祀場》と仮称する。

 さぁ、我らの全力で以て未踏を制覇するとしようか。

 心して待っていろよ、《円環》」

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