第27話:挑む覚悟を


 《組合》が管理する低階層に、《十二の円環》が直接襲撃を仕掛けてきた。

 一時撃退したとはいえ、《組合》は当然ながら大騒ぎになった。

 その場に居合わせたオーク討伐のメンバーに死傷者が出なかったのは、不幸中の幸いだった。

 怪我人は《組合》支部の医務室に運ばれ、深度『一』の『扉』は一時的に封鎖された。

 大蛇は完全に死んでいるが、残留している魔力はまだ濃く漂っている。

 迷宮の構造も大分変化してしまっているし、迂闊に近づくのは危険な状態だった。

 今は《組合》から専門の人員が出され、対処に当たっているらしいが……。


「……は」


 現場から地上に戻ったところで、マヒロはようやく安堵の息をこぼした。

 強い疲労と、神経が緊張しっぱなしだったせいで目眩がしそうだ。

 できれば、この場に倒れ込んでしまいたい衝動に駆られるぐらいだ。


「お疲れのようだな、少年」


 肩を軽く叩かれて、顔を上げる。傍らにはアリスの姿があった。


「アリスさん……」

「まぁ無理もない。《円環》と戦いこれを退けた経験など、並大抵の冒険ではない。

 かくいう私も、流石に少々疲れ気味だよ」

「冒険馬鹿のアリスでも、疲れることはあるんだね?」

「私だってこれでも人間だぞ? くるいほど無尽蔵に体力があるわけじゃないんだ」


 皮肉でなく、純粋に不思議そうなくるいに対し、アリスは苦笑いで応えた。

 マヒロもつられて笑いながら、また少し息を吐く。

 頭の中にあるのは、大蛇が残した最後の言葉。

 《御使い》と、確かにズリエルは笑いながら言っていたはずだ。

 一体、どういう意味を持つ単語なのか。《御使い》。天使?

 そんなものと出会った記憶なんて、マヒロの中には……。


「っ……」


 頭の奥が、刺すように痛んだ。瞬間、幻視したのは炎の景色。

 燃やされる街の中に、確かにマヒロは立っていた。

 自分以外には誰もいない、迷宮から溢れ出した厄災が、全てを燃やしてしまった。

 焼け焦げた世界で、他に誰もいないはずなのに。

 そこには、白く輝く何かが──。


「おい、少年。少年? 大丈夫か、少年?」

「ぁ……っ、は……」

「汗が酷いよ。ちょっと休んだ方が良いんじゃない?」

「そうだな。マヒロ少年は別に必要な手続きも無いし、一度家に戻ると良い。

 なんなら支部内に来客用の部屋もある。そこを使うか?」

「……ありがとう御座います。けど、大丈夫ですから」


 気遣う二人の言葉をありがたく思いながら、マヒロは小さく首を横に振った。

 今見えた記憶が、どういう意味を持っているのか。

 分からない。分からないが、答えは《御使い》という言葉にある気がした。

 呼吸を整えて、改めて視線を周りに向ける。


「……本当に、大騒ぎですね」


 呟いた言葉通り、《組合》支部の玄関ホールは騒然としていた。

 事情を知らぬ冒険者たちは、僅かにでも情報を得ようと周りと言葉を交わしている。

 《組合》の職員たちは、ほぼ全員が文字通り右往左往している状態だった。

 低階層の魔力汚染の度合いを確認し、構造変化の影響も調査する必要があるだろう。

 新たな魔物が湧いたり、下層の魔物が這い上がってくる可能性も高い。

 仮にそれらがどうにかなっても、再び《円環》が現れれば同じ事が繰り返されるのだ。


「これほどの事態は、それこそ十年以上前の《迷宮戦争》以来だろうな。

 懐かしい戦場の空気、などと気楽に言えれば良かったが」

「アリスはあそこに混ざらなくて良いの? 一応責任者なんでしょう?」

「うむ、何かあれば責任だけ取るためにいる責任者だな。

 彼らには彼らの仕事があり、私には私の役目がある。

 つまりそういうことだよ、くるい」

「お飾りだからあっちでやる事ないって、素直に言ったら?」

「正論を口にするだけでは人は救われないんだぞ……!」


 変化球気味な抗議を口にするアリス。すぐにコホン、と咳払いをして。


「《組合》の者たちは優秀だ。一時は混乱するだろうが、それもすぐに収まる。

 深度『一』への封鎖状態の方も、恐らく数日で解除されるだろうさ」

「……けど、また《円環》が低階層まで上がってきたら」

「同じだな。いや、あの大蛇はあくまで《円環》ズリエルの末端、眷属だった。

 もし仮に本体が直接現れたら……」

「被害が低階層だけで済めば良いけど、最悪この支部まで壊されるかもね」


 くるいの言う通りだ。今回はアリスたちの活躍もあり、最小限の被害で抑えられた。

 けど、次もそう上手く行くとは限らない。

 《円環》のズリエルが本気で攻撃を仕掛けてきたら、この支部は耐えられるのか。

 最悪の予想は、過去の記憶を焼く炎の幻視と重なってしまった。


「あくまで私の見立てだが、《円環》本体の襲撃はすぐには起こらないだろう」

「? どうして?」

「神様という奴はプライドが高いのさ。

 いくらコケにされたからと言って、いきなり大人気なく全力を出しては沽券に関わる。

 人間が虫を相手に本気でキレまくるのと、感覚的にそう差はないだろう。

 まぁ本体が出てこずとも、また眷属を送り込んでくる可能性は十分にあるが」

「……あのズリエル本体をどうにかしないと、終わらないわけですね」

「その通りだ」


 迷いなく、アリスはマヒロの確認に対して肯定を返す。

 終わらない。もうタチの悪い神様には目をつけられてしまった後だ。

 今は出てこないと言っても、時間が経てば本体が直接襲ってくる危険も否定できない。

 終わらせる方法は、考えるまでもなく一つきりだ。


「《十二の円環》、ズリエルを討伐する。

 この十年、先送りにされ続けてきた問題の一つを解決する、これは千載一遇の好機だ」

「……パパも言ってたけど、本気でやるんだね」

「やるとも。《迷宮戦争》の頃は、奴らに散々煮え湯を飲まされた。

 報復しようにも奴らは強大で、居場所もロクに掴めないときた。

 だが今は違う。《円環》の一体が我々に怒りを持ち、わざわざ向こうから来てくれた。

 弱点となる手段も見つけ、眷属を討ち果たした事で手傷も負わせた。

 これ以上の好機、次にいつ来るかも分からん」

「…………」


 淡々と、けれど強い熱を秘めたアリスの言葉。

 マヒロはそれを無言で聞いていた。


「くるい、改めて聞くが……」

「協力するよ。ワタシもあの《円環》にはムカついてるし。

 行く時は一度ウチのホームに寄ってくれれば、《八鋼衆》の誰かが協力する話だから」

「実に心強いな。推測になるが、ズリエルは例の未探索領域を更に改変しているだろう。

 私たちが自分の首を狙って、迷宮に乗り込んでくる事は予想しているはずだ。

 その突破のためにも、《組合》の方でも人員を……」

「あの、アリスさん。くるいさん」


 話を遮られた二人は、そうした当人に視線を向ける。

 真剣な面持ちで、マヒロはアリスたちをじっと見て、その言葉を口にした。


「俺も、《円環》の討伐に参加させて下さい」

「ダメだ──と、言うべきところなんだろうがな、冒険者の長としては」


 苦い笑みを浮かべ、アリスもまたマヒロの瞳を真っ直ぐ覗き込んだ。

 正義感だとか、勇気や蛮勇の類ではない。

 年若い少年の眼から分かるのは様々な恐怖と、それを乗り越える決意だ。

 覚悟を認めてしまっては、それを否定する術を《迷宮王》は知らなかった。

 かつての自分もまた、好奇心と決意を抱いて、迷宮に挑む覚悟を決めたのだから。


「……守るつもりはあるが、守ってやるとは言えない。

 敵は《円環》。私やくるいでさえも、命を賭して戦わなければならない相手だ。

 まぁ、そんなことは今更言う必要もないかもしれないが」

「はい、分かってます。俺だって、一緒に死にかけてますからね」

「でも、マヒロのおかげで結構助かってるよね」

「否定はすまい。少年がいなければ、そもそも最初の接触で死んでいたのは間違いない」


 頷く。アリスはこれまでにないぐらい真面目に、強くマヒロに問いかけた。


「本当に行くんだな? 以前の私なら、二つ返事で了解したかもしれない。

 だが奴は、あの《円環》は君について何か知っている様子だった。心当たりは?」

「分かりません。今はまだ。

 けど、《御使い》という言葉は知ってる気がするんです」

「……一応、パパにも確認してみるけど」

「私も初めて聞いた言葉だ。しかし、無意味な戯言とも思えん」


 マヒロが抱えている未知の事象が、《十二の円環》と関わりがある。

 危険だ。アリスの《迷宮王》としての勘が、稀なほど全力で警鐘を鳴らしている。

 何が起こるか分からない。最悪の想像すらつかない、何かが起こる可能性。

 それを考慮するなら、マヒロを連れて行くべきではないが。


「……死ぬかもしれない。どころか、死ぬより酷い事になる危険もある。

 それが具体的に何なのかは、私ですら分からないような」

「分かっている……とは、言えませんけど。でも、覚悟はしています」

「人間の覚悟なんてものは、迷宮の前では小さな石ころにも劣る。分かっているのか?」

「分かっています」

「口で言うのは簡単だ」

「……正直に言えば、怖いですよ。あの《円環》が、何を言っているのか。

 分からない。分からない事は、怖い。

 アリスさんの言う通り、最悪の可能性は俺の想像力の外にある。

 そう考えただけで、心臓が止まりそうなぐらいの恐怖は感じてるんです」

「……マヒロ」


 語る声は、隠しようがないぐらいに震えていた。

 震えている。それこそ、歯の根が合わなくなりそうなぐらい、少年は恐怖を感じている。

 反射的に、くるいの手が彼の肩へと伸びそうになるが。


「……それでも、怯えてばかりじゃ何も変わらない。

 例え一時逃げ出しても、きっと最悪な『何か』は俺のことをずっと追いかけてくる。

 俺が諦めて捕まってしまうまで、ずっと。本当に死んでしまうまで」

「だから、挑むのか」

「はい。一人だけなら、きっとそんなこと考えられなかった。

 ただ不運だったと、諦めて受け入れるしかなかったかもしれない。

 けど……今は一人じゃないと、そう思えますから」

「……そうか」


 虚飾のない、胸の底から出てきたマヒロの言葉を、アリスは噛みしめるように聞いた。

 恐怖があった。決意があった。覚悟があった。そして、信頼がある。

 であれば、これ以上は無粋だろう。必要なのは、応える事だ。


「分かった。マヒロ少年──いや、マヒロ。君の同行を認めよう」

「っ、本当ですか?」

「むしろ、私の方から頼みたいぐらいだ。

 私の仲間として、共に神殺しに挑んではくれないか?」


 微笑みながら、手を差し伸べる。マヒロは一瞬、何を言われてるか分からなかった。

 理解が追いつくと共に、喜びが溢れ出しそうになる。

 けれど、それは心の中にぐっと押し留めた。

 マヒロの内にある喜びは、彼自身にしか分からないものだから。

 そうしてから、差し出された手を握る。


「こちらこそ、宜しくお願いします……!」

「ふふ。君はまだ未熟ではあるが、流石にここまで来たらな。

 あぁ、宜しく頼むよ。マヒロ」


 名を呼び、孤独であったはずの《迷宮王》は穏やかに笑った。

 そこにある喜びもまた、彼女にしか分からないものだった。


「……二番目」

「うん?」

「アリスは、二番目だから。一番最初にマヒロの仲間になったのは、ワタシ」

「いや、まぁ、確かにそうかもしれんがな?」


 謎の対抗意識を燃やすくるいに、アリスは苦笑いで応える。

 つられてマヒロも笑い、けれどすぐにその表情を引き締めた。

 やるべき事を、成し遂げるために。


「《円環》のズリエルを討つ。やるんですね」

「あぁ、準備が整い次第すぐに迷宮に入るつもりだ。

 くるい、悪いが《組合》の受付を通してそちらのホームに連絡を入れておいてくれ」

「ん、任せて。絶対にボコボコにしてやろう」


 動き出す。マヒロたちだけではない。

 《組合》に関わる者たちや、それ以外の者たちも含めて。

 止まっていた歯車が、軋みを上げながら少しずつ回り始めたような感覚。

 あるいはこれこそ、『運命』と呼ぶべきものであるのか。

 当然、マヒロには分からない。彼の耳には、『運命』が軋む音など聞こえない。

 聞こえている者がいるとしたら、それは地の底の──。

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