第26話:《御使い》


 ズリエルは油断していた。もっと言えば、完全に慢心し切っていた。

 だがそれも当然の話だ。ズリエルは完璧なる《円環》の一角。

 広大な《アンダー》において恐れるものなどない、頂点に最も近い存在なのだから。

 故に、襲う衝撃が予想以上であった事に、《円環》は少なからず驚愕した。


『な……っ!?』

「隙だらけじゃん、《円環》!」


 打ち込まれた大戦斧グレートアックスの一撃。

 前は傷ひとつ負わせられなかったはずだが、今は違う。

 分厚い刃は蛇の鱗をひしゃげさせ、浅い亀裂を刻みつけていた。

 驚く蛇の隙を突いて、更に二度、三度と斧を叩きつける。

 派手な火花と金属音を散らして、鱗の表面に更にひび割れが広がっていく。

 まだ苦痛はない。が、このままでは纏う防御が貫かれる。


『鬱陶しい!!』

「うわっ」


 蛇は巨体をうねらせ、好き勝手に暴れるくるいを振り落とす。

 同時に、迷宮の構造を変化させて四方から押し潰す形で無数の棘を伸ばした。

 回避は間に合わない。くるいがいくら頑強でも、直撃すればただでは済まない大質量。


「“此処から彼処へ! 《空渡りディメンジョン・ステップ》”!」


 当たる直前に、マヒロがそこに割り込んだ。

 《遺物》で強化された脚力で宙を跳び、魔法の範囲にくるいが入った瞬間に呪文詠唱。

 短距離の転移により、二人は大蛇からやや離れた床に着地する。

 大魔法の発動で、身体の内がキリキリと痛む。

 苦しげに息を吐き出しながらも、マヒロは歯を食いしばって苦痛に耐えた。


「ありがと、助かった。けど大丈夫?」

「ええ、何とか……! くるいさんは、どうして……」

「……この武器」

「はい?」


 見せつけるように、くるいが構えた大戦斧。

 以前使っていた大鎚とは明らかに異なる得物だった。

 分厚い刃の表面には、何かしらの文字に似た紋様が刻まれている。

 その紋様に、マヒロは見覚えがあった気がした。


「パパに頼んで、倉庫の奥で埃被ってるのを引っ張り出して貰ったの。

 で、君に自慢してやろうと思って《組合》に向かってたらこの状況。すごくない?」

「凄いと言えば確かに凄いですね……」

『……人間如きが、私の神体に傷を付けたと思えば』


 言葉を交わしながらも、意識は大蛇からは離さない。

 憤怒に燃える三対の眼差しが、神を恐れぬ不届き者たちを捉える。


「余裕ぶって油断しすぎたね、神様モドキめ。

 ワタシたちが、ただやられるだけの獲物だと思ってた?」

『よくもまぁ、そんな武器を都合よく引っ張ってきたものだな』

「割と珍しいモノだから、《百騎八鋼ウチ》でも少ししか無かったけどね」

「……まさかとは思いますが、くるいさん。それって」

「あぁ、少年が考えている通りのモノだぞ」


 新たな声は、マヒロたちの後ろから響いた。

 力強く、自身に満ちた言葉はまさに王の称号に相応しい。

 状況は未だ危機的だが、思わず安堵の息がこぼれそうになった。


「アリスさん……!」

「すまんな、少年。

 出来れば颯爽と駆けつけてやりたかったが、少々出遅れてしまった」


 笑顔を見せるアリスの手には、常とは違うものが握られていた。

 愛用の王剣は背負ったまま、右手に握られているのは見慣れない一振りの剣。

 全体の形状は十字架にも似た直剣だが、刀身にはやはり特徴的な紋様が刻んである。


「はい、レースはワタシの勝ちです。

 なんで負けたか明日までに考えておいて下さい」

「単純にお前の方が足が速いだけだろうに。

 まぁ、少年の危機を『何となく』で察知した第六感については感謝しかないがな」

『……貴様もいたのか、《迷宮王》』

「久しい、と言うほど時間も開いてないな。ズリエル。

 さて、お前も当然この武器が何であるのかは分かるだろう?」


 挑発するかのように、アリスは手にした剣を見せつける。

 刃に纏わりつく魔力の強さは、《レガリア》である王剣には劣っているが。


。これだけではなく、くるいが持っている大斧も同じだ。

 以前、私やくるいの攻撃は通じず、少年の剣で傷を受けた理由。

 それはお前が竜の属性を持つ者だったからだ、違うか?」


 剣としての性能は、一番数が多い通常の魔剣と変わらない。

 ただし相手が竜であった場合のみ、殺傷能力が飛躍的に高まる竜殺しの魔剣。

 取った不覚が原因で、歴戦の冒険者たちに弱みを見抜かれてしまった。

 その事実を前に、ズリエルは憤怒の炎を燃え上がらせる。


『たったそれだけ分かった程度で、もう勝ったつもりか!!』

「まさか。流石にそこまで侮ってはいないとも」


 吼える大蛇に対し、アリスは表情を崩さない。

 余裕を微笑みに表しながら、竜殺しの剣を振り上げる。


「だから、これから勝たせて貰うぞ。《円環》」

『身の程を弁えろよ、人間!!』


 咆哮が轟く。ビリビリと震える大気に、マヒロは身を竦ませそうになる。

 逆に威圧を切り裂いて、アリスとくるいは同時に地を蹴った。

 迷宮の構造を自在に出来る以上、ここは怪物の腸の中も同然だ。

 時間はかけられない。故に二人の強者は、言葉も無しに共に速攻を仕掛けた。


 先ず襲うのは、圧倒的なパワーを乗せた大戦斧の一撃。

 周囲から迫る石造りの牙や棘を粉砕し、強靭な鱗を真っ向から叩き折る。

 間髪入れず、アリスもまた素早く剣を打ち込んだ。

 狙うのは、最初にくるいが傷つけた鱗の亀裂。

 傷口を開くように、鋭い刃が大蛇の血肉を深くえぐり取った。

 真っ赤な血が吹き出すと、《円環》は無視できない苦痛に身を捩らせた。


「ハハハハッ! 効いているようだな!」

「前のお返し、何倍にもしてやるから」

『ッ──定命風情が、図に乗るな!!』


 衝撃が迷宮を揺るがした。叫ぶ声に魔力を乗せ、物理的な力として周囲に放出する。

 くるいはギリギリ耐えたが、アリスは堪らずに吹き飛ばされる。

 床を転がるが、壁に激突する前に体勢を立て直す。

 しかし、《円環》の攻撃はまだ終わっていない。

 アリスが立ち上がった直後、足元が思い切り『沈み込む』。

 硬い石造りであるはずの床が、今やドロドロに溶けた沼に変化したのだ。


「チッ、神を名乗る割にやる事がせせこましいな……!」

「アリス!」

『人の心配をしている場合か?』


 衝撃波を耐えたくるいだったが、そちらには蛇の大顎が迫る。

 咄嗟に斧を頭上に構え、降ってくる牙を受け止める。

 下から潰そうとしてくる顎は、足で抑える事で何とか停止させた。

 ギリギリと、くるいは自分の筋肉が軋む音を聞いた。


「ぐ……ぁっ……!?」

『ははははははは! 本当に素晴らしい力ですね!

 人間なんて、簡単に潰れて死ぬはずなのに!』

「ホン、ト……そっちこそ、あんまり舐めないで欲しいな……っ!」

『素晴らしいですが、その状態では抵抗することも──』


 出来ない、と。死の宣告と共に、《円環》はくるいを仕留める気だった。

 顎に挟まれて動けず、アリスもまた拘束を脱していない。

 この状態で《吐息ブレス》を受ければ、生物が耐えきれる道理はない。

 故にズリエルは大きく息を吸い込み。


『ギッ……!?』


 不意に突き刺さる痛みに、言葉と《吐息》を強制的に中断させられた。


「くるいさんの言う通り……舐めるなよ、化け物……!!」

『あ──き、さま……また、オレに傷を……!?』


 マヒロだ。くるいが衝撃波を無理やりにでも耐えたのは、後ろに彼がいたから。

 そして獲物相手に視野が狭まった捕食者に、再び不意を打った。

 《幻影の歩み》による、単独での短距離転移。

 一瞬で蛇の頭上に跳んだマヒロは、そのまま眼球の一つに剣の切っ先をねじ込んでいた。

 竜殺しの魔力は、正しくその特性を発揮する。

 本来ならこの程度の物理攻撃など通さない神の血肉に、刃は深く突き刺さった。


『ガアアアァアアアアアアアアッ!!』

「ッ!?」


 全霊の力で剣を押し込んでいたマヒロに、《円環》の放つ魔力が襲いかかる。

 堪えることなど、ほんの一秒でも不可能だった。

 見えない衝撃に全身を強烈に殴り飛ばされ、紙くず同然に吹き飛ばされる。

 魔法で対応する暇もない。ご丁寧に、飛ばされた先の壁は無数の棘に変わっていた。

 死ぬ。自力で助かる余地はどこにもない。


「──まったく、そちらも大概に無茶をするタチだな。少年」


 その生命を拾い上げたのは、拘束を無理やり破壊したばかりのアリスだった。

 勢いよく飛んできた少年の身体を、《迷宮王》は片手で軽々受け止める。

 息を詰めるマヒロを抱え直すと、アリスは間を置かずに跳躍した。


「少々無茶をするが、耐えろよ少年……!」

「っ……大丈夫です……!」

『虫けらと変わらぬ身で、これ以上神を煩わせるな──ッ!?』


 吼えるズリエルの声に、ゴキリという鈍い音が混じった。

 目を潰された痛みと怒りで、一瞬だが意識せずに顎の力が緩んでいた。

 その一瞬に、くるいは自らの全力を傾ける。


「いい加減、臭い息を吐きかけるのはやめて」


 無理やり牙をへし折り、潰そうとしていた大顎を跳ね除ける。

 大戦斧をそのまま素早く構えると、顎の内側に向けて分厚い刃を打ち込んだ。

 真っ赤な血が爆ぜて、肉と骨が盛大に砕かれる。

 上顎の一部を切り飛ばされて、《円環》は喉の奥から絶叫を迸らせた。


『ァ……ギ、ィィアアアァアアアアッ!?』

「良い声で鳴くではないか、《円環》! 酒の肴にしたいぐらいだ!!」


 嘲りを口にしながら、アリスの剣が閃く。

 苦痛に暴れる蛇の上を器用に跳び、大きく開かれた眼球を剣でえぐり裂いた。

 絶叫、絶叫、絶叫。苦痛がとめどなく神経を削る。

 今や蛇の中には、油断も慢心も残ってはいなかった。

 万物の脅威であるはずの自分が、初めて脅威を感じている。

 それを与えたモノが、矮小な人間だなんて……!


『そんな、もの、認め、られる、か──!!』

「往生際が悪い!」


 吼える蛇の頭を、くるいの大戦斧が叩く。鱗だけでなく、骨が砕けた手応え。

 アリスはマヒロを抱えた状態で、大蛇の顔面に思い切り蹴りを浴びせる。

 狙ったのは、未だに突き刺さったままのマヒロの剣だ。

 眼球は完全に潰れて、竜殺しの魔力が宿った刀身は更に深い場所まで潜り込む。

 死が近い。ズリエルは、その事実を認めないわけにはいかなかった。


『人間が……私を、誰だと……!?』

「神様気取りの怪物だ。それ以上でも、それ以下でも無いだろう、お前は」


 鱗を剥がされ、血肉と骨を砕かれて。

 初めて死を意識した大蛇を、アリスは嘲笑う。嘲りながら剣を構える。


「続きはまた後日だ、地の底で震えて待っているが良い」

『ッ─────!!』


 怒りを吼え、削られた大顎を開いて向かってくる《円環》。

 アリスは一歩も退かず、迎え撃つ形で全力の一刀を振り抜いた。

 ぐらりと巨体が崩れる。真っ二つに断ち割られた頭部から、真っ赤な血が吹き出した。

 抱えられていた状態のため、マヒロもそれを盛大に浴びてしまった。

 むせ返るほどの血臭に、意識がグラグラと揺れる。


「……よし。大丈夫か? 少年」

「正直に、言って……あんまり大丈夫では、ないですね」

「ハハハハッ、それだけ言えるのならば全く問題無さそうだな」


 返り血を軽く振り払いながら、アリスは愉快そうに笑った。

 同じく血まみれの姿で、斧を担いだくるいも傍に寄って来た。


「お疲れー」

「うむ。くるいもよく頑張ったぞ」

「ワタシよりも、マヒロの方が頑張ったよ。

 一人でホントにエラい。良く耐えました」

「いや……二人が間に合わなかったら、普通に死んでましたから」


 安堵の息をこぼしながら、マヒロも笑った。

 それから改めて、完全に動かなくなった大蛇の屍を見た。

 迷宮を自在に操っていた魔力も、今は欠片ほども感じられない。


「……本当に、倒したんですね。《円環》を」

「あぁ、一先ずこの場はな」

「……? 一先ず、この場は?」

「コレ、本体じゃないよ。眷属か、身体の一部かまでは知らないけど」


 くるいの言葉に、マヒロは絶句してしまう。

 この化け物が、本体じゃない?


「信じがたいだろうが事実だ。恐らく本体は、今も例の未探索領域の奥だろう」

「そんな……」

「なに、そう悲観する事もないぞ。少年。

 奴の弱点は分かった。本体相手ではないにしても、用意した手段は有効だった」

「もう《組合》に在庫が無いからって、こっちの倉庫漁ったんだから。

 もうちょっと感謝して欲しい」

「あぁ、勿論感謝しているとも。しかしまぁ、少年も運が良かったな。

 私とくるいが竜殺しの武具を見つけて、たまたま戻る途中だったから──」

『……たまたま、たまたまか。ははは、本当にそう信じているのか?』

「ッ……!?」


 間違いなく、蛇は死んでいるはずだ。

 生気の欠片もないのに、顎だけが動いて意味のある言葉を紡いでいる。


『あぁ、やはり確信した! お前は同じだ、我らの『同類』だ!!

 

 君は我らと同様、《御使い》と出会い、運命を剥がされた──』

「うるさい」


 ぐしゃり、と。重く濡れた音を響かせて、くるいの大斧が蛇の頭を砕いた。

 今度こそ完全に、粉々になった大蛇はぴくりも動かなくなった。

 心臓の鼓動が早い。死に際の言葉が何を意味するのか、まるで不明ではあったが。


「《御使い》……?」


 その単語だけが、妙にマヒロの耳の奥に残っていた。

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