第21話:街角にある魔女の店


 結論から言ってしまえば、ワイバーンステーキは大変に美味だった。

 鉄板の上に置かれる分厚くカットされた肉は、熱を受けて芳ばしい香りを漂わせる。

 中までしっかり火は通した上で、焼き加減は適度なレア具合。

 歯ごたえはあるが、決して硬いわけではない。

 味わいは牛肉に近く、脂は甘いがくどさは微塵も感じられず、さっと口の中で溶ける。


 塩こしょうのみの味付けだが、それで十分過ぎるぐらいに肉そのものが美味かった。

 どんっと1ポンド近いサイズで出てきたが、あっさりと食べられてしまった。

 マヒロはそこまで健啖家なつもりはないので、正直驚くしかなかった。


「いや、食べたのは久々だが実に良かった。店主もまた腕を上げていたな」


 店を出ると、大変満足そうにアリスは笑っていた。

 くるいの方も上機嫌な様子で、その言葉にコクコクと頷いた。


「ワイバーンの肉は迷宮でも食べた事あるけど、ここの方が美味しかった。不思議」

「それこそ料理人の技術という奴だろうな。

 巌も料理上手ではあるが、ここのはプロの仕事だからな。

 単純に『肉を焼く』という作業だからこそ、大きな違いは出るものだ」

「奥が深いねー」


 ちなみに、語り合う女子二人は同じステーキをそれぞれ三枚ほど食べている。

 お値段は想像するだに恐ろしいが、会計はアリスが全てカードで支払ってくれた。


「しかし、少年はちょっと少食じゃないか? 一枚しか食べてないだろう」

「いや、あのサイズの肉を一枚以上はちょっと辛いですね……。

 むしろほとんど苦もなく食べ切れた事に驚いてますから」

「ホントに美味しくて食べやすかった。また来たい」

「そうだろう、そうだろう。

 しかし話をしたら、巌の手料理も恋しくなってしまったな。

 昔は探索中に何度も味わったものだが」

「じゃあ、今度ウチに来た時に食べれば良いよ。ワタシからお願いしておくから」

「おぉ、本当か? それは楽しみだな。当然、少年も来るだろう?」

「あ、はい。俺も一緒で良いなら、是非」

「良いよ、歓迎するから」


 そう言って、くるいはほんの少しだけ笑ってみせた。

 いい具合に腹も満たされて、気分良く街の通りを進んでいく。

 繁華街の近くに入ったことで、通行人の質も目に見えて変化していた。


「冒険者っぽい人も、増えてきましたね」

「この辺りは《迷宮街》でも、冒険者向けの店が多いのもある。

 格好だけでなく、ちゃんと本業の人間も頻繁に出入りしている場所だな」


 天下の往来なので、当たり前だが武装している人間はいない。

 ファッションの範囲でなら、装甲っぽい物や《組合》のロゴが入った服など。

 そういうった『如何にも』な装備を身につけたのが、いわゆる冒険者ファッションだ。


 マヒロが見たのは、そんな目立つ相手ではない。

 格好こそ普通ではあるが、感じられる『雰囲気』が何となく異なる人種。

 低階層が主な活動範囲だった身でも、それなりの時間をマヒロは迷宮で活動してきた。

 なので『同業者』に関しては、見れば何となくは感じ取ることができた。


「ん。ホントに、変な格好してる人もいるね?」

「あぁ、ゴブリン族か。あまりジロジロ見るなよ、絡まれても面倒だ」


 くるいが視線を向けた先には、大声で騒いでいる若者の一団がある。

 身体を緑にペイントしたものや、明らかに露出過多な蛮族スタイルな服装。

 模造品だろうが、中には武器に似た物を所持している者もいた。

 警察に見つかれば即捕まるのは間違いないが、彼らは気にした様子もない。

 道行く人も、なるべく関わり合いにならないよう距離を置いていた。


「流行りなのは分かるが、何故あんな格好をしてるのかは理解に苦しむな」

「単純に、派手で目立つからですよ。後はネットでの『映え』狙いというか」

「ばえ? ばえって何?」

「今言った通り、他より目立つってことですよ。

 迷宮内の配信動画とかも、方向性としては同じですかね。

 人に見られたいから、どんどん内容が過激化してく傾向にありますね」

「分からんな。迷宮でそんな事をしていたら、下手すれば死ぬだろうに」


 呆れた顔で、アリスはため息をついた。

 マヒロも趣味ではないので、あまり迷宮配信には触ったことがない。

 ただ、ネット上で流れるニュースだけでも、度々炎上騒ぎになっている事は知っていた。


「そういうのって、《組合》は禁止してないの?」

「迷惑行為として何度か注意喚起はされてたと思いますよ。

 ただそうやって警告を出しても、やる奴はやりますから、意味があるかというと」

「うーむ、一応は《組合》の長として、何かしておくべきか?」


 立場的にはお飾りに近いとはいえ、《組合》のトップである《迷宮王》。

 難しい顔で悩みだした彼女に、マヒロは苦笑いをこぼした。

 好き勝手に振る舞っているようで、アリスの根は真面目な方だ。


「すみません、流れで変な話をしてしまって。

 それより、魔法に使う触媒を見に行くって話でしたよね?」

「おぉ、そうだったそうだった。こちらも行きつけの店があってな。

 魔法の触媒に限らず、《遺物》の取り扱いもしている場所だ。

 個人業者だが、私も信頼している」


 一転、笑顔になったアリスはマヒロの手を軽く引っ張る。

 騒ぐゴブリン族をスルーし、細い路地に入っていく。


「ここ、ちょっと迷宮みたいだね」

「道が少しばかり複雑だからな。はぐれないようにしろよ?」

「子供扱いはしないで欲しい」


 ちょっとむくれるくるいに、アリスは小さく喉を鳴らした。

 言葉通り、細い道が複雑に入り組んだ様子は迷宮の内側を彷彿とさせる。

 迷いなく進むアリスがいなければ、マヒロも余裕で迷子になっているだろう。

 表の通りとは異なり、やや怪し気な雰囲気の店があちこちに見えるが。


「ここ、大丈夫なんですかね……?」

「もっとヤバい場所は知っているが、流石に未成年は連れてこないよ」

「ヤバいって何ですか、ヤバいって」

「ハッハッハ、少年に教えるにはまだ五年は早いな」

「またおばさんみたいなこと言ってる」


 年齢マウントを取ってくる《迷宮王》に、くるいは容赦なく年齢で擦っていく。

 若干ダメージを受けたようだが、アリスはスルーして進んでいく。

 やがて、見えてきたのは。


「ここだ。場所が変わってないか、少々心配だったが」


 安堵の表情で、アリスが示したのは一件の木造の小屋だった。

 そう、木造だ。コンクリートジャングルの中に、ぽつんと佇む一軒家。

 見た目からしてもかなり古びていて、築何年なのかはまったく想像できない。

 マヒロもくるいも戸惑って立ち止まるが、アリスは構わず扉を軽くノックした。


「おい、やっているか? 私だ、アリスだ」

「そう騒がしくしなくとも、開いてるよ。入っておいで」

「よしよし、ちゃんと営業しているようだな。

 さ、二人とも。ぼーっと見てないで、こっちに来るといい」

「あ、はいっ」


 促されて、慌ててマヒロは扉を開いたアリスの後に続いた。

 その小屋──いや、店の中に入ると、先ず感じるのは複雑な香の匂いだった。

 一瞬、迷宮に足を踏み入れた時のような感覚に包まれる。

 錯覚だとは頭では分かっているのに、五感はこの迷宮に近い『何か』を感じていた。


「いらっしゃい、良く来たね。若い子がウチに来るのは、まぁまぁ珍しいよ」


 雑多に置かれた大小の棚に、並んでいるのは混沌の様だ。

 護符らしき色とりどりの宝石に、用途不明の木彫りの像や幾つもの薬入りの小瓶。

 それらの奥で、椅子に腰掛けた一人の老婆が囁いた。


 森の魔女、という表現がこれほどぴったり来る人物もそうはいないだろう。

 黒いボロを纏った白髪の老女。片足はなく、よく見れば片目も失っているようだ。

 残った一つだけの眼には不気味な光を宿して、マヒロたちを観察するように見ていた。


「久しいな、《鬼婆》。まだ生きているようで安心した」

「ご挨拶だね、《迷宮王》。あたしがアンタより先に死ぬワケがないだろう?」

「ハッハッハ、そっちこそ言ってくれるじゃないか」


 笑っているが、微妙に和やかさは感じられない空気だった。

 気づけば、くるいも《鬼婆》と呼ばれた老女に対して若干警戒しているようだ。


「そっちは《怪力乱神》の娘っ子かい? 似た臭いを感じるねぇ」

「……うん。パパだけど、知り合いなの?」

「あぁ、あぁ、知ってるさ。知っているとも。

 昔はこっちの小娘も含めて、何度かやり合った仲だからねぇ」

「や、やり合ったって……」

「このババアは『移住者』だ。元は迷宮を住処にしていた魔女の一人だぞ」

「今や《組合》公認で細々と商いをしてるだけの、しがないババアだけどねぇ」


 『移住者』。迷宮世界である《アンダー》には、人類に近い知的種族が存在する。

 そういった、いわゆる『亜人種』の中では地上に生活の場を移すものも少なくはない。

 と、マヒロも噂程度には聞いた事があったが。


「ヒヒヒ、そんなにあたしが珍しいかい? 坊や」

「えっ!? あ、いや、すいません」

「良いさ、謝る事はないよ。別に取って食おうとは思っちゃいないんだ。

 坊やが客である限り、あたしも丁重に扱うつもりだからねぇ」


 怪し気に笑う老婆は、まさに物語に登場する『悪い魔女』そのものだった。

 ただ、本人が口にしている通り害意はないはずだ。

 もしその気が少しでもあれば、アリスの方が見逃すはずはない。

 くるいもそれは分かっているのか、多少警戒する程度に留まっているようだった。


「世間話は良いが、何か良い商品は入ってないのか? 私はお得意様だぞ?」

「ババアを恫喝するんじゃないよ、まったく。

 最近は仕入れもあんまり良くなくてねぇ、浅い階層で手に入るような物ばかりさ。

 アンタがこの前持ち込んだ花、アレが最近では一番質が良かったねぇ」

「そうだろう? 私も初めて見る種だったからな」

「あたしもだよ。ただ、花の種類としては、ガオケレナの花に似ていたねぇ。

 今幾つか魔法薬として試しているけど、出来たら何本か試してみるかい?」

「おぉ、それは素晴らしいな! 是非とも頼む」

「勿論、お代は頂くけどねぇ。アンタ、どうせ金なんて余ってるだろ?」

「そこはお得意様へサービスするところだろう」


 親しげなようで、妙に緊張感のある会話だった。

 老婆と《迷宮王》を話を聞くだけでは飽きたのか、くるいは店の中を観察していた。

 つられて、マヒロも置かれている商品などに視線を向けた。


 《組合》内にある《遺物》の取引所とは、また趣が大きく異なる。

 武器や防具など、見た目から実用的だと分かるような物はあまり見られない。

 宝石があしらわれた護符、何かの革を縫い上げた鞄に、奇妙な文字が書かれた御札。

 どれもこれも不気味で、しかし確かな魔力の強さが感じられた。


「──なるほど? よく見れば、なかなか面白そうな子だねぇ。

 《迷宮王》が、どうして尻の青そうな坊やをわざわざ連れてきたかと思ったけど」

「うわっ!?」


 いつの間にそこにいたのか。椅子ごと移動した老婆が、すぐ隣から見上げていた。

 驚いて思わず飛び退くと、背中に柔らかい感触が触れた。くるいだ。


「ちょっと、あまり脅かさないで貰える?」

「ヒッヒッヒ、悪かったねぇお嬢ちゃん。

 けど人を驚かせたくなるのは魔女の悪癖って奴さ、大目に見ておくれよ。

 《迷宮王》の方は、そのぐらいの洒落は分かってくれるよ?」

「本気で害を加えるつもりだったら、私の方がずっと速いからな」


 「おぉ怖い怖い」と、魔女はわざとらしく嘆いてみせた。

 微かに緊張しているマヒロに、老婆は再び妖しく輝く片目を向ける。

 アリスがこの店に連れてきた理由が、何となく分かった気がした。


「どうかしたかい、坊や。

 気になる事があれば、遠慮なく言ってくれて構わないよ?」

「……あの、貴女は『移住者』という話でしたが」

「あぁ、それが?」

「言葉は、どうやって?」

「迷宮の外では《言語統一現象》は働かないのに、どうして普通に喋ってるかって?

 それは通訳用の護符を使ってるからだよ」


 笑いながら、老婆は自分の首元に下げた動物の骨製らしき首飾りを示した。


「これはあたしのお手製でね。

 安くはないが、『移住者』からは結構人気なんだよ。

 迷宮内じゃ通じたのに、外に出たら言葉がまるで分からなくなる。

 それで困る奴はいっぱいいるからねぇ」

「お前なら地上の言語の一つや二つ、すぐに自力で覚えられるだろうに」

「嫌だよ面倒臭い。今更新しい学びを欲しがるほど若くはないんだよ、アンタと違ってね」


 アリスの言葉に応じながら、老婆は近くの棚から幾つかの護符を手に取る。

 青や赤、紫など、マヒロの知らない宝石が淡い煌めきを放っている。


「こんなところかね。ほら、坊や。ちょっと付けてみな」

「あの、これは……?」

「魔法の触媒に使える石に、あたしが手作りした魔除けの護符さ。

 後者はお守り程度の効果しかないだろうけど、持っておいて損はないはずさ」


 果たして、魔女の眼には何が見えているのか。

 マヒロがそれを聞くよりも早く、アリスの方が老婆に問いかけた。


「お前の目から見て、少年はどう思える?」

「やっぱりそれが一番の目的かい?

 悪いけど、ハッキリとした事は何も言えないよ。

 だからあたしの口から言うべき言葉は何にもないのさ。占い師じゃないんでね」


 ただ、と。一拍を置いてから、魔女は笑う。


「坊や、とんでもない不運だね。こんな厄介な女に目を付けられたんだ。

 厄除けの護符なら幾つか用意してあげてもいいよ。

 悪いことは言わないから、距離を取った方が身のためさ」

「おいコラ、私の彼氏に何を好き勝手吹き込んでるんだ貴様」

「彼氏ってアンタ、警察呼んだ方がいいかい?」

「喧嘩売ってるなら買うぞ……!」

「やめなよ、お婆ちゃんに乱暴するのは良くないよ」


 何故か魔女の味方をするくるいに、アリスは思わず地団駄を踏む。

 傍らで苦笑いを浮かべながら、マヒロは貰った護符を見た。

 不気味な迷宮の魔女が作った物だが、何故だか不思議と安心した気持ちになれた。


「あの、ところでお代は……?」

「出世払いでも良いけどねぇ、保護者様がちゃんと支払ってくれるだろう?」

「無論だ、魔女に借りなど作るものじゃないからな。気をつけろよ、少年」


 言いながら、アリスは財布からカードを取り出した。


「カード使えるんですね……」

「あぁ、何なら電子マネーも対応済みだよ。

 前は現金のみだったが、たまに妖精が悪戯でチョロまかしてくもんでね。

 今はそういう事もなく快適さ」


 懐から一枚の薄い板──見慣れた形のスマホを取り出してみせながら。

 新しい学びなど面倒臭い、と言ったのと同じ口で、魔女は愉快そうに笑っていた。

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