第20話:たまには穏やかな日常を


 本来、休日とは余暇の時間である。

 行く道を焦る冒険者であるマヒロとて、毎度のように迷宮に潜るわけではない。

 生き急ぐにしても限度がある。当然、その辺りは心得ているつもりだった。


「……よし」


 が、その日も土曜の休みにも関わらず、彼は《組合》支部の玄関ホールにいた。

 ただし、辺りにたむろする冒険者たちとは違い、迷宮用の装備は身につけてはいない。

 新しめのジーンズにジャケット、やや前衛的な柄物のシャツ。


 マヒロは特にファッションに強いわけではない。

 強いわけではないが、それでも彼なりに精一杯に『お洒落』した姿がこれだった。

 背伸びした若者の格好に対し、何か言うほど受付嬢も野暮ではなかった。

 そう、野暮ではなかったが。


「本当に、本当にくれぐれも注意してくださいね……!?」

「あ、はい。それは勿論……」

「分かってますか? ホントに分かってますか?

 この話を聞いた時、私も上司に死ぬほど念押しされてますからねっ!?」


 普段は冷静で、かつ笑顔と態度が気さくな受付嬢。

 そんな彼女が明らかに取り乱し、マヒロに対して何度も同じ念押しをしている。

 傍から様子を見ている者の内、半分以上はその事情を知らなかった。

 噂話など、一部の『耳が良い者』だけは同情の眼差しを受付嬢に向けていた。

 最近、すっかり『厄ネタ持ち』になった少年は、周囲の視線からは意識をそらす。


「確かに深度『三』なんてロクに電波が通りませんからね。

 《組合》の方で、《遺物》や魔法で確保した『ホットライン』はありますよ」

「一応、連絡先は交換したんですけど……。

 流石に地上からだとスマホじゃ役に立たないので、助かりました」

「ええ良いですよ構いませんとも、何せ組合長から直々に許可も出てますし。

 《百騎八鋼》の拠点と連絡を取るぐらい、まったく問題ありませんともええ!」


 いきなり出てきた《百騎八鋼》の名に、周りの冒険者たちが微妙にざわついた。

 一応、《迷宮組合》とは明確な敵対関係にある組織ではない。

 だとしても《アンダー》を席巻する『列強』の一角、名高き戦闘集団の名だ。


 『列強』同士のやり取りなど、本来なら一般冒険者の耳に入ることはない。

 なのに、どうしてそこに底辺冒険者に過ぎないはずの人物が関わってくるのか?

 明らかに騒がしくなってきた場の空気を、マヒロは意識して無視した。

 しかし受付嬢の方は、流石にスルーするワケにはいかなかった。


「……夜賀さん。これは念のため、本当に念のための確認なんですが」

「? はい、何でしょう?」

「貴方、まさか本当にアリス様とお付き合いなさってるんですか?」


 遠慮容赦のない剛速球ストレートに、思わず息が詰まった。

 好奇……というより、猜疑に満ちた眼差しを受けながら、一つ咳払い。


「お付き合いしているワケでは、ないですね。

 俺の方から、アリスさんに仲間になりたいって頼み込んだのは事実ですけど」

「そうですか。いえ、それを聞けて良かったです。

 流石に年の差がヤバい……っていうか普通に法に触れるレベルですし。

 いえ、本当に安心しましたよ」

「ハハハハ。年齢はそんなに気にしませんけど……」

「気にして下さい、犯罪ですからね!?」


 マヒロは冗談っぽく言ってみたが、受付嬢にマジレスされてしまった。

 いや、この件はこれ以上触れない方が良いだろう。

 栄えある《迷宮組合》の長が、未成年のアレで逮捕とか醜聞なんてレベルではない。


「……まともな社会人としては、夜賀さんの人間関係に口出しなんてしたくはありません。

 したくはないんです! 本当ですよ!?」

「は、はい」

「本当にもう、出来ればこんなこと言いたくありませんけど!

 複数の女性と親しくするのは結構ですけど、刺されるような真似は控えて下さいね!」


 果たして、彼女の中での自分の評価はどういう事になっているんだろうか?

 気にはなるけど、確かめるのも正直怖いなと、そう考えた時。


「お待たせー」

「あ、くるいさん」


 背の高い少女が、気の抜けた声と共に手を振っていた。

 迷宮に通じる《扉》の方から、ゆっくりと。

 自然と避ける冒険者たちの道を進んで、くるいはマヒロの方へと近づく。


「オイ待て、嘘だろ。あいつ、《八鋼衆》のくるいか……?」

「《怪力乱神》の娘じゃねぇか! 何でそんな奴が地上に来てるんだよ……!?」

「噂じゃ、《八鋼衆》の序列三位にまで昇格したんだったか?」

「しかも最近、あの《円環》と出くわして一戦やりあったとか……」


 飛び交う噂話を、当の本人は風が吹いた程度にしか思わなかった。

 マヒロ同様、くるいもほとんど武装はしていなかった。

 身につけている物は迷宮内と変わらないが、物騒な得物は流石に持っていないようだ。


「上で一緒に遊びたいってお願い、聞いてくれてありがとね」

「良いですよ、俺も楽しみにしてましたから」


 ふふっと子供っぽく笑うくるいに、マヒロもつられて微笑んだ。

 約束をしたのは、《百騎八鋼》の拠点内を簡単に見て回っていた時。

 『地上はあんまり知らない』というくるいに、マヒロは街の案内を申し出たのだ。

 それがもう一週間ほど前のことだ。

 地下の迷宮で《円環》と出くわして死にかけたなんて、悪い夢の話にも思えた。


「夜賀さん、夜賀さん! くれぐれも、本当にくれぐれもお願いしますよ……!!」

「分かってます、分かってます。大丈夫ですから」

「? 何の話?」


 テンションがおかしい受付嬢を宥めつつ、苦笑いをこぼす。

 首を傾げるくるいには、『何でもない』と軽く手を振っておいた。


「じゃ、行きましょうか」

「ん。行こう」


 自然と横に並ぶ形で、二人は《支部》の出入り口へと向かう。

 背後から必死に祈る受付嬢の声が聞こえた気がしたが、振り向くのは止めておいた。

 代わりに、傍らのくるいの様子をちらりと見た。


 表情こそ乏しいが、軽く観察するだけでも上機嫌なのが伝わってくる。

 揺れる髪の隙間からは、彼女が《迷宮児》である事を示す角が覗いていた。

 大きさ的にも、帽子などで隠せるものではないが。


「角、やっぱり隠せた方が良い?」

「いや、街中を歩くぐらいなら大丈夫……の、はずです」

「そこは断言しないんだ?」

「仮に問題が起こったとしたら、どうにか頑張りますから」

「男の子のセリフだ」


 クスクスと笑うくるいは、本当に年相応の可愛らしい少女だった。

 《迷宮児》の存在は根深い社会問題だ。そこには差別や迫害なども含まれている。

 その全てに対し、マヒロは正しい知識を持っているわけではない。

 が、その上で『街中を歩くぐらいなら』大きな問題にはならないと、そう判断した。

 万一何かあった場合は、自分が身体を張る事を想定した上でだ。


「さて……すいません、お待たせしました」

「良いとも。若人同士の時間に水を差すほど、私も野暮ではないさ」


 《支部》の建物から出て、すぐのところに見える正門。

 そこに金色の髪を煌めかせた、豪奢な女が雰囲気たっぷりに佇んでいた。

 アリスだ。当然、彼女も今は一切武装はしていない。

 凛々しさを感じさせる黒のパンツスタイル。

 肌が薄く透けて見えるシアーシャツは、インナーがあるとはいえ青少年の心臓に悪い。


「やっぱり、アリスもいるんだね」

「ハッハッハ、マヒロ少年と二人きりでデートが良かったかな?」

「別にそういうわけじゃないけど」

「まぁまぁ、未成年二人だけで歩き回るには《迷宮街》もあまり治安が良いとは言い難い。

 財布兼保護者代わりという奴だ。金銭的にも遠慮なく頼ってくれて構わんぞ?」

「いや、助かります」


 実際のところ、お金に関して面倒を見てくれるのは非常に助かる。

 くるいは半ば地底人であるし、マヒロも前の買い物であぶく銭は結構使ってしまった。

 それでもまだ十分残ってはいるし、あまり贅沢しなければ何の問題もないはずだ。


「よし、時間は有限だ。ここで立ち話をしていても仕方なかろう」

「ん、先ずはどこ行くの?」

「そうですね。とりあえず繁華街の方に行ってみましょうか。

 あそこなら色々ありますし、見て回るだけでも面白いと思いますよ」

「いやいや、折角地上に出てきたのだから必要な買い物もしなければ損だぞ」


 何故かドヤ顔のアリス。

 『地上』という言い回しが良く口から出る冒険者は、大概は地底人だ。


「少年は巌から魔法の手ほどきを受けただろう?

 魔法の中には、用いるのに触媒を必要とするモノもあると聞く。

 そういう冒険者向けの物を売ってる店も見に行こうじゃないか」

「俺はありがたいですけど、くるいさんは大丈夫?」

「良いよ。多分、ワタシから見たらどこも珍しいと思うし」


 頷き、三人はゆっくりと歩き出す。幸い本日は快晴だ。


「ちなみに、触媒ってどういうものがありますか?

 そういう物が必要な魔法もあるっていうのは、《組合》の講習で聞きましたけど」

「一番多いのは宝石だな。特に護符アミュレットとして加工した物は効果が高い。

 中には触媒を消費してしまう魔法もあるから、幾つか持っておくと便利だぞ」

「……宝石っていうと……」

「主にダイヤとかルビーとか。なるべく大粒で綺麗にカットされたものがオススメだな」

「それを使い潰すって、金銭感覚がまた壊れそうな話ですね……」

「まぁそこまで高位な魔法は、まだ少年には使う機会はないだろう。。

 いや、昔は私も巌が蘇生魔法を使う時にダイヤをバリバリ割ってたのには驚いたが」


 楽しそうに笑っているが、実際にはなかなか洒落にならない話だった。

 そんなアリスの思い出話を聞きながら、繁華街に続く表通りを進む。

 休日だけあって通行人の姿は多く、時折視線も感じられた。


「見られてるね。やっぱり、ワタシの角が目立ってる?」

「うむ、まぁ目立ちはするが、あくまでも『目立つ』程度だから気にしなくて良い。

 一般人も、まさか本物の《迷宮児》とまでは思ってはいまい」

「ええ。それに、繁華街に行けばゴブリン族も多いですから。

 ただの奇抜なファッションぐらいで、みんな流しちゃうと思います」

「ゴブリン族? 地上にもゴブリンがいるの?」


 聞き慣れない単語に、くるいは不思議そうに首を傾げた。


「ハハハ、魔物のゴブリンではないよ。いや、実は私も詳しくはないんだが」

「何と言いますか、冒険者風の格好をしてる人とか、魔物っぽいコスプレしてる人とか。

 そういうファッションが若者向けに流行ってるんですよ。

 特に後者の方が、世間では『ゴブリン族』と呼ばれてる感じですかね」

「へぇー」


 実際、ちょっと冒険者っぽい格好をしてる人間だけなら普通の通りでも良く見かける。

 それ以上の、明らかに公序良俗に反する姿で街を練り歩いたり、時に騒ぎを起こす連中。

 そういう類の輩を、迷宮のゴブリンに例えて使われるようになった呼び名だ。

 正直に言ってかなり迷惑な相手であるが、おかげでくるいの角ぐらいは目立たないというわけだ。

 今の話で少し安心したのか、くるいは大手を振って通りを歩くが。


「……ん」

「ハハハ、良い腹の虫を飼っているな。くるい」

「アリスは余計なこと言わないで」

「まだ少し早いですけど、お昼も近いですしね。買い物前に何か食べますか?」

「そうだな。腹が減っては戦はできぬとも言うしな」


 うむうむと頷くアリス。ふと、街の様子を確認するように視線を巡らせる。


「アリスさん?」

「いや、ここに行きつけの店があるのを思い出した。

 丁度良いから、そこで早めのランチタイムと洒落込もうか。

 あぁ、安心すると良いぞ若人たち。昼ぐらいは私が奢ってやろう」

「わーい、アリス大好き」

「ふふふ、そういう現金なところは嫌いじゃないぞ」


 わざとらしくはしゃいで見せるくるいに、上機嫌に微笑むアリス。

 二人の傍らで、今度はマヒロが首を傾げる。


「ちなみに、どういうお店なんですか?」

「うん? まぁ別に珍しくもない、いわゆる魔物食の店だな」


 魔物食。世界が迷宮と接続し、三十年以上の月日が流れた現代社会。

 人類の食に対する欲求は凄まじく、未知の魔物に対してもその探求の矛先は向けられた。

 最初期は様々な問題があったが、今では魔物食は奇食やゲテモノの類ではない。

 特に日本では、低魔力下で飼育が可能な食用魔物までいるほどだ。

 なので、別段マヒロにとっても馴染みの薄い単語ではない。ではないのだが。


「……そのお店、どういう魔物が食べられるんですか?」

「私のオススメになってしまうが、ワイバーンステーキは特に絶品だな。

 天然物でしか味わえない肉の旨味に、調理するシェフの腕も抜群なんだ」

「それメチャクチャ高級料理じゃないですか……!!」


 養殖までされている食用魔物であれば、それこそスーパーでも気軽に買えるお値段だ。

 が、アリスが言っている店は、いわゆる『本当の意味での魔物食』の店だろう。

 迷宮に潜った冒険者が、激闘の末に仕留めた危険な魔物。

 その中でも、特に食用に向いた稀少な魔物だけを取り扱った高級魔物料理店だ。

 今言ったワイバーンステーキなんて、一体どれほどの値段になるのか。


「ハハハ、本物のドラゴンステーキに比べたら大分リーズナブルだぞ?

 時価だが、行っても六万円か七万円ぐらいのはずだ」

「いや高いですよ、十分高いですから。

 っていうかそれより高い本物のドラゴンステーキって……」

「美味しいよね、ドラゴンステーキ。

 ワタシも前に若い竜を倒した時に、《八鋼》のみんなと一度食べたぐらいかな」

「あぁ、巌は料理も上手いからな。それはさぞ絶品だったろう。

 老いた竜の肉は私も一度食べたきりだが、食べやすさでは若い竜の方が上だったな」

「深層でも、真竜なんて滅多に見ないもんね。下手に喧嘩売るのも危ないし」


 いきなり始まる地底人同士の恐るべき会話に、マヒロは何も言えなかった。

 ドラゴンステーキって美味しいんだとか、そもそも竜って食べても良いのかとか。

 言いたい事は色々あったが、その全てをゆっくりと呑み込んだ。

 聞くまでもなく、返ってくる答えに予想がついたからだ。


「ね、アリス。お肉の話してたら、食べたくなっちゃった。

 マヒロも食べたいよね?」

「えっ。あ、それは、はい。食べたいかと聞かれたら……」

「よしよし、では昼のメニューはワイバーンステーキだな!

 調理も鉄板で派手に焼いてくれる形式だからな、見応えがあるぞ!」


 カラカラと笑って、アリスはマヒロとくるいの手を掴む。

 そして若者二人を勢いよく引っ張りながら、目当ての魔物料理の店へと駆け出した。

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