第19話:謎めいた《奇跡》


「それで、どんな感じだ?」

「焦らせるなよ、もう少し待ってくれ」


 そわそわと落ち着かないアリスに、巌はため息混じりで応じる。

 慣れた様子の両者のやり取りを見ながら、マヒロはただ黙って座っていた。

 街に入ってすぐの騒動の後、マヒロたちは巌が普段使っている家に案内されていた。


 総長だからと言って、特別大きな住居ではない。

 構造が石造りなこと以外は、見慣れた家具が置かれた一般的な家だった。

 迷宮内部であるのに、冷蔵庫などの家電製品まで普通に設置されてるのは驚いたが。


「ここには動力代わりになる《遺物》があってな。

 そいつを調整して、街全体に電気が通るようにしてあるんだよ」


 と、巌は説明してくれた。

 ざっと見た限り、《百騎八鋼》のホームには数百人の人間が生活している。

 それだけの人数の生活を賄えるとなると、相当に貴重な《遺物》なのは間違いない。

 だから巌も簡単な事しか語らないし、マヒロもそれ以上は聞かなかった。

 巌の家に上がった後は、着替えなどを貸して貰いようやく腰を落ち着ける。

 そこで、アリスが巌に対して。


「そういえば、マヒロ少年のことをちょっと見てやってはくれないか?」


 『マヒロの魔法について調べる』──本題の一つだった件をお願いして、現在に至る。

 敷かれた絨毯の上にマヒロは一人、あぐらを書いて座っていた。

 アリスとくるいの二人はやや離れた位置に、巌だけがマヒロの前に膝をついている。

 難しい顔をし、何事かを呟きながらマヒロの髪や手に触れる。

 この良く分からないチェックが始まって、もう十分ほどが経過しただろうか。


「……あの、どうですか?」

「そうだな。一応《魔力感知》とか、その他諸々の術で確かめてみたが」


 丸太のように太い両腕を組みながら、巌は唸るように応えた。

 表情が割と深刻に見えるのは気のせいだろうか?


「魔法使いってのは、人が思っている以上に稀少だ。

 使える奴が身近にいると分かりづらいけどな、多少使える奴でも百人に一人。

 実戦レベルの魔法行使が可能となると、まぁ千人に一人いるかいないかぐらいだろうな」

「……そんなに少ないんですか」

「冒険者全体の母数がデカいからな、使える奴は使えるって感じになりやすいが。

 ま、それは兎も角だ。今言った通り、魔法の才能持ちは稀少だ。

 けど、『使』って奴も実はいる」

「? 才能はないのに、魔法は使える……?」


 巌の言っている意味が、マヒロにはすぐには分からなかった。

 後ろで聞いているくるいも同じようだったが、アリスだけは理解できたようだ。

 彼女もまた、巌みたいに少し渋い顔を見せて。


「《奇跡》のことを言っているのか?」

「流石にお前も察しがつくよな」

「だが、少年にそのような様子は無いぞ。勘違いではないのか?」

「断言はできねェよ。ただ、可能性としては十分あり得るってだけの話だ」

「……? あの、何の話ですか?」


 分からない。《奇跡》? その単語だけは、一応知っている。


「神と契約する事で与えられる、魔法に似た力。それが《奇跡》だ。

 お前さんも聞いたことぐらいはあるだろ?」

「あ、はい。確か《奇跡》を使える人は、神官や司祭って言われるんですよね」

「そうだ。で、お前さんが使ってるのだが、その《奇跡》の可能性が高い」

「……はい?」


 一瞬、言われている言葉の意味が呑み込めなかった。

 だろうな、という顔で巌の方も頷く。


「《奇跡》ってのは、神との契約の結果として与えられるもんだ。

 逆に言えば、契約さえ出来ちまえば本人の才能は関係がない。

 全く魔法の才能が無い奴でも、与えられた《奇跡》は好きに使えるからな。

 まぁ、契約した神や契約内容によって、使える魔法の内容に制限はあるが……」

「ちょ、ちょっと、待って下さい。

 俺はそんな、神様と契約したなんて覚えは……」

「無いか。何か心当たりは?」

「そう言われても……」


 戸惑う。いきなり『お前は実は神様と契約した神官だ』なんて言われても。

 覚えはなかった。少なくとも、記憶にある限りは。

 可能性があるとしたら朧気な十年前の記憶ぐらいだが、起こった事の多くは覚えていないのだ。

 言ったところで意味があるのかと躊躇している間に、巌の話は進む。


「神と契約した神官や司祭は、時に人格に対して影響を与える。

 力の大小はあるが、大体は世界の道理を曲げてしまうような超常存在だからな。

 本来なら、人間が接触して良いような存在ではない場合が多い」

「『善良な神様』ってのも、いないわけじゃないがな。

 ただ気質として人類的に善性なのと、その神様が有害か否かはあまり関係がない。

 アリを踏まないよう避ける人間がいたとして、人間はアリにとっては脅威なのと同じだ」

「なんであれ、影響が大きいせいで神官や司祭は見た目で大分分かりやすい。

 言動が浮世離れしたり、そもそも行動がエキセントリックだったり。

 少なくとも、マヒロ少年にそんな様子はあるまい?」


 アリスの言い分に、マヒロはただ頷くしかなかった。

 神。その単語から連想されるのは、少し前に出くわしたばかりの脅威。

 自らを神と名乗る超常存在、《円環》。

 あんなものが神ならば、確かにろくでもない。


「言いたい事は分かるが、調べた感じ彼の魔力は契約者の反応が一番近い。

 魔法の発動がおかしい理由も、恐らく『無自覚』なせいだ」

「どういうことですか?」

「自分がどんな神と、どう契約したのか分からない。

 さっきも言ったが《奇跡》は普通の魔法と違って、行使に制限がある。

 契約上使えないはずの術を使おうとして、そのせいで術が暴発してるんじゃないか?」

「……なるほど」


 契約云々はまだ完全に納得したわけではないが、それなら筋が通る話だ。

 正しい使い方を分かっていないせいで、おかしな結果が出力される。

 問題は、その『正しい使い方』について皆目見当がつかない事だ。

 若干退屈そうに眺めていたくるいが、小さく首を傾げる。


「んー。結局、マヒロはどうしたら良いの?」

「聞いた話じゃあ、ちゃんと使える魔法も幾つかあるんだよな?」

「あ、はい。治癒とか、簡単な明かりを出すぐらいですが……」

「如何にも駆け出しの神官って感じだな。

 だったら、使えそうな魔法を一つ一つ確かめていくのが一番だな。

 まぁ、どうしても面倒な作業にはなるが」


 頷いて、巌は立ち上がる。そのまま、部屋に並ぶ本棚に足を向けた。


「巌さん?」

「神様なんてのは、《アンダー》にはそれこそ星の数ほどいる。

 契約内容によっても変化するし、どの魔法かって決め打ちするのは難しい。

 けど、『神官なら基本的に使える魔法』ってのも無いわけじゃない。

 後は使えそうな奴を様子見ながら選んで、ちょっとずつ試してみりゃ良い。

 オレが教えてやるから、まぁ少し待ってろよ」

「良いんですかっ?」

「娘を助けて貰ったのと、古馴染みが世話になってる礼だ。遠慮しなくて良いぞ」


 冒険者でも並ぶ者のない魔法使いに、魔法の手ほどきをして貰う。

 望外の幸運に、マヒロは驚く他なかった。

 アリスが『むしろ世話してるのは私だが?』アピールをしてるが、気にしないでおく。

 古びた本を手に取りながら、巌はくるいの方を見た。


「で、準備はちょいと時間掛かる。

 くるい、少しの間マヒロくんに街の案内でもしてやってくれ」

「ん。良いけど、どのぐらいで戻れば良い?」

「そうだな。まぁ三十分ぐらいもあれば大丈夫だろ」

「それじゃあ大して見て回れないけど」

「ぐるっと近くを歩いてくるぐらいでいいだろ、頼むわ」


 まぁいいけど、と呟いて、くるいはマヒロの傍に近寄る。

 マヒロが立ち上がるより早く、伸びてきた手で引っ張り上げられた。

 並ぶと、くるいの身長の高さが良く分かる。

 不意に近くなった体温に、マヒロは少しだけドキリとした。


「じゃ、行ってくるね」

「おう。マヒロくん、娘に変なことしたら呪っちゃうからな」

「しませんよ! 脅し文句として怖すぎるんですけど!」

「呪殺はやめろよー、最近法整備はされたと言っても色々面倒臭いからなー」

「アリスさんも物騒なこと言うの止めて下さい……!」


 馬鹿な話は無視して、くるいはそのままマヒロを家の外へと引っ張っていく。

 巌は手を振って見送り、アリスは小さくため息をついた。


「……で?」

「概ねは、さっき本人にも言った通りだ。彼は何らかの上位存在と契約してる。

 問題は契約に無自覚だったって事だな」

「あり得るのか? そんなこと」

「普通はあり得ん。《奇跡》を与えるほどの神となりゃ、相当な上位存在だ。

 人間から見れば基本化け物だが、何でもかんでも好きに出来るわけじゃない。

 契約ってのは、双方の同意があって初めて成立するもんだ。

 与える側である神から、一方的に破棄することは可能だ。

 けど、強制的に契約を結ばせるってのは難しいはずだ」

「……少年に自覚がない以上は、契約は強制的に結ばれた可能性が高い、か」

「が、それが困難なのは今言った通り」

「契約はしたが、その後に何らかの原因で記憶を失った可能性は?」

「ゼロとは言わないが、契約した事実を忘れた神官は《奇跡》も喪失する場合が多い。

 思い出した後は、大体力の方も戻るんだけどな」


 一体、マヒロは如何なる神と契約をしてしまったのか。


「それと、もう一つある。お前から聞いた、あの少年との経緯だ」

「あぁ、それがどうした?」

 低階層の転送罠を踏んで、未探索の最深層に飛ばされた。

 そこで死にかけたが、偶然にお前が通りがかったおかげで蘇生できた。

 タイミング良く深度『六』で未探索領域が見つかり、そこで《円環》と遭遇した。

 しかも、理由は不明だが少年の持ってた武器がたまたま有効だった。

 逃げようとしたら、不明の罠が偶然にも転送罠で何事もなく安全圏に転送されました。

 ……一つでも十分おかしいのに、それがこんだけ立て続けだ。

 明らかに天運とか、運命力みたいな幸運の数値がバグってるだろ」


 マヒロ自身はまだ、『不運』としか認識していないもの。

 アリスが目を付けたその運は、熟練の魔法使いから見ても明らかに異常だった。

 普通の人間ならばあり得ない。あり得る可能性として考えられるのは……。


「少年が契約した神の影響か?」

「何もかも全部、『恐らく』が付いちまうけどな。

 人間側の同意無しに、強制的に契約を結べちまうほどの存在だ。

 そいつのせいで、運命力がおかしくなってる可能性は高いだろうな」


 言ってから、巌は重いため息をこぼした。

 改めて考えると、あの少年はとんでもない厄ネタかもしれない。


「……なぁ、アリスよ」

「お前の意見は参考にはさせて貰うが、従う気はないぞ?

 あの少年は手放した方が良い、という話だったらなおさらにな」

「まぁ、お前だったらそう言うよな」


 一度決めたら譲らない。そういう女だと、巌は良く知っている。

 くるいの方も、一度仲間になると言った以上はどう説得しても聞かないだろう。

 《円環》という厄災も関わってくると考えると、ひたすら胃が重たい。

 巌自身も、動くことが出来ればマシなのだが……。


「お前こそ、下手な事を考えるなよ《百騎八鋼》の総長殿。

 組織の運営を丸投げしてる私と違って、お前は軽々には動けぬ立場だろう?」

「丸投げしてる事実を誇らしく言われても困るんだけどな、《迷宮王》様よ」

「ハッハッハ、《組合》の設立時から私はお飾りだったからな。年季が違うとも」

「自慢して言うことじゃねぇ……!」


 本当に、胃も頭も痛くなる話だ。

 禿頭を抱える旧友の肩を、アリスは気軽に叩いてみせた。

 もう懐かしむしかないと思っていた距離感に、両者は立っていた。


「心配するな。くるいの事も、何かあれば私が守るつもりだ」

「……オレは一応、お前のことも心配してやってるんだけどな」

「ありがたい話だ。しかしいらぬ気遣いだな、友よ」


 アリスは笑う。昔と何一つ変わらない笑みで。


「マヒロ少年がそれほどの『謎』を抱えていると言うなら、上等だとも。

 如何なる迷宮の神が仕組んだ運命かは知らぬが、未知こそ私の求めるところ。

 神だろうが《円環》だろうが、私は足を止めるつもりはない。

 より多くの未知と未踏を求めて、迷宮の深淵へと邁進するのみだ」


 力強い宣言もまた、初めて迷宮に挑む前の言葉に近いものだった。

 あの日の彼女も、全ての未知を私が踏破すると宣言した。

 変わらない。変わらない事が頼もしくもあり、同時に恐ろしくもあった。

 けれど、巌はその不安は口にしなかった。


「頼むぜ《迷宮王》。オレは、お前を信じてるからな」


 代わりに、胸にしまい続けていた『信頼』を言葉にした。

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