第18話:かつての仲間と、今の仲間


 『列強』の頂点である二人が、死線の上で対峙する。

 周りにいる人間の大半は《百騎八鋼》の人員だが、彼らは誰一人として動かない。

 迂闊に踏み込んで、両者の均衡を崩せばどうなるか。

 誰も動けず、ただ警戒しながら見守る他ない。


「実に懐かしいな、巌。

 昔はお前と意見がぶつかる度に、こうして物理的にもぶつかったものだな」

「思い出話がすぐに口から出るのは、ババアになった証拠だぞ。アリス」

「私がババアならお前はもっとジジイだろうが。

 三十年前からハゲの分際で、人をババア呼ばわりする権利があるとでも?」

「この頭は剃ってるだけで、断じてハゲじゃねぇ……!」


 馬鹿な話をしているようで、漲る殺気は本物だから始末が悪い。

 怒りに燃える巌の視線を、アリスは喜色満面の笑みで受け止める。


「……一応言っとくが、この距離ならオレの方が確実に速いぞ」

「分かっている。お前は最速の魔法使いだ。

 何せ同じタイミングで正面から剣を振るっても、お前の魔法が届く方が速い」

「なら、勝ち目がないのも分かるだろ?」

「対戦成績はお前の方が少しばかり上なのは認めよう。

 実際、一対一では無力化する魔法が通った時点でこちらは詰みだ。

 が、一発で通せなければ、次に届くのは私の剣だ。

 そちらこそ、私の全力を食らって立ち続けていられる自信はあるのか?」

「この首を一撃で落とせる自信があるなら、試してみりゃいい」


 アリスも巌も、言葉を交わすのみでまだ動かない。

 ……最後の一線だと、傍から見ているマヒロにも理解できた。

 お互いに、今はまだ殺し合う半歩手前で踏みとどまっているのだ。

 それを示すように、巌は重い吐息と共に言葉を続ける。


「オレはな、これでもお前には感謝してるんだ。

 《アンダー》と地上が繋がったばかりのゴタゴタで、オレは家族を失った。

 そのせいで自暴自棄だったし、糞みたいな迷宮も役に立たない国も恨んでた。

 どうしようもなかった頃のオレに、手を差し伸べてくれたのはお前だけだった」

「思い出話がどうのと、一体どの口が言ったんだ?」


 やや苦いものが混じる笑みを浮かべて、アリスは目を細めた。


「あの頃のことは、私も鮮明に覚えている。

 今にも死にそうな悪人面のハゲと、これほど長い縁になるとは思わなかったがな」

「腐れ縁はお互い様だろうがよ。

 ……まぁ、昔はなんだかんだで楽しかった。

 オレはやり場の無い恨みつらみを、ひたすら迷宮に対してぶつけ続けた。

 何も考えずに、迷宮の底を目指して走るお前の後ろに続けば良かった。

 あぁ──本当に、楽しかったさ」

「……巌」

「気づけば仲間も増えて、いつからか呼び名もならず者から冒険者に変わった。

 人も増え過ぎたから、頭の良い奴らで組織作りも始まった。

 楽しかった。楽しくて、楽しくて、オレは恨みつらみを忘れちまった」


 家族を失い、その怒りから迷宮に挑んだ男。

 復讐者は、長い時間と多くの人たちとの交わりを経て、いつしか初志を失っていた。

 戸惑う男は前を見て、気づく。ただ一人、変わらず迷宮を走る友の後ろ姿に。

 同時に、自分たちが駆け抜けた道を染める血肉の色に。


「仲間になった奴らのことは、全員覚えてる。

 嫌な奴はいたし、反りが合わねぇ奴も少なくはなかった。

 けど、みんな気の良い連中だった。

 お前に憧れたなんて理由で冒険者になった後輩は、それこそ覚えきれねぇ数だ。

 ……けど、そうして今も生き残ってるのは、オレたち以外に何人いる?」

「…………」

「山ほど死んだ。比喩抜きで、文字通り山ほどだ。

 全部お前のせいだとか、そんなことを言うつもりはねぇよ。

 だけどな、アリス」

「私の背を追って人が死ぬ、か」


 今も、《迷宮王》の背中に刺さったまま、決して抜けない言葉の刃。

 それを刺した本人は、苦い顔で一つ頷いた。


「そうだ、お前が悪いワケじゃない。

 オレだってそのぐらいの道理は弁えてるつもりだ。

 だとしても、お前の魅せる夢や希望は、それだけで人を死なせ過ぎる。

 ……お前が単独で潜るようになったと聞いた時は、正直安心したんだ。

 お前一人なら、誰も死なない。

 どんなヤバい迷宮の底だって、お前だけなら大丈夫だと、そう信じてるからな」


 喧嘩別れに終わっても、アリスの心には自分の訴えは届いていたんだと。

 巌は安堵し──故に今、理不尽とも言える怒りに燃えていた。

 昔と変わらないアリスの笑み。

 そこに一抹の寂しさを感じ取りながらも、《怪力乱神》は構わず睨みつける。


「アリス、悪い事は言わん。あの少年を仲間にするなんて馬鹿な真似は止めろ。

 見たところ、まだ迷宮の低階層しか知らないような初心者ガキだろ。

 なんでそんな小僧っ子を連れ歩いてる!」

「歳のせいで耳が遠くなったか? 巌」

「なに?」


 眉根を寄せる巌に、アリスは愉快そうに喉を鳴らす。


「私が少年を仲間にしたんじゃない。

 少年が、私の仲間になりたい……いや、と望んだんだ。

 私はそれに応えただけで、何もやましい事はないとも」

「……初心者が、《迷宮王》を仲間にか?」

「あぁ、なかなか情熱的な告白だったぞ。

 仲間どころか、思わず彼氏にしたいと思ってしまうぐらいにはな」

「だから歳の差考えろよババア」


 《怪力乱神》の視線が、アリスからマヒロへと向けられる。

 くるいとの距離の近さが父親的には真っ先に気になったが、今は本題じゃない。

 王剣の刃と重ねていた杖を引き、巌はマヒロの方を見た。


「今のアリスの話は、本当か?」

「はい。貴女の仲間になりたい──仲間になって欲しいと。

 そう言い出したのは、俺の方です」

「悪い事は言わんから、この女は止めとけ。

 傍若無人でデリカシーもない、無茶苦茶するのだけは躊躇がない馬鹿だ。

 しかも付き合えば毎度命懸けになる厄ネタだぞ。ヤバすぎるだろ」

「友人だからといって、言って良い事と悪い事があるぞ貴様」

「……正直、巌さんの言いたい事は分かります」

「そこはフォローするとこじゃないかなぁ少年!!」


 アリスが騒いでるが、今は気にしないでおく。

 それよりも重要なのは巌の方だ。

 マヒロを見る目に怒りはない。

 ただ、こちらの胸の内まで見透かそうとする強さがある。

 嘘を口にする必要はない。語る必要があるのは、自分の中にある真実だけだ。


「それでも、仲間になりたいと言ったのは、俺自身の意思です」

「憧れでそう望んだとしたら、尚更に止めとけ。

 似た事を言って死んだ若い奴を、オレはごまんと見てきたんだ」

「憧れが、無いと言えば嘘になります。

 そもそも冒険者なんてやってる人間で、《迷宮王》に憧れない奴なんていませんよ」

「……確かに、そうだな」


 巌自身も、かつてはその輝かしい姿に魅せられた人間だ。

 その背を追いかける事が、喜びだった時期もあった。

 今はもう、遠く過ぎ去った頃の話だった。


「憧れが理由じゃないなら、一体何故……」

「分かりません」

「分からない?」

「はい。俺は、自分がどうして迷宮に潜る事にこだわっているのか、分からなかった。

 今もまだ、それはハッキリしていません」


 胸の奥に、今も燻るように燃え続けている衝動。

 憧れではない。アリスのような、未知の先を求める渇望でもない。

 マヒロ自身も、迷宮がきっかけで一度は多くを失った。

 けれど、巌がかつて抱いた喪失への憤りとも、少し違う気がする。

 答えはまだ出ていない──けれど。


「アリスさんと一緒に冒険した先で、その答えが見つかるかもしれない。

 この人の傍なら、停滞した何かが変わるかもしれない。

 だから俺は、アリスさんの仲間になりたい」

「……それだけか」

「いえ、もう一つだけ」


 ほんの少しだけ、マヒロは言葉に迷った。

 ここまで聞いた以上は、巌は沈黙ではぐらかすのは許さないだろう。

 周りの目……特にアリスとくるいが、じっと見ている気がする。

 正直に言うのは、僅かに抵抗を感じたが。


「……アリスさんに、一人で迷宮探索をして貰いたくなかった」

「うん?」

「だから、ずっと単独で誰もいない迷宮深層に挑むのとか、寂しいじゃないですか。

 少なくとも、俺は嫌ですよ。一人が危ないとかじゃない。

 どうせ冒険に挑むなら、他の誰かと喜びを分かち合いたい。

 困難を突破した時、傍に誰もいないのは……流石に、寂し過ぎますよ」

「…………」


 正直過ぎるぐらい正直な、飾りのない本音の言葉だった。

 安い同情だと、そう切り捨てる事もできる。

 けど、巌は何も言えずに沈黙した。

 アリスを独りに追い込んだのは、自分だと自覚しているからだ。


「……ふ、何やら思った以上に情熱的なことを言われた気がするな」

「照れてるオバサン可愛いよ」

「オバサン言うなぴちぴちのティーンエイジャーめ……!!」

「もう言葉選びがオバサンじゃん」


 容赦のなさすぎるくるいの罵倒を受け、微妙に膝を屈しかける《迷宮王》。

 が、すぐ何事も無かったように立ち直る。

 握ったままの大剣を鞘に戻し、アリスは佇む巌の方へと歩み寄る。


「お前の怒りが、私について行けなくなった後ろめたさ故の八つ当たりなのは知っている」

「アリス……」

「迷宮に捨てられた子供や、迷宮生まれのために角を持ってしまった者。

 そういう者たちを多く抱えたため、喪失への憂いも強くなった。

 冒険者ではいられず、私の仲間のままではいられない。

 しかも私は、過ぎた事は顧みない気質だ。

 身勝手な私にも自分自身にも、大層腹が立った事だろうな」

「……お前も大概好き勝手言いやがるな」

「お前が私の事を知っているように、私だってお前の事を知っているんだぞ?」


 笑うアリスの姿は、昔から何一つ変わらない。

 その事実があまりにも眩しくて、巌は彼女を真っ直ぐに見られなかった。


「……何度も言うが、コイツはロクな女じゃないぞ」

「知ってます」

「下手に付き合ったが最後、死ぬような目に遭うのが日常になるぞ。

 何ならコイツ自身、大喜びで修羅場に頭から突っ込みたがるタチだからな」

「それも知ってます」

「分かった上で、それでもコイツの仲間になりたいのか」

「はい」


 マヒロの言葉に、ほんの僅かな迷いもなかった。

 これでは、どう口を挟んだところで野暮にしかならないだろう。

 悟って、巌は大きくため息をついた。


「だったら、好きにしろよ。それと騒がせて、悪かったな」

「はい、好きにします。

 あと物凄い殴り合いを目の前で見るのも、流石に慣れてきたので……」

「君の今後の人生考えると、それあんまり慣れちゃダメな奴だと思うけどな……!」


 とはいえ、冒険者を続けるなら修羅場慣れも必要な経験か。

 難しい顔をした巌の背を、アリスは馴れ馴れしい仕草でポンポンと叩いた。


「まったく、いきなり娘も親も無遠慮に殴りかかって。

 被害者である私には、正式な詫びが必要だと思うんだが?」

「やかましいわい。あと、そっちの少年は良いとしてだ。

 オレはくるいがお前の仲間になる事までは、流石に認めんからな。

 義理と言えど大事な娘を、お前みたいなヤバ女に預けられるか」

「過保護もここに極まれりだなコイツ!

 如何に大事な娘といえど、尊重すべきは本人の意思ではないのか!?」

「クソ、非常識な女に正論言われた……!」


 理不尽ではあるが、正論は正論だ。

 ならばと、巌はボーッと様子を見ているくるいの方を見た。


「くるい、アリスの奴がこんなこと言ってるけど、実際のところどうなんだ?」

「共に死線をくぐった以上、私たちはもう戦友だろう!

 ならば当然、仲間になってくれるよな! くるい!」

「え、嫌」


 一言だった。バッサリ切って捨てられ、《迷宮王》は思わず膝をついた。


「この流れは普通イエスで二つ返事ではないのか!?」

「《八鋼衆》のワタシが、なんで《迷宮王》の仲間になんなきゃならないの??」

「正論……! 圧倒的正論……! やったぜ、うちの娘はなんて賢いんだ……!」

「バカ親はバカ親で落ち着いてよ」


 狂喜乱舞する《怪力乱神》の足元で、アリスはぐぬぬと悔しげに唸る。

 が、鋭い眼差しをマヒロの方へと向けて。


「少年! 少年! 私はくるいを是非仲間にしたいと考えるが、少年はどう思う!」

「それは、はい。俺も同意見なんで、くるいさんには仲間になって欲しいですね」

「良いよ。仲間になっても」

「嘘でしょくるいちゃん!? さっき一言で断ってたよね!?」


 今度は二つ返事だった。

 こくこく頷く義理の娘に、《怪力乱神》の方が地に崩れた。


「アリスの仲間は嫌だけど、マヒロには恩があるし。良いよ、仲間になってあげる」

「あ、ありがとう御座います……!」

「ふふ、これも人徳という奴だな。悔しかろうなぁ《怪力乱神》よ」

「お前だってフられてんのに何で勝ち誇ってるんだよ《迷宮王》……!」


 差し出されたくるいの手を、遠慮がちに握り返すマヒロ。

 その近くで、大人げない大人同士が性懲りもなく意地の張り合いを続けていた。

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