第17話:旧友との再会


 『そんなに遠くない』と、くるいは確かにそう言っていた。

 だがそれは、あくまで彼女の足を基準にした話だった。


「い、意外に遠かったですね……」

「そう?」

「まぁ決して『近い』とは言い難かったな、ウン」


 肩で息をするマヒロを、くるいは首を傾げて不思議そうに見る。

 苦笑いを浮かべて、アリスは疲労困憊な少年の背をぽんぽんと撫でてやった。

 地底湖を出た後の道のりは、一般冒険者にはなかなか過酷なものだった。

 《レガリア》の安定化が施されてない迷宮は、普通に魔物と罠のオンパレードだ。


 異常に巨大化した迷宮蟻に、血に飢えたオーク、触れる全てを呑み込む巨大粘菌。

 罠の方も、底が見えない落とし穴ぐらいなら可愛いものだ。

 無限に矢を吐き出し続ける矢衾、炎に満たされた通路、迫ってくる吊り天井。

 アリスとくるいがいなければ、マヒロは十回は死ぬ自信があった。


「ほら、頑張って。本当にすぐそこだから」

「わ、分かりました」


 自分が未熟なのは百も承知だが、これ以上情けないところも見せられない。

 そんな男の意地だけで、マヒロはどうにか足を前へと動かす。


「キツければ抱っこしてやっても良いんだぞ?」

「そこのチョイスはおんぶじゃないんですね……! いや、大丈夫ですから!」

「ハッハッハ、遠慮せずとも」

「アリスは、一応後ろを警戒してて」


 ギロリと睨まれてしまったので、《迷宮王》はその通りにした。

 伸びる通路の先に、光が見える。魔力の自然光ではない、人の手が作った光。

 足を進めながら、マヒロはアリスから聞いた名を思い出していた。


 《百騎八鋼》の長、《怪力乱神》。

 立場ではなく、その強さで《アンダー》でも名高き戦闘集団の頂点に立つ人物。

 尾ひれの数も分からないような噂話なら、マヒロもいくつか聞いた覚えがあった。

 元々は《迷宮王》の盟友であり、冒険者でも並ぶ者はいない魔法の使い手。

 袂を分けた時は、両者一歩も引かずに三日三晩も決闘を続けたとか。

 独立して《百騎八鋼》を結成すると、その武勇伝は更に高く積み上がっていく。

 押し寄せる魔物の群れを魔法の一発で全滅させたとか、竜を一人で退けただとか。

 たちの悪い冒険者を血祭りに上げては、迷宮の通路に吊るして捨てたなど。


 どこまで真実かは不明だが、想像できるのは完全に悪鬼羅刹の類だ。

 《怪力乱神》。果たして、実際はどのような人物なのか。

 怖い想像を頭から追い出している内に、通路の出口が近づく。

 薄闇に慣れた目では、少し眩しい。マヒロは目を細め、光を潜り──。


「……街?」


 これまでにも、迷宮の中で新しい光景を見る度に驚かされてきた。

 巨人たちが巣食う霊廟に、神の供物が並ぶ大広間や、広大な地底の湖。

 そして今回は、活気に満ちた街の風景だ。


 一つの部屋、と表現するにはあまりに大規模な空洞。

 迷宮の構造をそのまま利用・改造する形で作られた大小無数の建物。

 マヒロがイメージとして思い浮かべたのは、カッパドキアの地下都市だ。

 以前、テレビか何かで見た事がある地面の下に掘られた居住地。

 目の前の街は、それをより大きく、より洗練した技術で作られてるように見えた。


「ここに来るのも随分と久しぶりだが、まぁ立派になったものだな。

 私の記憶では、ずっと小規模な共同体だったはずだ」

「人も増えるから、頑張って広くした」

「過酷極まる迷宮で、これほどの安定した生存圏を築き上げるとは。

 お前たちの努力には頭が下がるよ。お前もそう思うだろう、少年?」

「……はい、本当に」


 見える範囲でも、街には多くの人の姿があった。

 地上とは違い、いざという時のためか全員が大小の武装は身につけてはいるが。


「前の《百騎》のランキングは見た?

 五十番台の入れ替わりが大分激しくない?」

「新世代の奴らが凄い頑張ったからね。当然と言えば当然だろ」

「それより《八鋼》の方だよ。

 とうとうくるいさんが序列三位まで上がったんだ!」

「ランク戦見たけど、すっごい壮絶だったねぇ……どっちか死ぬんじゃないかと……」

「流石に死にそうになったら総長が止めるよ。あの人、そういうの神経質だしね」


 ……聞こえる内容は若干物騒な気はするが、日常を感じさせる会話。

 人間が暮らし、生活を営む街。地上と大きく変わらない空気が、ここにはあった。

 道行く人たちを眺めていたマヒロだが、ふと気づく。

 通行人の多くが、くるいと同じく頭に角を生やしていることに。


「ここは《百騎八鋼》のホームだからな、多くは迷宮生まれの迷宮育ちだ。

 『角無し』だからといって絡んでは来ないだろうが、あまりジロジロ見ない方が良い」

「はい、分かりました」

「観光なら、後で付き合ってあげるから。もうちょっとついて来て」


 言って、くるいは人通りの中を進んでいく。アリスとマヒロはその後に続いた。

 なんだかんだ、道中で衣服の方は大分乾いてはいた。

 それでも見た目上ではまぁまぁ酷い有様で。


「あれ、くるいさん戻ってきてた……って、どうしたんですかその格好!?」

「水場で落ちた」

「ずぶ濡れのまま歩いてきたんですか……いや、早く着替えた方がいいですよ」

「そのつもりだから、大丈夫。ありがとう」

「いやいや。あ、また今度こっちの店に顔出して下さいね」

「ん、行く行く。多分、後でご飯食べに行くから」

「ええ、お待ちしてます!」


 顔馴染みらしき街の住人を、くるいは慣れた様子で相手をしていく。

 誰も彼もが彼女のことを慕っているのだと、部外者のマヒロでもすぐに分かった。


「あ、くるいさん。総長がずっと探してましたよ。何したんですか?」

「……家出?」

「何も言わずに出ていったんですか?」

「書き置きは、したよ。しばらく戻らない、って」

「……書いた文章、それだけ?」

「それだけ。必要なことは書いてあるでしょ?」

「いやぁ、あくまで個人的な意見ですけど、大分足りないですかね……」

「だからあの動揺っぷりか……いい加減に子離れしろよなあのタコ入道……」

「無茶言うなよ、総長はくるいさんのこと特に可愛がってるんだから……」

「過保護過ぎて子供当人に煙たがられるって、親バカの典型例じゃん」

「真理ではあるけど手心……!」


 何やら、誰かがなかなかの勢いでディスられている気がする。

 漏れ聞こえてくる話を聞いて、アリスは肩を震わせた。

 くるいの方も、見たことないぐらい渋い表情でため息をついた。


「とりあえず、パパのことはいいや。ちょっと、今急いでるから」

「っと、すいません。……ところでそっちの二人は?」

「あ。ど、どうも」

「何の変哲もないくるいの友人ゆえ、私たちのことはどうか気にせず」


 ここで初めて、住人たちの意識がマヒロとアリスにも向けられた。

 よそ者に対する、チクチクと刺す針に似た警戒心。

 敵……とまではまだ思われてないだろうが、街にとって異分子なのは変わらない。


 下手な事は言えず、マヒロは無難に頭を下げるのみ。

 アリスはいつもの通り、実に堂々としていた。

 が、あまりに堂々としてるので住人の警戒度が上がったような気がする。

 くるいの方も、どう説明するのが適切かと首を傾げた。


「おおおぉぉぉぉぉい、くるい!!」

「……げ」


 怒号、いや絶叫、咆哮?

 通行人全員が思わず耳を塞ぐほどの大音声。

 続く軽い地響きに、マヒロは巨人でも来襲したのかと考えた。

 やがて通行人を押し退けて、デカい影が嫌そうなくるいに向けて突撃した。


「くるいぃぃぃ!! お前バカ野郎、心配したんだぞぉぉぉぉ!!」

「パパ、くさい」

「ごふゥっ!?」


 娘にのみ使用を許される、対父親限定の即死呪文。

 くるいが躊躇なく口にしたそれを受けて、その人物は派手に崩れ落ちた。

 大きい。マヒロが受けた第一印象はそれだった。

 女性としてはくるいはかなり高身長だが、そんな彼女と比較しても遥かにデカい。


 目算だが軽く二メートルは超える体格に、隙間なく搭載された筋肉の物量。

 プロレスラーと言われれば、疑いなく信じるレベルの禿頭ヒゲ面の大巨漢だ。

 そんな相手が、纏う黒ローブが汚れるのも構わずに膝をついている。

 傍らで頬を膨らませているくるいと合わせると、妙にシュールな光景だった。


「加齢臭……加齢臭なのか……!!

 いやそんなことより、お前今までどこに……!!」

「新しい《レガリア》探して深度『六』の未探索領域に行ってた」

「正直で大変よろしい!! でも何で一人で行ったの!?」

「他の《八鋼》はみんな忙しそうだし、九位以下連れて何かあったら困るし」

「パパはお前の身に何かあったらと思うとハゲ上がる気分だったんだぞ!!」

「いやもうハゲじゃん」

「毛根の生存率ゼロのクセに何言ってんですか総長」

「つーか一人で飛び出そうとするハゲを必死で止めた俺らへの労いは?」

「優しさを下さい!!」


 ガチめに泣き出すハゲ入道を囲んで、実に見事な一体感だった。

 マヒロは完全に呆気に取られてしまっていたが。


「久しいな、いわお。それとも《怪力乱神》と呼んだ方が良いか?」

「……何しに来た」

「古馴染みが顔を見せに来たというのに、ご挨拶ではないか」


 アリスが口を開いた瞬間、空気が一変した。

 数秒前までは面白いマッチョだった男が、濃密な敵意を身に纏う。

 変化を察した通行人たちは、くるいを残して素早く距離を取っていた。

 《怪力乱神》。その称号を持つのは、《百騎八鋼》の創始者であり最強の男。

 巌はゆっくり立ち上がると、《迷宮王》アリスに険しい視線を向けた。


「迷宮狂いのお前が、理由も無しにこんな浅い場所に来るかよ。

 《組合》とは一応細々と関係は続けて来たが、とうとう戦争する気になったか?」

「私が迷宮狂いであれば、『列強』同士の争いに興味がないのは知ってるだろう」

「まぁそうだな。だからこそ、何でお前がここに来たか分からん」

「…………」


 ぴりぴりと、皮膚に弱い電気を流され続けているようだった。

 敵意……いや、これはむしろ怒りか?

 現れたアリスに対して、巌は静かに沸き立つ溶岩に似た憤怒を向けていた。

 激しく燃え上がるわけではないが、容易くは鎮まらない熱。

 睨み合う両者の傍らで、マヒロはただ立ち尽くした。


「……パパ」

「くるい、お前は下がっていなさい。

 お前は確かに強くなったが、まだこの女に挑むのは早い」

「そっちの二人は、一緒に《円環》と戦ったの。

 勝てなかったけど、おかげで死なずに逃げられた。命の恩人」

「早く言ってねそういうこと! チクショウ、ありがとうなアリス……!」

「ついでに言えば、探索中にいきなりお前の娘に喧嘩を売られた被害者だぞ」

「くるいはアリス相手だとすぐ手が出るから……!」

「あの女は殴って良いぞって、ワタシの小さい頃に言ったのパパでしょ」

「全面的にオレが悪かったです!!」


 巨体をコンパクトに折り畳み、完璧な土下座のフォームに変形した《怪力乱神》。

 一触即発だった空気は霧散し、マヒロはほっと胸を撫で下ろした。


「とりあえず着替えと、あと助けて貰ったからお礼はしたい」

「ハッハッハ、実に殊勝な心がけではないか」

「アリスはどうでも良いけど、マヒロには感謝してるから」

「目上に対する扱いが基本的に雑なの、教育失敗ではないかな《怪力乱神》!」

「わんぱくでも良い、元気に育ってくれれば……!」


 一分の隙もない親バカ発言を吐きつつ、巌の視線がマヒロの方を向いた。

 強く厳しいが、それ以上の優しさに満ちた目だった。

 呑まれそうになるのをギリギリ堪えるマヒロの肩を、大きな手が触れる。


「そう緊張しなくても良い、オレはこの街の責任者をしている巌だ。

 娘が世話になったようだね」

「夜賀、マヒロと言います。

 むしろ、俺の方がくるいさんには助けられましたから……」

「どうあれ、無事に帰って来た娘が君に感謝している。

 ありがとう、マヒロくん。オレも親として、きちんとお礼がしたい」

「いえ、そんな……!」


 それは本心からの言葉だった。

 立場も年齢もずっと上の相手が、深々と頭を下げる。

 マヒロも思わず頭を下げると、巌の手が髪をかき混ぜるように撫でた。


「はははは! うん、若いようだがなかなか謙虚で礼儀正しいな。

 そういう意味でも気に入った!

 さぁこちらへ。大したもてなしは出来ないが、娘の友人として歓迎しよう」

「あ、ありがとう御座います。けど、俺たちは少し休めれば十分なので……」

「なぁに、そんな遠慮することはないぞ!

 最近の狩りは調子が良いし、自慢の料理を振る舞わせてくれ!」

「それ、パパが趣味で料理したいだけじゃないの?」

「ふふふ、パパのことなら何でも知ってるねくるいちゃん……!」


 微妙に呆れ顔のくるいに、何故か巌はポージングをキメながら応えた。

 《百騎八鋼》のホーム。マヒロも、最初はどうなるか不安を抱いていた。


「……アリス、お前も休むなら休んでいけ。一応、娘の恩人のようだからな」

「厚意はありがたく受け取ろうか、友よ」


 流れる空気は和やかで、このまま何もかも問題なく話は進む。

 マヒロは、その瞬間まではそう思っていた。


「ところでだ、アリス。お前とあのマヒロという少年は、一体どういう関係だ?」

「あえて言葉にすれば──彼氏かな」

「オバサンが馬鹿な冗談を言うのは止せ。未成年略取で警察呼ぶぞ」

「迷宮深度『三』に通報で駆けつける警察は、流石に気合いが入り過ぎだろう。

 まぁ彼氏云々は置くとしても、少年の方から私の仲間になりたいと言われてね」

「……なに?」

「ついでに言えば、私はお前の娘も仲間にしたいと考えている。

 未探索領域に巣食う《円環》を討つには、くるいのような強者が──」


 大気が爆ぜた。アリスの言葉を、裂ける空気の悲鳴がかき消す。

 いつの間に取り出したのか。巌の右手には、一本の黒壇の杖が握られている。

 その先端が、アリスが抜き放った王剣の刃がせめぎ合っていた。


「っ、アリスさん!」

「ダメ、マヒロ。今近づいたら危ない」


 反射的に駆け寄ろうするマヒロを、くるいの腕が抑えた。

 人通りもある地下都市で、唐突に漂う戦場の気配。

 表情を怒りに染める巌に対し、アリスは驚くほど晴れやかに笑っていた。


「オレの言ったことはもう忘れちまったのかよ、《迷宮王》」

「まさか。友の諫言を忘れたことなど一日もありはしないとも、《怪力乱神》」

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