第15話:《十二の円環》


 《十二の円環》。その名が持つ情報を、マヒロは改めて思い出す。

 『列強』に数えられる組織の一つであるが、その性質は他の『列強』とは根本的に違う。

 呼び名が示す通り、《十二の円環》はたった十二人で構成された小集団だ。

 たった十二人。組織と呼ぶにはあまりに小規模過ぎる。

 にも関わらず、《迷宮組合》や《百騎八鋼》などと同列に語られる理由。


「はははははっ!! 久々の遊興だ、簡単に死ぬなよ楽しませてくれ!!」


 それは単純に、《円環》と呼ばれる十二人が『』からだ。

 たったそれだけの数で、《迷宮戦争》で全ての『列強』を圧倒した脅威。

 《円環》の名が、迷宮で生きる全ての者に恐れられる理由だった。

 嘲り笑う半神は無造作に両手を振るい、合わせるように部屋全体が波打つ。

 ズリエルの放つ目には見えない『何か』が、吹き荒ぶ暴風のように襲いかかった。

 アリスとくるいが互いの武器で防ぐ──けれど、完全には防ぎ切れない。


「ちっ……!!」

「アリスさん……!」

「力はワタシの方が強いから、アリスは少し下がって!」


 圧力に押される形で、アリスが膝をつきかけた。

 マヒロから見ても信じがたい光景だったが、相対する相手が《円環》だ。

 《迷宮王》ですら『一も二もなく逃げ出す』と語るほどの怪物。

 くるいは即座に一歩前へと踏み出し、己の身体でズリエルの『攻撃』を受け止めた。

 アリスが振るう剣も、生身で防いだ強靭な五体。

 それが軋む音は、絶望をもたらすには十分過ぎるものだった。


「こっちとしては、やり合う理由は無いんだがなぁ!」

「貴女に無くとも、こちらにはありますよ?

 《迷宮王》、あなた方はを侵した」

「この未探索領域では、まだ荒らすほどの真似はしてないつもりだぞ!」

「はははは、勘違いするなよ。この場所の話じゃねェ。もっと『下』の話だ」

「っ……それ、何の話……?」


 『攻撃』を辛うじて防ぎながら、くるいは訝しむ。


「《迷宮王》が先日踏破したあの神殿、あそこは我ら《円環》の神域。

 これを荒らしたのですから、裁きを下すのは当然でしょう?」

「……あの神殿に、お前たちの気配も痕跡もなかったぞ」

「我らは《アンダー》に広がる迷宮を統べる神。

 だったら、『神を祀る領域』は全て我らの庭と同じだ。違うか?

 自分の庭を荒らす害獣がいれば、人間であっても仕置きぐらいはするだろう」

「ほぼ言いがかりに近い暴論だと思うがな、それは……!」


 《迷宮王にんげん》の抗議など、理不尽な半神にとっては吹く風の音以下だ。

 ズリエルは、現れた位置から一歩も動いていない。

 ただ両手を軽く掲げて、何かを操作するように指を動かしているだけ。

 たったそれだけの動作で、不可視の破壊を何度も叩きつけてくる。

 くるいはその『攻撃』を時に大鎚で防ぎ、防ぎ切れない分は己の身体で受けた。

 巨人にさえ匹敵する身体強度も、重すぎる打撃を重ねられれば限界が来る。


「人間にしては良く耐えた方ですが、これで」

「──いいや、あまり侮るなよ。半神デミゴッド


 まひろを庇い、くるいの後ろに下がっていたアリス。

 くるいは無謀に前へ出たわけではない。

 アリスも、無力に守られていたわけではない。

 下がりながら、彼女は見ていた。来るはずの一瞬を待ち続けた。

 しぶといくるいを仕留めようと、ズリエルの意識が集中するほんの僅かな隙を。


「はあァッ!!」


 気合を叫び、アリスは手にした王剣を振るう。

 身につけた《遺物》の内、切り札の一つである《加速の護符》。

 数分ほど身体速度を倍加させる代償は、およそ十秒に渡る完全な無力状態。

 効果が切れた時点で決着がついていなければ、確実に死ぬ。

 故にアリスは、最初から首を狙って全力で打ち込んだ。


「──素晴らしい。貴女がただの人間だとは、本当に信じがたいですね」


 刃が皮膚を削った。傷と呼ぶには、あまりにもささやか過ぎる痕。

 首を切断する気で放った一刀で、与えられたのはその程度のダメージだけ。


「まだっ!!」


 合わせて、くるいも攻めに転じた。巨人並みのパワーで大鎚を叩きつける。

 直撃したズリエルの小柄な肉体は、しかし一歩もずれる事はなかった。

 不動。まるで、巨大な岩山を叩いたような感触。

 戦慄する。《円環》と交戦した経験は、年若いくるいにはまだ無い。

 知識としては知っていても、現実の脅威はあまりにも隔絶し過ぎていた。


「あぁ、実に良い勝負だった。だが、この程度じゃあな」

「ぐっ……!?」

「かは……っ!!」


 伸ばした両手を、軽く捻ってみせた。ズリエルのした事はそれだけだ。

 それだけで見えない力が空間を渦巻き、アリスとくるいの二人を同時に叩き伏せた。

 重い。くるいは耐えているが、アリスは完全に地に伏せた状態だ。

 不可視だが、酷く大きな『何か』に、上から押さえつけられているような──。


「そちらの《迷宮児》は、人間とは思えないほどの力ですね。

 私の『手』を受けて跪かないなんて、巨人でも難しいはずですよ?」

「っ……舐め、ないで……!!」

「はははは、むしろ賞賛しているんだがなぁ。だがまぁ、これが限界だろうよ。

 人間では我ら《円環》には届かない。我らは完全であるが故に」

「ハ……っ、流石は、《迷宮戦争》を終わらせた化け物ども……!

 今なら……勝てるかもしれんと、思っていたんだが、な……!」

「心にもない事をおっしゃいますね、《迷宮王》。

 勝てぬと知りながらも、無力な羊を守るためには挑むしかない。

 王の力を持っているというのに、貴女は昔から悲しいほどに人間です。

 だからこそ、我ら《円環》と同じ階梯には至れない」


 嘆きと憐憫。本心から、ズリエルは地を這うアリスを哀れんでいた。

 英雄二人の奮戦はこれで終わり。

 絶対的な半神相手に、与えられたのは僅かな傷のみ。

 これが《円環》だ。迷宮に生きる全ての者が恐れる脅威だ。

 十年前に突如現れ、《迷宮戦争》を無理やり終わらせた大災厄。

 迷宮のみならず、地上にまで被害が及んだのはこの怪物が暴れ回ったせいだ。


「はははは。名残惜しいが、そろそろお別れの時間としよう。

 良い戦いだった、良い遊興だった! 素晴らしい! 褒めてつかわそう!

 微かなものとはいえ、人が神に手傷を負わせたのだ!

 その事実を誇りに、魂を迷宮へと──」


 二人にトドメを刺すべく、ズリエルはより大きな力を動かす。

 半神は傲慢極まりない敬意を持って、苦痛を与える事なくアリスたちを始末する気だった。

 全力には届かずとも、迷宮の一角ごと崩壊させるぐらいの破壊を練り上げる。

 そこに、小さな刃が割り込んだ。

 戦いからは放置され、半神の目にも映っていなかったか弱い人間。

 マヒロだ。彼は腰の剣を抜き放ち、トドメを刺そうとするズリエルに向かう。

 眼中になかったが故に、その意識外から繰り出された一刀。


「おおおぉぉぉぉぉッ!!」


 気合を叫ぼうが意味はない。

 アリスの王剣ですら、ズリエルの皮膚を僅かに傷つける事しか出来なかった。

 故にズリエル自身も気にも留めない。

 羽虫が傍を飛んでいたとして、それを払い落とす方が煩わしい。

 刺す蚊でも、鬱陶しい蝿でもない。名も知らないような、無害な虫けら。

 だからズリエルは、刃が触れる瞬間までは完全に無視していた。


「ッ────?」


 痛み。あり得ない。あり得ないが、現実としてそれは起こった。

 首元に感じる、ドロリとした感触。血だ。

 意図的に狙ったのか、それとも偶然にそうなってしまっただけか。


 マヒロが振るった剣は、アリスがつけたばかりの薄い傷跡に当たっていた。

 微かな痕が、今は明確に刃で刻まれた傷となって開いている。

 久しく感じた事のなかった、肉体的な痛み。

 半神であるズリエルの思考は、理解できない事象を前に一瞬だけ停止した。


「二人とも、立てる!?」


 ズリエルに傷を与えた事よりも、倒れたままの二人をマヒロは優先した。

 集中が途切れたためか、押さえつけていた力は霧散している。

 マヒロに引っ張られる形で、アリスとくるいは同時に跳ね起きた。

 狙うのは、まだ呆然としたままのズリエル。


「何が起きたかは分からんが、良くやったぞ少年──!!」

「ブッ飛べ、神様モドキ──!!」


 王剣と大鎚が、同時にズリエルの身体を捉えた。

 爆発に似た衝撃。迷宮の魔力が弾け、小柄な《円環》を吹き飛ばす。

 部屋の壁をぶち抜き、更にその向こう側まで跳ねていくズリエル。

 呆けていたせいで、防御が緩んでいたのか。アリスは確かな手応えを感じていた。


「逃げましょう、早く!!」

「あぁ、分かっている!!」


 が、それで追撃を仕掛けたりなどしない。

 戦っても勝てないのは、これ以上ないぐらいに明白だった。

 促すマヒロに応えて、荒れた部屋を飛び出し素早く元来た通路をさかのぼる形で走る。

 一瞬躊躇ったくるいの手は、マヒロが咄嗟に掴んでいた。


「っ……逃げるって、良いの……!?」

「良いも悪いも無い! 戦って理解しただろう、あれが《円環》だ!

 まともにダメージも入れられない以上、まともにやって勝ち目はない!

 というか少年、一体お前は何をしたんだ!?」

「そんなん俺が聞きたいですよ……!!」


 実際、無我夢中だった。兎に角二人を助けねばと、思考よりも身体が先に動いていた。

 通じないと分かっていても、頼れるのは腰に下げた剣のみ。

 何が起こるか不明な魔法には縋れなかった。ただ、衝動のままに刃を振るっただけ。

 起きた結果は完全に想定外で、マヒロ自身にも分からなかった。


「無敵ではない……! 《迷宮戦争》の末期に奴らが現れてから、十年!

 いつどこから現れるかも分からん《円環》は、無敵の災厄として誰もが恐れた!

 が、理由は不明なれど奴は傷つき、血を流した……!」

「……《円環》は、決して無敵の神様じゃない」

「そうだ、それが分かっただけでも収穫だ! つまり逃げても問題ない!!」

「っ……アリスさん、くるいさん! 後ろ……!」


 走る。走る。手を引いたはずのマヒロは、逆にくるいに引っ張られていた。

 なりふり構わぬ全力での逃走。だが、背後に『闇』が迫りつつあった。


『──神に傷を与えた不敬、このまま赦されると思っているのですか?』

「ハッ! この世に人間に手傷を受け、血を流す神などいるものかよ……!!」


 魂を握り潰す圧力。凄まじい憤怒と憎悪で、『闇』はマグマの如く煮え立っている。

 それが何であるか不明だが、どう考えても捕まったら終わりだ。

 しかし逃げる速度より、追ってくる『闇』の方が僅かに速い。

 どれだけ必死に逃げ続けても、距離を稼ぐどころか縮まるばかり。

 ジリジリと追い詰められて、そして最後には──。


「くるいさん、あの床を思いっきり踏んづけて下さい……!」

「っ……床……?」


 引っ張られながら、マヒロが指差す先。ぱっと見、何かあるようには思えない。


「それで、どうなるの……?」

「分かりませんけど、もうそれぐらいしか……っ!」

「ハハハハハっ、こういう時の少年の悪運は意外と侮れんぞ! だから信じろ、くるい!」

「……分かった」


 分からない。分からないが、今はもう他に手立ても希望もない。

 冷たい気配が背中に触れる。捕まる寸前で、三人は『その場所』にたどり着いた。


「今……!」

「んっ!!」


 マヒロの声に合わせて、くるいは足元の床を思いっきり踏みつけた。

 瞬間、何かが壊れて弾ける音が響く。同時に起こった変化は、迅速かつ激的だった。

 迫る『闇』を押しのけるように、壁や天井の全てが青白く輝いた。

 強い魔法の気配に、『闇』は一瞬だけ躊躇うように渦を巻いた。

 そして。


『…………逃げられたか』


 そこにはもう、誰の姿もない。

 ただ蠢く『闇』だけが、怒りの滲む声で忌々しげに呟いた。

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