第14話:サプライズ・ディナー


「…………」

「ハッハッハッハ、両手に花とは実に役得なポジションだなぁ少年!

 そら、もうちょっと素直に喜んで良いんじゃないか?」

「そ、そうですね」


 空気が重い。深層だから魔力が濃いとか、そういう物理的な理由ではなく。

 現在、マヒロたちは迷宮の通路を一塊で進んでいた。

 先頭に立つのは黒い鬼面の少女、くるい。続いてマヒロ、殿にアリスの順だ。

 後方で極めて上機嫌で笑うアリスに対し、くるいは無言。

 探索の協力については、彼女も了承してくれたが……。


「あの、くるいさん?」

「…………なに?」


 試しに声をかけてみたら、間はあったがちゃんと返事が来た。

 明らかに不機嫌そうではあるが、それはそれ。


「えーと……身体の方は、大丈夫ですか?

 もし怪我とかあれば、治療ぐらいなら……」

「平気。頑丈なのが取り柄だから」

「確かに、くるいさんも凄い強いですもんね」

「……ワタシなんて、まだまだ。パパにも正面からじゃ、勝った事無いし」


 パパ、と言った時だけ、言葉が少し柔らかくなった。

 表情は鬼面で隠れているため、良く分からない。

 ただ、その瞬間のくるいはまだ幼い娘のように感じられた。


「でも、アリスさんと戦ってた時は、本当に凄かったですよ。

 俺なんて、横から目で追うのがやっとで……」

「……頑張って、鍛えたから。マヒロ、だっけ? 君も、頑張れば良いよ。

 頑張って、死ななければきっと強くなれるから」


 拳をぐっと握って見せるくるいを見て、マヒロは少し笑って頷いた。

 確かに、生きて努力を重ねたなら、いつかは結果が伴うはずだ。

 少なくとも、そう信じて全力を尽くすしかないのは間違いなかった。

 と、不意に後ろから肩を叩かれる。

 首だけで振り向くと、アリスの顔が思いの外近かった。


「アリスさん?」

「なんだい少年、さっきから随分とくるいのことばかり褒めるじゃあないか。

 勝利者である私への賞賛は無いのかい?

 負けた方に優しくするのは判官贔屓と言うのだったかな?」

「いや、別にそういうつもりでは……」

「……負けたのは、そうだけど。次は、同じようには行かないから」

「ハッハッハ、お尻の青い小娘にはまだまだ負ける気はないよ?」

「お尻は青くない」

「おやおや、卵の殻が取れてないヒヨッコの方が良かったかな?」

「ホントに煽るの止めて下さい……!」


 位置的に、挟まれてる方の身にもなって欲しい。

 負けず嫌いと言うか、言ってる本人が一番子供っぽいというか。

 その辺りは胸の奥に呑み込んだ上で、吐息を一つ漏らす。


「アリスさんも凄かったです。でないと、俺はとっくの昔に死んでますし」

「ふふ、そうだろう。そうだろう」

「本当に凄いですよ。

 凄いついでに、くるいさんと仲良くして貰えると凄く助かります」

「心外だな、言われるまでもなく私たちは仲良しだよ。なぁ?」

「ブン殴って良い?」


 割と本気で大鎚を握り直していたので、マヒロは急いで止めに入った。

 とはいえ、くるいも協力して調査に当たる事は了承している。

 言葉にこそまだ棘はあるが、バトルを再開するほどの戦意は感じられなかった。

 ふと、先頭のくるいが足を止めた。他の二人が何かを言うより早く。


「邪魔」


 大鎚を持つ片腕を、無造作に二度振るった。

 破砕音と、潰れた悲鳴。目には見えない魔物が、それだけで二匹ほど息絶えた。

 絶句するマヒロの後ろで、アリスは感嘆の声を口にする。


「流石、素晴らしい勘だな。忍び寄っていたのには、私も気づかなかったよ」

「見えない魔物ばかりで、本当に面倒ね。ここ」

「……俺はホントに、くるいさんが殴るまで全然分からなかったですけど。

 参考までに、どうして気づいたか聞いてみても?」

「ザワッとした。ワタシ、そういうのは良く感じるから」


 つまり、アリスの言う通り勘ということだろうか?

 曖昧に過ぎる当人の説明に、アリスの方が言葉を続けた。


「異能、という表現はあまり好きではないがな。

 くるいの場合、怪力の他に魔力を知覚する能力が人よりも優れている。

 だから……」

「こっち」


 再度、くるいが前触れもなく止まった。同時に振るわれる大鎚。

 今度の狙いは、彼女のすぐ真横にある壁だった。

 轟音。最初に現れた時と同じように、くるいは迷宮の壁を容易くぶち抜いた。


「こっちの方が、魔力が強くなってる気がする。

 きっと、《レガリア》が近いからだ」

「……このように、『最短ルート』を直感的に見つけられるワケだ」

「これは『最短ルートを見つけた』って表現で正しいんですかね……?」


 どちらかというと、無理やり作ってると言うべきではないだろうか。

 ひょいっと壊した壁を乗り越えるくるいに、マヒロとアリスも続いていく。

 壊した先も石造りの通路が伸びているのみで、見た目は代わり映えしなかった。

 不可視の魔物も、仕掛けられた罠の類も、先を進むくるいが力技で踏み潰す。

 おかげで、マヒロもアリスもただ後ろを歩くだけの状態が続いた。


「ちなみに、アリスさん的にはこういう探索は有りなんですか……?」

「楽で良いとは思ってるぞ?」

「あ、そうなんですね。てっきり何か、こだわり的なモノがあるのかと」

「アリスは未探索なら自分が行きたい以外は、あんまりそういうのないよね」

「そんなちっぽけな考えは、迷宮という深淵の前では何の意味もないからな」


 くるいの言葉に、アリスは苦笑いを浮かべながら応えた。


「迷宮探索で一番重要なのは、『生きて辿り着き、生きて戻る事』。

 そのためなら卑屈や臆病は大いに結構、慎重に進むも迷宮を壊して進むもヨシだ。

 まぁビビって進めないのでは本末転倒だから、無謀と蛮勇も時には必要だがな」

「そこは勇気とか勇敢さ、じゃないんですね」

「別にどっちも似たようなものだろう?」

「流石に、それは極論じゃないかしら」

「私にたった一人で喧嘩を売ったくるいは、十分勇敢だとは思っているぞ?」

「アリスさん……!」


 本当にサラッと煽って来たが、今度のくるいはグッと我慢したようだ。

 やや苛立たしげな足取りで、前へ進む速度が増したぐらいだ。


「……ワタシだって、相手は選ぶ。アリスだから挑んだの」

「勝てると思ったからか?」

「そういう態度がムカつくから」

「ハッハッハッハ、本当に可愛い娘だよ。お前は」

「アリスはどうなの。無謀とか蛮勇とか、ワタシよりずっと酷い気がするけど」

「いやいや、流石に私だって相手は選ぶとも。

 もし出くわしたのが《円環アポストル》なら、一も二もなく逃げ出すさ」

「……ワタシだって、いえ、誰だってそうでしょう。それは」

「違いないな」


 《円環》。その単語を口にした時、二人の雰囲気が僅かに硬くなった。

 《アンダー》で活動する冒険者にとって、それは恐怖の代名詞だ。

 詳細は知らない。マヒロが知るのは、それが『列強』の一つを示すものである事。


「……《十二の円環サークル・オブ・アポストロス》」

「なんだ、少年も知っているのか?」

「むしろ知らない方が珍しいと思いますよ。

 十年前、《迷宮戦争》の末期に突如として現れた十二人の半神デミゴッド

 討伐はおろか、遭遇して生還した人間も滅多にいない怪物……」

「ワタシも、パパたちから話しか聞いたことない。

 いきなり出てきて、迷宮も地上の街もメチャクチャにしたんでしょう?」

「あぁ、そうだ。私としても思い出したくない悪夢だがな。

 奴らの介入により、《迷宮戦争》に関わった勢力は争うだけの体力を失った。

 暴れるだけ暴れた後に、《円環》連中も迷宮に消えてしまったからな。

 あれが戦争が終わるきっかけになったなど、口が裂けても言いたくないが」

「…………」


 十年前に起こった《迷宮戦争》と、その末期に起こった災厄。

 マヒロの脳裏に浮かぶのは、今は大分おぼろげになってしまった過去の情景。

 地下に広がる迷宮での争い事なんて、地上に生きる人間には無関係だと思っていた。

 そう信じていた誰もが、突如として降り掛かった炎に焼かれたのだ。


 炎。炎。炎。何故、こんな事になったのか。

 薄い靄の掛かった記憶の中に立っている事を、マヒロは自覚した。

 覚えているのは黒く焼けた世界と、赤く燃える火の向こう側。

 何か──そう、確かに、そこには『白い何か』が──。


「……少年?」

「っ……は、はい?」

「大丈夫か。ボーッとしているように見えたが」

「あ……いえ、すみません。大丈夫です」

「そうか。信じるが、何かおかしいと感じたらすぐに言うんだ」

「はい……ありがとう御座います」


 アリスの声に、意識は現実に引き戻された。けれどまだ、火の匂いを感じる。

 あの時のことを、ここまでハッキリと思い出すのは初めての事だった。

 意識をかき乱すのは恐怖か、それとも別の感情か。

 深い呼吸を何度か行い、マヒロは自分を落ち着けようとする。


「……ここ」

「え?」

「今までで、一番魔力を濃く感じる」


 そう言ってくるいが立ち止まったのは、一際大きな扉の前だった。

 思い出すのは、転送罠で迷い込んだ霊廟とその最奥にあった巨大な神殿。

 この扉も、まるで巨人が使う事を想定したようなサイズだった。


「偶然かもしれんが、似ているな」

「あ、アリスさんもそう思いますか……?」

「うん、表面に刻まれた紋様など、デザインも近いような……」

「? 何の話か知らないけど、開けるよ。

 この感じなら、奥に《レガリア》があるかも」


 注意深く見上げる二人に構わず、くるいは扉に両手を押し当てる。

 アリスも止めることはせず、ただ黙ってマヒロの肩を後ろに引っ張った。

 以前の神殿でも、扉を開けた瞬間に罠が発動したのは記憶に新しい。

 しかし、くるいなら頑丈だから問題ないと、アリスはそう判断したようだ。


 細腕が巨人サイズの扉を押し、ゆっくりと内側へと開かせる。

 脳髄を擦るような重たい金属音。マヒロは警戒しながら、扉の向こうに視線を向けた。

 また神殿か何かが広がっているのかと、そう予想したが──。


「……テーブル……?」

「うん?」


 最初に感じた刺激は、鼻腔をくすぐる焼けた肉の香りだった。

 肉だけではない。様々な香辛料スパイスや薬草、香草が醸し出す匂い。

 それらが漂ってくる大元は、驚くほどに広いテーブルだ。

 扉が開いた先は、奥に伸びる長方形の広間。

 左右には太い石の柱が、等間隔で規則正しく並んでいる。


 柱と柱の間を埋める形で、見た事がないぐらい長く大きなテーブルが置かれていた。

 それだけならば驚く事はない。異常なのは、テーブルの上に並ぶものだ。

 料理。料理。料理。焼いた肉の塊に、シチューに似たスープ、パン、無数の果実。

 マヒロでも見た事があるような料理から、まるで未知な食材まで。

 何人分かも判然としないぐらいに大量の料理が、テーブルの全面を埋め尽くしていた。


「……何だ、これは?」

「それは、俺も聞きたいですね。何か分かりませんか?」

「流石の私も、迷宮内で湯気の立つ料理に出くわした経験は数える程度だな」

「数えられるぐらいはあるんですか……」

「……良い匂い」


 くるいが呟いた通り、料理から漂う香りは恐ろしく芳しい。

 これだけ良い匂いがするのだから、味の方も極上だろうと期待するほどに。

 食欲を刺激されて、マヒロは思わずゴクリと喉を鳴らした。

 明らかにおかしい。こんな場所に、出来立ての料理が並んでいるなんて。

 おかしいと、頭では分かっているのだが。


「落ち着け、少年。くるいもだぞ、手を出すな」

「っ……アリスさん」

「分かってる。拾い食いなんてしない。子供じゃないんだから」

「仮面の下でもよだれが出てる事ぐらい分かるぞ。いや、それよりもだ」

「──何だ。食べていかないのですか?」


 声。女の声だが、アリスでもくるいの声でもない。

 奇妙な食欲でぼやけていた視界が、それを聞いた瞬間に一気に晴れた。

 マヒロは見た。テーブルの一番奥。

 さっきまで、そこには誰もいなかったはずなのに。


「これらは『供物』、手を出さないのは賢いが、勿体なかったな。

 安い命と引き換えに、『神饌アンブロシア』を口にするチャンスだったのに」

「……お前は」

「あぁ、誰かと思えば《迷宮王》ではありませんか。お久しぶりですね。

 貴女の華々しい活躍は、この《アンダー》の底にまで響き渡っておりますよ」


 無機質で冷たく、同時に悍ましい美しさを感じさせる女の声。

 それが丁寧な女性的な口調と、乱暴な男性的な口調を交互に歌い上げる。

 テーブルの端に座り、並んだ料理を無遠慮に食する人間に似た『何者か』。


 小柄な、十代半ばの子供と考えてもやや低めの身長。

 衣服は白無地の貫頭衣のみで、裾から覗く細い手足にはそれぞれ金色の輪が嵌っている。

 長く伸びた髪は、奇妙なことに左右で完全に白と黒の色で分かれていた。

 染めたにしては色合いが自然過ぎる。

 瞳も左右で赤と青の色違い。顔立ちは男にも女にも見え、仮面のように整っている。

 無機的にも感じられる顔に浮かぶのは、笑みの表情で──。


「少年は下がれっ!! 構えろ、くるい!!」

「分かってる……!」


 衝撃。何が起こったのか、マヒロは理解する前に地面を転がっていた。

 顔を上げた時、あるのは半ば破壊されたテーブルと、抉り取られたような床の傷跡。

 それらの前に立つ形で、武器を構えるアリスとくるいの姿。

 呼吸を乱す二人に、白黒の怪人物は腹を抱えてゲラゲラと笑う。


「ははははは! 素晴らしいなぁ《迷宮王》! まさか防がれるとは思わなかった!」

「世辞だとしても光栄だな、《円環》……!」

「いいえ、本心ですとも。私の攻撃に耐える人間など、非常に稀有なことですから」


 《円環》それはつい先ほど、話に出たばかりの名だ。

 恐るべき忌み名で呼ばれた怪物は、悍ましくも艶やかな微笑みを見せる。


「名乗りましょう、無力な獲物ならざる者たちに敬意を表して。

 我が名はズリエル。《十二の円環サークル・オブ・アポストロス》の六番。

 天秤に巻きつく蛇、迷宮に完全なる均衡と沈黙をもたらす者。

 残り僅かな短い生の間だけでも、覚えていて下されば幸いです」


 朗々と歌を吟じるかの如く、恐るべき半神は己の名を明かした。

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