第13話:迷宮のミノタウロス


 それはまるで、人の姿をした暴力そのものだった。

 震える。壁や床、天井に至るまで。

 鬼面の女──アリスは確か、『くるい』という名で呼んでいたが。

 彼女が両手に握った大鎚を振るう度に、強烈な破壊が引き起こされる。


 頑丈に作られているはずの迷宮が、鎚の先端が掠めるだけでひび割れ、砕け散るのだ。

 マヒロの脳裏に浮かぶのは、迷宮深層で出会った単眼巨人だ。

 あの巨体から繰り出されるパワーと、くるいの力は遜色がないように思えた。


「ハッハッハッハ! 少し見ない間に、また一段と逞しくなったようだな!」

「うるさい」


 人間など、一瞬でミンチになりかねない暴力の嵐。

 その渦中にありながら、アリスの動きは踊り子のように華麗であった。

 振り回される大鎚を回避し、時に剣で受け流す。

 直撃しそうなものは防ぎ、受けた衝撃に逆らわずに後方へと下がる。

 距離が開けば、くるいは即座に間合いを詰めるが。


「見事ではあるが、前のめり過ぎるな」

「────ッ!!」


 踏み込むくるいの呼吸に合わせ、アリスの大剣が閃いた。

 これまで、数多の魔物を容易く切り捨ててきた王剣による一刀。

 手心など一切含んでいない事は、傍から見ているマヒロの目からも明白だった。

 確実に仕留めるつもりの刃が、くるいの首筋を狙う軌道を描く。

 回避できるタイミングではない──故に。


「舐めないで……!」


 彼女はアリスの剣を、右腕で受け止めていた。

 距離を置いていたため、マヒロは一瞬見間違いかとも思った。

 だが、くるいは間違いなく前腕で刃を受けていた。

 ベルトが巻いてある以外は、特に防具らしい防具も身に着けていない。

 にも関わらず、剣はくるいの腕に僅かに食い込む程度で止められていた。


「《遺物》の補助ありとはいえ、信じがたい頑丈さだ……!」

「はあぁッ!!」


 剣を防がれた事で、逆にアリスの動きが止まった。

 くるいはその僅かな隙間を逃さず、左手だけで大鎚を叩き込む。

 瞬間、アリスの身体からすぅっと力が抜けた。

 あえてその場で体勢を崩すことで、紙一重のところで大鎚を回避する。


 追撃が来る前に、くるいの足元を抜ける形で床を転がる。

 素早く反応した大鎚が振るわれるが、無意味に地面を耕すだけで終わった。

 互いの立ち位置を入れ替える形で、再びアリスとくるいは対峙する。


「……凄い」


 感嘆の声が、自然とマヒロの口からこぼれていた。

 まだ短い付き合いだが、アリスの強さは知っているつもりだった。

 単眼巨人など、恐ろしい魔物を軽く蹴散らす最強の冒険者、《迷宮王》。

 彼女を相手にしながら、一歩も引かずに互角の戦いを見せるくるい。

 その尋常ならざる力の理由は、マヒロにも心当たりはあったが。


「で、挨拶はこのぐらいで良いか?」

「言ってる意味が分からない」

「……まさかとは思うが、本気で私を殺す気なのか?」

「冗談で《迷宮王》に挑んだりしない」


 感情が読みにくい淡々とした口調で、くるいは明確に戦意を告げる。

 一方、アリスの方は油断なく剣を構えたまま、器用に肩を竦めてみせた。


「オイオイオイ、それは酷いんじゃあないか?

 仮にも私は、お前のおしめを替えてやった身なんだぞ?」

「赤ん坊だった頃の話なんて知らないし。

 あと、パパからは興味本位でやろうとして大失敗した、とか聞いたけど」

「いやいや、私はちゃんとやったんだよ。だけど何故か君が大泣きしてね。

 小さい身体で随分暴れ散らかすものだから、実に大変だったんだよ。ウン」


 向かい合う両者は、今のところは動きを見せていない。

 それでも、一秒後には戦いが……いや、殺し合いが再開されてもおかしくない空気だ。

 にも関わらず、交わす言葉はいっそ暢気で親しげですらあった。


「……あの、アリスさん?」

「うん? 何だね、少年。

 あぁ、そこはギリギリ安全圏だろうから、それ以上は決して近づかないようにな」

「……さっきから気になってたけど。彼、誰?」

「私の彼氏だな」

「面白くない冗談だし、冗談じゃないなら自分の歳考えたらどう?」

「いくら娘同然に思っている相手でも、歳のことをツッコむのは戦争案件だろう……!」

「お二人とも、知り合いなんですか……?」


 距離感が近いというか、普通に仲が良さそうというか。

 くるいから感じるのも敵意というよりかは、思春期の反発心めいたモノに思えるのだ。

 だというのに、未だ殺し合いの空気が継続中なのが逆に恐ろしいのだが。


「あぁ、彼女はくるい。昔の仲間の娘だ。まぁ義理ではあるがな」

「……はじめまして」

「あ、はい。どうも、はじめまして。夜賀 マヒロと言います」


 普通に挨拶されてしまったので、マヒロも反射的に挨拶を返した。

 初対面であるし、挨拶は大事なのでそれは問題ない。


「くるいは《百騎八鋼ワイルドハント》のメンバーでな。

 確か、《八鋼衆》の序列五位だったか?」

「ううん。最近、三位に昇格した」

「おぉ、凄いなそれは!

 あと上にいるのは、強欲ババアと過保護なパパだけか!」

「二人を悪く言うと、怒る」

「おっと、失言だったな。許してくれ」

「《百騎八鋼》って……」


 当然、その名前はマヒロでも知っているぐらいには有名なものだった。

 《アンダー》で勢力争いを繰り返す五つの大組織、『列強』。

 その一つ、迷宮で生まれ育ち、迷宮を故郷と定めた者たちが集う共同体。

 同時に、敵対する者を尽く粉砕する凶暴な戦闘集団、それが《百騎八鋼》だ。


 所属する者の多くは《迷宮児》──迷宮で生まれた子どもたちだ。

 胎児の頃から魔力の影響に晒された彼らは、多くの場合は人ならざる異形を持つ。

 発達した五感や、人間離れした怪力、特化した頭脳など。

 それらの異能の他に、共通しているのは頭から生えた二本の角。


 明らかに人から外れた姿と能力から、口さがない輩は彼らをこう呼ぶ時もある。

 迷宮を住処にする、恐ろしい《怪物ミノタウロス》と。


「ちなみに《八鋼衆》というのは、正規メンバー百名の内、上位八人の総称だな。

 序列は当然強さの順番。くるいは三位だから、《百騎八鋼》で三番目に強いわけだ。

 いや、幼い頃に多少なりとも面倒を見た身としては鼻が高いな」

「そういうの、やめて欲しいんだけど」


 怒りを滲ませるくるいだが、アリスは気にした様子もない。

 『列強』でも最上位に位置する強者。

 であれば、アリスと渡り合えるのも納得だ。

 しかし、二人の関係性を見るに、争う必要はないように思えるが……。


「……それより、無駄話はもう良い?」

「おっと、このまま平和的に分かれるか、仲良く迷宮探索ではダメなのかね?」

「ワタシは新しい《レガリア》を探しに来た。

 そこに貴女がいるのなら、排除するのは当然。《迷宮王》」


 空気が変わった。先ほど言葉を交わしていた時は、多少の和やかさはあった。

 だがくるいがより強い戦意を放ったことで、雰囲気は一変してしまった。

 マヒロは息を呑み、自然と心臓の辺りを抑える。

 相対していなくとも、油断すると飲まれてしまいそうなほどの殺気。

 アリスの方は、全く涼しい顔でそれを正面から受け止めていた。


「お前のところの台所事情は詳しくないが、また保護した者でも増えたか?」

「…………」

「当たりか。

 それで居住地を拡大するため、どうしても《レガリア》が必要なわけだ」

「……そう。新しい《レガリア》は、絶対に必要」

「《怪力乱神》は承知しているのか?」

「パパは過保護だから」

「ハッハッハ、結局娘にも言われてるではないか」


 アリスは笑う。笑っているが、その表情は獣が牙をむいた顔に近い。

 やる気だ。《迷宮王》は、《八鋼衆》の三位からの挑戦を受けたのだ。


「少年、君はそこから絶対に近づくなよ。

 私も、そこより先に脅威を近づかせないと約束しよう」

「……分かりました。でも、気をつけて下さい」

「私の心配をしてくれる人間なんて、多分君ぐらいなものだろうなぁ」


 足手まといにはなれない。だから言われた通り、マヒロは見守る他なかった。

 マヒロの言葉を受けて、アリスの身にはやる気がみなぎる。

 そんな様子の変化は、くるいの方も見逃さなかった。


「……まさかとは思うけど、本当に彼氏なの……?」

「ふふふ、私の美徳は嘘を言わないことだぞ?」

「嘘は言わないけど、誇張したり適当なことは結構言うじゃない」

「嬉しいね、私のことを良く分かっているじゃあないか」

「……戦いたくないのなら、大人しく退いて。アリス」

「それが無理な話であることも、当然分かっているだろう? くるい」


 笑う。くるいも、鬼面の下で静かに笑ったようだ。

 互いに獲物を握りしめて、徐々に間合いを近づける。

 空気が軋んだ音を、マヒロは聞いた気がした。


「だったら、貴女を倒してその王剣も奪い取る……!!」

「ハハハハハ! 実に頼もしい言葉だ! 出来るものならやってみるといい!!」


 そうして、戦いが始まった。ぶつかる衝撃は、ついさっきの衝突より凄まじい。

 二人の戦法は、似ているようで対照的だった。

 どちらも武器を構え、白兵戦の間合いで敵を叩く戦士だ。

 アリスは力と速度、技巧、経験など、全てが高水準で揃ったオールラウンダーだ。

 対してくるいは、圧倒的な力と速度を真っ向から叩きつける、いわばバーサーカーだ。

 間違いなく、単純な攻撃力に関してはくるいはアリスを圧倒している。

 正面から殴り合えば、どちらが不利かは明白だった。


「──あぁ、本当に腕を上げたな、くるい。

 私の記憶と比べれば、本当に見違えるようだよ」

「余裕ぶって……!!」


 最初から叩き潰すつもりで、くるいは全力で攻め立てていた。

 避ける隙間もないほどの連撃は、一発一発が防御ごと粉砕する破壊力を有している。

 吹き荒れる破壊の嵐の中を、アリスは最初と変わらずに踊っていた。

 くるいの連撃を、大剣の一本だけでほとんど捌き切っている。

 反撃する暇はなく、防戦一方と見ることもできるが。


「確かに、お前とまともに殴り合っては流石の私も死にかねん。

 流石は《八鋼衆》の序列三位、お前より攻めに優れた戦士はそうはいないだろう」


 弾く。弾く。弾く。守勢に専念した《迷宮王》は、まさに鉄壁の守りだった。

 迷宮の構造を変えてしまうほどの力も、王の守備は崩せない。

 くるいの中に焦りが募るのは、傍から見ているマヒロにも感じられた。

 最強の矛と最強の盾。本来は矛盾が起こるところを、今は明らかに盾の方が優勢だ。


「守ってばかりで、ワタシに勝つつもり……!?」

「勝つさ。あと、守ってばかりというのは心外だな」


 一瞬だけ、アリスは剣を片手に持ち替えた。

 襲ってくる大鎚を弾き落とす形で流すが、片腕では力が足りない。

 完璧に保たれていた均衡。アリスの体勢が確実に崩れた。

 間髪入れずに、くるいは渾身の力を込めて大鎚を──。


「若いな」

「ッ!?」


 振るおうとした瞬間、光が弾けた。鬼面越しでも無関係に透過するほどの爆光。

 攻め手に集中するあまり、くるいの視界は狭まっていた。

 アリスが剣を片手に持ち替えた時、彼女はもう片方の手で腰の革袋を漁っていた。


 取り出したのは《閃光石》、アンコモン等級の《遺物》。

 使い捨てだが、投げると狭い範囲に対して強烈な光を放つ代物だ。

 あえて作った隙に食いついたくるいの顔面に、タイミングを合わせて投げつけたのだ。

 完全に視界を潰されたのと、強烈な光を浴びた影響でくるいの身体は硬直する。

 既に体勢を立て直したアリスは、大剣を再び両手に構えた。


「お前ならば、全力で斬ったぐらいで死にはせんだろう。

 少し痛いとは思うが、我慢してくれ!」

「っ……そのぐらい、で……!」


 くるいの戦意はまだ折れていない。だが、自身の敗北は避けがたい。

 《迷宮王》の剣は、致命傷にはならずともくるいの戦闘力は確実に奪い去るだろう。

 全力の一撃に耐えるため、くるいはせめて歯を食いしばり──。


「…………?」


 予想していた痛みと衝撃は、一向にやって来なかった。

 アリスは刃を振り下ろしていた。が、それはくるいの肩に触れたところで止まっている。

 本気なら、そのまま斬り伏せる事も難しくはないはずだ。

 だが、《迷宮王》は吐き出す息と共に力を抜く。


「……

「は?」

「死にはせんでも、私が全開で叩き斬ったらお前でも間違いなく重傷だ。

 嫁入り前の娘を傷つけたなどと、恐ろしい保護者に知られたらどうなるか」

「……なに、それ」


 侮られている。アリスの物言いを、くるいは手酷い侮辱と受け取った。

 少なくとも、自分は本気だった。

 本気でアリスを倒し、王剣を奪う気だったのだ。

 だというのに、当の相手は大人ぶった顔をして笑うのだ。


「斬っても斬らんでも、私の勝利は明白だ。

 まさか、それが分からんほど子供というわけではないだろう? なぁ、くるい」

「っ、馬鹿にして……!」

「……待って下さい」


 憤怒のままに振る舞おうとしたところで、水を差された。

 割って入ってきた少年を、くるいは鬼面の下から勢いよく睨みつける。

 視線だけで、容易く心臓を貫かれそうなほどの圧力。

 単眼巨人に睨まれた経験がなければ、膝を折ってしまっていたかもしれない。


「絶対に近づくなと、そう言ったはずだぞ? マヒロ少年」

「アリスさんの勝ちで、決着はついてる。

 そう判断しましたけど、間違ってますか?」

「……いいや。間違ってはいないな。私が勝って、それでこの戦いは終わりだ」

「くるいさんも、どうですか。あの状況で、まだ自分は負けてないと言えますか?」

「……ッ」


 相手がアリスだけならば、感情的に反発しただろう。

 けど、本来は縁もゆかりもない第三者に指摘されては、冷静に考えるしかない。

 もしアリスが手を止めなければ、十中八九無力化されていた。

 一人の戦士として、それは認める他ない事実だった。


「……そうね。言う通り、ワタシの負け。

 自分から喧嘩を吹っかけておいて、なんてザマ」

「いやいや、その若さで私相手にあれだけ戦ったんだ。お前も十分に」

「くるいさん、ここは協力しませんか?」

「…………え?」


 勝ち誇る《迷宮王》の戯言を遮り、マヒロは勢い込んでその言葉を口にした。

 言われた意味が分からず、くるいは緩く首を傾げる。


「俺たちがいるのは、何が潜んでるかも分からない未探索領域。

 勝敗が決まったならここは一度手打ちにして、一緒に探索を続けませんか?」

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