第12話:パワーレベリング


 パワーレベリング、という言葉がある。

 ゲームではレベルの高い者が低い者に加勢し、効率良く経験値を稼ぐ方法だ。

 今、マヒロが行っているのもそれに近いものだった。


「どうやら、大分『慣れてきた』ようだね。少年」

「はい」


 アリスの言葉に、通路の状態を警戒しながら頷く。

 受けた助言の通りにするのは、もう特に難しくはない。

 最初に見つけた二重のワイヤー罠の後も、幾つかの仕掛けに遭遇した。

 失敗を含みながらも、一つ一つ確実に解除を試みていった。

 そんな罠の対処だけではなく、アリスに助けられる形で魔物との戦闘にも参戦した。

 目には見えない魔物というのは、思ったより遥かに厄介だった。


「強さそのものは、深度に比べれば弱い方だ。

 面倒なのは『不可視である』という一点だけ。そこだけが要注意だな」


 笑いながら言っているが、当然ながら言葉で表すほど簡単ではない。

 相手が複数ならもう論外だが、アリスは本当に苦もなく対処してみせた。


「どれだけ目に見えずとも、相手は間違いなく存在している。

 空気の流れや魔力の変化を肌で感じ、素早く反応する。

 なに、『慣れれば』このぐらいは誰でも出来るぞ?」


 きっと、それを完璧に実行できるのは一握りの冒険者のみだろう。

 言われた時からマヒロは確信していたし、その考えは今も揺るがない。

 有言実行を体現するアリスは、《見えざる恐怖》が残り一体になるよう調整した上で。


「さぁ、実際にやってみようか。少年」


 満面の笑顔を浮かべ、事もなげにマヒロへと無茶振りしたのだった。

 ……姿は見えないが、相手の形は概ね二足歩行の人型。

 武器は恐らく両手に備わった鋭い爪で、不可視のまま襲いかかって獲物を引き裂く。

 やってくる事はそれだけで、実に単純だ。

 アリスが口にした通り、『不可視である』事だけが極めて厄介な相手だ。


「っ……この……!!」

「よしよし、良いぞ少年! 相手の武器は爪だけだ!

 身体は鎧が守ってくれる、急所にだけは受けないよう注意するんだ!」


 手に入れて間もない竜殺しの剣を構え、透明な魔物と一対一で戦う。

 通路という限定された空間で、敵が攻めてくるのは正面のみ。

 これだけの条件でも、戦力的にはマヒロは圧倒的に不利だった。

 すぐ後ろで、アリスは言葉をかけながら──。


「ほら、今ので君は死んだぞ」


 致命的な攻撃のみ、素早く剣を割り込ませて防いでくれる。

 首を狙った一撃がギリギリのところで弾かれると、冷たい汗が流れた。


「すみません、助かりました……!」

「礼は良い、目の前の敵に集中するんだ。動きは悪くない。

 後は回数を重ねるんだ。見えない敵と戦う経験値は、きっと君が思う以上に大きいぞ」


 笑うアリスに頷きだけを返して、再び《見えざる恐怖》に立ち向かう。

 見えない攻撃というだけで動揺してしまうが、落ち着けばその単調さも理解できる。

 標的に罠を仕掛ける狡猾さはあるが、基本的には獣なのだ。

 爪が裂く大気の音を捉え、その軌道に剣を構えて防ぐ。

 攻撃の出処から相手の位置を予測し、反撃の一刀を繰り出す。


『ギャアアァァア!!』


 切っ先に手応えを感じると、耳障りな絶叫が真正面から聞こえてきた。

 驚かず、更に刃を重ねる。相手が怯んでいる隙に、そのまま一気に畳み掛けた。

 決死の反撃など食らわぬよう、防御は常に意識しながら。


「さっさと倒れろ……!』

『ギ、ィ……!?』


 肉は分厚く骨も硬いが、魔法の剣は実に鋭い。

 強い抵抗は感じながらも、渾身の力を込めて振るえば切り裂くのは難しくなかった。

 追撃で振り下ろした刃が空を切ると、重い音が足元の床から響いた。


「お見事。討伐成功だな」

「……倒した?」

「あぁ、その通り。君が《見えざる恐怖》を倒したんだ」


 迷宮深度『六』に潜む怪物を、戦って打ち倒した。

 敵が見えないせいか、最初は実感がなかった。

 満足そうに笑うアリスを見て、達成感は遅れて胸の内から湧き出してくる。

 勝った。助けられた上での勝利で、まだ誇れるものではないかもしれないが。

 恐ろしい魔物を相手に、それでも自分は勝ったのだ。


「さぁ、どんどん行こうか。また私が、君が一体相手に戦えるよう数を減らす。

 目標は、私の助け無しでも一体は仕留められるようになる事だな」

「……頑張ります!」

「ハッハッハ、良い返事だ」


 きっと、出来るようになるまで繰り返す事になるだろう。

 補助ありとはいえ、死線を潜る数を想像して一瞬意識が遠のきそうだった。

 が、自分で望んで潜った地獄だ。マヒロは気合を入れ直した。

 そうして、迷宮の探索を続けながら、更に《見えざる恐怖》との交戦を重ねて……。


「……本当に、慣れれば何とかなるものなんですね」

「君の努力の成果だ、素直に誇って良いことだぞ。少年」


 幾度目かの、《見えざる恐怖》との遭遇。

 アリスが数を減らし、残る最後の一体とマヒロが戦う。

 何度も繰り返したことで、目に見えない『だけ』の敵を感じ取るコツも分かってきた。

 ほぼ振り回すだけの爪を弾き、回避し、隙を見つけては剣で斬りつける。

 これを繰り返せば、《見えざる恐怖》は気付けば息絶えていた。


「単純に慣れたのは間違いないだろうが、同時に魔力の適応も進んでいるはずだ。

 少年、身体の方はどんな感じかな?」

「そう、ですね。最初は少し気分も悪くて、動きづらかったですけど。

 今はむしろその逆で、手足は軽いし感覚も冴えてる気がします」

「『レベルが上がった』、なんて表現する者もいるがな」


 一部の冒険者たちが使うスラングだ。

 迷宮のより深い場所へと潜り、魔力の適応から能力的な成長を実感した時。

 ゲームになぞらえて、『レベルが上がった』と言うのだ。


「今の君は、間違いなく昨日までの君とは別人だ。

 おめでとう。君が『冒険者』と名乗って笑う者は、もうどこにもいないだろう」

「あ、ありがとう御座います。けど、全部アリスさんが助けてくれたおかげですから」

「うむ、私の助けがあってこそなのは間違いないな」


 笑う。堂々と胸を張りながら、アリスは応える。


「だが、それも君の努力と執念があってこそだ。

 この方法を他の者に行ったとして、上手く行くのは十人に一人いれば良い方だ」

「そう、なんですか?」

「あぁ。強者が不慣れな者を迷宮の深層に連れていき、補助をしながら育成を試みる。

 効率的に見えるが、成長するか否かは相手次第だからな。

 身の丈以上の危険に放り込まれて、心が折れてしまう者など珍しくない」


 いくら強者が助けてくれるからと言って、それは絶対の保証にはならない。

 一歩……いや、半歩でも誤れば自分が死ぬ。

 慣れた階層の見慣れた危険ではなく、それより遥かに大きな脅威に晒される状況。

 心が砕けてしまえば、前に進むことなど到底不可能だ。


「だから、上手く行ったのは全て君自身の強さが故だ。

 私も優秀な後輩の助けになれたのだから、実に誇らしいよ」

「あ、ありがとう御座います」

「ハハハハ、照れるな照れるな!」


 真っ直ぐ過ぎる賞賛に、マヒロはまた顔を赤くしてしまった。

 和やかに会話を続けながらも、二人の冒険者は決して警戒も怠らない。

 未だに伸びる通路は思った以上に複雑で、まるで蜘蛛の巣みたいに入り組んでいた。


「と、ここも新たな分岐か。やれやれ、全部見て回ろうと思ったら酷く手間だな」

「ですね……《レガリア》があるとしたら、やっぱり一番奥でしょうか?」

「あると仮定したなら、十中八九そうだろうな。

 一番重要な宝は、迷宮の一番深い場所にあると相場が決まっている」


 言葉を交わしつつ、マヒロはまた新たに見つけた罠の解除を試みる。

 床を踏むと、仕掛けが連動して起動するタイプのものだ。

 楔をしっかりと床の隙間に噛ませて、踏んでも沈み込まないように処置しておく。


「これでヨシ、と。行きましょうか」

「あぁ、他に誰が入り込んでいるかも分からんからな。急ぐとしよう」


 新たな分岐は、アリスの直感に従って突き進む。

 未知の迷宮の中で、《迷宮王》の勘より信じられるモノはそうないだろう。

 しかし、彼女は『他の誰か』と口にしたが。


「……今のところ、同業者には一度も遭遇していませんね」

「迷宮深度『六』かつ未探索の領域だからな。

 罠の数もそれなりに多いし、魔物はほぼ《見えざる恐怖》のみ。

 並大抵の冒険者では、二の足を踏んで奥まではなかなか入り込めないだろうな」


 実際、アリスが軽々と蹴散らしてしまうので錯覚してしまいそうになるが。

 《見えざる恐怖》は戦う数が増えれば、それだけで脅威度が跳ね上がっていく。

 マヒロも、あくまで『一体に集中すれば対処できる』程度だ。

 不可視の敵を何体も同時に相手をし、軽々と蹴散らす方がおかしいのだ。


「今のところ、《組合》の冒険者としては私たちが一番深くまで進んでいるだろう。

 だが、《アンダー》には私以外にも猛者はいるからな」

「それは、例えば?」

「名前を上げだしたらキリが無いぞ?

 《アンダー》で鎬を削る『列強』には、私に比肩する実力者も少なくはないんだ」


 『列強』。それは簡単に言えば、《アンダー》の迷宮内で力を持つ組織の総称だ。

 アリスが頂点に立つ冒険者たちの互助組織、《迷宮組合》も『列強』の一つだ。

 基本どこも複数の《レガリア》を有し、迷宮内に大きな版図を有している。

 マヒロが知る限り、『列強』の数は《組合》を含めて五つ。

 全てが敵対関係……というわけではないはずだが。


「……もし、他の『列強』の誰かと遭遇したとして。やっぱり戦闘になりますか?」

「そこは相手次第だな。ここは未知の危険が潜んでいる未探索領域だ。

 少なくとも、探索中は協力して事に当たるぐらいは出来る可能性が高い」

「万が一、《レガリア》が見つかった後は?」

「それはもう、全力の奪い合いになってしまうだろうな」


 アリスは気軽に笑うが、なかなかぞっとしない話だった。

 とはいえ、《レガリア》の確保は『列強』にとっては死活問題だ。

 《レガリア》が増えれば、それだけ迷宮内に安定化した領域を確保することができる。

 より多くの《資源》の確保に、安全な拠点の設置など。

 《アンダー》の迷宮で組織的に活動するなら、《レガリア》は絶対に必要なものだ。


「まぁ、まだ誰の影も踏んでいない状況だ。

 《レガリア》に至っては取らぬ狸のなんとやら。今は兎に角、先へ進む事を──」


 優先すべきだろう、と。言い切る前に、アリスの言葉が途切れた。

 ほぼ同時に、彼女の手は前を歩くマヒロの肩を掴んだ。

 有無を言わさぬ腕力で、アリスは少年の身体を自分の方へと引き寄せる。


「っ、アリスさ……!?」


 轟音。アリスが止めねば、マヒロが丁度歩いていたぐらいの位置。

 そこの壁が、いきなり凄まじい勢いで破裂したのだ。

 もうもうと立ち込める土煙の向こうに、『何か』が動いている。

 見た瞬間、マヒロは恐ろしい魔物がいきなり現れたのかと考えた。

 だが、そこにいたのは。


「……人……?」


 魔物ではない。少なくとも、その相手は見た目の上では『ほぼ』人間だった。

 胴体と四肢の全てに、幾重にも巻き付けた黒い革製と思しきベルト。

 鎧の類は身に付けておらず、服は丈の短いズボンと薄手のシャツ。

 すらりと長い手足に華奢な腰、女性である事を示す膨らみのある胸元。

 腰まで伸びた髪はとても艷やかで、こんな状況なのにマヒロは少しドキリとした。


 顔は……残念ながら、黒い鬼を模した面で隠れてしまっている。

 総じてやや洒落た格好をした高身長美人(推定)なのだが、異常が一つ。

 角だ。仮面の飾りではなく、額の斜め上辺りから生えた一対の黒角。

 明らかに、真っ当な人間の持つ特徴ではない。

 けれどマヒロは、『それ』が何であるのか、一応の知識は持っていた。


「まさか、《迷宮児ラビリンス・チャイルド》……?」

「……噂をすれば影、だったか? 言ってる傍から出くわすとはな」

「…………」


 視線を感じる。仮面の奥から覗く、冷たい輝きを宿した黒い瞳。

 それは一瞬だけマヒロを掠めて、すぐにアリスの方へと固定された。

 目が合うと、アリスは抱えていたマヒロを自分の足元に勢いよく放り投げた。

 転がる少年を跨ぎ、《迷宮王》は笑顔で鬼面の女の方へ足を向ける。


「久しぶりだな、くるい。《怪力乱神》は息災か?」


 問答無用だった。床を抉る脚力で、通路内を女は跳ぶ。

 壁を削りながら振り回すのは、無骨極まりない一本の大鎚だ。


「アリスさんっ!」

「下がっていろよ、少年! 絶対に巻き込まれないようにな!!」


 躊躇なく叩き込まれる大鎚と、アリスの大剣が真っ向から激突する。

 迷宮を揺るがす衝撃が、マヒロが上げた声を容易くかき消した。

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