第11話:見えざる恐怖


 暗闇に続く階段を、一歩ずつ踏み締めながら下っていく。

 緩い螺旋を描く様は、地の底に埋もれた塔を思わせる。

 漂う魔力はかなり濃い。当然だ、この場は迷宮深度にして『六』に相当する深層。

 低階層しか知らない冒険者であれば、数呼吸で体調を崩す濃度だ。

 数日前のマヒロなら、実際にそうなっていただろう。


「平気かね? 少年」

「はい、多少は気分が悪いですが……大丈夫です、このぐらいなら」

「結構。最初はゆっくりと、深く呼吸することを意識するんだ」


 先を行くアリスの助言を受け、その通りにする。

 焦らず、意識して呼吸を行う。魔力を含んだ大気が、肺を膨らませる。

 ……平気だ。問題ない。

 いきなり深度『六』の魔力に適応できた理由は、既にアリスから教えられていた。


 先日、転送罠でいきなり最深層に放り込まれた時。

 この場より濃い魔力をいきなり浴びた上に、無茶な魔法の発動を行ってしまった。

 それが原因で死ぬ寸前の状態になった後、アリスの《蘇生薬》で蘇った。

 その結果、大量の魔力を浴びた身体は急速に『馴染んだ』らしい。

 だからこそ、深度『六』の魔力下でも大した影響もなく活動できる。


「この辺りは探索済みだが、気を抜くなよ。

 《レガリア》による安定化も施されてないし、何が起こるかは私も分からん」

「はい、分かりました」

「良い返事だ。さぁ、お目当ての場所までもうすぐだぞ?」


 笑う。《迷宮王》は心底愉快そうに笑っていた。

 マヒロには笑うほどの余裕はなかったが、心臓の鼓動が早まるのは感じていた。


「本当に、あるんですかね。《レガリア》が」

「《組合》の依頼を受け、先行調査に向かった冒険者がもたらした情報だ。

 周辺の魔力を探知の魔法で調べた時に、それらしい反応があったという話だ。

 確定ではないが、もしそうだとしたら久々の発見になるな」


 最上級の《遺物》、迷宮を支配するための王たる器。

 アリス曰く、《迷宮組合》でも保有している数は十に届かないらしい。

 発生する魔物や不意に起こる構造変化など、それらを抑え込む力を持つ魔法具。

 人間が迷宮内で生きるには、絶対に必要となる代物だ。


「言うまでもないが、《遺物》の権利は基本的に発見者にある。

 もし今回の探索で《レガリア》を見つけたら、所有権は君のものだぞ。

 私は既に所持しているし、二本も一人で持っていても仕方がないからな」

「……夢のある話ですけど、俺が《レガリア》なんか持って大丈夫なんですか?」

「大丈夫かどうかで言えば、大丈夫ではないだろうか。

 同業者からは狙われるだろうし、同業者以外からもメチャクチャ狙われるぞ」

「生き残れる気がしない……!」


 夢のある話だが、先の無い話でもあった。

 身の丈に合わない宝を手に入れてしまった冒険者が、そのまま破滅する寓話。

 これもまた、迷宮では良くある事例に過ぎないのだ。


「まぁそれを言ったら、少年が持っていった例の花も大概ではあるがな」

「はい?」

「今朝も言ったが、アレはこれまで未発見だった新種の《資源》だ。

 一本でも相応に価値が高いし、横取りしようと考える輩が出ても不思議じゃない。

 少年が住んでるところのセキュリティは大丈夫か?」

「……《組合》が貸してくれる、冒険者向けの安いアパートですね」

「周りに同業者も多いとなると逆に危ない奴だな、それは」


 頭が痛くなってきた。今日はまだ良かったが、明日にも強盗に襲われるかもしれない。

 新種の《資源》が見つかったとなれば、噂はすぐに広まるだろう。

 その中に、『底辺冒険者が何故か見つけた』という話が混じる可能性は十分ある。


「……明日からどうしよう」

「ハハハハ、何なら私の家で面倒を見てやろうか?」

「ちょ、ちょっと考えさせて下さい」

「別に遠慮する必要はないぞ?

 私しか住んでいないし、そもそも私自身迷宮に潜ってばかりだからな」


 アリスしかいないとなると、ますます気にせざるを得ない。

 流石に彼女の家に転がり込むのはどうかと思うが、今後の身の振り方は考えねば。

 微妙に頭を悩ませている間も、下へ下へと階段は続き……。


「ここだ」


 たどり着いた。螺旋階段の終点には、一つの扉があった。

 扉を開けば、その先にはまた迷宮が続いているが、今回の目的はそちらではない。

 アリスは階段の裏側に周り、壁に触れる。

 何度か探ると、石に似た壁の一部が微かに出っ張っているのが分かる。


「少年、少し下がっていたまえ」

「分かりました。アリスさんも、気をつけて」

「ありがとう。だが、私なら大丈夫だ」


 力強い笑みをマヒロに向けてから、アリスは再び目の前の壁に集中する。

 『開け方』については、既に《組合》で情報を得ている。

 壁に何箇所かある小さな出っ張りを、一定の法則に基づいて順番に触れていく。

 情報の通りのそれを続けると。


「……おぉ」


 開いた。いや、消失したと言った方が正しいだろうか?

 兎に角、アリスが触れていた壁の一部が消え、そこには新たな入り口が開いていた。


「よし。暫く放っておくとまた閉じるらしいから、さっさと進もうか」

「しかしコレ、よく見つかりましたね……」

「たまたま気づいた冒険者が、適当に触っていたら偶然開いたらしい。

 迷宮探索ではあるあるな話だな」

「確かに、転送罠で最深層の未探索領域に飛ばされるよりかは、ありそうな話ですね……」

「君のアレは私からしても前代未聞だがね」


 ハッハッハと笑いつつ、アリスは迷宮の中へと入る。

 マヒロも、迷わずにその背中に続いた。

 先ず見えたのは、正面に伸びる石造りの通路。迷宮ではよくある風景だ。

 魔力の濃さは、体感ではさっきまでと大きくは変わらない。


「先行した冒険者が探索したのは、入り口周辺の浅い部分のみだ。

 罠の類は少ないが、魔物に襲われて撤退したらしい」

「どんな魔物ですか?」

「聞いたところによると、姿が見えなかったそうだ」

「……不可視の魔物」


 原理は不明だが、透明化して姿を見えなくするタイプの魔物は確かに存在する。

 いつ、どこから襲ってくるか分からない不可視の恐怖。

 故にその魔物は、《見えざる恐怖インビジブルテラー》の名で恐れられていた。

 並の冒険者であれば、その名を聞いただけで進むのを躊躇う相手だ。

 強さではなく、『目に見えない』という厄介性ゆえだ。

 しかし、《迷宮王》はその程度の脅威で足踏みなどしない。


「役割分担だ、少年。私は不可視の魔物に全力で警戒する。

 君は私の前に立って、通路に仕掛けられた罠に注意をしてくれ」

「……分かりました」

「なに、仮に引っかかったとしても、私がどうにかしてやる。

 だから少年は、己の役割を果たすことにだけ集中すれば良い」


 失敗しても何とかしてやるというのは、実に頼もしい言葉だった。

 しかし同時に、まだマヒロがアリスと同じ位置に立てていない証明でもあった。

 期待はされているが、信頼はされていない。

 焦ってはダメだ。焦ってはダメだが、確実に前へと進まなければ。


「強く願いたまえ。魔力は人の思いに反応する。

 君が『どうありたいか』を願うほど、迷宮は君を強くしてくれる。

 私がその実例だ。私は誰よりも強く未知を求め、誰よりも強く未踏の向こうを目指した。

 だから私は《迷宮王》と呼ばれるに至ったんだ」

「最強の冒険者が言うと、説得力が違いますね」

「そうだろう? では少年、探索を始めようか。

 事前に決めた通り、今回は魔法の使用はなるべく控えたまえ。

 君の魔法の暴発については、まだ詳しくは分かっていないからね」

「ええ、分かってます」


 頷く。『なるべく』だから、最悪の場合は自己判断で使って良いと。

 アリスの言葉を確認しながら、マヒロは前を向いた。

 見た目上は、単なる石造りの通路。けれど、どこにどんな罠が仕掛けられているのか。


 神経を集中させて、一歩踏み出す。怪しいところは見当たらない。

 二歩目を踏み出す。足元の感触に異常はないか、それが酷く気になる。

 三歩目、四歩目を踏み出したところで、後ろから軽く頭を叩かれた。


「っ……アリスさん?」

「気を張り過ぎだ。そんなことでは十歩も進まずバテてしまうぞ」


 苦笑いを浮かべ、アリスはもう一度マヒロの頭を指で小突いた。


「気を抜けという話ではない、もっと視野を広く保つんだ。

 落ち着いて全体を見渡し、『違和感』を探すんだ。

 根拠などなくても良い、少しでも『怪しい』と思ったらそこを疑え。

 人間の直感という奴は案外馬鹿にならないからね」

「……分かりました」

「落ち着いて、呼吸は深く。迷宮を満たす魔力を感じたまえ。

 最初はゆっくりで良い。前に進む事を諦めなければ、必ず道はあるんだ」


 アリスの言葉の一つ一つが、頭蓋の奥に染み込む。

 息を吸い、吐き出す。リズムを保ち、穏やかに。

 集中はしているが、さっきまでのように針のように細くはしない。


 もう少し緩めて、目に映る全体を遠くから見渡すように。

 一歩、また一歩と。前へ、前へ。特に違和感はない。

 今のところ脇道などはなく、通路は一本道で長く伸びている。

 そうやって進み続けていると。


「……待って下さい」

「ん。何か見つけたか?」

「はい。ありました」


 微かな違和感。感じ取ってすぐに、マヒロは『それ』を捉えていた。

 細い、目に見えるギリギリぐらいの細さのワイヤー。

 それが足を引っ掛けるぐらいの高さで、壁から壁へと繋がっている。

 古典的な罠だ。ワイヤーが切れると、連動して仕掛けが発動するタイプだろう。


「慣れた者でも意外と引っかかるのだよな、コレ」

「仕掛け自体は単純ですから、俺でも多分解除できると思います。

 少しだけ待っていて下さい」

「あぁ、大丈夫だ。焦らなくても良いぞ」


 ベルトのポーチから、罠解除用のツールを取り出す。

 見たところ、魔法的な仕組みではない。

 ワイヤーの接続部を確認し、罠が発動しないように止めてしまえば問題ない。

 作業に入ろうとするマヒロの背後で、アリスが大剣を抜く気配がした。


「こちらは大丈夫だから、君は作業に集中したまえ」


 瞬間、重く濡れた音が迷宮の通路に響き渡った。

 何が起こったのか、理解できずにマヒロの思考は停止する。


『ギャアアァアアア!!?』

「ハハハハハ! 足元の罠に気を逸して、自分たちは上から奇襲か!

 まったく古典的な手口だな!!」


 耳障りな獣の絶叫と、愉快そうに笑うアリスの声。

 その言葉で、やっとマヒロは事態を理解した。

 ワイヤーの仕掛けに、天井に張り付いていた不可視の魔物。

 両方を合わせての『罠』だったわけだ。


 背後では破滅的な音が続いていた。《見えざる恐怖》とアリスが戦っている。

 マヒロは振り向かなかった。振り向かず、仕掛けの解除に取り掛かる。

 思った通り、《組合》の斥候向け講習で習うような単純な作りだ。

 手元が震えないよう落ち着いて呼吸し、確実に工程を済ませていく。

 完了するまで、丁度一分ほど。


「……ふ」


 解除できた。ワイヤーを外しても、仕掛けは作動しない。

 ほぼ同時に後ろからカツンという足音が聞こえた。


「終わったかね?」

「はい、アリスさんの方も?」

「あぁ。奴ら三匹もいてな、見えないせいで少々手こずったよ」


 改めて、マヒロは後ろを振り向いた。

 そこに立っているアリスは、呼吸の一つも乱してはいなかった。

 見た目には傷一つなく、ただ時折鬱陶しそうに身体を擦ったりはしていた。


「どうしました?」

「血だよ、血。不可視の魔物は、返り血まで透明らしい」

「……まぁ、血が透明じゃなかったらおかしな事になりますしね」


 血管だけ赤く見える魔物の姿を想像し、マヒロは少し笑ってしまった。

 つられて、アリスの方も声を出して笑う。


「ともあれ、そちらも一仕事終えられたようで何よりだ」

「ええ。……けど、これ解除する必要ありましたかね?

 別に、見えているなら跨いでしまえば終わりですから……」

「と、思うだろう? 君は仕事を一つ終えたが、まだ完全じゃない。

 そら、よく見てみたまえ」


 促されて、マヒロはアリスが指差す先に目を凝らした。

 場所は今解除したばかりのワイヤーがある位置より、二歩ほど進んだ先。

 そこにもまた、薄くワイヤーが張られているのが見えてしまった。


「……これ」

「ワイヤーを跨いで安心したところで、もう一本。これも古典的な罠だな。

 視野は広く持ち、決して気は抜かないこと。迷宮は実に学ぶことが多いだろう?」

「すみません、見落としてしまって……」

「君は一つ失敗した。だがこの失敗に学べば、次は同じ失敗は犯さない。

 先ずは一歩前進だ。その事実を喜ぶと良いぞ、少年」


 笑うアリスに、マヒロは小さく頷いた。

 彼女の言う通り、失敗はしたがその失敗から学ぶことは出来た。

 焦らずに、先ずは一歩ずつ。

 自身に言い聞かせながら、マヒロは改めて二本目のワイヤー解除に取り掛かった。

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