第8話:仲間になりたい


「……本気で言っているのかね?」

「冗談でこんなこと言いませんよ」


 即答だった。アリスに表情に、また少し戸惑いが滲んだ。

 彼自身が言う通り、マヒロの言葉に偽りはない。

 感じるのはただ、真っ直ぐに向けられた強い意思のみ。

 どう応えるべきかと、即断即決が旨の《迷宮王》は珍しく迷っていた。


「私の話は聞いていただろう?」

「そうですね」

「憧れで私を追うと決めた者は、何人もいた。だがそういう者は……」

「憧れが無いわけじゃない。けど、それだけが理由じゃありません」


 思いとどまらせるべきだと、理性では結論が出ている。

 それが正しい。最も信頼していた仲間の言葉は、呪いではあるが真実だ。

 ──私に憧れて、私の背を目指した者はほとんどが死んだ。

 死なずとも、重い負傷や挫折によって脱落していった。

 目の前の少年は未熟で弱く、だからこそ未来がある。

 冒険者として大成しなかったとしても、それ以外の道は必ずあるのだ。

 だから、彼の願いは受け入れるべきではない。そのはずだ。


「……今の俺は、貴女みたいに自分の夢や望みは、ハッキリとは語れない。

 けど、貴女と冒険して、何かが分かりそうになったんです」

「随分と抽象的な話だな、少年」

「分かってます。だからこれは、憧れなんて純粋で綺麗な話じゃない。

 俺は何故、迷宮を潜ろうと思ったのか。

 何故、『偶然』でこんな場所に落ちたのか。

 知りたい。知りたいから、俺は貴女の近くにいたい。『追う』じゃダメだ。

 あくまで自分のために、貴女の仲間になりたいんだ」

「自分のため、か。なるほど、冒険者らしい実に利己的な理由だな」

「…………後は」


 マヒロなりに、自ら思ったことを『理由』という形で言葉にした。

 嘘はない。真実だ。その上でもう一つ。


「……貴女を、一人にしてはいけないと、そう思って」

「ハハッ! なんだ、私はもしかして口説かれているのかね?」

「口説っ……!? い、いや、決してそんなつもりは……!」

「そこは嘘でも、そのつもりだと言うのが筋だろう」


 赤い顔で慌てふためく少年に、アリスは楽しげに笑った。

 手を伸ばす。傍らに座るマヒロの頬に、軽く指先が触れた。

 未熟で弱い、冒険者と呼ぶにはまだ遠い。

 アリスは過去に、何度も彼のような者は目にしてきた。

 胸に夢と憧れを抱いて迷宮の闇に挑み、誰もが二度と帰っては来なかった。


『お前の背中を追いかけると、人が死ぬ』


 最も付き合いが長く、最も信頼していた友の言葉。

 分かっている、分かっているとも。お前の言うことは、いつだって正しかった。

 見る。まだ少し赤いままの顔に手を添えて、瞳の奥を覗き込んだ。


「……憧れではない、か」

「アリスさん……?」

「君の言葉は嬉しいよ、マヒロ少年。だが、簡単に決めて良い話でもあるまい」


 手を離す。それからアリスは立ち上がると、床に生えた花を手折った。


「一先ず、今回の冒険はここまでだ。

 幸い、ここの花は地上に持っていけば《資源》として価値もあるだろう。

 摘めるだけ摘んで、報酬として二人で山分けにしようか」

「……はい、分かりました」

「そんな露骨にがっかりした顔をするなよ、嬉しくなってしまうじゃないか」


 喉を鳴らし、少年の額を軽く指で突っつく。

 そうしてから、互いの吐息が感じられるぐらいに顔を寄せて。


「君が私の仲間になれるかどうかは、また後日改めて決めよう。

 予め断っておくが、私は優しい方ではないぞ? 死ぬ可能性だってある」

「……分かってます。今回だって、十分危なかったですから」

「ハハハハ、だが私が守ったから大丈夫だったろう?」

「はい、それは感謝しています」


 互いに笑って頷くと、アリスはマヒロから離れた。

 改めてその場に膝をついて、近くにある花を手早く何本も摘んでいく。

 マヒロもそれを真似て、慣れた手付きで花を摘み始めた。


「少年、回収した《資源》を換金するアテはあるかね?」

「? 普段は《組合》に持ち込んでますけど」

「……ふむ、そうか。そういうことなら、換金は私の方で行おう。

 後でスマホを見せてくれ。アプリ経由なら口座への入金も簡単だろう?」

「あ、そうですね。分かりました」


 冒険者用アプリを使えば、『報酬の山分け』も簡単な手続きで済ませられる。

 便利な時代になったものだと、花を摘みながらアリスはしみじみ頷いた。


「……よし、こんなものか。少年の方はどうだ?」

「これで良いですか?」

「うむ、お互いに持てるだけ持ったな。では、責任を持って私が預かろう」


 両手いっぱいに摘んだ青白い花。

 まるで花束のようなそれを、マヒロはアリスの方へと手渡した。

 ただ一輪だけ、マヒロは自分の手に花を残していた。


「あの、換金のアテはないですが、一本だけ持っていても良いですか?

 冒険に成功した記念に、持っておきたいというか……」

「うん? それは……まぁ、別に構わないが」


 僅かに考え込む仕草を見せてから、アリスは頷いた。

 冒険の記念となる物が欲しい、というのは理解できる。

 だから《迷宮王》は、嬉しそうに笑うマヒロに対してこの場では何も言わなかった。

 腰に下げた袋の口を開き、自分が摘んだ分も含めた花を全て押し込む。


「これでヨシ、と。もっと集めても良いが、欲張りすぎるのはダメだ。

 何事もほどほどが一番だからな」

「……アリスさんが言うと、あんまり説得力ないですよね。それ」

「む、そうか?」


 言われてみればそうかもしれない。

 迷宮探索に関しては、『ほどほど』などという言葉から一番遠い人間だ。

 思わず笑ってしまいながら、アリスは右手を目線の高さに持ち上げた。

 人差し指には、不可思議な紋様が刻まれた金色の指輪が嵌められている。

 その紋様──文字をなぞる形で、表面を指で触れる。

 すると、強い魔力が空間の一点に渦巻き始めた。


「っ、これは……?」

「言ったろう? 帰還用の《遺物》を持っていると」


 驚くマヒロの前に、白く光る『扉』のようなものが出現した。

 こういうものもある、と知識はあっても実物は初めてだ。

 アリスはマヒロの手を軽く握ると、『扉』の方へと促した。


「予め設定した場所への道を繋ぐ《遺物》だな。

 設定できる数には限りがあるし、一瞬でひとっ飛びというわけにはいかないが。

 それでも物理的に地上を目指すより、よほど早く辿り着けるぞ」

「便利ですね……」


 ワープに近い《遺物》は《組合》も所有している。

 深層近くを探索する冒険者は、それを利用して地上と迷宮を行き来しているとか。

 光る『扉』を潜ると、そこは白い空間だった。

 伸びている道は一本だけで、アリスはマヒロの手を引きながら進む。


「少年は転送罠でもとんでもない場所に飛ばされたからな。

 問題はないと思うが、念のためにな?」

「そ、そうですか」

「何だ、手を繋いで歩くのは照れ臭いか?」

「……少しだけ」

「ハハハハッ、素直で結構!」


 大笑いするアリスに、マヒロは少し困った風に笑った。

 何もない通路をしばらく歩くと、また目の前に『扉』が現れる。

 二人でそれを潜ると……。


「……ここは」

「見慣れた場所か?」


 頷く。マヒロが採集などでよく来る、低階層の一角だった。

 念のためスマホを取り出して、画面を確認する。電波は復活していた。

 同時に、通知音が連続して鳴り響く。

 メールの他、冒険者用アプリ経由のメッセージも大量に届いていた。

 見るまでもなく、マヒロへの安否確認なのは容易に想像できた。


「学校や、斎藤の奴からも……うわ、もう丸一日近く経ってたのか……」

「迷宮では時間感覚が乱れがちだからな。慣れてないと驚くだろう?」

「次からは気をつけます……ところでこれ、《組合》にはどう報告すべきですか?」

「うん? 別にありのままを伝えれば良いのではないか?」

「……信じて貰えるかな」


 低階層で転送罠を踏み、何故か誰もたどり着いてない未探索の深層にまで飛ばされて。

 そこでたまたま《迷宮王》と出会い、助けてもらったとか。

 挙げ句に完全未踏領域を突破しました、なんて与太話にも限度がある。

 悩む少年に、当の《迷宮王》は愉快そうに喉を鳴らす。


「ハッハッハ、安心したまえよ。私の方からも《組合》には言っておく。

 あぁ、ついでにこっちも済ませてしまおうか」


 言って、アリスも袋の中からスマホを取り出した。

 冒険者用アプリを起動すると、マヒロの持っているスマホに近づける。


「口座への振り込みと、後は連絡も出来た方が良かろう。

 互いに仲間登録をするが、問題はないな?」

「そ、それは勿論」


 頷き、マヒロもスマホの画面上でアプリを操作する。

 すぐに『アリス』の名で仲間登録の通知が来たので、迷わず承認した。

 これでやろうと思えば、いつでも彼女に連絡することができる。

 ほんの少し前は低階層を這っているだけの自分が、最強の冒険者である《迷宮王》と。

 今更ながら夢か何かと思ってしまいそうだが、紛れもない現実だ。


「さて、ここで一旦お別れだな、少年。私は少々、済ませておきたい用事がある」


 アリスはそう言いながら、腰に下げた皮袋を叩いてみせた。

 下で採取した花──《資源》の換金だろう。

 どうやらアレは、《組合》で普通に取り扱っているモノとは違うらしい。

 一輪だけ持った花を、マヒロはツナギの胸ポケットに大事にしまっていた。


「報酬は明日までには振り込んでおこう。後日確認しておいてくれ。

 今日は疲れただろうから、ゆっくり身体を休めると良い」

「分かりました。……その、アリスさん」

「うん?」

「本当に色々と、ありがとう御座いました」


 命を助けられた事も含めて、マヒロはアリスに対して礼をする。

 真っ直ぐに向けられる感謝は、《迷宮王》にとっては久しく貰った事がないものだった。


「下でも言ったが、礼を言うのは私の方だよ。マヒロ少年。

 君のおかげで未探索領域を越えられたし、久々に一人でない冒険も楽しめた。

 ……だから、本当に期待してるんだよ。

 私の仲間になりたいと、そう言った君の言葉をね」


 それもまた、偽りのない本心からの言葉だった。

 囁くように告げてから、アリスはマヒロの頬を撫でた。

 名残惜しむようにゆっくりと指を離して、それから踵を返す。

 《遺物》──《彼方の指輪》をなぞり、移動するための『扉』を開いた。


「必ず連絡する。また会おう、少年」

「は、はい。また……また、明日」

「あぁ、また明日」


 最後にもう一度微笑んでから、アリスは白い『扉』の向こうへ消えた。

 低階層の片隅に、静寂が戻る。周りに魔物の気配は無い。

 だからマヒロは無防備に、大きく息を吐き出して脱力した。


「…………ホント、何を言ってるんだ。俺」


 《迷宮王》に、最強の冒険者相手に『仲間にして欲しい』なんて。

 冷静に考えれば、身のほど知らずも良いところだ。

 馬鹿の戯言どころの騒ぎではない。他人事なら完全に世迷い言だ。

 けど、言ったのは自分だ。本気で、本心で。

 アリスはそれに、『期待している』と答えてくれた。

 ならばもう、引き返せない。自ら決めた事なのだから、当然の話だ。


「……ヨシ」


 体温の残った頬を、少し強めに引っぱたく。

 彼女は、必ず連絡すると言った。自分は、また明日と応えた。

 この瞬間からもう、今までの日常とは違う世界だ。


「やるしかない。覚悟を決めろよ」


 迷宮の深層に、自分が何を求めているのか。

 この『不運』や不可解な魔法の暴発に、何かしら意味があるのか。

 そして──彼女を、《迷宮王》アリスを、これ以上一人のままにしておけない。

 望んで手を伸ばしたもののために、全力を尽くさなければ。


「……その前に、やることはやらないとな」


 斎藤に事情を伝えたり、《組合》への説明やその他諸々。

 正直に言って、これも面倒だが仕方ない。

 見慣れた低階層の通路を歩き、《組合》へ繋がる『扉』を目指した。

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