第7話:乗り越えた先で


 一歩、二歩、三歩。慎重だが大胆に進む。

 アリスはマヒロを半ば抱えたまま、未踏の神殿の奥を目指す。

 十二体の神像は沈黙している。不敬が無いのなら、罰が下る道理も無い。


「ハハハハ! この調子ならば問題あるまい!!」

「そう、ですね……!」


 順調だ。実に順調だった。マヒロも、何事もなく上手く行くと考えるほどに。

 そう、問題はなかった。祭壇の前にたどり着くまでは。

 最後のタイルの空白部分を踏み締めて、とうとう二人はその場に至る。

 神殿の最奥に位置する、何を祀っていたかも知れぬ大きな祭壇。

 似姿が傷付いたタイルは、最終的にこの場所に繋がるよう配置されていた。

 つまり先へ進むには、この祭壇で何かを──。


「……で、ここからどうすれば良いと思う?」

「…………」


 アリスの問いに、マヒロは言葉を詰まらせた。

 何をすれば良いのか。答えそのものは実に明白だった。

 祭壇の前でやる事と言えば、祈りを捧げる事だ。

 恐らくは、この祭壇に祈ることで最終的に道が開く仕掛けになっているのだろう。

 二人の冒険者はどちらも同じ想像をし、どちらも同じ問題に気付いていた。

 ──祈るにしても、どう祈れば良い?

 分からない。

 あるいは、この霊廟のどこかに正しい祈り方が残されていたかもしれない。

 しかし解読出来なければ意味はないし、この状況ではそもそも調べようが無いのだ。


「これは……見られて、ますよね」


 乾いた喉から、呻くような声が漏れた。マヒロは視線を巡らせる。

 見られている。十二体の、神殿内を取り囲む形で佇む神々の像。

 祭壇の前に立った事で、像の意思めいたモノがより強まったようにも思えた。

 まだ罰は下されていない。だが、祭壇の前で祈らぬ事もまた不敬に当たるだろう。


 手を合わせて祈れば良いのか、跪いて祈れば良いのか。

 『祈り』と単純に言っても、祈る神が違えばその内容はガラリと変わる。

 手詰まりだった。どれだけ思考を回したところで、正しい答えは見つからない。


「仕方あるまいな。少年、出来れば祈ってくれたまえ」

「……祈るって、何にですか?」

「神への祈り方が分からん以上、互いの『悪運』にかな」


 顔色を青褪めさせたマヒロとは対照的に、アリスは笑っていた。

 だがその笑みが、半ば以上ヤケクソな表情である事は一目で分かった。

 彼女が何をする気なのか。考えるより先に、マヒロを抱える腕が力を増した。


「さぁ、イチかバチかだ。もし死んでも、笑って許してくれ」

「ホントに無茶苦茶言いますね……!?」

「ハッハッハッハ! これもまた冒険の醍醐味という奴だな!!」


 笑う。最早神への敬意など欠片もなく、《迷宮王》は傲慢に苦境を笑い飛ばす。

 そこから起きた出来事は、時間にすれば数秒ほど。

 しかし渦中にいたマヒロにとっては、それこそ永遠にも等しい刹那だった。

 先ずアリスは、右手に構えた大剣を何の躊躇いもなく祭壇に向けて振り下ろした。

 神像と同じく材質は不明だが、容易く壊れるモノには見えない。

 だが、王剣ヴォーパルの一撃は轟音と共に祭壇を半壊させた。


「来るぞ、舌を噛むなよ!!」


 極大の涜神行為を働いたアリスの警告。

 怒りの気配が神殿内を満たし、最上級の罰を下すために十二体の神像が動き出す。

 開かれたまなこから、同時に放たれる『神罰』の光。

 片手が塞がった状態では、剣一本で防ぎ切るのは不可能。


 故にアリスは、神の似姿を強く踏みつけて、壊れかけの祭壇へ向けて走った。

 衝撃。閃光。すぐ背後で破裂する光に、マヒロは死を覚悟した。

 熱風が荒れ狂う中でも、アリスの動きは一切ブレない。


「はああああぁぁぁッ!!」


 気合いを叫び、祭壇に刻まれた亀裂へと二太刀目を重ねた。

 砕ける。砕け散る。強固に作られ、保護の魔法も施されていた祭壇が。

 大小の破片が散らばる向こうに、見えるのは一つの扉。

 巨人サイズではなく、人間が通れる程度の大きさだ。


「アレが……!」

「ぶち破る!!」


 神の罰は終わっていない。狼藉を働いた罪人に、再び光の裁きが下される。

 だが《迷宮王》の動きは、神々の怒りよりも早かった。

 露わになった扉を剣で切り裂き、間髪入れずに蹴りを叩き込む。


 呆気なく壊され開かれた出口へと、アリスは全力で身を投げ出した。

 先ほどに倍する光と衝撃。肌を焦がす勢いで熱風が吹き荒れ、床の上を転がる。

 さらなる裁きは──来ない。神殿を抜け出した事で、神像の目が届かなくなったからか。


「は……ぁ」


 息を吐き出す。その上で、アリスは新たに飛び込んだ先の様子を素早く確認した。

 小さな部屋……というよりは、階段前の踊り場のような場所だった。

 突破したばかりの神殿とは異なり、人工的な装飾の類はない。


 あるのは下へと伸びる階段と──床一面に咲いた、淡い光を放つ大小無数の青白い花。

 それは区切られた、小さな庭園のようだった。

 感じる魔力の密度は薄く、アリスは安堵と共に呟いた。


安全地帯セーフゾーンか……なら、やはりこの先は新たな層か。

 ハハハ。最後は派手になってしまったが、無事に難所を突破できたぞ。少年」

「…………」

「……うん? 少年?」


 返事がない。まさか死んだかと、視線をと向ける。

 全く意識していなかったが、今のアリスは床にうつ伏せになっている状態だ。

 そして片手に抱えていたマヒロは、自然とその下側に。

 軽く……どころか、完全に押し潰してしまっている体勢だった。

 加えて、アリスの装備は甲冑だ。気付いたら、慌てて身を起こす。


「おい、大丈夫か少年っ? いや、本当に悪かった!」

「……だ、大丈夫……です……一応……」

「そうか、良かった。いやぁ、爆発の巻き添えで死なせたなら仕方ないが。

 流石に偶発的なボディプレスで殺してしまっては、幾ら私でも気に病んでしまう」


 もう《蘇生薬》の手持ちも無いし、本当に良かったとアリスは笑った。

 多少ツッコミたい事はあったが、マヒロはぐっと呑み込んだ。

 どうあれ、無事に生還できたのは事実なのだから。


「ありがとう御座いました、アリスさん」

「アリス、と呼び捨てでも構わんのだぞ。マヒロ少年。

 ……それよりも、見てみたまえよ」


 言いながら、示されたのは破壊された扉の跡。

 向こう側に見えるのは、今は神像も沈黙した神殿の姿だ。

 罰が襲ってくる気配はない。それが意味するところは──。


「完全未踏領域を越えた。

 私たちがいる場所が、冒険者の……いや、人類の最前線だ」

「俺たちの、いるところが……」

「そうだ、そうだとも。ハハハハ、素晴らしいな! 迷宮にはまだまだ先がある!

 だが今は、この瞬間だけはここが迷宮の最深層だ!

 私と、君の手と足でたどり着いた成果だ! 誇りたまえ、笑いたまえよ!」

「……はは。そっか、本当に、俺たちが」

「あぁ、紛れもなく私たちが成し遂げたのだ! 前人未到の偉業をな!」


 謎めく《アンダー》は広大で、本当の底がどこにあるのかは分からない。

 それでも『たどり着いた』という事実は、どうしようもなく胸の奥を熱くさせた。


「何だ、喜び方が随分控えめではないか。少年。こういう時は、こうするものだぞ!」

「わっ……!?」

「ハハハハ、遠慮はするな!」


 笑う。大いに笑いながら、アリスはマヒロを勢い良く抱き締めた。

 力強く、遠慮はないが優しさを感じる抱擁だった。

 気恥ずかしさはあるにはあったが、それ以上の喜びがあった。

 だからマヒロも笑い、素直にアリスの感情に応えた。


「ふー……君は私に礼を言ったがな、少年。むしろ礼を言うのは私の方だろう。

 君のおかげで、一人でウンウン唸っていただけの罠を踏破することが出来た。

 実に素晴らしい働きだったよ」


 ひとしきり感動してから、少し落ち着いた様子でアリスは言った。

 抱擁は解かれても、身体にはまだ微かに熱が残っている。


「いや、別にそう大したことでは……正直、単なる思いつきでしたし」

「冒険者に限らんが、そういう閃きは大事だ。

 恥ずかしい話ではあるが、私なんて神への礼儀など考えもしなかったからな」


 苦笑いと共に、《迷宮王》はため息を一つ漏らした。


「この迷宮世界には、数多の神が物理的な形で存在している。

 単なる歳経ただけの魔物から、本当に強大な力を振るう超常存在まで。

 実に幅広いが、基本的にどれも『ろくでもない』ものばかりだ。

 何度か関わって散々な目に遭っているせいで、信心などすっかり忘れていたよ」

「……なるほど」


 迷宮世界の神。これについても、マヒロは決して詳しく知っているわけではない。

 ただアリスが言う通り、『神』を名乗る何かが多く存在するのは事実だ。

 中には人間の精神に接触し、加護や奇跡を与えるモノもいるというが……。


「ともあれ、二人ともに無事で突破できたのは喜ばしい。

 この場は魔力が薄い安全地帯だ。ここで一息入れるとしようか」

「そうですね。大体アリス……さんに任せきりでしたが、随分と疲れました」

「ハハハ、年上を呼び捨てするのは気恥ずかしいか?」


 楽しげに喉を鳴らすアリスに、マヒロは少しだけ赤面した。

 傍らの床をポンっと叩かれるのを見て、恥じらう少年は躊躇いがちに腰を下ろす。


「改めて感謝するよ、少年。それと今更過ぎるが謝罪を。

 私の無茶に付き合わせてしまって、すまなかった」

「……確かに、何度も死ぬのを覚悟するぐらいには無茶苦茶でしたけど。

 けど、付き合うと決めたのは自分の判断ですから。謝罪の方はいりませんよ」

「死にかけておいてそう言えるとは、やはり君も冒険者だな」


 《迷宮王》の言葉は真っ直ぐで、偽りや飾り気は存在しない。

 例えどれほど能力に差がある相手でも、我がことのように認めてくれる。

 眩しいと、マヒロは素直に感じていた。

 低階層の薄暗い闇に慣れた彼にとって、アリスの光は本当に鮮烈だった。


「さて……少し休んだら、戻るとしようか。私は帰還用の《遺物》も所持している。

 地上まで戻るには多少面倒な手順が必要だが、心配しなくて良い。

 必ず安全に送り届けると、私の名にかけて保証しよう」


 地上へと戻る。それは当たり前の話だった。

 マヒロがこの場にいるのも、『偶然』に起こった不幸な事故による結果だ。

 そもそも、《アンダー》の深層は自分のいるべき場所ではない。

 本当に、当たり前の話だ。


「……貴女は、アリスさんはどうするんですか?」

「うん? そうだな、君を地上へ送ったら、また探索を再開するさ」

「それは、一人で?」

「あぁ」


 単独での迷宮探索は、別に珍しい事ではない。

 だが低階層での採集など、あくまで一定の安全が保証された場合のみだ。

 危険な未踏領域を一人で探索するなど、物好きか狂人、あるいは自殺志願者の行為だ。

 アリスは《迷宮王》。《迷宮組合》を創始した伝説の冒険者のはず。

 冒険者の規範たるべき彼女が、何故そんな常識外れな行いをしているのか。


「……そんなに不思議かな? 私が、たった一人で迷宮探索をしている事が」

「それは──はい」

「素直で宜しい。実を言うと、誰かと一緒に冒険すること自体が随分久々なんだ。

 先ほどの霊廟だけでも、単独で潜り続けて一ヶ月近くは経つかな」

「一ヶ月……」


 迷宮探索の最前線にいる冒険者であれば、それほど長期間潜ることもある。

 だが、それはあくまで五人以上の集団チームでの活動が前提だ。

 単独で一ヶ月、帰還無しで潜り続けるのは異常だ。


「私は一応、《迷宮組合》の長という事になっている。

 だが、私が《組合》で具体的に何をしているのか、聞いた事はあるかね?」

「……無い、ですね。未探索領域のルートを新たに開拓した、とか。

 そういう『冒険者としての業績』は、噂として良く聞きますけど……」

「だろうな。私は今も昔も冒険者だし、これからもずっと冒険者だ。

 《組合》は昔の仲間と協力して設立したが、私はあくまでお飾りなんだ。

 それなりには有名だったし、《迷宮王》の名前で人を集めるのが一番の理由だな」


 仲間という単語を口にした時、アリスは少しだけ目を細めた。

 そこに微かな寂しさを見たのは、きっと気のせいではないはずだ。


「アリスさんにも、仲間はいるんですよね」

「いた、と言った方が正解だろうな。あぁ、私にも仲間はいた。

 共に《アンダー》の闇に挑み、未踏の迷宮を探索した頼もしい仲間たちだ。

 昔の私は一人ではなかった。《組合》を作ったばかりの頃もそうだ。

 同じ苦楽を過ごした古馴染みに、私を慕って冒険者を志してくれた後輩たち。

 充実していたよ。問題は山程あったし、迷宮には敵も多くいた。

 それでも私は迷宮に挑み続けた。それこそが私の人生の全てだったからね」


 一息。見えない星を探すように、天井を見上げる。

 アリスの目に映っているのは、戻らない過去の光か。


「……けど、だんだんと、私の周りからは人がいなくなっていった。

 《組合》が大きくなると、運営に携わっていた仲間はそちらで忙しくなってしまった。

 迷宮は常に危険で満ち溢れている。命を落とした者も少なくなかった。

 一人、また一人。私は気付かなかった──いや、気にしなかった。

 進むほどに、まだ見知らぬ場所が見つかる。解き明かされていない未知が発見される。

 楽しかった。楽しくて、楽しくて、私は立ち止まりも振り返りもしなかった。

 だから……気が付いたのは、本当に誰もいなくなった瞬間になってからだ」

「…………」

「笑ってくれて良いよ、マヒロ少年。王などと呼ばれた者の現在が、この私だ。

 ……私は別に、自分が間違っていたなんてこれっぽっちも思っていないけどね。

 それでも、一番付き合いの長い仲間に言われた言葉は、なかなか堪えたよ」

「なんて、言われたんですか?」

「『お前の背中を追いかけると、人が死ぬんだ』」


 それは、《迷宮王》の背に深く刺さった言葉の刃だった。

 誰もいなくなって、孤独になったとしても、迷宮を探索する足を止めない。

 だから彼女はたった一人、今もこの深層にいるのだ。


「……と、すまない。つまらない話を聞かせてしまったな。

 人と話すのも久々だったせいか、ついつい余計なことも口にしてしまったようだ。

 出来れば忘れてくれよ、マヒロ少年。女の恥という奴だ」


 微笑むアリスを見て、胸の内から湧き出た感情が何であるのか。

 同情ではない。あえて言葉にするのなら、それは『怒り』に近かったかもしれない。

 正体の分からない衝動は理性を抑え、マヒロの口を動かしていた。


「アリスさん。俺を、貴女の仲間にしてくれませんか?」

「…………なんだって?」


 直前までは、言った本人も考えもしていなかった言葉だ。

 アリスもまた、驚きのあまり呆けた顔をしてしまった。


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