第6話:神殿の謎を解け
「アリスさんっ!?」
「大事無い! それより、少年の方は無事か!」
「お、俺の方は平気ですけど……!」
熱を伴う余波を浴びて、マヒロは思わず顔をしかめた。
仮に受けたのが自分であれば、確実に即死していただろう熱量。
そんなものが直撃したにも関わらず、返ってきたアリスの声は平然としていた。
爆発で起こった煙が薄まれば、そこには剣を構えた《迷宮王》の姿があった。
「まったく、扉を開ける度にこれなのだから実に鬱陶しい……!」
「……その、本当に大丈夫なんですか……?」
「初見の時は流石にヤバかったが、もう何度も食らっているからな。
タイミングが分かれば、防御ぐらいは間に合う」
ちょっと何を言っているか分からないが、実際にアリスは無傷──いや。
完全に無傷ではない。剣を持つ右腕が、軽くだが焼け焦げていた。
けれど苦痛の様子は見せず、半端だった扉を今度こそ完全に押し開く。
果たして、その先に広がっているのは。
「……なんですか、これは?」
「この霊廟の、最後の試練という奴だな」
広さに関しては、マヒロが最初に飛ばされた空間と恐らく大きな差はない。
先ず目につくのは、壁際に並んで空間を囲う形で配置された像。
これまで彫刻として何度も見てきたものと同じ、何かの神を模したものだろう。
それらが数えて十二体、サイズは単眼巨人にも負けない巨大さだ。
美しく傷一つないその姿は、まさに神そのものを表しているようだった。
マヒロたちが立つ扉とは、丁度真反対の位置。
神像に比べれば小振りだが、それでも十分に大きい祭壇らしきものが見えた。
他に注目すべきは、床に刻まれた彫刻か。
正方形のタイルに区切られたそれは、やはり一つ一つに神の像が掘られている。
しかしこちらは神像とは異なり、傷が目立つタイルが幾つか存在した。
一通り見回したマヒロの頭の中には、神殿、という言葉が自然と浮かんでいた。
「この部屋に魔物はいない。が、それより遥かに面倒な仕掛けがある」
「……貴女が突破できないぐらいに、ですか?」
「無理やり抜けようと思えば、出来るかもしれないがな」
流石に死ぬ可能性があるのでやってないが、と冗談めかして笑うアリス。
聞いてる側としてはまったく冗談ではない。
《迷宮王》ですら死を意識する危険地帯に、今まさに立ち入ろうとしているのだ。
「詳しい事を話そう。先ずこの部屋の罠だが、さっきの光は見ただろう?」
「はい。正直、アリスさん死んだかと思いましたよ……」
「アレは『神罰』だ。発生源はあのクソ忌々しい立像どもだ」
本当に忌々しそうに言いながら、アリスは並ぶ十二体の巨像を指さした。
見たところ、白い大理石に似た素材で作られたモノのようだ。
像はただの像であり、単なる無機物のはず。
にも関わらず、マヒロは神像を見た瞬間に『目が合った』ような気がしたのだ。
「あれ……こっちを見てる……?」
「良い感覚だな。そうだ、あの神像どもは私たちを見ている。
許可なく神殿に入り込もうとする者に、先ずは『神罰』一発というわけだ。
幸いと言うべきか、一つの罪に対して罰は一発のみらしい」
「なるほど……」
先ほどの光が連発されていたら、アリスは兎も角マヒロは余波だけで死にかねない。
一先ず、扉を開放しただけではこれ以上の『神罰』は来ないのは分かった。
なら、この次は?
「扉を開けて一発。次からは、神殿内で一歩踏み出す毎に一発来る」
「……一歩踏み出すごとに?」
「あぁ。同じ威力の奴が、周りの神像からバシバシ飛んでくる。
ただ闇雲に進むだけでは、流石の私も十歩が限界だったな」
ハハハと笑うが、今度こそ本気で冗談ではない。
「まぁそうビビるなよ少年。それより、何か気づくか?」
「はい?」
「今の私の話と、この場所を実際に目にして。何か気付く事はあるか?」
「……気づくこと」
問われて、マヒロは改めて神殿に目を向けた。
十二体の神の像に、床のタイルに刻まれた同じく神の彫刻。
目指すべき場所は恐らく一番奥の祭壇だ。進むだけなら簡単にたどり着ける。
しかし一歩入れば、神の像が不届き者に『罰』を下す。
罠だ。しかしこの罠には、恐らく解法があるはずだ。
「多分……リドルの類、ですよね。床のタイルに掘られてる彫刻が関係してる?」
「そうだ、その通りだ。
冒険者であるなら、それぐらいは一目で理解しなければな」
リドル。迷宮が侵入者に向けて仕掛ける謎かけ。
別に珍しいものではない。迷宮を探索していると、この手の罠は良く見かける。
正しく解ければ切り抜けられ、誤れば死を伴う危険が降り注ぐ。
重要なのは、如何にして『正しい答え』を導き出すかだ。
「マヒロ少年の見立て通り、重要なのは床のタイルだ。
私もそれには気付いたし、タイルの彫刻が十二体の神像に対応してるのも分かった。
恐らく、『神罰』を受けずに済む正しい順序があるはずだ。
正しい順序に従ってタイルを踏めば、あの祭壇まで辿り着けると私は考えた」
「なるほど……」
「が、そもそも『正しい順序』を導き出すための情報がない。
この霊廟内のあちこちにそれらしい文書は見つけたが、残念ながら読めなかった」
「つまり、実質ノーヒントな状態ですか」
「あぁ。ならば総当たりでと考えて、実際に試しもした。
しかしまぁ、どう頑張っても三歩も進めば『神罰』が飛んできてな。
私もほとほと困っているというわけだよ」
概ね、アリスの置かれている状況に関しては理解できた。
問題は、そんな危険地帯にマヒロを連れてきた意味だ。
「正しい解法は分からない。総当たりは……試しはしたが、正直ダメだろう。
ならばもう、ここは『運任せ』に頼る他あるまい?」
「……俺は運が悪いって、言いましたよね?」
「それがただの不運なのか、あるいは『何か』にもたらされた悪運なのか。
私は後者に賭けよう。酷い不幸に見舞われながらも、お前はギリギリで死ななかった。
ならばこの状況、私の手で恐るべき迷宮の難所に連れ込まれたこの事態。
とんでもない不幸の中でも、マヒロ少年なら死なずに切り抜けられるのではないか?」
「あの、無茶苦茶なこと言ってる自覚ありますか……!
それって要するに、俺をお守り代わりに突っ込もうって話ですよね……!?」
「ハッハッハ、命を救った恩義に報いると思って諦めたまえ!
大丈夫だ、少年の身は私が守ってやる。
だから少年は、己の悪運に任せて進むべき道を選んでくれれば良い。
神が見張っている場で運任せというのも、なかなか洒落が効いてるだろう?」
「本当に無茶苦茶だ……」
とはいえ、やれる事をやるしかない。
アリスは本気のようだし、逃げようにもマヒロの自力で迷宮深層からは抜け出せない。
前へ進む。だが、本当に『運任せ』でどうにかなるのか?
《迷宮王》とまで呼ばれた冒険者の天運と、自分にあるらしい悪運。
比べて後者を信じられるほど、マヒロは豪胆でも自信家でもなかった。
「参考までに、無事に辿り着けた三歩目までは教えて貰えますか?」
「ん? あぁ……いや、そうだな。実際に試した方が早いか」
言ってから、アリスは軽い足取りで扉の境を越えた。
神殿の内側へと入り、タイルを踏みしめた──その瞬間。
「ッ!?」
『神罰』が下った。巨像の一つが、その目から閃光を放ったのだ。
驚くマヒロの前に、光を防いだアリスが慌てて戻ってきた。
「と、見ての通りだ」
「どういうことですか? 今の……」
「言ったろう? 総当りは試したが、どう頑張っても三歩までしか行けんと。
一歩ずつ安全なタイルを探して、時間は掛かるが正解のルートが導き出せると思った。
が、さっきは大丈夫だったはずのタイルが、次に踏んだら何故か罰が飛んできた。
これの繰り返しで、総当たりも駄目ではないかと判断したわけだ」
「だから、運任せと……」
マヒロは納得し、次に理解の遅い自分を恥じた。
試せる事は全て試した上で、アリスは『運任せ』という結論しか残らなかったのだ。
難しい顔をする少年に、《迷宮王》は子供のように笑ってみせた。
「気負うな、気負うな。こんなもの、神社のくじ引きみたいなものだ。
確かに期待はしているが、それをマヒロ少年が重く受け止める必要はないぞ」
「……分かりました」
頷く。どうあれ、先ずは一歩目を踏み出さなければ。
問題は、どのタイルを見ても嫌な感じがするということだ。
迂闊に踏めば神罰が下る。正しい解法があるはずだが、何も分からない。
……いや、本当に何も分からないのか?
アリスは試せる事は試しただろうが、彼女に何の見落としもなかったと?
観察する。見えるものは変わらない。
神像、祭壇、床のタイルは、少々傷が目立つ。
……傷が目立つ? 神像の方は、傷一つなく美しい姿なのに?
床のタイルをもっと良く確認する。傷があるが、法則性はないように思えた。
ただ、気になるのは……。
「神の似姿が傷付いていないタイルと、傷付いているタイルがある。
あぁ、そこは私も気付いたぞ」
タイルをじっと観察するマヒロに、アリスは変わらず笑ったまま言った。
「完全な神の姿を模していない、似姿に傷付いたタイルなら踏んでも良いのではないか。
これも試したが、良い時もあれば駄目な時もあった。
結局、総当たりの時と結果は同じだった」
「…………」
話を聞きながら、マヒロは思考する。考え方は間違っていない気がしたのだ。
ここは神殿で、神を冒涜する者に神像たちは罰を下す。
神の似姿が刻まれたタイルを踏むなんて、これほど罰当たりな事はない。
床の上を飛ぶ、という方法は聞くまでもなくアリスは既に試しているはずだ。
神々の目が届く中で、人が地を離れることも恐らく不敬だ。
涜神を行わず、神殿の奥にまで進む方法。神々が住まう場所での作法。
……閃くことがあった。つい先ほど、アリスが口にした言葉。
もしそうだとしたら──。
「? どうした、マヒロ少年?」
「……行きます」
黙って考え込んでいたマヒロが、顔を上げた。
様子の違いを察して首を傾げるアリスの前で、躊躇いなく前に出た。
踏み込む。神殿に、神の似姿が刻まれた床に足が触れた。
アリスは瞬時に守れるよう構えていたが──何も、起こらない。
神像は罰を下すことなく、ただ沈黙していた。
「おぉ……素晴らしい、流石だな少年! 私が見込んだ通り……」
「作法です」
「……なに? 作法?」
「神社とかと、同じですよ。
ここは神々の場所だから、人間が入るには作法を守る必要があったんだ」
完全に賭けだったが、どうやら予想は正しかったようだ。
早鐘を打つ胸元を抑えながら、マヒロは自分の足元を見た。
踏んだタイルは、神の似姿に傷があるもの。
その上で、マヒロの足が置かれているのはタイルの空白部分。
傷付いた神の似姿には、まったく触れていなかった。
「さっき、アリスさんが言った『くじ引き』で、思い付いたんです。
神社にも、お参りするには作法がある。
ここも神殿なら、神様を怒らせないための作法があるんじゃないか、って」
神社ならば、『神様の通り道である、鳥居の真ん中を通ってはならない』など。
それに近い決まり事が、この場所にでもあるのではないか。
アリスの予想も、似姿が傷付いたタイルだけ踏んでも良いまでは正しかった。
加えて、傷付いていても神の上に人間が足を置いてはならない。
ここまでやって、やっと『正しい作法』だったのだ。
「これと同じ事をすれば……多分、進めると、思います」
「…………」
「……アリスさん?」
「……作法、作法か。ハハハ、気付いてしまえば何と単純なことか」
笑う。アリスは笑っていた。
己の視野の狭さを笑い、それ以上の喜びで《迷宮王》は大笑した。
「未知は晴れた、道は開けた! やはりお前の悪運は本物だな、少年!
死に瀕するほどの苦境に落ちたからこそ、冒険者として花開けたのだから!」
アリスもまた踏み出す。
タイルはそれなりに大きく、ギリギリ二人分の空白はあった。
しっかりと足を置き、左手を伸ばす。
有無を言わさぬ力強さで、そのままマヒロの腰辺りを抱き寄せた。
いきなりゼロになった距離に、少年の心臓は強く跳ねる。
「ちょ、アリスさん……!?」
「まだまだ何が起こるか分からんからな、この方がいざという時に守りやすい」
マヒロの反応は特に気にせずに、アリスは右手の剣を握り直す。
彼女の目は、もう前しか見ていない。
この神殿の終着点と思しき不明の祭壇と、正しい道筋であるはずの傷付いたタイル。
それらを確かめて、《迷宮王》は己の歓喜を言葉にした。
「さぁ、行こうか! さらなる迷宮の深層へ!!」
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