第5話:彼女の本質


 単眼巨人たちがいた場所と同様、進む通路は驚くほどに広かった。

 綺麗に整えられた白い床に、壁は何かしらの神々を模したらしき彫刻が並んでいる。

 天井は高すぎて、見上げると首が痛くなりそうだった。


「この区画エリアには、まだ私しかたどり着いていない。

 故に公式ではなくあくまで仮にだが、『見知らぬ神々の霊廟』と名付けている」


 おっかなびっくり、マヒロは周囲の様子を伺いながら進む。

 その傍らで、《迷宮王》アリスは堂々とした足取りで通路を闊歩する。

 恐らく、探索のために既に何度も通っているのだろう。

 アリスは迷いなく、目的としている場所へとマヒロを導いていく。


「生息している魔物は、多くが巨人系だったな。

 あの単眼巨人たちが霊廟の主かもしれん。

 幾つか文字が刻まれた壁画も見つけたが、残念ながら解読はできていない」

「《言語統一現象》でも読めなかった、ってことですか?」

「そうだ。アレで意味が通じるのは、人類かそれに近い知性体の言語のみだ。

 知的な魔物の言語が理解できないように、あまりに『遠すぎる』と分からなくなる」


 言葉を交わしていると、微かな振動が通路を揺らした。

 進む通路の横に伸びる脇道から、不意に大きな影が現れた。

 巨人だ。単眼ではなく、原始人をそのまま何倍にも巨大にしたような怪物だ。

 あまり知性を感じられない目には、外敵に対する強烈な敵意が燃え上がっている。


 凶悪な眼光を受けただけで、マヒロは心臓が縮み上がるのを感じた。

 蘇生薬を飲み、少し休んでからは大分身体の調子は良い。

 アリス曰く『魔力に馴染んできた』との事だが、それでも多少まともに動けるようになった程度だ。

 この深度の怪物相手に、出来ることなどほとんど無い。


「まだ隠れ潜んでいたか、それとも新たに湧いてきたか?

 まぁどちらでも構わん。邪魔をするなら──」

『■■■■■■■■■ッ!!』


 咆哮。人間の警告など、猛り狂った巨人の耳には届かない。

 愚かにも目の前の相手を獲物と認識した魔物に、無慈悲な刃が振り下ろされた。

 切断。巨人が動き出すより早く、間合いを詰めたアリスの剣が首を刎ねた。

 マヒロの眼では、過程をすっ飛ばしたように見えるほどの速度だ。


「やれやれ、多少なりとも知性はあるのに対話ができんというのは不便だな」


 ため息と共に呟いて、アリスは大剣を背負う。

 それから立ち尽くすマヒロに手招きして、子供のように笑ってみせた。


「さぁ、呆けてないでついて来い。目的地はもう少し先なのだ」

「っ……分かりました」


 頷き、慌てて先へ行くアリスの傍へと急ぐ。

 ……悪い人ではない。そう、決して悪い人ではないんだ。

 鼻歌でも歌い出しそうな《迷宮王》を横目で見ながら、マヒロは胸中で呟く。

 まだ出会って一日も経っていないはずだが、彼女が悪人でない事ぐらいは分かる。

 なら善人かと言うと──その判断は、極めて難しい話だった。


 アリスは死にかけたマヒロを救った。

 けれど今、底辺冒険者に過ぎない彼を危険な迷宮深層で連れ回している。

 明らかな危険行為だし、《組合》の禁則事項に近い項目も存在したはずだ。

 しかしアリスは気にした様子もなく、明らかにこの状況を楽しんでいるようだった。


「ここは実に不思議な場所だろう?」

「え? それは……はい」


 不意に問われて、マヒロは周囲に視線を巡らせる。

 空間を満たす魔力に照らされて、壁に施された彫刻の一つまでハッキリと見える。

 マヒロが知る迷宮の低階層は、遺跡というより朽ち果てた廃墟、と言った方が近い。

 対してこの場所は、まさに古代の遺跡そのものという印象だ。


「明らかに文明的な建造物だが、果たして人類の手で造られたモノなのか。

 いや、サイズを考えれば巨人たちが造ったのか?

 しかしあの魔物たちが、それほど高度な技術を持っているとも思えん」

「迷宮の深層には、他にもこういう場所が?」

「ある。これほど形を残してるモノは、比較的珍しい方だがな。

 文明を感じさせる大きな遺跡は、迷宮の深層では良く見かける。

 面白いのは、それらに関連性や繋がりはほとんど感じられないという事だ」


 語る言葉には、自然と熱がこもっていく。

 暴君の表情をしたまま、瞳に宿るのは幼い子供の好奇心だ。


「迷宮とは何だ? 我々が《アンダー》と名付けたこの地下世界は何だ?

 現在、迷宮内で確認されている文明国家は《汎人類帝国オールエンパイア》のみだ。

 私が奴らの皇帝と初めて謁見した時、その疑問をぶつけてやった。

 しかし《アンダー》の全土を支配する皇帝様とやらは、私になんと答えたと思う?

 『迷宮は迷宮だ。始まりからあり、終わりまであるものである』だと!

 何の答えにもなっていないではないか!」


 だんだんっ、と歩きながら地団駄を踏む。

 当時の怒りを思い出したアリスに、マヒロは微妙に距離を取った。

 うっかりでも打撃されたら、それが十分死因になりかねない。


「私は未知を解き明かしたい、未踏を思う様に踏み荒らしたい!

 『分からない事は分からない』なんて、そんなさかしらな答えは聞きたくもない!

 何よりも、そういうものだと受け入れるだけの怠惰が我慢ならんっ!」


 叫ぶ。吼える。アリスの声は熱く、重い響きを伴って迷宮に轟いた。


「……だから、貴女は迷宮に?」

「そうだ、その通りだ。

 《迷宮王》なんて大層な肩書で呼ばれるようになってしまったが。

 私の本質はそれだ、私の理由はそれだけだ。

 この広大な迷宮世界には、私の求める未知が限りなく存在している。

 だから挑む。だから潜る。迷宮に魅せられた、愚かな冒険者こそが私なのだ」


 それこそ、まさに《迷宮王》の呼び名に相応しい言葉だった。

 似た動機で冒険者を志し、実際に一定の成功を収めた人間は少なくない。

 けれど彼らの中で、彼女ほどの情熱と好奇心を持つ者はどれだけいるだろう。

 並ぶ者のない冒険者の頂点。ただ、一つ気になるのは……。


「そういえば、マヒロ少年は何が出来るんだ?」

「え?」

「君も冒険者で、今は同じ迷宮を探索する者同士だ。

 私は見ての通り、剣での戦いが基本だな。他の武器も一通り使える。

 斥候の技は武器術ほど習熟はしてないが、まぁ人並み程度には扱えるつもりだ」

「あー……俺も一応、武器と斥候の技を少しだけ。あとは一応魔法が……」

「ほう! 君は魔法が使えるのか、素晴らしいな!

 そういえばあの単眼巨人も、魔法で受けたらしい火傷が付いていたな!」


 キラリと、《迷宮王》の瞳が輝いた。


「私もな、一時期は魔法を覚えようと必死に学んだ時期はあったんだ。

 けどからっきしでな。『努力は絶対に必要だが、それ以前に才能が必須だ』。

 最も親しかった魔法使いからそう言われて、流石に私も諦めたよ」

「いや、でも、俺も大した魔法は……というか、暴発しがちな『ハズレガチャ』なんで」

「ふむ、暴発? それはまた珍しい……いや、奇妙なことだな」

「奇妙、と言うと?」

「魔法は使えないが、一応は専門家から学んだ事はあるからな。

 魔法とはつまるところ、迷宮に満ちている魔力を利用するための技術だ」


 アリスの指先が、ついっと虚空をなぞる。微かにだが、触れた場所が強めに光った。


「うん、やはりダメだな。《灯火ライト》の魔法でもまともに発動せん。

 お前は使えるか? マヒロ少年」


 促されたので、マヒロもまた指先を軽く突き出した。

 《灯火》は最も簡単な魔法で、暴発の心配がない数少ない術の一つだ。

 光よ、暗闇を照らす光を。発する意思は願いとなり、魔力は反応を起こす。

 松明と同程度の明るさを持つ魔法の光が、指先からふわりと浮かび上がった。


「素晴らしい。正しく扱えているではないか」

「あ、ありがとう御座います」

「暴発と言うから、てっきり発動に失敗して魔力が爆ぜるのかと思ったが」

「いや、それが……使おうと思った魔法とは、全然違う魔法が発動するんですよ。

 俺もどうしてそうなるのか、全然分からないんですけど……」

「……それはおかしいな」


 おかしい。あり得ない。同じ言葉を、アリスは何度か舌の上で転がした。

 彼女の持つ経験と知識では、マヒロの語る現象は道理に合わないものだった。


「魔法とは魔力を扱う技術で、魔力とは人の意思に反応するものだ。

 ……まぁ、そもそも魔力とはなんぞやという話になるがな。

 《アンダー》にのみ存在する菌類や胞子が放つ磁場が魔力の正体、なんて説もあるが。

 科学的に数値として現れていない以上、今は単なる与太と変わらん」


 一体、アリスは何を言いたいのか。

 やや首を傾げて耳を傾けるマヒロを見て、《迷宮王》は咳払いを一つ。


「脱線したな。兎も角、魔法の発動に失敗して、魔力が暴発する事はあり得る。

 その場合、そもそも何も起こらないか、術が半端に弾ける場合がほとんど。

 『使おうと思った魔法とは、まったく違う魔法が発動する』。

 そんな例は、普通は起こらないはずだ。

 魔力は現象だ。意思が通じない事はあっても、意思を取り違える事などあり得ん」


 例えば火の魔法を使おうとして、そもそも火が起こらない事はある。

 しかし火を出そうとして、逆に氷が出てくる事は魔法の原理的にあり得ないのだ。


「火を熾そうとする意思を持てば、魔力はそれに応える。

 なのに氷や雷が出るのなら、それは単なる暴発とは全く異なる現象のはずだ。

 そもそも君は、魔法を誰かから学んだか?」

「……《組合》の講習は受けましたけど、さっき言った通り、暴発が酷くて。

 講師から基本のテキストを貰ってからは、後は独学で……」

「何だそれは。職務怠慢ではないか」


 魔法を多少なりとも専門的に学んでいるなら、現象の異常さは理解できるはずだ。

 普通の冒険者が知らぬならまだしも、魔法の講習を行う《組合》の人間がその様とは!

 苛立ちに目を釣り上げるが、アリスはすぐに大きく息を吐いた。


「……まぁ、私も《組合》をほったらかしにして長いからな。

 すまない、マヒロ少年。これは明らかに、責任者である私の不手際だ」

「あ、いや、そんな」

「残念ながら、魔法使いではない私ではハッキリとしたことは言えない。

 ただ君の身に起こる奇妙な現象についても、後々必ず調べることを約束しよう」


 足が止まる。たどり着いたのは、巨人サイズの両開きの扉だった。

 話している間に、目的の場所へと到着したようだ。


「あぁ、本当にすまないが、今は目の前の冒険が優先だ。

 この辺りは一通り調べ終わったが、残すところはこの扉の先のみだ。

 ここを突破すれば、さらなる深層へと続いているはずだ」


 今いる場所でも、前人未到であるはずの迷宮深度『十』。

 それよりも更に深い場所など、一般冒険者のマヒロでは想像もできない。

 アリスは扉に近づくと、そっと両手を表面に触れさせる。

 傍から見ても、その動きからは慎重さと強い警戒が感じられた。


「マヒロ少年、私の後ろに下がっていてくれ。少し危ないからな」

「わ、分かりました」


 頷き、言われた通りアリスの後方へと移動する。

 巨人を苦もなく一蹴する《迷宮王》が『少し危ない』とは、どれほどの脅威があるのか。


「……よし、開くぞ」


 軽く呼吸を整えてから、アリスは両腕にぐっと力を込める。

 扉は分厚く、重さも見た目通りだ。巨人以外に開くことなど出来ない。

 しかし最強の冒険者である《迷宮王》の力は、人の領域を軽々と超えていた。

 軋み、震える。巨大な扉が押されて、内向きにゆっくりと開いていく。


「凄い……」


 マヒロは思わず感嘆の声を漏らしていた。

 神々らしき彫刻が施された巨人の扉を、人間がその力だけで押し開く。

 単眼巨人を蹴散らした時と同じく、まるで神話から切り取ったような光景だ。

 思わず目を奪われている間に、アリスが扉を半ばまで開けたところで──。


「ッ────!!」


 突然の爆発と光が、アリスの身体を完全に呑み込んでいた。

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