第4話:《レガリア》
世界中で、謎の『扉』が現れだしたのは今から三十年以上も前。
『扉』から出てきた奇妙な生き物──魔物によって、多くの人々が被害を受けた。
幸い、不明な状況ながらも警察や軍による対処は迅速に行われた。
その後、『扉』に対し国による大規模な調査が行われ、それはすぐ中断される事になる。
地下に広がる巨大な迷宮世界。
今は《アンダー》と呼ばれるその場所を、人類は初めて発見した。
複雑な繋がりを見せる謎の建造物群に、そこら中に仕掛けられた数々の罠。
魔物は迷宮の闇で獲物を狙い、迷宮内を満たす『磁場』も無知な探索者たちを苦しめた。
地表に漏れ出てくる程度の魔物なら、携行可能な銃器で対処できたのも災いした。
調査のために『扉』を潜った人員の内、帰ってきたのは本当にごく僅か。
持ち帰った情報も、どれも常識では考えられない狂気ばかりだった。
当初はすぐに終わると思われていた《アンダー》の調査は、完全に暗礁に乗り上げた。
……結局、多くの国が『扉』のある地域を封鎖することしか出来なかった。
人が近づかぬようにし、時折溢れてくる弱い魔物を駆除する。
一先ずはそれで問題はなかった。災厄の詰まった箱は、固く閉ざしてしまうのが一番だ。
けれど、どれだけ蓋をしようとしても『噂』というものは人々の間を流れるもの。
『謎の地下世界に、誰も見たことないようなお宝がある』
そんな馬鹿な話を真に受けた者や、単純に好奇心から深淵を覗きに行く者。
魔物に身内を殺された者や、世を儚んで死に場所を求める者。
様々な人間が封鎖された地域に侵入し、『扉』を潜って《アンダー》へと向かった。
当然、迷宮はほとんどの人間を二度と地上へは帰さなかった。
何年もの間、進展はなくただ犠牲と屍は無為に積み上げられ──そして。
ついに、迷宮の闇に一筋の光明を見出す『英雄』が現れたのだ。
「大体はその呼び名で通しているが、個人的にはあまり好きではない」
伝説の英雄は、イタズラっぽい声で笑っていた。
半死半生のマヒロを抱えたまま、大剣を適当な床に突き刺す。
空いた右手で兜に触れると、それを無造作に外した。
金色の輝きが広がる。長く伸びた金色の髪が、迷宮の魔力でキラキラと輝いている。
外見は二十代程度にしか見えない、若々しく凛々しい横顔。
まるで戦の女神だ。マヒロは自然とそんなことを考えてしまった。
意思の力に満ちた赤い瞳を向けながら、彼女は子供のような笑みを浮かべた。
「経緯は知らんが、お前は私よりも先に前人未到にたどり着いた先達だ。
同じ冒険者として敬意を払おう。故にお前も、親愛を込めて私を『アリス』と呼べ。
本名では無いのだが、今はもうこちらの方がしっくり来るのでな」
アリス。《迷宮王》の名は知っていても、そちらの名前は初めて聞いた。
何かを聞こうとして──マヒロは声の代わりに、弱々しい咳を吐き出した。
喉の奥から、生温い感触がドロリと流れ出す。
「む? あぁ、いやすまない。決して忘れていたワケではないんだ。
見たところ、かなり死にかけている感じだな?
もしかして魔力中毒か? だとしたらちょっとマズいな」
「っ……ぁ……ぅ……」
「うん、言いたい事はあるかもしれんが、今は喋らなくていいぞ。
大丈夫大丈夫、私は折角助けた相手を見捨てるほど冷血ではない。
だから少し待て……えーと、アレはどこにしまっていたかな……?」
喋りながら、片手で腰から下げた袋を漁る。
そうしている間も、マヒロの意識はどんどんと帰れぬ闇へと沈んでいく。
《迷宮王》──アリスの声は、この時点でほとんど届いていなかった。
袋を漁り始めて、大体一分ほど。
「お、あったあった! やぁ、待たせてすまないな。
この薬、飲めそうか? 無理か? これは無理そうだな?」
「…………」
「ギリギリまだ死んでないけど、もうそろそろ死ぬって感じだな。なら仕方ない。
すまないな、少年。これは救命行為だから、少し我慢してくれ」
「…………?」
取り出したのは、一本の小さなガラス瓶。
中には青白く光る液体が入っており、何かしらの
言葉も返せないマヒロの前で、アリスは瓶の中身を一息に呷る。
そうしてから、死ぬ寸前の身体を抱え直して。
「っ……」
マヒロの唇に、アリスは何の躊躇もなく噛み付いた。
片手で顔を掴み、自力で開く力のない口を無理やりこじ開ける。
少し上を向かせて、事前に含んでおいた魔法薬を丁寧に喉の奥へと流し込む。
一滴も残さぬように、口移しはたっぷり数分ほど続いた。
全て飲ませたる事が出来たと確信すると、アリスは唇を浮かせる。
ほっと一息。再び満面の笑みを浮かべ、大きく頷いた。
「これでヨシ。どうだ少年、まだ死にそうかな?」
「……ぁ……あ、え……っ?」
「うん、効果てきめんだな。
使わずに随分としまったままだし、ちゃんと効くかは実は不安だったんだが」
ハッハッハと笑うアリス。対して、マヒロは酷く困惑していた。
ついさっきまで間違いなく瀕死だった身体が、急速に回復していく。
冷え切っていた手足に血が戻り、停止寸前だった心臓が熱く鼓動を打つ。
まだ動けるわけではないが、肉体が鉛になったような感覚も薄くなっていた。
「これは……一体……?」
「うん、もう死にそうだったからな。手持ちの《蘇生薬》を飲ませた。
最悪死んでから飲ませても良かったが、生き返るにしても死ぬのは嫌だろう?」
「……は、え? 《蘇生薬》……?」
「いつも冒険の時は、念のため一本持ち歩いているんだ。運が良かったなぁ少年」
無知な一般冒険者に過ぎないマヒロでも、《蘇生薬》については知っている。
効果は言葉の通りで、たった今体感した通り。
死んでから一時間以内や、肉体にあまり大きな欠損がない等、細かな条件はあるが。
飲ませれば死人さえ生き返らせる、稀少なレア級の《遺物》。
もし仮に地上で取引きしたなら、捨て値でも数千万円以上はする代物だ。
「そんな、高価なもの……なんで……!?」
「たまたま持っていたからな。
命が掛かっているのに、『勿体ないから使わない』は酷いだろう?」
本当に、アリスは何でもない事のように笑っていた。
マヒロの命を救えたのを、本当に『良かった』と感じている笑みだった。
救われた方は一瞬言葉に詰まって……それから、改めて頭を下げた。
「助けて頂いて、ありがとう御座います。アリス……さん?」
「アリスで良いぞ。そういえば、少年の名はまだ聞いていなかったかな?」
「あ、えっと……夜賀 マヒロ、と言います」
「マヒロか。可愛らしい名前ではないか、羨ましい」
「そうですかね……?」
女の子っぽい響きの名前だ、という自覚はある。
羨ましがられるのは良く分からなかったが、その時のアリスは実に真剣な顔だった。
と、抱えられたままだった身体が、そっと地面に下ろされる。
反射的にマヒロは立ち上がろうとしたが、残念ながら腰を浮かせるのが限度だ。
「蘇生したばかりであるし、魔力中毒も完全に治ったワケではない。
恐らくはもう大丈夫だろうが、しばし安静にしていると良い」
「は、はい、すみません……」
「別に謝る必要はないだろう。私は野営の準備をするから、大人しくしているんだ」
そう言って、アリスは再び腰の袋を漁った。
先ず出てきたのは、一抱えほどの黒い布の塊だ。
無造作にそれを放り投げると、空中で広がってやや大きめなテントに変わった。
現代のアウトドア用品に見えるが、実際は魔法が施された《遺物》だ。
更に石炭に似た手のひら大の黒い石を取り出すと、テント近くの地面に置く。
指先で表面をなぞると、音もなく赤い火が点った。
「とりあえずヨシ。さて、コーヒーでも淹れるか。砂糖は無くて大丈夫か?」
「あ、はい。砂糖は無しでも平気ですけど……」
更に小さな座椅子などを出すアリスに、マヒロは言葉を濁す。
向けた視線の先には、巨人たちの亡骸があった。
つい忘れそうになるが、この場はまだ迷宮の未探索領域。
あの単眼巨人たち以外にも、どんな恐ろしい魔物がいつ現れるのか……。
「魔物の心配はしなくて良い」
「えっ?」
「その単眼巨人どもが部屋の主だったようだ。
先ほど刺した私の剣が、この部屋を安定化させている。
雑魚は迷い込んでくるかもしれないが、大物が入ってくる危険はないぞ。
魔物除けの《遺物》は設置したから、雑魚も寄っては来ないだろう。多分な」
指さしたのは、床に突き刺さったアリスの大剣。
安定化とは、迷宮内の魔力濃度を抑え、魔物の発生や魔力を用いた罠を抑止する事。
マヒロの身体が軽くなったのも、この部屋の魔力が薄まったからだ。
危険に満ちた地下世界を、人間が探索し続けるために絶対に必要な『光明』。
人類で初めて、《迷宮王》が見つけ出したその《遺物》の名は。
「《レガリア》……」
「うむ、私の所有する《レガリア》。王剣ヴォーパルだな」
呆然と漏れ出した呟きに、アリスは律儀に言葉を返した。
《レガリア》。その呼び名が示す通り、迷宮を制覇するために必要な王の証。
《迷宮王》を含め、幾人かの実力者たちが《レガリア》を有している。
彼らによって、恐るべき迷宮の一角に人類が持続的に生存可能な領域が築かれた。
マヒロ含めた底辺冒険者が活動している低階層など、その典型例だ。
「私の武勇伝や冒険譚が聞きたいのなら、幾らでも聞かせてやって構わない。
だがそれより、私は君の話に興味があるな。マヒロ少年」
「……? 俺の話、ですか?」
「そうだとも。過去の偉業よりも、大事なのは現在の奇跡と未来の話だ。
君は何故、こんな場所にいる? 見たところ、低階層で活動している冒険者だろう?」
「……はい」
「現在、《組合》が到達認定している迷宮深度は最大で『七』だ。
しかし今、我々のいる場所は迷宮深度に換算すると『十』に相当する。
私以外にここに来られる相手の心当たりは、まぁ両手の指は使わない程度だな」
迷宮深度に換算して、『十』に相当する。
思わず
運が悪かった、で迷い込んで良い場所ではない。
「……正直、自分でも起こった事が信じがたいんですが……」
「構わないから、そのままの事実を聞かせてくれ。
荒唐無稽で信じがたない話なんていうのは、迷宮ではありふれたものだからな」
笑って頷くアリスに、マヒロは求められた通り起こった事実をそのまま話した。
低階層でゴブリン駆除を行っている最中に、いきなり転送罠が起動した事。
罠で飛ばされた先が、この迷宮の奥深くであった事。
全てを聞き終える頃には、アリスは酷く難しい顔をしていた。
「それで死ぬ寸前だったところを、私に救われた……と。そういうわけか」
「はい。いや、本当に助かりました……俺、あのまま死ぬんじゃないかと……」
「救えるから救っただけであるし、君は私だけの力で助かったわけではない。
絶対的な死に抗い、ほんの少しとはいえ生きながらえた。
それ自体は君の功績だ。君こそが誇るべきだよ、マヒロ少年」
「……えっと、はい。ありがとう、御座います」
伝説にも等しい人物に、自分のやった事を称賛された。
世辞ではない事は、ほんの短いやり取りでも理解できた。
「……しかし、それは偶然か?」
「と、言うと?」
「たまたま、低階層で息を吹き返した転送罠に引っかかる。まぁ、起こり得る偶然だろう。
それで飛ばされた先が、まだ誰もたどり着いた事がない完全未踏領域だった。
奇跡に等しいが、可能性は決してゼロではあるまい。
だがそこに、私が偶然、本当にたまたま通りかかったから助かったと?
二つまでなら流せるが、三つ重なるのは本当に偶然か?」
分からない。アリスが何を言いたいのか、この時のマヒロには分からなかった。
確かなのは、目の光が明らかに変わった事だけ。
子供みたいなキラキラした輝きではなく、貪欲にギラついた飢えた獣の瞳。
単眼巨人よりも遥かに恐ろしい眼で、アリスはマヒロを見ていた。
「……本当は、ここでお茶して身体を休めて、それから地上に帰すつもりだった。
けど、今の話を聞いて私の方が事情が変わった」
「事情、と言うのは?」
「私と来るんだ、マヒロ少年」
有無を言わさない。反論は許さない。
そこには『王』がいた。傲慢で傍若無人な、迷宮世界に君臨する暴君が。
《迷宮王》は、いっそ優しげな声で『命令』を口にする。
「君の言う『不運』とやらが、私にとっても未知な星であるのなら。
この深層より更に先へと進むきっかけになるかもしれない。
だから、もう少しばかり私に付き合って貰おうか」
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