第2話:簡単なゴブリン退治──の、はずだった
次の日。日が落ちた頃、マヒロは《組合》の広間に来ていた。
学校の階段で足を滑らせかけたとか、細かい
『門』の近くに立ち、身に付けた装備を一つ一つ確かめる。
とは言っても、昨日の採集依頼の時と大差ないわけだが。
「何だ、夜賀。お前も来てたのかよ」
「……受付の人に、声かけられたからな」
この場には、マヒロ以外に四人の冒険者がいた。
ほとんどは顔を知っているぐらいで、特に付き合いがあるわけではない。
一人だけ、やや大柄な男が気安い態度で声をかけてきた。
確か、斎藤という名字だった気がする。下の名前は覚えていない。
マヒロや他の冒険者と同じツナギに、安物の
武器は腰のベルトに下げた
低階層で活動する冒険者は、基本的には拳銃を使う。
弱い魔物なら拳銃でも十分殺せるし、近づかずに戦えるからだ。
拳銃無しで剣をメインにするのは、それだけ己の戦力に自信があるという事。
「珍しいな、駆除の依頼はあんまり請けないはずだろ?」
「
「湧いたのはゴブリンって話だし、オレは別に単独でも問題なかったけどな」
「そう言って、大火傷した事が何回かあるだろ」
「今こうして生きてんだから、そんなのは誤差だよ誤差」
カカカと笑って、斎藤はマヒロの背中を軽く叩いた。
本人的には加減しているのだろうが、それでも息が詰まりかけた。
斎藤は採集依頼は好まず、低階層での駆除・討伐依頼を主に請けている。
魔物と戦った方が、『レベルが上がりやすい』という考えからだ。
……実際に、迷宮で長く活動している冒険者は身体能力が向上する。
それは《アンダー》に満ちる魔力の影響とされるが、細かい仕組みは分かっていない。
迷宮にただ潜るより、魔物と戦った方が強くなりやすい。
冒険者の間ではそんな話が真実と思われる程度には、迷宮は謎だらけだ。
「ま、今回は仲間だからな。頼むから《ハズレガチャ》で足引っ張ってくれるなよ?」
「……お前、その言い方はやめろよ」
「ハッハッハ、悪い悪い。でもオレだって、怪我したいワケじゃないからよ」
斎藤に悪意はない。ただデリカシーもないというだけで。
言うだけ言って離れる斎藤を睨みつけながら、マヒロは細く息を吐いた。
《ハズレガチャ》という呼び名に、他の冒険者たちも反応している。
「あぁ、アイツが噂の……」みたいな視線に、うんざりして肩を落とした。
底辺冒険者たちの間では、多少知られている不名誉極まりないあだ名。
マヒロが単独で請けられる採集依頼を好む理由でもある。
出来れば目立たず、隅っこで淡々と仕事をこなしたかったが……。
「……仕方ない」
ため息。間もなく、仕事開始の予定時刻だ。
噂話を囁きあっていた冒険者たちも、『門』の前へと足を向けている。
腰に下げた長剣と、拳銃に指を触れさせる。駆除の依頼を受けるのは、本当に久々だ。
大丈夫だと、胸中で呟く。ゴブリン程度なら、何も問題はない。
「おい、夜賀! 『門』開けるぞ、さっさと来いよ!」
「分かってるよ」
特に決めたワケではないはずだが、どうやら斎藤がリーダーらしい。
手を振ってくる男に答えて、やや駆け足で『門』へと向かった。
◆ ◆ ◆ ◆
「ギャッギャッギャ!!」
「鬱陶しい……!」
小柄な影が、跳ねるような動きで襲ってくる。
手には粗末な棍棒を持った、緑色の肌をした醜い小鬼。
ゴブリンだ。迷宮世界である《アンダー》では、恐らく最も弱い魔物の一つ。
身体と比べて不釣り合いに大きな頭に銃口を合わせ、
手に衝撃を感じるのと同時に、放たれた弾丸がゴブリンの頭蓋に突き刺さる。
「ギャッ!?」
汚い悲鳴とドス黒い血を撒き散らし、ゴブリンは石の床に転がった。
殺したのはこれで二匹目。周囲に目を向ければ、魔物はまだまだ跳ね回っている。
最弱ではあるが、ゴブリンはとにかく数が多い。
放っておけば百匹近い数となり、最悪の場合は『門』から地上に溢れ出す。
そうならないよう発生を確認され次第、徹底的に駆除する必要がある。
「ホント、数が多い内は強気だよなぁコイツら!」
剣を棒のように振り回し、斎藤がゴブリンの頭をスイカのようにかち割った。
他の冒険者たちも、特に問題なく向かってくるゴブリンたちを撃ち殺していく。
問題はなかった。こちらが殺した数は、既に十匹を超えていた。
しかしゴブリンたちは、周囲の物陰や通路からどんどんと出てくる。
自分たちの方が数が多いから、優勢だと思っているのか。
愚かな知能では単純な事しか理解できず、ゴブリンたちは無謀な突撃を繰り返す。
無論、単純な数押しというのはそれだけでも十分厄介だ。
「くそっ、弾足りるかコレ……!?」
「白兵戦も備えとけよ! オレみたいになぁ!!」
悲鳴に近いぼやきを漏らす冒険者に、斎藤は笑いながら剣を振り回す。
正直、思ったよりも敵が多い。同種の焦りを、マヒロも内心で滲ませていた。
銃を撃つが、動き回るゴブリンは偶然にも回避する。
大きな頭部は狙いやすい的だが、やはり動いていると命中率は下がってしまう。
ギリギリまで接近されたところで、脳天に弾を撃ち込んだ。
「ギャァッ……!?」
「三匹目……!」
「おう、夜賀も調子良いな!!」
「お前ほどじゃないよ!」
向かってくるゴブリンを、ほぼ一発か二発で叩き殺す斎藤。
明らかに、マヒロや他の冒険者たちよりも強靭だ。
低階層で出てくる魔物程度なら、もうほとんど雑魚も同然だろう。
それは斎藤の努力の成果だ。
低階層とはいえ、討伐のために魔物が出る比較的深い場所に繰り返し潜っていたはずだ。
いずれ、斎藤は低階層ではなく、迷宮のもっと深い場所へと進むだろう。
冒険者の正しい姿だ。マヒロは少しだけ、自分を不甲斐ないと思ってしまった。
こんな低階層で、足踏みをしているだけでは──。
「おい夜賀、そっち行ったぞ!!」
「ッ!?」
思考の隙間に、斎藤の発した警告の声が割り込んできた。
咄嗟に顔を向けた先に、醜いゴブリンの顔があった。あと一歩で棍棒が届く距離だ。
銃を構えて、引いた銃爪は何の反応も示さない。弾切れだ。
腰に下げた剣を抜くよりも、相手の棍棒がマヒロの顔面を抉る方が速い。
だから、選択の余地はなかった。
「“放て、燃える鏃よ! 《
呪文を叫ぶ。マヒロの身体の内と外で、魔力が力強く渦巻いた。
魔法だ。《アンダー》によってもたらされた、現代の科学では未解明の技術。
未知のエネルギーである魔力を利用し、人間の意思一つで特定の現象を引き起こす。
扱う技量も必要だが、魔法にとって何より重要なのは『才能』だ。
例え迷宮に長く身を置く冒険者でも、魔法を実戦レベルで扱える者は珍しい。
マヒロはそんな『稀少な魔法使い』の一人であり──。
「冷ッ……!?」
「ギャアアァ!!」
普通の魔法使いにはない、ある困った『特徴』を抱えていた。
反射的に使おうとしたのは、炎の
けれど実際に起こった現象は、『一定範囲に及ぶ凍結』だった。
幸いなことに、射程距離にいたのはマヒロを襲おうとしたゴブリンだけだった。
半ば暴走に近い術の発動は、醜い小鬼の全身を骨の髄まで凍りつかせた。
ついでに、余波を受けたマヒロの右手にも凍傷を残しながら。
「今回の魔法ガチャは、比較的マシなハズレで良かったなオイ!」
「うるさい……っ!」
「よし、元気そうだな! そら、下がって傷治してろよ!」
前へと踏み出す斎藤の言葉に、マヒロは右手を抑えて一旦距離を取った。
いきなり同類(ゴブリンにとって仲間ではない)が、氷の彫像めいた状態で死んだ。
明らかな異常を目の当たりにした事で、視界内のゴブリンは明らかに怯んでいた。
その隙を見逃さず、斎藤は剣を振り上げて切り込んだ。
蹴散らされるほどに、ゴブリンどもの勢いは弱まっていく。
この様子ならば、決着は間もなくだろう。
「“……癒やせ、天使の息吹よ。《
小さく呪文を呟き、左手の指で右手の凍傷に触れる。
微かな温かさと共に、凍りついた傷はゆっくりと正常な皮膚へと治っていく。
《治癒》の呪文は、マヒロが問題なく使える数少ない魔法の一つだ。
『魔法を使う才能はあるが、その魔法が正しく発動しない』。
それがマヒロが冒険者として抱える、重大な欠陥だった。
迷宮に繰り返し潜っている事で、身体能力に関しては間違いなく向上している。
けれど戦士と呼べるほどの才能はなく、斥候の技術はどうにか並み程度。
魔法さえまともに使えれば、まだ冒険者として『先』へ進む道はあるのだろうが……。
「……まぁ、運が悪かったんだ」
口に出した言葉は、酷く空しい響きを伴っていた。
運が悪い。そもそもマヒロは、物心付いた時から不運と付き合ってきた。
毎日毎日、ちょっとした不幸は隙あらば顔を出す。
先ほどゴブリンに殺されかけたのも、言ってしまえばそんなありふれた不幸の一つだ。
どうしようもない。嘆いたところで、それは変えようにないモノなのだ。
「……よし」
傷は癒えた。痛みはほぼ消えている。
ゴブリンたちは戦意を喪失しかけているが、まだ全て討ち取ったわけではない。
空だった弾倉を交換し、マヒロは再び戦場へと戻る。
逃げようとしていたゴブリンの頭に、容赦なく銃弾を撃ち込んだ。
「なんだ、休んでて良いんだぞ!」
「頼むから、また《ハズレガチャ》を引くのは止めてくれよな!」
「言われなくとも……!」
斎藤や冒険者たちは見ず、今はゴブリン駆除に意識を集中させる。
さっきの魔法使用は事故だ。あんな状況じゃなければ、使う理由がない。
「おーし、あと一息だ! 取りこぼしはするなよ、皆殺しにしろ!」
「「「おぉっ!!」」」
完全に駆除しきらなければ、また数日の内に数を増やしてしまう。
ゴブリンの群れを相手にする場合、それが最も面倒な点だ。
向かって来たゴブリンと、逃げ出そうとしたゴブリン。これらは程なく全滅した。
後は周辺を探索し、生き残りがいないかを確かめる必要がある。
「手分けして探すか。纏まって調べてたら、地上が朝になっちまう」
斎藤の判断は正しい。恐らく、ゴブリンの数は残っていても一桁以下だ。
低階層の冒険者でも、単独で出会っても危険は少ない。
勿論、安全性を考えるのなら最低でも二人一組で行動するのが正しい。
正しいのだが。
「……五人か」
「良いよ、俺が一人で。この中で、斥候の役割持てるのは俺だけだろ?
他のフォローしなくて良いんだったら、そっちの方が気楽だ」
人数分けで斎藤が悩み始めるより早く、マヒロは声を上げていた。
「一人でって、大丈夫か? 分けるなら二人と三人でも良いと思うが」
「時間が掛かるし、《ハズレガチャ》と少数で組みたい奴いるか?」
「……まぁ、それはちょっと」
「流石に洒落にならないよな」
言われて、つい先ほど暴発を目にしたばかりの冒険者たちは顔を見合わせた。
斎藤もそれ以上は何も言わなかった。
ただ、わざとらしいぐらいに大きなため息を吐いて。
「どうせ大した数も残ってないんだ、さっさと終わらせようぜ。
夜賀はアプリの通知はちゃんとオンにしとけ。
万が一、何かヤバそうなことがあったらすぐ連絡しろよ」
「分かってる、ありがとう」
「こんな安い仕事で欠員出したら、オレの評価に響くからな。
よし、お前らさっさと動くぞ!」
鶴の一声で、冒険者たちは動き出した。
マヒロ以外は二人一組で警戒しながら、薄暗い通路へと入っていく。
……これで良い。マヒロは自分の『不運』を自覚している。
危険の少ない採集依頼ならまだしも、魔物相手にうっかりなんて事態は避けたい。
「俺一人だけなら、自己責任だからな」
呟く。大丈夫、単独で動くのは慣れている。
慎重な足取りで、他の冒険者たちが選ばなかった通路を進む。
ゴブリンらしき足跡は──見た限りでは、ほとんど無い。
こちらの道は外れだったか。
「まぁ、それならそれで……?」
何も無い石造りの通路を、ゆっくりと進んでいた。
ここは《組合》の管理下にある低階層の迷宮。
最上位の《遺物》の力により、多少の魔物の発生以外は安定した状態だ。
だから、マヒロは隠れ潜むゴブリン以外は、特に警戒していなかった。
何気なく踏み出した床から、カチリと音がした。
瞬間、四方を囲む形で青い光が展開する。
「なっ……!?」
罠だ。しかも高度な魔法の罠。
抵抗の余地すらなく、強い魔力がマヒロの身体を包み込む。
何が起こったのか。低階層は安定化が施され、罠も全て除去か解体済みのはず。
ならば可能性は──機能を失っていた魔法の罠が、たまたま『運悪く』作動した?
「ンな馬鹿なこと……!!」
あり得ないだろと、無意味な文句を叫び終わるよりも早く。
青い光は音もなく消え失せた。
その場には、もう誰の姿もない。迷宮の通路には、ただ薄闇と沈黙が横たわっていた。
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