第4話 夜を撫でる

 午前1時前。Aさんが夏の暑さに弱って浅い眠りを繰り返していた日のことだった。


 Aさんは薄い眠気に微睡みながら寝返りをうとうとしたとき、体が動かないことに気づいた。


 ぐっと体を押さえつけられるように、異様に重くて手足も動かせない。


 金縛りだということにすぐ気づいた。


 といっても、Aさんは別段焦る気持ちはなかった。金縛りとは大抵の場合は「疲れ」が原因だと聞いたことがあった。いくつかは本当の心霊現象があるのかもしれないが、その知識があったためにAさんは「とうとう自分もなったのか。そんなに疲れていたのかな?」と恐怖よりも好奇心が勝っていた。


 Aさんは薄く開いていた目でぼんやりと天井を見上げる。


 本当に動けないものだな……と思った。


 ――眼球まで動かないなんて。


 そう気づいた瞬間、どっと汗が噴き出た。


 すぐにおかしいと思った。眼球が動かないのは明らかに異常だ。


 寝ぼけていた意識が急速に目を覚ます。なのに、体が動くことはなかった。


 その時、Aさんは異音を聞いた。


 ずるり、と布を擦って動く音だ。


 すぐ近くだ。頭の方に——何かが、いる。


 その時、Aさんの耳が引っ張られた。


 Aさんは喉の奥で悲鳴を上げた。しかし喉すらも金縛りにあっているのか、声が出ることはなかった。恐怖で真っ白になった意識の中で、Aさんにできることは何もなかった。


 Aさんの耳を引っ張っているのは、おそらく指だ。


 温かくもなく冷たくもない温度。軽い力で引っ張られているが、少しだけ痛かった。


 何に触れられているのか、Aさんには確かめることはできない。ひたすら天井を睨みながら、終わるのを待つしかなかった。


 やがて耳から離れ、それはAさんの頬を叩く。小さくて、柔らかい感覚。


 それは撫でるようにAさんの頬に触れると、数度ぺち、ぺち、と叩いた。


 その見えない何かを想像して背筋がゾッとした。


 もうやめてくれ、と思うのだが、異常現象は止まらない。


 すると、動かない視界の中に、初めて何かの影を見た。


 生白いふっくらとした小さな手。――赤ん坊の手のひらだ。


 今度はAさんの鼻をつまもうとするように、ゆっくりとその手は視界を横切った。


 やめろ!


 消えろ!


 そう心の中で叫ぶのだが、赤ん坊の手は止まらない。


 Aさんの叫びを嘲笑うかのように、その手はまた頬をそっと撫でた。


 気づけば朝になっていた。


 いつの間にか眠ってしまったようだった。Aさんは飛び起きて、頬や耳を触るが、特に異常な様子はない。体も自由に動くようになっていた。


 あれは本当に夢だったのだろうか、とAさんは首を傾げた。


 それ以来、もう赤ん坊の気配がすることはない。

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