妻の遺言

 ロシターから渡された1通の手紙は、病身で書いたせいか字は細く、ところどころ書体が乱れる箇所もあるが、間違い無く亡き妻ルチアの筆跡であった。




『エドワードへ


 貴男がこの手紙を読んでいるということは、私の予想が当たっていたということね。侯爵のお役目お疲れ様でした。そして、ジョンを一人前に育ててくれてありがとう。


 当時は突然の結婚で困惑したことと思います。でも、貴男はそんなことおくびにも出さず、侯爵家のためにと汗水流して働いてくれました。妻としてこれほど誇らしい夫は他にはいないと胸を張って言えます。


 結婚する前に約束したことを覚えていますか? 貴男はあのとき、二人で力を合わせて侯爵家の安泰に力を尽くすこと、そして、夫婦として、家族として、幸せな家にすることを誓いましたよね? マリーさんとの別れを選んでまで、力を尽くしてくれた貴男を夫に迎えることができて、私は幸せでした。ですが、私は貴男に頼りっぱなしで、幸せにすることが出来ませんでした。


 ようやく家のことも落ち着いて、さあこれからというときにこの有様です。この命が続くならば、この先もきっと貴男を幸せにするよう努力したのでしょうが、余命幾ばくもない今となってはそれも叶わぬ身となってしまいました。


 ただ、私だけが幸せに人生を終わりながら、貴男には私という枷をはめたままにするのは本意ではありません。でも、きっと貴男のことだから、誰が何と言おうと後添えを娶るなんて考えていないんだよね。


 何で分かったなんて野暮なことは言わないで。貴男のことは小さいときから知っているし、妻なんだからそれくらい分かるわよ。侯爵の位にいる間は、後ろ暗いことをせず、身を律していたいと思っていたんでしょ。貴男らしいわ。




 だけど、もういいんだよ。


 貴男は私との約束を立派に果たしてくれた。だから今度は貴男自身が幸せを掴んでいいんだよ。本当はその隣に私が立っていたかったけど、その役目はマリーさんにお願いしました。


 貴男には内緒にしていたけど、ある方にお願いして、彼女の身の安全と生活の保証は担保してもらっていました。定期的にその方を通じて、マリーさんの安否も確認していました。そこで彼女が結婚せず独身を貫いていることを聞いたのです。


 でも勘違いしないで。結婚しなかったのは決して貴男のせいではなくて、彼女自身が仕事が楽しくて結婚願望が無かったのが理由らしいから。なので失礼を承知で、彼女に貴男の側に付いてもらえないかお願いしたら、その日が来るまでお待ちしていますと了承してくれたのです。


 貴男が隠居して、憂いが無くなって自由に生きられる日が来たら、側に付いてもらうようにお願いしておきました。今は貴男の侍女になっているのかな? 


 勝手なことしてゴメンね。ロシターやみんなを責めないであげてください。


 みんなには貴男がしっかりとお役目を果たしたときには、笑顔で受け入れて欲しいとお願いしました。だから、みんなが貴男とマリーさんの仲を応援するのは、貴男が今までやって来たことが間違っていなかったとみんなが認めているということなのよ。


 私の我が儘だということは百も承知です。何を勝手なことしているんだというお叱りは、いつか貴男が私の元へ来たときに甘んじて頂戴します。だからそれまでは、この先の人生は、マリーさんと共に幸せに歩んでほしい。


 貴男を幸せにしてあげられなかった、そしてマリーさんに迷惑をかけてしまった愚かな妻のせめてもの願いと思って、切にお願いいたします。


貴男の妻、ルチアより』




「これは……?」

「お嬢様は旦那様が後妻を娶らぬであろうと予想されておりました。ゆえに、この手紙は『旦那様が独り身のまま若君に跡目を継がせて隠居なされたときにお渡しするように』と申し受けておりました」

「そんなことを言ったって、マリーが結婚するという可能性もあったであろう……。私が再婚するという可能性もあったであろう」


 当時彼女が独身であったとしても、その後、別の誰かと家庭を築く可能性は大いにあったわけで、ルチアの申し出はその未来を閉ざすものだ。それに私の方だって、心変わりしてしまっていたかもしれないというのに……


「彼女も承知の上です」


 マリーは私と別れた後、特定の男性と懇意になることもなく、仕事一筋であったという。


 ルチアは私がマリーと別れた後、密かに彼女と会って話し、信頼できる人に彼女の身を託したこと伝え、それからもその仲介人経由で定期的に連絡を取っていたそうだ。独身であることを聞き、彼女さえよければ第二夫人に迎えようとしていたそうだが、折り悪く病に倒れてしまい、自分がいなくなれば、私がマリーを後妻に迎え入れることはしないだろうと予測し、隠居した後に側に仕えるように頼んだのだとか。


「仮に旦那様の気が変わって後妻を娶っていても、勝手に決めたことなので恨む筋合いでは無いとマリーは申しておりました」

「なんでそこまで……私はあの子を捨てたんだぞ」

「それだけ慕われていたということではありませんか。男として人として、喜ぶべきことです」

 

 実現するかも分からない未来のために、彼女は今まで独り身でいたというのか……




「ロシター、マリーを呼んできてくれ」

「かしこまりました」


 そこまで皆が言うのなら、妻が望むなら、私も覚悟を決めよう……

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