生暖かき視線
隠居してから半年ほど。悠々自適ここに極まれりといった毎日を送って……いや、送らされている。
息子はまだ王宮の重臣の中で最年少。隠居して領地に籠るとは言ったが、親としては何歳になっても子のことは心配だから、有事があればいつでも手を貸せるようにと、領地に戻ってからも王宮や国内外の情勢は逐一情報収集する腹積もりであった。のだが……
「特に報告事項は無いだと?」
「旦那様に報告するような緊急の話はございません」
「そういうのじゃなくても、一般的な情勢とか、領地に籠っていては知らぬ話もあるだろう」
「旦那様は隠居の身。不必要に政の話を聞いて、あれやこれやとお考えになる必要がございません。のんびりお過ごしになればよろしいのです」
ロシターに聞いても、使用人の誰それに子が生まれたとか、最低限以下の、それこそ政に無関係の情報しか報告してくれない。
「言っておきますが旦那様、現侯爵閣下のご命令ですので、私以外の者に聞いても答えは変わりませんからね」
そこまでして私に何も知らせないつもりなのか? ならば領地経営の面倒見だ。代官の政務室に行ってみよう。
「これは先代様。いかがいたしましたか?」
「いやいや、手持ち無沙汰なものでな。何か手伝えることはないかと思って来てみたのだ」
「あー、お申し出はかたじけのうございますが、生憎と人手は足りておりますので、先代様のお手を煩わすようなことは……」
「何でもいいんだぞ。領地の視察でも、帳簿のチェックでも」
「いえ、本当に何も無いので……」
もしかして、私軽んじられてる? もしくは知らないところで悪さしているのを隠蔽している?
「滅相もございません。そのようなことは決して……」
「ならば何故じゃ」
「ええと……侯爵閣下からご先代の手を煩わせるようなことがあれば厳罰に処すると、キツく命令されておりますので……」
「またジョンのやつか……」
話を聞いて回れば、どうやら息子は本当に私に何もさせるつもりはないらしい。侯爵時代はほぼ毎日のように政務に携わって忙しくしていたので、どうにもこの状況に慣れない。
「ロシター、退屈である」
「隠居なんですからヒマでいいんです」
「だがなぁ……みんなノルマとか結果とか追い求めて、懸命に頑張っている姿を見せられて、私一人安穏というのは……何やら置いてきぼりな気がして寂しいものだ」
「他人からノルマを課されたり、結果を求められるのは、隠居された方のやることではありません」
そんなこと言ったってヒマなんだもん。
「ならば気晴らしに出かけてみたり、畑仕事を始めたり、何か新しい趣味を見つけるとか、自由に始めてみたらいかがですか」
「そうだな。ダラダラしていても良くないから、明日は気晴らしに郊外でも散策するか」
「では供の準備をいたしましょう」
<翌日>
「……で、お付きはマリーだけ?」
「旦那様付きの侍女ですから当然です」
「……同じ馬車に乗るのも?」
「ロシター様にそう命じられましたので」
「……分かった。行こうか」
向かったのは郊外にある湖の畔。いわゆるピクニックというやつだな。
仕事人間だった私にいきなり新しい趣味を見つけろと言われても、すぐにこれといったものが見つかるわけもないので、今日は適度に自然があって、適度に遊歩道が整っていて、屋敷から日帰りできるという理由でこの地を選んだ。
「さて、着いたはいいが、何をしたものか」
「湖畔を散策されてはいかがでしょうか」
「そうだな。そうするとしよう」
こうしてのんびりと湖畔の散策をし始めるのだが、マリーとの距離がなんだか近い。手をつないだり、腕を組んだりして密着するという距離ではないが、主人と使用人の位置取りでもない。だって、二人で横並びだぞ。
「これもロシターの指示か?」
「ええ。一時も旦那様から目を離すなと」
それは護衛役の騎士の仕事ではなかろうかと思うのだが、むしろ彼らとは微妙に距離が遠い。
「お主達、その距離で何かあったら守り切れるのか」
「旦那様はお強いので大丈夫です。初手の攻撃くらい、ご自身で防ぐことは造作もないでしょうから」
「護衛の意味が無いではないか」
「本来なら二人きりにしたいのですが、我々が職務怠慢と言われてしまうので、視界に入るのだけはやむを得ないとご容赦ください」
言っている意味がよく分からぬ。まるで私が邪魔だから付いてくるなと言っているようではないか。そして、なぜお前らは私に温かいまなざしを向けているんだ。今の会話のどこに、そんなほのぼのした雰囲気を出す要素があるというのだ。
「旦那様、ご迷惑でしたら私は下がりますが」
「いや、いい。話し相手がおらんではつまらぬ。それに、その手にしているのは昼食であろう」
「出先でつまめる程度の軽食ですが」
「マリーが作ったのか?」
「私の手で旦那様にご用意するようにと侍女長から……」
侍女長……ロシターと並び、侯爵家では古株の使用人だ。ロシターといい、護衛騎士といい、みんな揃って私とマリーをどうしてもくっ付けたいというのか……
「そうか……ならば久しぶりにお前の作った手料理を食べさせてもらおうかな」
とはいえ、折角用意してくれたのであれば、食べないわけにもいかないので、どこか適当な場所は無いかと探してみると、マリーがそちらの丘の上ではいかがでしょうかと提案してくる。
「おう、あの上なら眺めが良さそうだな。ほれ、荷物を持ってやろう」
「いえ、旦那様に持たせるわけにはいきません」
「ならば私の手を取れ。緩やかとはいえ、坂で転んではいかんからな」
「そんな……畏れ多い……」
「何を遠慮しておる。さあ早く」
「…………はい」
周りの思惑にまんまと乗せられた感は否めないが、彼女の手を取り丘を登っていく。
「のどかな場所だな」
「そうですね」
丘の上から見えるのは森と湖、城下町や平野に広がる一面の畑。長らく王都の喧騒の中にあった身にはゆっくりと時間が流れているように感じる。
「マリーはこのような田舎にやってきて後悔しておらぬか?」
「後悔も何も、旦那様のお側に仕えるのであれば何処なりとも向かうつもりでおりましたので」
「そうか……」
ポカポカとした陽気で、少し汗ばむくらいの好天の中、顔を撫でるそよ風が心地よいな……
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