一
春香達が海猫亭を目指しかつて人工的に作られた舗装されていない狭い道をひたすら歩いていると頭上から一粒の滴が落ちてくる。
ゆっくりとだが重く垂れこめた空から雨が降り注ぎ始めていた。
「冷たい……なに、雨?」
その様子に広美が肩に当たった雫を払いのけ呟く。
「ちょっと今日は晴れるって言ってたくせに。あの天気予報の嘘つき」
「いいから、早くどこか雨宿りできるとこ行こう」
洋子が愚痴るように言う隣で由紀子が二人を促し駆け足で森の中を走り抜ける。
「雨……雨は嫌い。いや、怖いよ」
三人の後ろを追いかけながら春香は呟くと、小さく身震いしてそっと身体を抱きしめた。
そうこうしている間にも雨足はどんどんひどくなりやがて遠くで雷が落ちる音が聞こえる。
「きゃあー。雷」
「ね、ねえ。海猫亭はまだなの?」
「地図によればもうすぐのはずよ」
由紀子がその音に驚き悲鳴をあげると広美がそう言って尋ねた。それに洋子が先生から渡された地図を広げてみながら話す。
「あ、あった!」
「よかった。やっと雨宿りできるわね」
「ずぶぬれになる前に辿り着けて良かったわ」
すると森の奥に取り残されたかのように佇む洋館が見てとれて三人は安堵した声をあげる。
「……ここが海猫亭」
急ぎ足で入り口まで駆けていく洋子達から大分遅れてやってきた春香は呟き空を仰ぎ見た。
そうして四人が慌てて駆け込んだ玄関前の屋根の下へと、同時に三人の男子高校生が走り込んでくる。
「ひゃ~。酷い目にあった」
「何でいきなり雨が降ってくんだよ」
「全くだよな」
男子学生達はそう言いながら上着を脱ぎずぶぬれになった服を絞った。
「貴方達は?」
「ん。あんた達こそこんなとこに何しに」
広美がそう尋ねると短髪の男子が不思議そうに尋ねる。
「あ、分かった。あんた達も肝試しだろ」
「肝試しじゃないわよ。学校の宿題でレポートを書くために……ってか、あんた達昼間っから肝試しにきたの」
その時少し癖のある髪の少年がそう言うと、洋子が答えながら呆れかえった顔を向ける。
「昼間に窓から人影が見えたってクラスの女子が噂しててさ。それで今日それを確かめにきたってわけ」
「やだ、ここ今はだれも住んでないんでしょ。なのに人影なんて……見間違いじゃないの」
ウルフカットの少年の言葉に由紀子が薄気味悪いといった顔で言う。
「それを確かめるためにきたのさ。僕は
「俺は
「ぼくは
短髪の男子が答えると名乗る。続けて癖のある髪の子が自己紹介すると歯を見せて笑う。最後にウルフカットの少年が言うと続けて尋ねた。
「私は羽柴洋子よ」
「私は秋田広美」
「で、私は山根由紀子」
「あ、あの。私は細野春香です」
少年達が順番に自己紹介してくれたので洋子達も名乗る。春香も控え目に声をあげた。
「いや~参った、参った」
「急に降って来るんだもんな」
自己紹介が終わったところで今度は男性の声が聞こえてきて、玄関前に慌てて二人の人物が駆け込む。
「おや、こんなところに子どもが七人も」
「君達、こんなところに何しに?」
「私達は学校の宿題でレポートを書くためにここに来ました」
「僕達は肝試しで~す」
カメラを持った男と帽子を被った男性に声をかけられ由紀子がすぐさま答える。すると真一がちょっとふざけた様子で答えた。
「へぇ~。宿題に肝試しね。いいねそれ。君達の話取材内容に付け足させてもらうよ」
男性が言うと濡れないようにと大事にカバンの奥底に入れていたメモ用紙と、胸ポケットからボールペンを出して何やら書き出す。
彼の言葉に春香達は目を瞬き不思議そうな顔をする。
「あ、オレは歴史と今って言う記事を書いているルポライターなんだ。今回は歴史上もっとも有名なこの海猫亭での怪奇現象についてを取材しに来ててね」
「で、俺はカメラマンというわけだ。記事に載せる用の写真を撮るのが仕事なんだよ」
彼がその視線に気づき笑顔で説明すると、隣でカメラを構えて彼女達の写真を撮りながら男性が答えた。
「オレは
「俺は真辺さんの旅の同行者の
信一郎が言うと皆に名刺を手渡す。孝弘も名乗るとにこりと笑った。
「しっかしよく降るね」
「このままじゃ何だし中にはいろっか」
信一郎が言うと空を見上げる。孝弘もこのままではよくないと判断したのか皆を促し中へ入ろうとした。
「おや、お客様ですか? こんなところにお客様とは……珍しいですね」
「……?!」
その時玄関の扉が開かれ男性の声が聞こえてくる。誰もいないはずの海猫亭から人が出てきたことに皆驚いてそちらへと振り返った。
「海猫亭へようこそ。ワタシはここを管理している
「は、はい。……管理人がいるなんて聞いてなかったけどなぁ~」
深緑の軍服に帽子を被った男がそう名乗ると彼等を屋敷の中へと出迎える。それに返事をした孝弘だったが怪訝そうに首をひねった。
「皆さん。お客様ですよ。さあ、さあ。出迎えてあげて下さいな」
「海猫亭へようこそ。外は雷雨で危険すぎる。さあさあ、遠慮はいらん。中へ入ってゆっくりくつろいで行ってくれたまえ。おっと、自己紹介を忘れるところじゃった。ワシは
口髭を生やした紫色の軍服に帽子を被った一番年長の男がそう言うと、柔和な笑みを浮かべてエントランスの中央で出迎えてくれる。
「わたしは
「オレは
輝夫の横に並んでいる白色の軍服を着た男性が言うと、隣に立つ黒い軍服を着た十九歳くらいの青年が話す。
「おれは
「ボクは
青色の軍服を着た少年が言うと、赤茶色の軍服姿に帽子を被ったあどけなさの残る十二歳くらいの男の子が一生懸命に答えた。
「俺は
「ぼくは弟の
青色の軍服姿で右目に眼帯をしている少年が名乗ると隣に立つ黒い軍服姿の太知が柔らかく微笑み自己紹介する。
「……オレは
紺色の軍服姿の男性が暫く黙り込んでいたが志郎が視線を送りにこりと微笑んだので、口を開くと落ち着いた声音で自己紹介した。
誰もいないはずの海猫亭には九人の住人が住んでいて彼等はここの管理をしているというのだ。
それに驚きながらも春香達も自己紹介をすませこの日はここに泊めてもらうこととなる。
「春香さんはこちらの部屋になります」
「あ、有難う御座います。雪宮さん」
真男の案内で客室へと連れて来てもらった春香は礼を述べた。
「真男でいいですよ。春香さんの方が年上ですしね」
「そ、そうですけど。でも初対面ですから」
にこやかに笑いながら言われた言葉に彼女はおずおずとした態度で話す。
「……」
「……?」
春香の言葉に少し悲しそうな顔で黙り込む真男。その様子に不思議そうに彼を見詰める。
「いえ、春香さんは礼儀正しいのですね。でもボクは年下ですからこれからは敬語はやめて下さいね」
「は……はいじゃなかった。う、うん。分かった。気を付けるね」
小さく笑うとそう話す真男に春香は、気分を害するようなことを言ったのではないだろうか、と気にしながら返事をした。
「それではゆっくりお休みになってくださいね。ああ、部屋の中に着替えなども用意してますので、自由に使ってください」
「うん。真男君ありがとう」
彼の言葉にお礼を述べると立ち去っていくその背中を見送る。
「……わぁ~」
真男の姿が見えなくなってから扉を開けて中へと入ると春香はつい歓声をあげてしまった。
女の子らしいピンクの壁紙には白い蝶が舞う姿がかたどられていて、電球にはシャンデリアを思わせるようなカバーと飾りがついている。アンティーク調のベッドとミニテーブルに緑色のカバーがつけられた一人用ソファー。奥に行くとテラスがあり小さな中庭にも出られるような作りとなっていた。
「こんな素敵なお部屋。私が使ってもいいのかしら」
海猫亭が建てられた時期は明治の初め頃。その頃にこんなにも洋風テイストの作りが日本に伝わっていたのだろうかと疑念も沸いたが、それ以上にこんな可愛らしい素敵なお部屋を借りても良いものなのかと考えてしまう。
「あ、クローゼットも可愛い」
アンティーク調のクローゼットの取っ手には金色の金具が取り付けられていて、花柄の彫刻がほどこされていた。
「中に入ってる服を使ってもいいって言ってたけど……」
真男の言葉を思い出しクローゼットの中を見る。そこには日本らしく着物や女性用袴をはじめ洋服もいくつか仕舞われていた。
「下着は……ああ。この下の箱の中に入ってるのね」
服以外見当たらないなと思い下を見ると箱の中に下着が仕舞われていて、全部そろっていることに安堵する。
「ここの住人さん達は男性ばかりだったから。服はあっても下着までは用意してないかもってちょっと心配してたのよね」
正直な思いを口に出すとちょっと失礼だったかなと苦笑しながら着替えを持ちお風呂場へと向かう。
「たしか天月さん風呂場は一階の東側だって言ってたわね」
夕食が終わりそれぞれ部屋に案内される際に、志郎がこっそり耳打ちして教えてくれた内容を思い出しながら部屋を出る。
「……」
洋子達もお風呂に入っているだろうかと考えて足が止まってしまう。
「お風呂の時くらいはゆっくり浸かりたいものね」
風呂場に彼女達がいないことを願いながら、恐怖で固まってしまう足を何とか動かし、廊下を歩いていった。
「……良かった。誰もいない」
風呂場へと到着すると明かりがついていたのでもしかしたらと考えていたが、勇気をもって覗いてみた脱衣所には誰の姿もなくほっと息を漏らす。
「脱衣所も大きいのね」
自分一人だけしかいない空間は少し寂しくも感じたが、洋子達にぐちぐち言われながら入るよりはましかと思いながら、濡れてしまった服を脱ぎ風呂へと入る。
「流石にお風呂はバスタブじゃないのね」
中に入ると旅館を思わせるような石を組んで作られたお風呂にみちみちと湯がはっていて、その様子が洋館である海猫亭にちょっと似合わなくて春香は笑ってしまう。
「体を洗うのは……ここね。ちょっと使い方が分からないけど何とかなるわよね」
明治頃に作られた風呂場の蛇口は今とはやり方が少し違うようで何回も水を被ってしまう。悪戦苦闘しなら何とか使い方が分かりお湯を出すことに成功すると備え付けてある石鹸で体を洗う。頭を洗うシャンプーとリンスはなかったが似たようなものがあったのでそれを使い洗い終えると湯船へと浸かった。
「ふぅ~」
熱いお湯の中へと入ると溜息を零し身体を伸ばす。
「雨、まだやまないわね」
風呂場から見える外には暗い森の中に激しい雨粒がどんどん落ちていく光景が見えた。
「まあ、家に帰っても一人だから。誰も心配する人はいないんだけどね」
そう呟くと肩まで湯船につかり体を抱きしめる。彼女の両親は春香が五歳の時に飛行機事故で亡くなっている。その後祖母の家へと引き取られたが、彼女が中学に上がる頃に祖母も亡くなってしまった。今は一人で祖母の家で暮らしている。独りぼっちにはなれてきたが、やはりたまに人恋しい時もあり悲しくて寂しくて辛い時は、自分の身体を抱きしめる様に小さく丸まるようにする。
そうすることで少しでも気持ちを落ち着けようとするのだ。学校でも家でも独りぼっちの自分をそうして慰めるように、ただ何も言わずに自分の身体を抱きしめる。それだけで少し気が楽になった感じがした。
「……!?」
その時誰もいないはずの脱衣所から何か物が落ちる音がして春香は驚く。もしかしたら洋子達がやってきたのではないのかと思い身構える。
「ああ、すみません。替えの桶を持ってきたのですが、どなたか入られておりますか?」
「天月さん……は、はい。すみません。雨でぬれた体を温めようと思いお風呂に入っていたのですが、まさか人が来るとは思ってなくて。一言断わってからにすればよかったですね」
脱衣所にいる人物が志郎だと分かり少しほっとすると固くなった体をやわらげそう話した。
「ああ、春香さんでしたか。いえ、ワタシこそすみません。誰もいないと思って入ってきてしまいました。桶はここに置いておきますね」
「は、はい」
志郎の言葉に彼女は返事をする。そして彼が桶を置いた音が聞こえ脱衣所から人影がいなくなった。
「……なんで私、天月さんだって分かったら安心したのかな」
一人きりになった風呂場で疑問を呟く。その答えが分かるはずもなくこれ以上考えても無駄だと判断しお風呂から出る。
外では再び雷が鳴り響いていて、いつまでも雨はやみそうになかった。
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