最南端でひとりごと

朱々(shushu)

最南端でひとりごと


 イトコに招待された結婚式は親族でお揃いのムームーを着るはめになり、リゾート地で必死に作り笑顔をした。そして繰り返される、「次は依子よりこちゃんの番かしらね?」という言葉たち。

 どうか放っておいてくれ、としか言えない。


 たしかに世間一般的な結婚適齢期は過ぎたかもしれない。同級生たちは子どもを産み育てているかもしれない。だが、私には至極別世界なのだ。


 「ひとりでいること」を、私は自ら選んでいる。


 世間にはテレビがありラジオがあり、小説がありエッセイがありマンガがあり、各社配信サービスは充実し、サブスクはあらゆる欲望を埋め尽くしてくれる。SNSだって情報収集するにはうってつけで、YouTubeは無料で公式の娯楽がいくらでも蔓延している。


 気になった映画はひとりで映画館へ行き、同時にマッサージの予約もする。気分転換に美容院へ行き、ときどき大胆に髪型を変える。楽しそうな美術展に足を運び、それまで知らなかった美しい世界に飛び込む。カウンターがある居酒屋にはひとりでも入る。こんなに充実した日々があるだろうか。


 だから私は、さみしいなんて思ったことがない。


 いや、厳密には、恋をしていたときはそんな感情もあったかもしれない。でもそれはとうの昔に、高速道路を駆け抜けるように過去のモノになった。別れを迎えたとき、自分が泣いたのかも覚えていない。さみしいや悲しいすら、思わなかった恋だったように思う。

 食に無頓着な自分は、三日三食同じモノでもいいと思ってしまう。食べられればなんでもいい。少食を自覚しているので、そもそもそんなに三食も食べられない。




 「十一月に挙げる結婚式、沖縄で挙げるから絶対に依子ちゃんも来てね!」とイトコから言われたのは、七月とか八月とか、とにかく夏だった。はじめは欠席してもいいかと思ったが、両親に説得されたオチである。イトコは続々と結婚していき、彼女は私を残して、最後のイトコ独身者から既婚者になる身となった。


 有給を溜めに溜めまくり、むしろ取得しろと上から小言を突かれている私としては、これを機にそのまま沖縄旅行をしようと企んだ。休みをくださいと上司に言うときは少し緊張したものだが、普段の行ないの影響か、いってらっしゃい!と簡単に受け入れられた。有給の溜めすぎも出る杭らしい。ただ仕事と真摯に向き合っているだけなのに、なんだか収まりが悪い。なんにせよ、有給は無事に確保できた。


 結婚式自体は一日で終わる。

 せっかく許された休みで何をするかと考えたとき私は、「波照間島に行ってみたい」と漠然と思った。

 波照間島は、日本最南端の有人島である。東京ド真ん中で生まれ育った身としては、「島」という単語にすら高鳴るワードだった。

 この国の最果てを、行き止まりを、この目で見てみたいと思ったのは、ただただなんとなくである。わざわざ沖縄まで足を伸ばすのだ。行く価値がありそうだと思い、家族の誰にも相談せずさっさと宿とフェリーの予約をした。




 「帰り、空港でご飯食べてから解散する?」

 母親からメッセージが届いたのは十月の終わり。ひとり旅計画をすっかり伝え忘れていた私は、ものすごい速度で文字を打ち返信をした。端的に言えば、「帰りは別だよ」と。「え!聞いてない!」と返信が来たが、言っていないので当然である。

 母親は今回の沖縄旅行を楽しみにしているようで、ガイドブックを買ってはにこにこと眺めているらしい。仕事を機に実家を出た私は、今も両親と共に住む妹からの情報でなんとか家族関係を成り立たせていた。

 「どうして別なの?!」とさらに返信は来ていたが、仕事で家を出る時間だったので、携帯をカバンに放り込んでは靴を履いた。その日の夜、適当に返信をした。


 結婚式の参列者が誰なのかを聞くのは、心が疲弊するのでやめた。どうせ誰がいても、言われることは同じだろう。

 めんどくさい、めんどくさい。なのに参列しないといけない。

 大人って、なんて面倒くさいのだろう。

 子どものころ想像していた大人は、もっと自由で華やかだったはずなのに。

 そんなことを思いながら日々を過ごしていると、気付けばあっという間に沖縄へ向かう日を迎えた。




 十一月下旬の沖縄は天気が良く、既に寒い東京ではセーターを着るくらいなのに、全く必要がないくらいだった。

 集まった親族たちは顔馴染みの人もいれば、何十年振りという人もいた。自分はもう大人なのだと自覚しながら、至極適当に会話をする。余計な話はしたくない、と思いつつ、余計な話をしなければいけないのがこういう場だとひしひしと感じた。

 そして一番繰り返されるのが、「次は依子ちゃんの番かしらね?」という言葉たちである。


 「いい人はいるの?」

 「依子ならどんな式にしたいとかあるの?」

 「和装も似合いそうね」

 「ひとりだと先々が大変よ」

 「女は若いうちに子どもを産んだほうがいいよ」

 「最近ほら、孤独死とか、聞くじゃない?心配だわ」

 「どんな男の人が好みなの?」

 「自分の老後は自分の子どもにみてもらうのが一番だよ」

 「結局女は家庭に入るのが良いと思うの」

 「女性が働くのは全然良いと思うけど、ひとりなのはさみしいはずよ」

 「ひとりで生きていくなんて無理よ」

 「これからの人生設計、結婚の予定はいつごろ?」


 まるで、回転寿司のように会話が回ってくる。声をかけられるたび心の中でげんなりとしつつ、あくまで表向きは笑顔を作った。表情筋が引き攣る。目はきっと笑っていない。それでも続ける。だって私は、大人だから。


「そうですねぇ。そういうのってタイミングもありますし、私は全然〜」


 あぁ、めんどくさい。


 めんどくさい。めんどくさい。めんどくさい。


 手当たり次第、とにかく笑顔を作った。これは仕事だ、とすら思いながら会話をする。給与の出ない仕事をこなす自分は、我ながらよくやっていると労う。口角を上げれば上げるほど、虚しくなった。


 どうしてこう人は、他人の人生に土足で踏み込むのだろうか。ただの時間潰しでも、答えたくないことなんていくらでもある。聞いてほしくないことなんて山のようにある。それでも、話を合わさなければならない。


 うるさい。しんどい。めんどい。つかれる。


 体の疲れよりも、心の疲れのほうがよほど体に染みた。

 壊れそうなこの心を理解してもらえる相手がいないことも、十分わかっていた。




 結婚式はなんとか終わり、ようやく一人になれたのは夜、部屋に戻ってからだった。

 体が怠い。鉛のように重い。頭が痛い。

 原因はなんなのだろう。慣れない場所にいたからなのか、久しぶりに会う親戚たちのせいか、苛立つ会話たちなのか。そのどれもが該当している気がした。

 決して、結婚を否定しているわけではない。イトコに対して祝福する気持ちはある。もちろん本人にも、おめでとうの気持ちは伝えた。

 惚気話を聞いて、素直に可愛いなぁと思うときだってある。

 ただ、"自分の事"として考えると話は別なのだ。


 昔は、多少の結婚願望もあった。付き合っている人もいた。なのにいつの間にか意識は薄れ、ひとりでいることに慣れてしまった。

 慣れた、というより、選ぶようになった。

 誰かと一緒にいることが、苦痛になることすらあった。連絡をするのも億劫になった。人は私のことを「孤独」と呼び、憐れみの目を向けるかもしれない。その視線に、反発しようとは思わない。だって今の私は「孤独」と指をさされても、「かわいそうだ」と思われても、この自分が安心するのだ。どんな立場の人間に言われても、きっと変わらないだろう。


 なぜ人は、自分と違う人間に後ろ指を刺すのか。

 責任もとれないくせに、無理矢理心のドアを開けようとするのか。

 ひとりでいる人間をかわいそうだと思う己に、酔っているのだろうか。

 なんにせよ、迷惑なはなしである。


 そんなことをぐるぐると考えていると瞼がだんだんと重くなり、結婚式参列の日というイベントは無事に終了した。






 翌日、石垣島の船ターミナルから波照間島行きのフェリーに乗った。硬い椅子は船が出発するとガタガタと揺れ、なんだか知らない場所へ連行される気分すらあった。

 窓から見える景色は、真っ青な海と違う色味の真っ青な空。真っ直ぐな地平線を基準に、フェリーはどんどんと進んでいく。


 途中、地図アプリを立ち上げてみると、ものすごい勢いで石垣島から離れていることがわかった。現在地がスピードを上げてあらゆる島たちを追い越し、日本最南端の島・波照間島へと向かってゆく。


 自分で決めたはずなのに、なんだか夢心地だった。前日に参加した結婚式がもう遠い昔のように感じていたのと、出てきた料理の味すら忘れていた。

 旅でしか得られない高揚感を、久しぶりに体感した。


 フェリーから降りると、波照間島のターミナルは実にこじんまりとしていた。そんななか、ホテル名が車の外観に書かれたワゴンを見つける。

 かなりの緊張を含みながら「予約した佐々ささじまですが…」と声をかける。

 日に焼けた肌とロングヘアーを振り乱し、「お待ちしてました、いらっしゃいませ。ようこそ!」と若い女性が出迎えてくれた。ここでひとまず、ミッションがひとつクリアされた。

 無事に、波照間島へ辿り着いたのだ。天気は良好。眩しいくらいだ。

 このわくわくと緊張感は、他の何にも変えられないだろうことを私は知っていた。




 ターミナルからワゴンに揺られ、約5分ほどしてホテルに到着した。部屋はワンルーム、トイレ・バス付き、テレビ、冷蔵庫、エアコンあり。着いた日は安心しきったのか、とてつもない睡魔が私を襲った。慌ててシャワーを浴び、眠りにつく。時間は10:00と、とんでもない健康優良児そのものだった。普段生活をしていて、こんなに早い時間に眠ることはない。

 私の部屋は二階で窓がついており、少し開けておいた。

 波照間島からは音がなんにも聞こえてこなく、普段暮らす賑やかな街が嘘のように感じる。


 ここには電車もバスもない。夜、車が走ることもない。踏切の音も、車掌さんの声も、隣の家の音も、何も何も聞こえない。

 コンビニも24時間営業のファミレスも、大きなスーパーもスタバも、賑やかな居酒屋もない。

 ひたすらの、静寂。

 共鳴する、自然の音たち。

 少し窓を覗けば、星が燦々と輝いていた。屋上まで見に行こうとかと思ったが、そんな気力すらなく寝落ちしてしまった。

 「なにもない場所」の贅沢を、体の中心から味わった。




 明朝七時。普段休日はとてもじゃないがこんな時間に起きられないが、そこは旅行である。七時三十分までに食堂に来ると朝ごはんが無料だ、ということで、勇み足で向かった。

 朝から食事をガッツリいただき、いよいよ、日本最南端を目指す。


 予約していたレンタル自転車はホテルの裏に並んでおり、どれを使ってもいいらしい。注意点として言われたのは、鍵をかけないこと。鍵を閉め、鍵をなくす人が多いという。なんとおおらかな町だろう。


 八時過ぎにはレンタサイクルに飛び乗り、足を進ませた。波照間島の陽気は暖かく、もう半袖一枚になるのが適切だった。足を漕ぐたび、汗が落ちる。半袖Tシャツと、大きめのハンドタオルを持ってきて正解だった。


 自転車に乗り最初は、昨日到着した港へ向かった。下り道を駆け抜け、ターミナルに着く。船はまだ来ていないので、静寂そのものだった。ターミナルと言っても何か大きな施設があるわけではなく、ただ本当に船着場だった。海の向こうに、「ようこそ波照間島へ」という看板があるが、それもまた年季が入っているように見える。


 昨日自分がここに来たことがなんだか信じられず、それこそ本当に、結婚式に参列したのがもう何週間も前のように感じる。

 ターミナルで気分転換をしたあとは、近くの浜辺へ寄った。自転車を降り、鍵は閉めず、砂浜へ向かう。オーシャンブルーは果てしなく続き、真っ白な砂と共に、まるでポストカードのような風景だった。


 幼い頃から都会育ちで、両親共に東京出身のため、私には田舎という存在がない。それゆえか、自然を目の当たりにすると、とてつもない感動が自分を襲う。この大自然の美しさに比べれば、自分なんて、なんてちっぽけなものなんだろう。

 そして、この景色を見るために生まれてきたと言っても過言ではないとすら感じてしまう。コンクリートジャングルで生まれ育った自分は、自然が身近ではない。


 ベンチもあったため、ぼーっとしたり、写真を撮ったりしながらと、なんだかんだ三十分弱はそこにきた気がする。何もないその場所で、まるで私の体内の空気が全て入れ替わったような気分になった。


 そして次は、念願の日本最南端を目指す。


 波照間島は小さいため、自転車さえあればどんどん移動ができる。地図アプリを確認しながら、どんどんとペダルを漕いだ。


 その日の私は日焼け止めは塗ったものの、すっぴんだった。じんわり染みる汗を拭い、途中は水を飲み、どんどんと進む。朝早かったせいか人がほとんどいなく、まるで異世界のようにも感じた。


 途中、牛を見かけた。山羊の放し飼いを見た。下り坂の自転車は風が心地よく、どこまでも飛べそうな気持ちになった。


 走り続けてどのくらいだったろうか。突然、「最南端←」という石に手書き文字の看板を見つけた。看板といっても立てかけられている、というより、道に直に置かれている形だった。看板の隣には、野生の山羊は四匹ほど群れていた。

 方向が間違っていないことに安心して、山羊の邪魔にならない程度にスピードを出す。両脇は、麦なのかさとうきび畑なのか、私にはさっぱりわからなかった。だが、まるでモーゼの十戒如く切り開かれているその道で、私は鼻歌すら歌っていた。


 日差しは暑い。疲れからか、ペダルもどんどんと遅くなる。誰もいないので、この道が合っているのかがわからない。それでも、自分を信じるしかなかった。あの心許ない看板を信じて、私は前へ前へと進んでいく。下り坂では思わず両足を開き、とても都会じゃ味わえない開放感だった。


 そこが行き止まりで、まさに日本最南端だとわかったのは、もはや直感だった。なんせ、看板もなにもないのである。自転車を止め降りた私は、身一つで階段を上がった。そこにあったのは、柵のない崖。【日本最南端】という石碑。平和を願う石碑もあった。少し息切れをしながらも、到着した感動が突然勝つ。

 なにもない、突き当たり。真っ直ぐな地平線が、揺るぎなく存在した。


 ここが、日本の最南端。


 日本の行き止まりである。


 真夏でもない十一月のこんな日にTシャツ一枚で汗だくになって、誰もいない崖のうえでひとり、石碑を見つめる。ここは、日本最南端の地。


 漕ぎ切った自転車と、丘へ登りきった安心感で、鼓動が早くなる。それでも目の前に広がる雲ひとつない真っ青な空と、鉛筆で描いたような地平線。足元は少し不安定な崖で、前に行けば行くほど、気を緩むと落ちてしまいそうなほどだ。

 カバンからタオルを出し、汗を拭う。すっぴんでよかった。日焼け止めはつけているが、もう、汗で落ちてしまったかもしれない。


 他に誰もいない、朝八時過ぎの世界。日本最南端の地には今、正真正銘、私しかいない。この美しさ、この開放感、この心臓の鳴り方を、私はこれまでの人生で知らない。

 辿り着いてしまったこの土地は、広く大らかで、純粋で美麗で、何人たりとも受け入れてくれる気がした。それが汗だくの私でも、結婚に興味のない私でも。

 結婚式に参列したのが嘘だったように、記憶は一気に目の前の景色に塗り替えられた。


 私は私で、この道を選んだ。この景色を見るために、ここまでやってきた。この私の行動を、誰にも否定なんてさせない。許しもいらない。否定されたってどうでもいい。

 私は、私が来たいから、ひとりここまで辿り着いたのだ。


 そう思うと、数々言われた癪に触る言葉たちが、薄くなる感覚になった。


 少し汗が落ち着いたころ、やさしい風が吹いた。

 あぁ、ここまで来てよかったと、心の底から思う。


 たしかにこの地は、行き止まりかもしれない。けれど振り向けば、新しい道がある。私の人生は、まだまだ続くのだ。それはどうしようもなく悲しいかもしれないけれど、探したら、なにかが私を待ってくれているのかもしれない。

 そんな希望すら抱けた。


「次は依子ちゃんの番かな?」


 うるさい。


 でも、もういいよ。

 あなたたちが、結婚という小さな世界に雁字搦めになっているんだと、私は思うようにする。だってひとりはこんなにも自由で、翼を持って羽ばたけるんだもの。あなたたちにはきっと、知らない世界だ。


 この達成感と解放感と充実感を得られるなら、私はひとりを選ぶ。

 誰に何を言われても、私はひとりを選ぶ。


 けれどそれは、孤独じゃない。


 私が私に責任を持って選ぶ道だから、さみしさなんて、ない。


 日本最南端の地を見つめながら、実に晴れ晴れとした気持ちになった。

 時間も少し経つと他の観光客の方が来て、少しずつ賑わいを見せた。私はひとり足元に注意しながら崖を降りてみたりして、ひとりスリルを味わった。石碑と自撮りでツーショットを撮ってみたり、広がる美しい景色をこれでもかと写真に収めた。この目に映るなにもかもを、形として残したい。そんな想いで、シャッターを切った。


 さみしくない。強がりじゃない。

 私はひとりでも、世界をこんなにも美しいと思える。

 誰の許しも得ずに生きることを、無理強いされない人生を、私は選び続けたい。

 同じように、どんな他人のことも受け入れられる自分になりたい。

 私は、大人じゃなくたっていい。

 私は私で、生きてゆく。


 爽やかな風に揺られながら、最南端でひとり、己に誓った。





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