エピローグ(前)
アイツが虎太郞にベランダへ連れ出さようとしたとき、あたしは止めようとしたけれど、ふと我に返ってその手を引っ込めた。
この先はアイツ自身で何とかしなければならない。あたしはアイツの親でもなければ仲間でもないのだから。
教室を抜け出し、ひとりで階段の窓からぼーっと外を眺めていていると、ドカドカと上から降りてくる足音が近づいてくるのが聞こえた。
朝の
「さーかーもーとー! お前こんなとこで何をしていたー? せっかく早く来ていても、朝の出席点呼にいなければ遅刻になるんだからなー?」
「あはははは、今さらあたしは遅刻の回数なんか気にしないって」
「気にしろ、馬鹿モンがー! 義務教育とは違って高校は出席日数が足りないと卒業はおろか進級すらできないんだぞ? そんなことになったら好恵さんに申し訳なくて切腹せねばならんことになるだろーっ、この俺がなーっ!」
好恵はあたしの母ちゃんの名だ。母ちゃんはクマセンの高校の先輩なんだ。
「いやいや、いくら母ちゃんでもクマセンに切腹を命令するなんて……」
そう言いながら、急にあたしの背筋がぞくぞくと寒くなってきた。
母ちゃんは地域でも有数のレディースの総長として名を馳せていた。今ではスーパーの店員としてすっかり社会に馴染んでいるけれど、今でもその片鱗は見せることがある。
頭に血が上ったら最後、破壊の限りを尽くすモンスターと化すのだ。
「クマセンも気苦労が絶えないね……」
「お前が言うな、お前がー! お前がまた問題起こしやがったら、俺は担任として、今度こそ好恵さんを学校に呼び付けなければならなくなるー! そうすると俺が精神的に死ぬー!」
真顔で言い切るクマセンに思わず笑いがこみ上げてきた。
「あははは、しかしさっきの『クマセン劇場』は最高に面白かったぜ! クマセンもやるときはやれるんじゃん? めっちゃ担任教師って感じがしたよ!」
「ふん、言ってろ、クソガキが!」
「あ、教師がそんな暴言吐いていいのかなぁ? 母ちゃんに言いつけてやろうかな?」
「ふんっ。好恵さんは口の利き方ひとつでとやかく言うお方じゃねーだろ! 逆にテメェーが何かしたんだろーってぶん殴られるのがオチだー!」
「あははは、だよねー……母ちゃん、口より先に手が出てくるもんなー」
「そうだろうー?」
そうして笑い合っていると、階段を行き交う生徒たちから物珍しそうに視線を向けられていることに気付き、ハッと我に返る。
あたしたちは同時に咳払いして、しばし無言の時間が過ぎていく。
「……母ちゃん、一度ぐらい線香を上げに来いって言ってたよ?」
「ああ……そのうち行くって伝えといてくれ。……いや、やっぱ言わなくていい。……
そして、あたしが小三のときに病気で死んでしまった。
「丈翔さん、元々身体が弱かったものな……もしやお前が亀山の肩を持つようになったのはそういうことか?」
「え」
「亀山が病弱だと聞いて、丈翔さんとイメージが重なって同情したんだろ?」
「ち、
「じゃあ、なぜ亀山の肩を持つんだ? いじめられている奴のことなんて、お前にとっては道ばたの石ころみたいなもんだろ? それとも……これまで秘めていた正義感でも芽生えたか?」
「うっ」
ニヤリと口角を上げるクマセンを見てイラッとしたけれど、言葉が詰まって言い返す言葉が出なかった。
言えない。
クマセンには絶対に言えない。
絶対に馬鹿にされてしまう。
助けを求めるような目で見られたら、あたしは思わず抱きしめてやりたくなる。
どんなことをしてでも助けてしまう。
これは『正義の心』なんて格好の良いものではない。
あたしの最大の弱点だ。
「なあクマセン……あんたの真面目な話をしているときにニヤッと笑うそのクセ、気持ち悪いから直した方がいいよ……」
あたしはクルッと背を向け、急ぎ足で階段を上がっていく。
あの子猫のようにオドオドとしていて、ついつい気になってしまうアイツが待つ教室へと向かった。
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