消えない二文字

「ガハハハハ、そうか。まあ、佐々木本人がそう言うなら……まあ、そういうことなんだろうなー! ガハハハハ……」


 クマセンは自分の膝と虎太郞の肩をパンパン叩いて豪快に笑う。

 僕はまだぽかんと口を開けて立っている。


「さあー、皆席に着けー! 朝の出席点呼するぞー!」


 クマセンがパンパンと手を叩きながら声を上げると、生徒たちは一斉に動き始める。

 そんな中、斉藤さんと吊り目気味の友達は二人でボソボソと何か話しながら、時折冷たい視線を僕に向けてきた。 


 違う。そうじゃない。

 それは彼女達を気にして僕が見ているから、視線が合ってしまうんだ。

 いいかげん学習しなければ……。


「亀山ァー、ちょっとこっち来い!」 

「あわっ?」

 

 いつの間にか目の前に虎太郞が来ていて、僕の腕をグイッと引っ張った。まるで誘拐犯に連れ去られる小さな子供のように、僕はベランダに連れて行かれてしまった。

 初夏の朝の日差が目に入り、僕は思わず目を細める。

 ピシャッと掃き出し窓を閉めた虎太郞は、見開いた目でじっと僕を見下ろす。


「亀山ァ~」

「ご、ごめん……なさい」


 開口一番に僕は謝った。しかも敬語で。


「なぜ謝る?」

「えっ!?」


 虎太郞の顔を見上げると、彼は『おや?』と不思議そうな表情をしていた。


「ぼ、僕があんなところを殴ったから……怒っているんじゃ……ないの?」

「ああ、そのことか……」


 虎太郞は一瞬ばつの悪そうな表情を見せて、コホンと咳払いをしてから言葉を繋げる。


「あれは相手が亀山だからと、舐めきっていた俺自身の責任だ。あの雰囲気にノってしまい、不覚にも無防備になったところにあの一撃は堪えたぜ……。だが、確かに貴様の行為は卑怯だった。喧嘩とはいえあれは決して許されるものではないぞ」


「あ、はい……」


 僕は素直に頷いた。

 阪本さんに『タマをとってこい』と言われたからといって、それをやるかどうかは僕自身に任されていた。だから、これは僕の責任だ。


「だからと言う訳ではないんだが……今回の件はクマセンには黙っていてくれ! 頼む!」


「……はい?」


 驚いたことに、虎太郞は深々と頭を下げていた。僕に向かって。


 ベランダにいる僕らの姿は教室の中からは丸見えで、『なんだなんだ』と騒がれている。

 それに気付いた虎太郞は、焦った様子で今度は僕の胸ぐらを掴んだ。


 なぜだー?


「不意打ちとはいえ、貴様などにやられたことをクマセンに知られたら、メンバーから外されちまう。それだけは避けねばならんのだ! クマセンに黙っていてくれるなら、俺はもうお前には手出しはしないと約束する! だから黙っていてくれ!」


 言葉と行動がまったく伴っていないのは気のせいだろうか?


「で、でも……僕が黙っていても……他の人も見ていたよね?」

「ああ、それなら心配はないぞ!」


 虎太郞は僕の胸ぐらから手を離し、クルッと背中を向ける。


「この一件をクマセンに知らせるとなると、皆の貴様へのいじめも学校側に知られることになっちまうからな! それは皆避けたいだろう?」

  

 そう言い残して、虎太郞は一人教室へ戻って行った。そんな彼の背中を見送りながら、僕は考えていた。

 

 これもいやがらせなのだろうか? それともただの天然?

 それとも……


 内鍵を掛けられた掃き出し窓から中の様子を眺めてみると、もう阪本さんの姿はなかった。


 机に彫られた『バカ』の二文字が、光の加減なのか妙に目立って見えていた。

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