正義のノーカウント
いやいやいや、ちょっと待て僕!
いくら何でも不良の阪本さんが『僕のヒーロー』ではないだろう?
メルヘン男子にも程がある。
僕はブルブルと首を振って、阪本さんの顔に視線を戻す――
ん!?
そこで僕は彼女の唇の端が、ピクピクと引きつっていることに気付いた。
え!? なにこの複雑な表情は!?
コミュ力ゼロの僕には、この表情の意味を読みとれない。
頭の中が軽くパニック状態になっていると、それに追い打ちをかけることが起きた。
「さァーかァーもーとォォォー! お前そこで何してるんだァァァー!」
柔道着姿の大男が叫びながら全速力で走ってきたのだ。
僕らのクラス担任のクマセンである。
その声を聞いた瞬間、皆は蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
残された僕と阪本さんの目の前で、ズサササーッとオレンジ色の運動靴で地面を滑らせブレーキをかけるクマセン。
落ち葉と共に土埃が舞い上がり、僕はゲホゲホとむせてしまった。
「あー? 今のやつら全員俺のクラスの連中じゃないかー? 本当に何していたんだオマエらこんな所で……?」
クマセンはスキンヘッドの頭をボリボリかきながら呆れたような口調で言う。
「まあ、いいか。そんなことより阪本ォー! 登校したらまず職員室に来いって言ってあっただろうがー!」
「んあー? あたしはちゃんと職員室に寄ったけど、てめぇーが職員室にいなかったんだろーが!」
「当たり前だ馬鹿モン! 自宅謹慎明けの初日だというのに、こんな時間に来る奴があるか! もう放課後だぞ?」
「久しぶりのガッコで緊張のあまりうっかり寝坊したんだよ! あたしの純真な気持ち、教師なら分かれよ、このハゲ!」
「そんなこと分かるかー! それにィー、俺はハゲてねェェェー!」
僕の目の前で、二人はすごい勢いで言い合いを始めている。
熊のような巨体と細身の不良少女。身長も体格も桁違いなのに、彼女は少しも怯まない。
今すぐ殴り合いが始まりそうな勢いだ。
「あーっ、うっせーなぁー、鼓膜がやぶれるわー」
指で耳を塞ぎながら、阪本さんは言葉を続ける。
「テメェーがハゲてるか剃ってるかなんて、あたしはどーでもいいけどさぁー、てめぇーのクラスがどんな状態になってるかぐれぇー知っておけよ、ハゲ!」
「え、何のこと?」
一瞬、目をぱちくりさせるクマセン。しかし、すぐハッとして――
「……まあいい。そんなことより今から生徒指導室で説教をたれてやるからすぐ行くぞ! 今すぐに! フォローミーだ! それから俺はー、ハゲてねェェェー!」
「分かった分かった、行くから! もう大声出すなって……あ、ちょっと待ってくれよ」
軽くクマセンに手を振って、彼女は僕に向かって駆けて来る。貼り付けたような笑顔から次第に表情が消えていき、そして僕の耳に顔を寄せて来た。
「誰にも言っていないよな?」
「えっ」
一瞬何のことだか分からなかったけれどすぐに猫の一件のことだと察して、僕はコクコクと縦に首を振る。
「そっか……」
少しホッとしたような表情に変わる。
なぜ彼女はそこまでして秘密にしたいのか。
猫にエサをあげたり、戯れたりしているところを他人に見られることは決して恥ずべきことではないはずなのに。
ただ、理由はどうであれ僕はそのことを誰にも言うつもりはない。
「で、あたしは何をすれば良い? あんた交換条件を言う前に倒れちまったからな。何でもするから言ってみろ」
「さ、さっき僕を助けてくれたから、……もうこれで充分――」
「おっとあれはノーカンだぜ? あれはそういうのじゃねーからなっ!」
速攻で否定されてしまった。
「あれはあたしの正義の心が一人で勝手にやったことだからな。集団で弱いヤツをいじめるのは、あたしの正義に反する行為だっ!」
やはりさっきのは僕の聞き間違えではなかったのか。彼女の口から『正義』を聞いたのはこれが2度目。
ヒーロー感がパないぜ!
「ね、猫のことは誰にも言わないと約束するよ。絶対に……僕は誰にも言わないからっ」
「ああ。……それで? あたしは何をすれば良い?」
「な、何もしなくていいよ。……さっきも言ったけど、もう充分してもらったし……」
「んな馬鹿な! 見返りがないのにあんたが黙っているなんて信じられる訳がないだろーが! あっ……テ、テメェ……あたしをからかっているのか?」
穏やかな小声から、怒気をはらんだ声色に変わった。
「か、からかってなんか……いない……」
「じゃあ、願いを言ってくれ。あたしは何でもするっと言ってるんだから」
「…………」
「さあ、言ってくれ、さあー」
「……ッ」
ムキになって交換条件を言うように迫ってくる彼女。
でも、こんな僕にだって譲れない正義はあるんだ。
絶対に知られたくないという他人の秘密は墓場まで持って行くという確固たる信念が僕にはある。
阪本さんには阪本さんなりの正義があることはよく分かった。
ならば、どうして彼女は僕にだって正義があることを分かってくれないんだ?
もう僕は完全に頭に血が上っていた。
今なら校内に響き渡る程の勢いで声が出せそうな気さえした。
「そ、そんなに言うなら僕のせ……せ……せッ……」
『僕の正義を貫かせてくれ』と叫ぶはずだったけれど、『正義』なんて言葉を実際に口に出すのは意外と恥ずかしいことだと生まれて初めて気付いた。
「セッ……?」
彼女はキョトンとした顔で首を傾げていたけれど、その顔がみるみるうちに赤く染まっていき、唇がわなわなと震え始めた。
「えっ……ま、まさか……てめぇー……」
バッと振り上げられた平手が、弧を描くように僕の顔をめがけて飛んでくる。
何を誤解されたのか分からないけれど、僕の命が尽きる1秒前だった。
「はいはい、そこまでー。さすがに目の前で暴力を振るわれては俺のクビが飛ぶー」
寸前のところでクマセン後ろから彼女を羽交い締めしていた。
かまいたちが通り過ぎたような風圧が鼻先をかすめていき、僕はその勢いに圧されて地面に尻餅をついてしまった。
羽交い締めにされたままズリズリと引きずられていく阪本さんは、声にならない罵声を僕に浴びせながら遠ざかっていく。
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