思い、違う。

 クラスで唯一の不良生徒、阪本真彩まあやの登場により、場の空気が一瞬にして凍り付いた。

 しかし、『混ぜてくれよぉー』という彼女の言葉にいち早く反応を見せた者たちが、一人二人と恐る恐るという感じで声をかけていく。


「う、うん、いいよ? 阪本さんが入ってくれるなら、私たちも心強いよ……」

「阪本さんも私たちと一緒に亀山を追放しましょうよ!」

「亀山がいるとクラスの雰囲気が悪くなるからな!」

「一緒に亀山を追放してやろうぜ!」


 阪本さんは彼氏彼女らの声かけには反応を見せることなく、ずかずかとまっすぐこちらに向かって歩いてくる。

 僕は死刑執行人の到着を待つ死刑囚のように地面を見つめ、その時を待っていた。

 

 枯葉をザクッと踏みしめ、彼女は僕の前で止まる。


「ウゼェーから今すぐ消えろよ!」


 低く唸るようなその声は、僕の心臓を深くえぐる――


 拍手と喝采が沸き起こる。

 クラスの厄介者。クラス唯一の不良生徒を仲間に引き入れたことで、集団が結束していく。


 ここは地獄ではない。

 悲しいけれどこれが現実世界。

 子供が大人になり、社会という名の監獄へ向かうための一本道だ。

 それはあまりにも細くて、どこをどう歩くのが正解なのか分からない。まっすぐに歩いていたつもりが、いつのまにか外れている。


 ずっと下を向いているのに……なぜ僕は道を外れてしまうんだろうか……


 もういい。

 どうでもいい。


 この世界に僕の居場所なんて無いことを薄々は感じていたんだ。今日、この瞬間まで、僕はその事実に目を背けようとしていただけだった。


 恥ずかしい……

 悔しい……

 恥ずかしくて悔しい。


 ズリズリと足を引きずりながら歩き出す。

 一刻でも早くこの現実から逃げたいのに、足は鉛のように重くて力が入らない。

 そんな僕の背中に、皆からの容赦ない誹謗中傷の言葉の数々が突き刺さる。


 逃げたい。逃げなければならないのに。

 どうして足が重い?


 この期に及んで僕は何かに期待しているのか?


「おい、どこ行くんだよ?」

 僕の肩をグイッと引いた者がいた。つい今しがた僕にトドメを差した阪本さんだった。


「ど、どこって……」

 僕は彼女の顔をキッと睨み付けた。

 イラッとした。ムカついた。

 彼女がそんなふうに僕をからかってくるなんて思いもしなかったんだ。


「あ、もしかして、午後の授業サボるの?」


 まだからかいを続けるつもりらしい。

 彼女はまるで友達に話しかけるような感じで、この僕に話しかけてくる。


「んじゃ、やっぱあたしも今日はサボろっかな……全然わかんない授業に出でも、あたしには何の意味もねーからな!」


 そう言って白い犬歯をさらして笑った。

 ウエーブした茶色い髪がユラユラと風に揺れている。


「……ん?」 

「ん?」


 僕は小首を傾げると、それに合わせたように阪本さんも首を傾げた。


 ここまでくるとさすがの僕でも気付いた。

 僕はまたとんでもない勘違いをしていたんだ。


 一方、僕と阪本さんがそんなやりとりをしている間も、僕に対する周りからの誹謗中傷の言葉はずっと続いていた。

 

 小首を傾げた阪本さんの眉間にシワが寄り、おでこにピキッと青筋が立つ。 


「さっきからうっせーんだよお前ら! ウゼェーから今すぐ消えろって言ったろうがよォォォー!」


 低く唸るような阪本さんの声が響くと、皆が一斉に押し黙った。

 

 木の葉がこすれる音と、校庭から届く『全力ブレー!』『うぃーす!』という声がまるで別世界から届く環境音のように聞こえている。 


「あーっ? なんかお前ら勘違いしていたのか? まったくよー。いちいち説明すんのはめんどくせーけどなぁー……」


 頭をボリボリかきながら、彼女は言う。


「お前らとこいつの間に何があったのかは知らねーけど、腹パン一発で気を失っちまうような弱い男一人に、皆で寄ってたかってギャーギャー騒ぐなんてのは、あたしの正義に反するからよぉー!」


 僕は本当に馬鹿だった。

 僕は全くもって、人を見る目がなかった。


「だから今すぐ消えろって言ってんだよ! お前達に!」

 

 阪本真彩まあや――僕のヒーローは――最後に僕にだけ白い犬歯をさらして微笑んで見せた。

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