やったのは誰だ?
虎太郎は唾とも鼻水とも区別のつかない水飛沫を飛ばし、両手を下腹部に当てた姿勢のまま前のめりに倒れた。
「グフッ、グハッ、ブフッ……」
床に額をつき、くの字になった姿勢で股間を両手で押さえたまま、床に額をつけた。ピクピクと身体が痙攣し、豚のような声を上げている。
「キャアアアアア……」
女子の悲鳴が上がった。
「こ、虎太郞大丈夫か?」
「まさか虎太郞がやられるなんて」
「しかも相手はあの亀山だぞ?」
「だか、今のは亀山の反則なんじゃ……」
『反則』という単語を耳にしたとたんに、足はガクガクと震え、唇がワナワナと震え始めた。
その時、誰かに背中をトンと小突かれて振り向くと、阪本さんニカッと笑いながらグーを出してきた。
ジャンケン?
いや、さすがに僕もそんな勘違いはしない。
僕もグーを出す。
そしてコツンと拳を合わせたんだ。
「しかし股間を殴るとはなぁー。まあ喧嘩にルールはねぇーんだけど、あそこ殴るのあたしでも躊躇すっけどなぁー」
「……え?」
「だって女のあたしには分かんねーけど、あれ、いっそのこと殺してくれーってほど痛いんだろ?」
「だ、だって……阪本さんがタマ取ってこいって言って……」
「……え?」
「……え?」
互いに顔を見合わせて、はたと首をひねった。
気付いたら足の震えは止まっていた。
「まあいっか。んじゃ、続きを始めよっか」
「は?」
何を? 何の続きを?
ハテナマークが頭上を飛び回っている僕の様子を気にする素振りも見せずに、阪本さんは皆の方へ向かって手をパンパン叩きながら声を上げる。
「さあー、狩りの続きを始めよーぜ!」
教室のざわめきが一気に静まり返った。もう誰も『ウエーイ!!』なんて声で応じる者はいない。
虎太郞の嗚咽だけが聞こえている。
そうか。ようやく理解した。
阪本さんはこの状況を楽しんでいるんだ。
不良として疎まれて、クラスの誰とも仲良くなれないこの環境において、一番楽しんでいるのは彼女だったんだ。
僕は合点した。
「あー? なんだ、誰もいねーのか? だったらあたしが選んで――」
そんな悪魔のような彼女のセリフは、ガラッと勢いよく開けられるドアの音でかき消された。
クマセンが出席簿を片手に教室へ入ってきたのだ。
皆はそれぞれに慌てた様子で席に着こうとするも、教室の真ん中に股間を押さえた虎太郞が倒れているのだから誤魔化しようもないことだった。
「お、お前ら朝っぱらから何をやってるんだー? んんっ!? 佐々木が倒れているじゃねーか! どうした佐々木、誰かにやられたのかー?」
クマセンが虎太郞に駆け寄って顔をのぞき込む。半分白目をむいていた虎太郞の目がぐるっと元に戻り、一瞬僕と目が合った。
それを察知したクマセンが、ゆっくりとこちらを見上げる。その視線は僕を素通りして阪本さんへと向けられた。
「またお前かーっ、さーかーもーとーっ」
「いーや、
「佐々木をこんな状態にできる奴なんて、このクラスにはお前しかいないだろーがー!」
「だから違うっての。やったのはこいつだ!」
「はうぇ!?」
後ろから肩に手をポンと乗せられ、グイッと押し出された。
今まで出したことのないような変な声が出た。
「亀山……?」
クマセンは目をまるくして僕を見上げている。全身から冷や汗がタラタラと垂れ始める。蛇に睨まれたカエルの気持ちが分かった。
「ぶわっははははははははははははははははは――んな訳あるかーッってな? どうだ阪本? 朝っぱらからそんな面白いジョークをかませるんだからなー、早起きはしてみるモンだろ? わはははははははははははは……」
何が笑いのツボだったのか分からないけれど、クマセンは笑い始めた。笑いながら立ち上がり、膝をパンパンと叩きながらまだ笑い続けている。
「だがなー阪本、俺はオマエに警告したはずだぞー? 次はネエーからなと!」
突然真顔になり、ジロリと睨むクマセン。
「んで、本当は誰がやったんだ? 皆見てたんだろ?」
周りの生徒達に視線を向けるクマセン。
僕の脳裏に『自宅謹慎処分』の文字が浮かび上がってきた。
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