禁断のアノ場所へ
皆が一斉に机を端に寄せ、教室の中央が特設の闘技場に早変わりする。その一糸乱れぬ統率された動きは見事の一言に尽きる。
まったく。そんな感想を抱いている時点で、僕の頭は少しおかしくなってきているのかも知れない。
「よーし、いっちょ揉んでやるぜェー! かかって来いや、亀山ァー!」
バシンと両手を鳴らして佐々木
そんな彼は自信たっぷりの笑みを浮かべ、まるで2本足で立ち上がった熊のように両腕を広げ、がに股歩きでどしどしと近づいてくる。
その威圧感は半端ない。
「ヒッ」
僕が思わず悲鳴を上げながら後ずさると、僕の背中をポンと押さえる者がいた。誰あろうこの騒ぎを企てた張本人、阪本真彩さんである。
「リョータいいぞ、その調子だ!」
彼女には僕が大げさに怖がる演技をしているように見えているらしい。
「行け、リョータ!」
「ヒィィィィー!」
背中をドンと押されて前によろめくと、虎太郞のごつい手が僕の襟首を上からガッとつかんだ。
次の瞬間には目に見えている景色が逆さまになり、天井の照明が視界に入ったと思ったら、『ズシン』という激しい音と共に僕の身体は床に仰向けに倒されていた。
本当に一瞬の出来事だった。
「ぐはっ」
頭から落ちなかったのは、受け身を知らない素人の僕に対する専門家としての配慮だったのかも知れない。でも痛いものは痛い。腰から下に激痛が走る。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
もう痛いという単語しか出てこないポンコツな僕の脳裏に、あの阪本さんの言葉がふと浮かび上がってくる。
『最初の攻撃は派手にやられろ。そして根性で立ち上がれ』
うん。やったよ阪本さん。僕は派手にやられたよ。
だから……
僕は痛みを乗り越えて立ち上がるしかない。
今根性を見せないとただの間抜けだ。
「くっ……そっ……」
何とか上体を起こし立ち上がろうとするも、下半身の痛みで思うよりも動作がままならない。
「お、立ち上がるのか? まだやんのか亀山ァー? 俺、今度は本気で投げちまっていいかー?」
「いいぞ虎太郞! 本気でやっちまえー!」
「コリスちゃんの敵をとって! ね、コリスちゃん?」
「えっ? あ、……う、うん!」
「やれー、虎太郞ーっ!」
「狩ーれ! 狩ーれ! 狩ーれ! 狩ーれ! 狩ーれ!」
シュプレヒコールが始まった。
もうこれはタイマン勝負とは名ばかりの、完全なるアウェーの試合のようなものだった。
そして周りがはやし立てれば立てるほど、虎太郎の気分は高揚していく。
「よーし、早く立ち上がれ、亀山ァー!」
僕を見下ろしながら手でクイクイと招く仕草を見せる虎太郞の顔は、子ネズミをいたぶるハイエナのように牙をむきだし今にもヨダレがこぼれそうだ。
そして――
阪本さんの予言したとおりに状況が転がっていく。
「ええい、焦らすなよ! 早く立ち上が――」
虎太郞が、僕の襟首をグイッと掴み上げる。
無造作に。
何の警戒もなく。
待ちきれないとばかりに、勢いよく持ち上げた。
僕はその勢いを利用して自ら立ち上がり、虎太郞の首の後ろに手を回す。
『狙うのは鼻だ――』
頭突きなんて高度な技は僕には使えない。だから脳天から虎太郎の顔面に突っ込んだ。ガチンという衝撃と、戦慄の痛みが脳天を駆け巡る。
「「かはっ」」
僕と虎太郎から同時に声が出た。鍛えようのない鼻に受けた虎太郎のダメージは僕よりもキツいはず。
鼻を両手で押さえながら、後ろへ二歩三歩とよろけていく。
『狩ーれ!』のシュプレヒコールはピタリと止まり、虎太郞の苦しそうな唸り声だけが聞こえている。
「うわぁぁぁぁー!」
そこへ僕の右ストレートパンチが飛んでいく。
腕力もスピードもない僕のパンチでもダメージを負わせることのできる唯一の場所へ向けて。
『タマとってこい! リョータ!』
数ある悪魔のような言葉の中でも最も強烈で、極悪で、パンチの効いた阪本さんのアドバイスは、まったくもって女の子とは思えないセリフだった。いや、逆に男子だったら絶対に言えないかも知れない。いやいや、女子はもっと言えないだろう。だったら彼女はいったい何者なんだ?
それはともかく、僕のグーパンチは全男子にとって最大の急所、あらゆる格闘技において、反則技とされているあの場所へ入ったんだ。
ぐにゃりと。
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