第4話 復讐の対価

「毒殺じゃな」


 ゴム手袋を外しながら解剖かいぼうしつから出てきたセーターに白衣姿のレオーネが、こともなげに告げる。


「間違いないのか博士ドクター?」


 解剖室に隣接りんせつする、王立調査局内の研究室で結果を待っていたガストンがたずねる。


「なんじゃい、ワシの診断を疑うんかい」


 不服そうにとび色の目でギョロリとにらむ。


「そうじゃねぇよ。一般警察の監察かんさつの話じゃ死因は心臓しんぞう麻痺まひだったからな」

「ボンクラめ、調べ方がぬるいとしか言えんわ」

「それで、どんな毒なのか分かるか?」


 レオーネは岩妖精族ドワーフ特有の背は低いが大柄な肩をすくめ、


「消化されずに残っておった胃の内容物に不審ふしんぶつは見当たらなんだが、血液を分析した結果、ジゴキシンとカリウムが多量に検出された。となるとオレアンドリン。キョウチクトウという植物から生成される強心きょうしん配糖はいとうたいの一種じゃな。体内に入るとナトリウムとカリウムによる代謝たいしゃ阻害そがいして心筋しんきんを――」

「細かい説明はいらねぇよ。とにかくキョウチクトウとかいう植物の毒なんだな?」

「なんじゃい、もっと説明させんかい」

「死因が毒殺だって証明できりゃいいんだよ。これで捜査に掛かれるぜ」


 そう言うとガストンは研究室を後にした。向かうは局長室である。




◇◆◇




 数時間前。王立調査局・特殊犯罪課。


 ジュリオとフィリアの二人が、それぞれ机に向かって事務処理を行っている。

 ガストンは火のいていないタバコをくわえながら、今朝の新聞をながめていた。

 それを見咎みとがめたフィリアが、


「ガストンさん、こないだの事件の報告書、出来てるんですか?」

「んあ? まぁ出来たような出来てないような……」

「またそんなこと言って。局長に怒られても知りませんからね」


 ふいっと顔を背けて、作業に戻る。

 ガストンも視線を再び紙面に落とした。

 別に面白い記事があるわけでなし、斜め読みしながらパラパラとめくっていく。ふと、その手が止まった。小さな記事だったが、そこになにか既視きしかんを覚えたのだ。

 記事の内容を読み直し、記憶を引き出す。


(これは――)


じょうちゃん、坊主ぼうず

「はい?」

「?」


 呼ばれたフィリアとジュリオが作業の手を止めて振り向く。


「この前の魔術学院の事件、覚えてるか?」

「もちろん覚えてますが」

「あの時の犯人ホシの名前、イシドロ=カランサで合ってるか?」

「ええと、生徒Dのことですよね? 警察の取り調べに魔術の修行中にあやまって殺害したことを自白したので、家庭裁判所から地方裁判所へ逆送ぎゃくそうされて、少年刑務所へ送られたって聞いてますが」

「それだ」

 

 狼の指が器用にパチンと鳴らされる。


「そいつが昨日、刑務所内で死んだらしい。新聞に死亡記事がってる」

「えっ!?」


 驚いて席から立ちあがるフィリア。資料棚から魔術学院事件のファイルを抜き出すと、そのままガストンの机まで持って来る。


「イシドロ=カランサ、イシドロ=カランサ……はい、間違いありません。あの時の生徒Dの名前で合ってます」

「死因は心臓麻痺ってなってるんだが、17歳の子供が心臓麻痺なんて起こすかね?」

「それはわたしにはなんとも……」

「つまり、ガストン先輩せんぱいは自然死じゃないって考えてるんですね?」

「オレは殺人コロシだと思う。今はただのかんだがな」


 新聞をたたむと、おもむろに立ち上がった。


「ちょっと局長に掛け合ってくる。火葬かそうされないうちに死体を引き取って、研究室――レオーネの博士ドクターに調べて貰おう」


 そう言うと、局長室へと続くドアをノックして中に入っていった。




◇◆◇




 局長の許可が下り、様々な手続きを踏んで生徒D――イシドロ=カランサの死体が解剖かいぼうしつへと運ばれた。特殊犯罪課所属、研究室室長にして法医学博士でもあるレオーネ=カルデナスが部下と共に解剖を行う。

 死因はオレアンドリンの過剰かじょう摂取せっしゅによる心停止と確認された。オレアンドリンなど刑務所内で手に入る訳もなく、つまりは毒殺である。


「――そんな訳でボス、捜査の許可を。殺人事件と判明したなら、オレたちの出番のはずです」


 局長室の椅子いすに座ったままヴァイオレットはガストンを一瞥いちべつすると、


「許可は出せない」


 そう告げた。

 予想だにしなかった一言に、ガストンが思わず食って掛かる。

 

何故なぜですか!?」

「落ち着けガストン。つい先程臨時りんじで開かれた局長級会議の結果、レオーネ法医学博士の診断は却下された。イシドロ=カランサの死因は警察監察医による心臓しんぞう麻痺まひのまま、明日、荼毘だびに付される予定だ」

「それは……」

「どうやら上層部――それもかなり上の方から圧力が掛けられているらしい。誰も彼もがだんまりだ」

「魔術学院事件での被害者ガイシャの親が、確か侯爵こうしゃくだか伯爵はくしゃくだかで王宮のお偉いさんとかいう話でしたね。圧力はそいつからですか?」

「そうだ」


 あっさりと答えるヴァイオレット。


「そりゃ、そいつが息子のかたきであるイシドロをったと自白してるようなもんじゃないですか!」

奇遇きぐうだな、私も同意見だ。だが、その相手が圧力を掛けていることは、あくまで私個人の持つ私的なルートを通して知ったものだ。公的にはなんの証拠もない上に、死因も自然死とされている。調査局の出番は無い」

「そもそも、死因の心臓麻痺って診断もそいつの捏造ねつぞうなんじゃ?」

「有り得るな。相手はなにしろ王国のふく宰相さいしょうだ、その手は長い」

「副宰相……よりにもよってアイツですか!」


 副宰相と言えば、国王、宰相に次ぐ国のナンバー3である。その権力と影響力を行使すれば、刑務所内にいる人間を殺すくらい簡単なことだろう。


「どうにかならないんですか!?」

「どうにもならんな。これは決定事項だ」


 きっぱりとしたヴァイオレットの言葉に、ガストンの頭と尻尾しっぽが下がる。

 ヴァイオレットは手を机の上で組み、言葉を続ける。


「そういえばガストン、ここのところ休みを取っていないようだな。この際、3日ばかり休暇きゅうかを取ったらどうだ」

「そんなこと言ってる場合じゃ……」

「フィリアとジュリオも働き詰めだから、彼等にも特別休暇を出そう。三人で仲良くバカンスと洒落しゃれむといい」

「それは――」

「場所はそうだな、王宮の中などはどうだ? 私の侯爵としての権限で、お前たち三人を休暇中の3日間だけ王宮に入れるようにしておこう」


 ここまで言われれば、ガストンにも分かる。

 休暇中の3日の間に証拠をつかめ。ヴァイオレットはそう言っているのだ。


「言わずもがなだが、王立調査局の捜査官といえど捜査権は王宮内部には及ばない。休暇中としての私人の地位と、蛇喰鷲へびくいわしの紋章とをせいぜい有効に使うことだな」

「ありがとうございます……!」

「礼より結果だ。行け」

「了解!」


 ガストンはヴァイオレットに敬礼すると、局長室を後にした。




◇◆◇




 1日目の昼下がり。


「そんな訳で、だ。オレたちでふく宰相さいしょう逮捕たいほするだけの証拠を3日間で見つけないとならん」


 場所は王立調査局にある研究室。その一角いっかくに、ジュリオ、フィリア、ガストンの三人がどこからか椅子いすを持ち込んでたむろしていた。


「お前ら、なんでワシの研究室を根城ねじろにするんじゃい」

「仕方ないだろ、博士ドクター。休暇中扱いだから、特殊犯罪課の部屋はさすがに使えねぇんだ」

 

 おそらく特殊犯罪課の部屋を使っても誰も何も言わないだろうが、形式というものがある。


「だいたいなんでワシの診断が却下されるんじゃ。様々な角度から検証した、間違いない結果じゃぞ?」

「オレに言わんでくれ、オレも困ってるんだ」

「ベルナルド、お前からも何か言ってやらんか。あの結果に間違いはないんじゃと」


 レオーネと同席していたベルナルド――研究室副室長を務める、優秀な研究員リサーチャー――は、苦笑を浮かべていた。


「上からの命令じゃ仕方ありませんよ、室長」

「事実を事実と言って何が悪い。ワシはあきらめんぞ」

「データは残ってるんだろ?」

「遺体は持っていかれましたが、採取した血清や尿、胃の内容物は隠しておきました。本日の解剖かいぼう検査結果もちゃんと残っています」

 

 ベルナルドが答えた。28歳という若さで副室長に抜擢ばってきされるだけのことはある。突然の事態への対応にも抜かりはなかった。


「みなさーん、コーヒーが入りましたよー」


 そこへ8、9歳くらいの髪を三つ編みにしてこんのワンピースに白いエプロンを付けた、可愛かわいらしい女の子がポットとカップを乗せたトレイを両手で抱えながらやって来た。どことなく面影おもかげがベルナルドに似ている。


「ありがとうエレナ」


 ベルナルドがトレイを引き取ると、エレナと呼ばれた少女がカップを皆に配り、ポットから中身を注ぎ始めた。

 

「お砂糖とミルク、いりませんか?」


 コーヒーを注ぎながら、一人一人に聞いて回る。

 その様子を見ていたガストンが、


「相変わらず良い子じゃねぇか。なぁ?」


 ブラックコーヒーを口にしながらベルナルドに言う。


「おめ頂きありがとうございます。自慢じまんむすめですから」


 照れながらも嬉しそうな様子が隠しきれていない。

 エレナはベルナルドの一人娘である。3年ほど前に事故で妻を亡くしてからというもの、ベルナルドは彼女を溺愛できあいしていた。エレナが局員見習いとして調査局で働いているのも、娘を手元に置いておきたい一心からだろう。

 一方のエレナはその若さに似合わずよく気の付く少女で、いつも笑顔を絶やさない。仕事はまだ部署から部署へ書類を運んだり、コーヒーや紅茶を入れるといった単純な作業しか任されていないが、はたから見ていても常に一所いっしょ懸命けんめいなのが分かる。局員たちは、そんな少女を見ては「自分も頑張らねば」と、仕事に一層いっそうはげむのだった。

 皆にコーヒーが行き渡ったのを確認すると、エレナは一礼してトレイを持って去っていった。ベルナルドが視線でそれを見送る。


「――で、だ。キョウチクトウって植物は、そこいらに生えてるもんなのか?」

「手に入れるのが難しいどころか、大陸のどこにでも生えとるよ。この国では主に街路樹がいろじゅなんかに使われておる」

「つまり、手に入れるのは難しくない訳ですね」


 ジュリオが確認する。


「そうですね。ですが、胃の内容物にキョウチクトウ関連物やオレアンドリンは検出されませんでした。となると、オレアンドリンそのものを経口けいこうなり静注じょうちゅうなりで摂取せっしゅした――させられた後、しばらくしてから死亡したことになるのですが、キョウチクトウからオレアンドリンを抽出ちゅうしゅつするとなるとそれなりの知識と薬品、そして設備が必要になります。また、解剖時に注射ちゅうしゃこんが見つからなかったことを考えると、経口摂取の確率が高いでしょう」

「あの、土か闇系統の毒を生成する魔術の線はないんでしょうか?」


 こちらはフィリアの疑問。

 それに対し、レオーネは立派な顎髭あごひげをしごきながら、


「確かにその二系統には毒の生成魔術があるわな。じゃが、どちらも植物由来の有機化合物であるオレアンドリンを生成することは出来ん。シアン化合物や水銀化合物を作り出すか、有機リン系の神経ガスを発生させる魔術があるだけのはずじゃ」

「要はどこぞの専門家が作り出したオレアンドリンとやらを、食事か飲み物に混ぜて殺した訳だ」

「そう考えるのが妥当だとうだの。じゃが、ワシらが遺体を引き取りに行った時点で、イシドロが最後にった食事と食器はすでに処分されておった。今から考えてみれば、ろくに調べもせずに廃棄はいきするなど異常じゃったな」

「証拠は消された後ってか。残ってるのは各種体液と胃の内容物、解剖結果の記録だけか……となると、毒を混入した実行犯をまずは探すぞ」

 

 ガストンが立ち上がる。


坊主ぼうず、一緒に来い。じょうちゃんは研究室に残って、博士たちとオレアンドリンを作成可能な専門家や施設のリストアップを頼む」

「「了解」」


 ジュリオはガストンに付いて少年刑務所へ、フィリアはレオーネたちと毒物の専門家の資料を探しにかかった。

 



◇◆◇




「所長に話を聞いてきました。最後に被害者の独居どっきょぼうへ食事を運んだのはイアンという看守かんしゅのようです。26歳、男、小鬼族ゴブリンのため姓はなく名前のみ、独身、りょう暮らし。本日は休みとのことで出勤していません。令状なしではそこまでしか教えては貰えませんでしたが」

「いや、そんだけ分かりゃ十分だ。こっちは調理師たちに話を聞いてきたが、王立調査局と名乗っても動揺どうようするようなヤツはいなかった、ありゃシロだな。それで、寮の場所は?」

「分かっています。ここから近いですね、この辺りの公務員用寮だそうです」

「よし、話を聞きに行くぞ」

「はい」


 イアンがいるという寮は2階建てのアパート形式だった。簡素な作りの同じ形のアパートが3とう並んで建っている。


「部屋の場所は聞いてるか?」

「いえ、さすがにそこまでは。郵便受けの表札を確認していくしかないですかね?」

「そうだな。坊主ぼうずは右の棟から確認していってくれ、オレは左からやる」

「了解です」


 二手に別れる。ほどなくイアンの部屋は見つかった。

 ガストンが遠慮えんりょなく部屋のドアをノックする。

 ややあって、ドアの隙間すきまから緑色の肌をした小鬼族の男が顔を見せた。


「なんだ、あんたたち。俺に何の用だ?」


 さけくさい息をきながらそう言う。


「休みとはいえ、昼間っから酒とはいい御身分ごみぶんだな。オレたちはこういうものだ」


 ジュリオが蛇喰鷲へびくいわしの紋章を見せる。

 

「その紋章……王立捜査局か!」


 小鬼族の男――イアンの顔がゆがむ。


「少年刑務所の看守、イアンだな。少し話を聞きたい、中に入れてくれないか?」

「帰ってくれ、話すことは何もない」


 そのままドアを閉めようとする。それをすかさずジュリオが足を差し入れて止めた。


「昨日死んだ少年――イシドロの件でオレたちは来てる」


 イアンはジュリオたちを無言で見ていたが、おもむろにドアを開けると、


「分かった。何もないが、入れよ」


 背を向けて部屋の中に戻った。ジュリオたちも続く。

 部屋の中はゴミと様々な酒瓶さかびん乱立らんりつして雑然ざつぜんとしていた。テーブルの上にはふたが開いたままの半分ほど残った酒瓶がグラスと共に置いてある。

 

「おいおい、アガフォンかよ。1本金貨10枚はする高級酒じゃねぇか。公務員の安月給でそうそう買える代物じゃねぇはずだが」

「酒は俺の趣味しゅみだ、好きに使ったっていいだろ」

「未開封の同じ酒が4本ほど周りに見えますね。あわせて金貨50枚、好きに使うにしても限度があるのでは?」

「俺の金をどう使おうが俺の勝手だろ」


 イアンはそのままグラスに入った酒を一息にあおる。


「これだけの金、どっから手に入れた。昨日死んだイシドロと関係があるんじゃねぇのか?」

「……」


 ガストンの言葉に無言でグラスに酒を注ぐと、再びそのまま呷る。だが、その手はかすかにふるえていた。

 その挙動きょどうをジュリオとガストンは見逃さない。


「あなたがイシドロの独居房へ最後の食事を運んだのは分かっています。その際、何か変ったことはありませんでしたか?」

「具体的に言うと、飯か飲み物になにか混ぜなかったか、ってことだ」


 酒を呷るイアンの手が止まる。


「……金貨500枚だ」

 

 少し間をおいて、ぽつりとイアンがつぶやいた。


「何がですか?」

「金貨500枚。それがイシドロの飯に薬を混ぜる報酬ほうしゅうだった」


 観念かんねんしたように、目をせながら続ける。


「毒だとは知らなかった。ただ薬をイシドロの飯に混ぜてくれと頼まれただけだ」

「誰に頼まれた?」

「知らないヤツだ。一週間くらい前の夜に、中央セントラル地区の酒場で一人で飲んでる時に人族の男が持ちかけてきた」

「その男の特徴とくちょうは分かりますか?」

「人族から小鬼族の見分けが付かないように、俺たち小鬼族から見ても人族の連中の差は分からない。次同じヤツを見かけたとしても分からないだろうな」

 

 自嘲じちょう気味ぎみに首を振るイアン。


「俺も最初は何かの冗談だと思った。だけど、前金の金貨250枚の入った袋と薬を渡されてから冗談じゃないとようやく気付いた。俺が少年刑務所の看守なことも、独居房に飯を運ぶことも最初から分かってやがったんだ」

「お前が人族じゃないことも、だな」

「ああ、きっとそうだろう。今朝、銀行へ行ったら後金もきっちり250枚振り込まれてたよ。だんだん、やっちまったことの重大さと、そのうち消されるんじゃないかと思い始めて、昼間っからこれさ」


 飲みかけのアガフォンの酒瓶をかかげてみせる。


「帝国にでも逃げようかと思ってたんだが――その前にあんたらが来ちまった。王立調査局ってのは優秀だね」

めてもらって恐縮きょうしゅくだが、調査局まで同行してもらうぞ、イアン。このままだと本当に消されかねん。調査局で保護ほご聴取ちょうしゅさせてもらう」

「好きにしろ」


 そう言うとイアンは瓶に残った酒を、直接口を付けて飲み干したのだった。

 



◇◆◇




 1日目、よいの口。王立調査局・研究室。

 ジュリオ、ガストン、フィリア、レオーネ、そしてベルナルドがそろっている。


「……という訳だ。実行犯のイアンには調査局で局長と一緒に聴取ちょうしゅさせてもらった。混入こんにゅうした薬は残ってないらしく、ヤツがアパートで話した以上のことは何も出てこなかったがね。現在はそのまま別室で保護ほごしている」

「こちらも供述きょうじゅつの裏が取れました。今朝、イアンの銀行口座に金貨250枚の振込があったのは間違いありません。自分が先程イアンの利用している銀行で確かめてきました」

「どこからだ?」

「帝国系銀行の架空口座経由のようで、残念ながら特定できませんでした。金融きんゆう犯罪はんざいの専門家たる一般警察の捜査二課に追跡調査を依頼しましたが……難しいそうです」


 ジュリオが残念そうに告げる。

 一方、フィリアからも報告があった。


「わたしたちもオレアンドリンを精製せいせい出来そうな国内の薬物の専門家をリストアップして、まずは王都内の専門家や施設に聞き込みに行ってきました。結果、国営の薬品会社、オルギンファルマシアの研究施設で、オレアンドリン等の劇物げきぶつを保管していた薬品保管庫の鍵が開きっぱなしになっていたことが一週間ほど前にあったことが分かりました。紛失ふんしつしたものは無かったそうなのですが、薬の残り容量ようりょうまでは確認していないそうです」

「そうか……」


 相変わらず火のいていないタバコをくわえたまましば瞑目めいもくするガストン。


「薬の持ち出されたと思われる時期が一週間前。薬の混入の依頼が出されたのも一週間前。時期的には符合ふごうするな」

「問題は、何故なぜ今になって、でしょうか? やるならイシドロが捕まって刑務所に送られた時点でも良かったはずですが」

「お前さんみたいな若いもんにはまだ分からんかも知れんが、にくしみというのは時間がてば経つほど増していくものなんじゃよ。恐らく事件当時は憎しみより驚きと悲しみの方が強かったんじゃろう」

「それが、事件から3か月経って悲しみが憎しみに変わったんでしょうか……」

「さてな。単に機を伺っていただけかもしれん。なんせ一人息子のかたきだからな」

「私も一人娘のエレナが殺されたら、復讐鬼ふくしゅうきになるでしょうね……気持ちは分かる気がします」


 一人うなずくベルナルド。

 さて、とガストンは前置きすると、


「明日の捜査方針だが、坊主ぼうずじょうちゃんの二人で王宮のふく宰相さいしょう――クラウディオ=レガスピとその部下たちの調査だ。特に、毒物や薬に明るい人物がいないかを探してくれ。オレはオルギンファルマシアで手掛かりを探す」

「数ある毒の中から検出しにくいオレアンドリンを選ぶあたり、薬学系の人間が近くにおる可能性は高いからの。それと無駄むだかも知れんが、ワシはイアンとやらに渡された金貨とその袋の指紋しもんを調べてみるとしようかの。手袋をするだけで指紋は残らんが、何か手掛かりがあるかも分からん」

「頼んだぜ博士ドクター

「任せておけい」


 厚い胸板を叩いて見せるレオーネ。

 ジュリオたちもそれぞれ頷く。


「では、今日のところはここまでだ。残りはあと2日。各自ゆっくり休んで明日にそなえてくれ」


 かくして1日目は終了した。




◇◆◇




 2日目、朝。王立調査局員寮、桜花館おうかかん


「おはよう、ジュリオ」

「おはようフィリア」


 朝食の調理を終えたジュリオが、食堂で待っていたフィリアと合流する。


「今朝は時間が無かったから、パストールで」


 パストールとは、調味料に漬け込んでスライスして串に刺した豚肉を回転させながら焼き、焼けた外側からぎ取って、みじん切りにしたタマネギやパクチーと一緒にトルティーヤにはさんだタコスの一種である。あとは好みでサルサ・ベルデ緑のチリソース等を掛けて食べる。

 クァトル王国ではポピュラーな食事の一つだった。


「仕込みは昨夜のうちに済ませてあったから、焼くだけで良かったよ」

「焼くのも大変だと思うけど……」

「専用の機械に肉をセットするだけだからね。後は他の人たちに任せて大丈夫」


 二人ともすでに朝食は済ませていた。

 ジュリオはコーヒーを、フィリアは紅茶を飲みながら会話する。


「さて、今日は二人で王宮だけど……いつもの服で大丈夫かな?」

「わたしもそれは考えたけど、ガストンさんは別に普段の服で大丈夫だって」

「そうか」

「まあ国王陛下に謁見えっけんする訳でもないからって。わたしたちにしてみれば、国王陛下もふく宰相さいしょうもそんなに差はないけどね」

「そういうものなの?」

「そういうものなんです」


 ジュリオと会ってから3か月とうとする現在、ジュリオの感覚と一般感覚のズレにも大分慣れてきたフィリアである。

 フィリアはかなり甘くした紅茶を飲み干すと、


「さて、それじゃあ行きましょうか」

「了解」


 ジュリオもコーヒーを飲み干し、フィリアのカップと一緒に返却口へ。


「王宮なんて初めてだな」

「わたしも初めてだよ。一階の一部は一般公開されてるって話だけど、行った事無かったから」

「ふーん。王様が居るところだから、もっと警戒が厳重で、誰も入れないようなところかと思ってたよ」

「王国、特に王都は平和だからね」

「なるほど」


 そんな会話を交わしながら、ジュリオとフィリアは桜花館を後にした。




◇◆◇




 王宮は中央セントラル地区の中央――まさに王都ミリアムの中心にあった。

 王立調査局の窓から見えるくらいなので、徒歩でも十数分といったところだ。

 

 王宮は数百年前に建てられた石造りの建物のため、3階建てとあまり高くはないが、小高い丘の上に建てられているので周囲の建物よりは高く見える。王宮に城壁やほりなどは無く、立派な作りの門を抜けると広場があり、左右には天使をモチーフにしたオブジェが、中央には噴水ふんすいしつらえられている。王宮は美麗びれいとまではいかないが、年月を感じさせる荘厳そうごんさを十分に備えたものだった。

 王宮の正面玄関には衛兵ガードたちが立っており、王宮見学や陳情ちんじょうに来た一般市民の列や、それとは別に参内さんだいしてきた貴族たちに目を配っている。


「なんだか思ってたよりピリピリしてないかも」

「だね」


 ジュリオとフィリアも一般用の列に並びながらそんな話をする。

 ほどなく、王宮の中に入ることが出来た。ただ、入口で武装――ジュリオの電磁警棒スタンロッドとフィリアの長杖ロッド――はクロークに預けることになったが。

 メインホールは吹き抜けになっており、綺麗きれいみがかれた石床とガラスで出来た天井が見渡せる。


「さて、ふく宰相さいしょうと部下の経歴けいれきを調べるにはどうすればいいかな?」

「多分どこかに事務局があるはずだから、そこで調べさせてもらえれば早いんだけど……」

「だけど?」

「そう簡単に調べさせてくれるかなぁ、って。王立調査局の人間でも杖は取り上げられちゃったし、王宮内では影響力低そうかも」

「聞くだけ聞いてみればいいんじゃないかな」

「そうだよね。じゃあ場所を聞いてみないと。すいませーん」


 フィリアが衛兵にたずねている。少しして、


「2階にあるって。行ってみましょう、ホールを抜けた先に階段があるんですって」

「了解」


 ホールの奥のドアの前には衛兵が二人、その横にはカウンターがあり、人族の美しい女性――案内嬢だろうか――が二人、制服姿で立っていた。

 

「あの、わたしたちフィリア=ラーズデルとジュリオ=レイクウッドと言います。ヴァイオレット=クローチェ侯爵こうしゃくの紹介で来た者なのですが」

「ラーズデル様とレイクウッド様ですね。ただいま調べますのでしばらくお待ちください」


 案内嬢が手元のファイルを開いて調べ始める。


「はい、確かにクローチェ侯爵様より明日までの紹介状が出ております。念のため、お二人の証明書代わりとなる王立調査局の紋章を見せていただけますか?」


 ジュリオとフィリアがそれぞれ蛇喰鷲へびくいわしの紋章を取り出す。

 案内嬢はそれを手に取って確認すると、


「お二人は2階までお入りになることが出来ますので、こちらの入城許可証をお持ちください」


 そう言って2枚のカードをカウンターの上に置いた。

 カードには『入城許可証:2階』と書かれている。ジュリオたちはそれぞれ1枚ずつカードを手に取る。


「2階までお入りなられますが、所々に衛兵が立っている場所がございます。その場所には特別な許可が無いと入ることはできませんので、ご了承ください」

「はい」

「お帰りの際にはそちらの入城許可証を出口でお返しくださいますようお願い申し上げます」

「分かりました」

「それではどうぞ、お通りください」


 案内嬢の言葉に、衛兵がドアを開ける。


「あ、ありがとうございました」


 ジュリオたちがドアを抜けると、すぐにドアは閉じられた。

 閉じたドアを見ながら二人で顔を見合わせる。


「なんだか、あっさりと入れたね」

「局長がわたしたちの身分を保証してくれてるからかしら。侯爵家の力がすごいのか、局長が凄いのか……」

「どっちもじゃないのかな。それじゃあ2階の事務局に行ってみよう」

「そうね、そうしましょうか」


 基本的に軍務、外務、法務、経済などの各省は中央セントラル地区にそれぞれ独立した建物と敷地しきちを持っているが、王直属の宰相と副宰相の属する総務省だけは王宮内の2階にあった。そのため、2階は事務を主とした職員――大半が貴族の子弟である――と書類であふれれかえっている。

 なお、3階には国王の私室や執務しつむしつ、各種行事をり行う謁見えっけんの間など、上級貴族のための施設が配されていた。


 ジュリオたちが重みのある装飾の施された階段を上ると、正面に総務省事務局のプレートが掛かったカウンターを持つ部屋があった。カウンターには5人の制服姿の事務員が詰めて対応しており、廊下や事務局の中を書類の山を持った職員たちが行き来している。


「あの、少しお尋ねしたいことがあるんですが」

「はい、本日はなんの御用でしょうか?」


 ジュリオたちに対応してくれたのは、眼鏡を掛けた人族の年配の男性だった。


「クラウディオ副宰相と、その部下の略歴りゃくれきを知りたいんですけど」

「副宰相はともかく、副宰相の部下というとどこまででしょうか? 我々総務省職員も含めるとなると、非常に大勢になりますが?」

「えーと……」


 つまるフィリアに、ジュリオが助け舟を出す。


「副宰相の代表的な部下――腹心ふくしんというんですか、その人たちのデータだけで大丈夫です」

「なるほど、副宰相と副宰相の腹心の経歴ですか。それでしたらっている書物がありますので持ってまいります、少々お待ちください」


 そう言うと、事務員は事務局の中へ入っていった。

 ややあって一冊の大型の書物を手に戻って来る。


「こちらがクァトル王国の人物事典、貴族・政治家編の今年度版になります」

「へぇ、そんな本があるんですね」

「もちろん事務局にもありますが、国立図書館にもあるはずですよ。ある程度の地位にある政治家や貴族は、ここクァトル王国では経歴を公開するように法律で定められていますので」

「そうだったんですか」

「10年以上前――現在の国王陛下が即位されてから定められた法律なのですが、意外と知られていないみたいで、あなた方のようにこちらへ直接尋ねにいらっしゃる方たちも結構いらっしゃいますよ。あ、そうそう、この本は持ち出し禁止ですので、ここで閲覧えつらんしていってください」

「ありがとうございます、拝見はいけんします」


 本に触れようとしたフィリアを事務員は止めると、


「慣れていないと探すのも大変ですから。総務省のクラウディオ副宰相は――ここですね」


 事務員は慣れた手つきでページをめくっていく。


「えーと、クラウディオ=レガスピ、男性、侯爵、現クァトル王国副宰相、人族、新大陸歴447年生まれ55歳、王立アカデミー法学部卒」


 他にも現在までの細々とした経歴が載っているが、割愛かつあいする。


「それで副宰相の腹心ですが、3人いましてね」


 再びページをめくっていく事務員。


「ああ、これですね。一人目はフリアン=ブロントス。男性、じゅん男爵だんしゃく、現クァトル王国総務省次官、人族、新大陸歴460年生まれ42歳、王立アカデミー医学部卒」

「メモするね」

「お願いするよ」


 フィリアはポーチからメモ帳を取りだすと、情報を書き留める。

 書き終わるのを確認してから、


「二人目はこちらですね。タマラ=メサ。女性、現クァトル王国総務省行政局部長、森妖精族エルフ、新大陸歴407年生まれ95歳、王立アカデミー魔術学部卒」

「森妖精族までいるのか」

「クァトル王国は人族に好意的な亜人種も受け入れてるからね。豚鬼族オーク小鬼族ゴブリンなんかも街中で見かけるでしょ?」

「確かに」

「王宮内ではさすがに人族が主流ですが、森妖精族や岩妖精族ドワーフ猫人族ニャマタなども働いていますよ。軍ならば人狼族ウェアウルフ人虎族ウェアタイガー犬鬼族コボルト鬼人族オーガなんかがいますね」

「色んな種族が働いているんですね、勉強になります」

「いえいえ。っと、話がれましたね、副宰相の腹心の最後の一人がこちら、エーヴァルト=フレーゲ、男性、現クァトル王国軍務省対外局課長、人族、新大陸歴464年生まれ38歳、ドリッテ帝国大学総合学部卒。この方は帝国からの亡命者ですね」

「一人だけ総務省所属じゃないんですね」

「エーヴァルトさんは対帝国用の人材として総務省――王宮に出向しゅっこうしてきている方です。各省から出向してきている人員は結構けっこういるんですよ」

「なるほど、そうなんですね」


 ジュリオがうなずいて見せる。

 ジュリオもここ3か月ほどで、いわゆる一般常識に慣れつつあった。


「さて、以上になります。他になにかありますか?」


 本を閉じながら事務員が言う。

 ジュリオとフィリアは顔を見合わせると、礼を言って席を立った。

 人混みを避けて、1階へ通じる階段の横へ。


「フィリアはどう思う?」 

「わたしは……分からないかな。だって全員あやしいもの。一人は医学部出身、一人は森妖精族だから薬草学に詳しくて、一人は軍関係者なのよ? 全員該当がいとうしそう」

「自分も分からなかったけど、全員該当か――そうか、指示を出したのが副宰相で、腹心の三人で殺し方を考えて実行したっていうのは有り得るのか」

「?」

「例えば、タマラが薬の知識でキョウチクトウを指定して、フリアンが摂取せっしゅ方法を考え、エーヴァルトが薬の入手と実行犯への接触せっしょくを行った、とか」


 ジュリオの着想ちゃくそうにフィリアが納得したように、

 

「あ、誰か単独じゃなくて、それぞれで役割やくわり分担ぶんたんするのね。万一バレても、副宰相と腹心たちで口裏を合わせれば乗り切れる、か」

「そういうこと。いくら腹心だからって、人を殺せって命令を実行しようとする感覚は自分には分からないけどね」


 二人はしばし考え込む。


「……でもそれじゃ副宰相がイシドロの殺害を部下に指示した、っていう明確な証拠が無いと立件するのは難しいかも」

「そうだね。今の所は実行犯のイアンが最大の証拠かな。でも、副宰相たちとの関連性を証明出来なさそうだから難しいか」

「イシドロを殺す最大の理由を持ってるのは被害者の親の副宰相だけど、それはあくまで推測になっちゃうのよね。金貨500枚を簡単に出せるところからも、副宰相が第一だいいち被疑者ひぎしゃなんだけど……」

「そもそもイアンのあつかいってどうなるのかな。本人は依頼されて薬を混入したって言ってるけど、今はイシドロは毒殺じゃなくて心臓しんぞう麻痺まひ扱いになってるから、イアンが証言しても妄言もうげんとして処理されないかな」

「依頼料の金貨が証拠になるんじゃない?」

「どこかから誤送金されたものでした、とかで終わらないと良いけど……混入した薬でも残ってたら物的証拠になったのになぁ」

「無い物ねだりしても仕方ないよ、ジュリオ。やれることをやりましょ。とりあえずこちらの調べ物は終わったから、ガストンさんかレオーネさんが何かつかんでると良いんだけど」

「じゃあ副宰相の執務室の場所だけ確認してから、局に戻ろうか」

「そうしましょ」


 ジュリオとフィリアは職員から副宰相の執務室を教えてもらい場所を確認すると、調査局に帰還きかんしたのだった。




◇◆◇




 2日目、昼過ぎ。王立調査局・研究室。

 ジュリオとフィリアが王宮から戻ると、すでにガストンも戻っていた。レオーネたちと何やら話し込んでいる。


「ジュリオ捜査官見習い、ただいま戻りました」

「同じくフィリア捜査官見習い、戻りました」

「おう、おかえり。どうだった?」


 端的たんてきたずねてくるガストンに、ジュリオたちは王宮でのことを説明した。


「……なるほど。ジュリオの言う通り、ふく宰相さいしょう腹心ふくしんの三人で共謀きょうぼうした可能性はあるな。というかまずそうだろう」


 おおかみの顔をしかめながら言うガストン。


「こっちからは面白い情報が一つある。腹心の一人――フリアンが1週間前にオルギンファルマシアを非公式にだが訪ねていたそうだ。オルギンファルマシアは国営だから、個人的に現状視察に来たと言っていたらしい」

「それは例の薬品保管庫の鍵が開いていたっていう日ですか?」

「そうだ。しかも、フリアンは一人で施設内を2時間ほどうろついていたそうだ」

「一人で、ですか」

「オルギンファルマシア側も、総務省次官であるフリアンを一人にする訳にはと言ったそうだが、普段通りの施設を見たいとの希望だったらしい」

「――それって怪しすぎません?」


 フィリアがつぶやく。

 ガストンもうなずくと、


「オレもそう思う。だが、誰もフリアンが薬品保管庫に出入りする様子を見ていないそうだ。もともとあまり人のいない区画くかくにあるんだが、本当に見ていないのか、それとも忖度そんたくして見ていないフリをしているだけなのかは分らんがね」

状況じょうきょう証拠しょうこが増えただけ、ですか」

 

 ジュリオの言葉に再びガストンが頷く。


「残念ながらそうなるな。研究施設への出入りは厳重げんじゅう警戒けいかいされてるが、内部はそれほどではなかったぜ。くだんの薬品保管庫も見せてもらったが、鍵自体は大した鍵じゃなかった。素人でもピッキングツールがあれば開くようなタイプだな」

「中に入ってしまえばあとは……じゃな」

「ああ。で、今、博士ドクターから袋と金貨の分析結果を聞いていたところだ。坊主ぼうずたちも聞いていけ」

拝聴はいちょうします」

「わたしも」


 ジュリオとフィリアが姿勢を正す。

 レオーネは咳払せきばらいを一つすると、


「うむ。例のイアンが持っておった袋と金貨じゃが、残念ながら金貨の方は枚数も指紋も多すぎて特定するには無理がある。今もベルナルドが調べてはおるが……恐らくごく普通に流通しておる金貨を集めただけのようじゃな」


 一旦言葉を切るレオーネ。


「袋の方は、雑貨ざっかならどこにでもありそうなただのひもの付いた麻袋あさぶくろで、店の名前すら入っておらん。ゆえに、出所でどころは分からんかった。指紋の方は一つだけ検出されとるが、これは小鬼族のもので――イアンのものと思われる」

「けっ、店員や袋を作ったヤツの指紋も見当たらないってこたぁ、買ったあとに洗濯でもしたんだろうよ。用心深いこった」

「そうじゃな、捜査の手が伸びるのを警戒して、わざわざ洗濯してから手袋をしてイアンに渡したんじゃろうな。すまんが、そんな訳で特に大した情報は得られんかったわい」


 皆に頭を下げるレオーネを、その場の全員が止める。


「いいんですよ、レオーネさんのせいじゃないんですから」

「そうだぜ、博士。あとはイアンが行った酒場で聞き込みをすりゃいい」

「人族の男性という話でしたから、フリアンとエーヴァルトの人相にんそうきがあると良いんですが……」

「さすがに今から用意するのは無理だな」

「人相書きに協力してもらう理由もありませんしね」


 と、横からポンと手を打つ音が聞こえた。レオーネである。


「それなら良いものがあるぞい」


 そう言うと研究室の隅の方へ歩いていく。戸棚をあけてガサゴソと何かを探していたかと思うと、やがて一部の新聞を持って戻ってきた。


「これじゃこれじゃ。ここに、副宰相とその部下たちを描いた絵が付いた記事がある」

「新大陸歴499年――4年前の新聞かよ。よくこんなの持ってたな」

「新聞はワシの趣味じゃ。たまたまクラウディオが副宰相になった時を取材した記事を覚えておってな、昨夜のうちに探しておいたんじゃ。ちなみに、全ての新聞を保存している国立図書館ほどではないが、ここ10年のものなら研究室にも取ってあるぞい」

収集しゅうしゅうへきも何かの役に立つもんだな。助かるぜ、博士」

「こうして役に立つ時もあるからの」

「腹心たちも今と同じですね、これなら人相書き代わりに使えそうです」

「よし、いっちょ聞き込みに行ってみるか!」

「「はい!」」


 ガストン、ジュリオ、フィリアの三人はイアンの言っていた酒場に向かうのだった。




◇◆◇



 

 2日目、夕刻。王立調査局・研究室。


「ダメだったぜ……」

「ダメでした」

「ダメでしたね」


 悄然しょうぜんとした様子で聞き込みから帰ってきた三人。


「なんじゃ、空振りか?」

「ああ。誰も確信をもってこいつだ、って言える反応は無かったぜ。しかし、これで打つ手なしか……」

手詰てづまりのようじゃな」

「何か突破口とっぱこうは無いのかよ、博士ドクター

「残念じゃがワシでも無いそでは振れぬ。無理じゃ」


 首を振りながらレオーネ。


「こうなったら、ふく宰相さいしょうのところへ乗り込んでいって、直接対決でボロを出すのを待つとか……」

「仮にも国家の副宰相になった相手だぜ? しかも黒いうわさの絶えないヤツだ、難しいだろうな。相手が悪すぎる」


 ガストンはタバコをくわえたまま冷静に判断する。

 

「――いかんせん期間が短すぎたか。準備しないのは失敗の準備をしているに等しい、ってな」

あきらめちゃうんですか、ガストンさん」

「残念だが、どれもこれも状況証拠ばかりでかなめとなるかくたる証拠が無い」

「イアンの証言だけでは立件できませんか?」

「本来は重要じゅうよう参考人さんこうにん以上なんだが――そもそも公式には毒物で死亡したという判断をされてないからな、ただの妄想もうそうとしてあつかわれるだけだろう。逮捕たいほする理由が無い以上、イアンもいつまでもここに置いとく訳にもいかん」

「でも、解放したとたんに消されたりしませんか?」

「どうだろうな。そこまでするつもりなら昨日までの時点でってると思うが、殺されてないって事は相手をするまでもない、ってところか」

「ワシらも見くびられたもんじゃの」

「そもそも事件になってないからな。ここ2日の行動はオレたちの単なる休暇きゅうかだ」

「そんな……」


 フィリアが口に手を当ててなげく。


「そう残念がるな、むすめ。ワシらの検挙けんきょりつは確かに高いが、負けが皆無かいむという訳ではないからの」

「そうそう、それに現時点での逮捕を諦めただけで、クラウディオの野郎を捕まえるのを完全に諦めた訳じゃない。好機チャンスは必ず来る、ってな」


 レオーネ、ガストンが若手わかての二人をはげます。


「では、明日はどうしましょうか?」


 ジュリオはあっさりと切り替える。


「――坊主は淡々たんたんとしすぎだな。いやまあ、なんとなくそうだろうとは思ってたけどよ」

「休暇は明日までですから、まだ残ってます。みんなでヤケ食いにでも行きましょうか?」


 こちらはフィリア。その言葉にガストン、レオーネが顔を見合わせると、


じょうちゃんはなんでそこで食い気なんだよ」

「どうやら、若いモンにはワシらの励ましなど必要なかったようじゃな」

 

 お互いに肩をすくめながらごちる。

 そこへエレナが、


「お疲れ様です皆さん。コーヒー持ってきましたよー」


 カップとポットを持ってやって来た。

 全員にコーヒーが配られ一息つくと、


「とりあえず……明日は王宮だな。副宰相のツラを三人でおがみに行くとしようか」


 そう言うと、ガストンはカップに口を付けたのだった。




◇◆◇



 

 3日目午前。王宮。


 入城手続きを済ませ、2階のふく宰相さいしょう執務しつむしつへと向かう一行。


「これで王宮に入れるのも最後かぁ」

「1階ならいつでも来れるみたいだけどね」

「別にじょうちゃんに王宮への用はないだろ?」

「それはそうなんですけどね」


 雑談をしながら歩いていく。

 やがて副宰相の執務室に着いた。執務室前にはやはりカウンターがあり、制服姿の人族の女性が座って作業している。三人がカウンターに来ると顔を上げ、

 

「こちらは副宰相閣下の執務室です。何かご用でしょうか?」

「副宰相と面会したいんだが」

「アポはお持ちですか?」

「アポなんて取ってないが、王立調査局が来た、そう言えば分かると思うぜ」

「しかし、規則ですので」

「一応そう伝えるだけ伝えてみてくれないか? ダメだったら帰るからよ」

「――承知しました、しばらくお待ちください」


 カウンター内に置かれた通信用魔道具に手を伸ばす。

 数語話すと、


「副宰相閣下かっかがお会い下さるそうです、中へどうぞ」

「おう、ありがとよ」


 三人はドアを開けて中へ入る。

 

 そこは、それなりの広さを持った部屋だったが、大半は積まれた各種資料や書類でまっている。

 部屋の中央には大きな執務机がしつらえられ、その周りに腹心ふくしんと思われる三人が立っており、スーツ姿の糸目の中年男性が椅子いすに座っていた。その顔には笑顔。


「やあ、ガストン君か。よく来たね」

「よう、副宰相」


 長年の知り合いかのごと挨拶あいさつする二人。


「そちらの二人は見かけたことがないな。新人さんかな?」

「ああ。ほれ、自己紹介しな」

「え? ええと、わたしはフィリア=ラーズデル、捜査官見習いです」

「自分はジュリオ=レイクウッド捜査官見習いです。3か月ほど前から王立調査局でお世話になっています」

「そうかそうか、僕はクラウディオ=レガスピ。このクァトル王国で副宰相をしていて、主に外との折衝せっしょうを担当する者だよ。よろしく頼む」


 笑顔のまま手を差し出す。


握手あくしゅは結構だ」

「それは残念」


 少し笑顔をくもらせて、手を引っ込めるクラウディオ。


「それで、今日は何の御用かな?」

「単に新人連れてお前さんのツラをおがみに来ただけだよ。二人とも覚えとけ、こいつがこの国の権力者の中で一等危険なヤツだ」

「おやおや。毎度ながらガストン君は手厳てきびしいね」

一昨昨日さきおとといも人を殺しといて手厳しいも何もないだろ」


 つぶやくようなガストンの言葉にクラウディオの腹心たちは緊張感を高めるが、

 

「さて、なんのことかな。最近帝国との小競り合いが多くて、死者が複数出ているから、それのことかな?」


 笑顔のままそうクラウディオはうそぶく。

 ガストンは表情を厳しくすると、


「今回はダメだったが、いつか必ずテメエの尻尾しっぱつかんで見せるからな」

「そうかい、でも尻尾が生えてるのは君だけどね」


 そう茶化ちゃかして返すクラウディオ。

 ガストンがにらむと、


「おいおい、暴力は勘弁かんべんしてくれよ。人狼族ウェアウルフの君に僕みたいなひ弱な人族がかないっこないんだからさ」


 両手を挙げて降参こうさんのポーズを取る。


「――まあいい、そんだけだ。帰るぞ坊主ぼうず、嬢ちゃん」

「「了解」」


 きびすを返すガストン、それに続くジュリオとフィリア。

 

「あ、そうそう、帰る前に一点だけ」

 

 後ろから声が掛かる。


「例の小鬼族ゴブリンの彼……なんだっけ、エーヴァルト?」

「イアンです、閣下」

「そうそう、イアン君。彼の事は心配いらないから。迷惑かけてすまないって伝えておいて。それだけ」


 ガストンは無言のまま執務室のドアを開けて出ていく。

 ジュリオもそれに付いていく途中でふと後ろを振り返ると、クラウディオの糸目と目が合った。こちらに笑顔のまま手を振ってくる。

 やがてドアが閉められ、いつもの三人となった。


「――なんだか変わった人でしたね。ヴィクトル先輩せんぱいを思い出しました」

「お、なかなかの観察眼だぞ、坊主。遠い親戚しんせきすじらしい」

「そうなんですか。それにしても、事件のことを完全に判ってる風でしたね」

「人をったような態度だったろ。証拠が無いせいか、いつもあんなだけどな」

「ガストンさんは前にも副宰相と会ったことあるんですか?」

「ああ、幾つかの事件でな。ヤツ自身は手を汚さないが、事件の裏で糸を引いてるタイプの人間だ。……っても、私怨しえんで犯罪を起こすようなヤツじゃなかったんだがな。いつもは大体、王国がらみの事件ばっかりだったはずだ」

「じゃあ、今回のは腹心の暴走だったんでしょうか……?」

「さてな。いずれにしろ証拠が無いとどうにもできん。とりあえず坊主と嬢ちゃんはヤツの顔を覚えとけ。いずれまた会うことになるだろうからな」

「「了解」」


 王宮を出たところで、ガストンはポケットからタバコを取り出してくわえる。人狼の顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。

 

「検挙できなかった割にはなんだか楽しそうですね、ガストンさん」

「ん? そう見えるか?」

「ええ。なんていうか……次こそはー、みたいな顔してます」

「確かに」


 ジュリオが同意する。


「そうか――そうかもな」


 ガストンは一人何かに納得したようにうなずくと、


「さて、そんじゃ帰るとするか! 次の事件が待ってる!」


 ジュリオとフィリアの肩に手を置いて、ほがらかに言った。




◇◆◇



 

「……さて、今回は少し危なかったみたいだね」


 クァトル王国のふく宰相さいしょう、クラウディオの言葉に腹心ふくしんたち三人――フリアン、タマラ、エーヴァルトが執務しつむしつの床に片膝かたひざを着いて謝意しゃいを示す。


「勝手なことをして申し訳ありませんでした!」

「ですが、あいつはクラウディオ様のお子様を、クルロ様を殺したヤツです」

「あのまま放ってはおけませんでした。準備に時間が掛かってしまいましたが……」


 口々に言うが、


「――僕がいつそんなことを頼んだかな?」


 静かなクラウディオの言葉に、三人は言葉を失う。


「君たちの忠誠心ちゅうせいしんは嬉しいし、クルロが死んだことは悲しいけれど、イシドロ君も後悔こうかいしてた。なにも殺すことは無かったんだ――」


 クラウディオの糸目が悲しそうにれ下がり、複雑な表情を見せた。

 しば瞑目めいもくすると、


「まあ過ぎたことは仕方ない、次からはもっと上手にやることだね」

「「「はっ」」」


 表情を笑顔に戻し、三人にそう告げる。


「それにしても、先ほどの彼――少し気になるね」

「ガストンですか?」

「そうじゃなくて、人族の方の彼だ」

「ジュリオとか言いましたか」

「そうそう、その彼だ。今後手強い相手になる予感がしてね」

「何か手を打ちますか? こちらに引き込むなり、弱みを探るなり」

「いや、今はいい。ガストン君ともどもウチに来てくれたら良いんだけど……二人とも頑固がんこそうだったし、無理かなぁ」


 やれやれ、と首を振る。

 と、しつらえられた通信用魔道具から連絡が入った。


『クラウディオ様、王立調査局局長ヴァイオレット侯爵こうしゃく閣下かっかがお見えです。お会いになられますか?』

「ヴァイオレット君か。丁重ていちょうにお通ししてくれ」

『かしこまりました』

「――さてさて、なんの用だろうねぇ」


 楽しそうに言うクラウディオ。

 ほどなく執務室のドアが開き、ヴァイオレットが入ってくる。

 ヴァイオレットは椅子いすに座るクラウディオを見下ろすと、

 

「ごきげんよう副宰相殿どの。先ほどは調査局ウチの者が失礼したようで」 

「ああ、いいよいいよ。火のない所に煙は立たないってね」


 手を軽く振って応える。


「――相変わらずだな、副宰相殿は」

「僕は変わらないよ。だから、これからもどんな手段でも使ってみせよう。それがこの国のためになるのなら」


 表情は笑顔のままだが、それは強い意志――クラウディオの信念ともいうべき何か――を感じさせる言葉だった。 


「さて、今回の件はこの国のためになったかな?」


 ヴァイオレットが静かに反論すると、


「――痛いところを突くね、ヴァイオレット君は」


 笑顔をくもらせる。


「今回のは僕の意思じゃない、と言えば信じてくれるのかな?」

「なら、部下の手綱たづなくらいしっかり握っておけ」


 腹心たちを見回しながら告げるヴァイオレット。

 

「すべてお見通しか。やはり君は怖いなあ」

「ふん、思ってもいないことを。それでは、またいずれ会おう」

「うん。またね、ヴァイオレット君」


 ヴァイオレットはきびすを返し、颯爽さっそうと立ち去っていった。

 それを見送ると、


「やれやれ、釘を刺されちゃったな。これで分かったと思うけど、君たちも単独行動はほどほどに、ね?」


 その言葉に三人の腹心は深々と頭を下げる。


 腹心たちから視線をそらした先の窓の向こうには、そろそろ春が訪れる空。

 クァトル王国第3位の実力者は、


「さて――それじゃあ次はどんな悪戯いたずらを仕掛けに行こうか?」


 楽しそうに、そう口にしたのだった。

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