幕間 人狼族の唄

 冬も終盤に差し掛かり、昨夜から王都ミリアムに雪が降った日の夕方。

 桜花館おうかかんから西オエステ地区にある行きつけの酒場を目指して、王立調査局・特殊犯罪課の人狼族ウェアウルフ、ガストン=ウェインは10センチほど積もった雪を軍用ぐんよう長靴ちょうかで踏みつけながら歩いていた。

 かつては軍の特殊部隊――特殊部隊も色々あるのだが――に所属し、砂漠や雪山など様々な戦場に投入された経験があり、また人狼族であるガストンにしてみれば、この程度の積雪はなんの支障にもならない。

 自前の灰色の毛皮の上に、相変わらず第3ボタンまで開けて着崩した白いシャツとオリーブ色のスラックス、さらに寒さをしのぐためと、財布をしまうために愛用のくたびれた焦げ茶色のトレンチコートを羽織はおっている。

 口にはガストンのトレードマークともいえる、火の点いていないよれよれのタバコ。いわく、おまじないの一種であるらしい。


「ちっ、また降ってきやがったか」


 行程はまだ半ばといったところだが、灰色の空からまたしてもちらちらと雪が舞い始めていた。

 ここ2か月ほど――というか、ジュリオが王立調査局に入局してからは非番の日は桜花館に閉じこもって、料理長たるジュリオの料理をたらふく食べては寝るのがつねなのだが、今日はガストンは非番だがジュリオは当直とみ合わず、夕食をりに外に行かねばならなかったのだ。


(どうせ外へ出るならと、セントラルにある桜花館から西地区の酒場、おどおおかみていを目指したのがそもそもの間違いだったか――)


 そう思い始めた頃。

 中央セントラル地区と西オエステ地区のさかいを流れるロランド大河、そこに掛かった橋の歩道の上に奇妙な物体を見つけた。

 近付いてみると、雪の上にうつぶせに倒れた状態の人狼族の男だと判明。


「おいおい、こんな日に行き倒れかよ。いくら人狼族でも死んじまうぞ……」


 ぼやきながら、その男を抱きかかえて声を掛ける。男はガストンのコートに似た焦げ茶色の毛皮を持ち、灰色のロングコートを着ていた。手荷物のたぐいは見当たらない。


「おい、生きてるか? 生きてるなら返事しろ」


 男はかろうじてガストンを緑色の眼で見上げると、


「は、腹減った――」


 そう呟いて意識を失った。


「……ったく、しょうがねぇな」


 王都でも比較的珍しい同族を放っておくわけにもいかず、ガストンは男を背負せおって歩き出す。

 折からの雪が、強さを増していた。




◇◆◇




 男が意識を取り戻したのは、ガストンがおどおおかみていに着いて男を椅子いすに座らせ、その正面に陣取ってとりあえずエール酒を注文、飲み始めた時だった。


「お、気付いたか」

「俺、どうして……」

「ロランド大河の橋の上で倒れてるのを見つけてな、オレがここまで連れてきた」

「そうか……ありがとう同族、命を助けてもらったみたいだな」

「気にするな同族。それより腹が減ってるんだろ? せっかくの珍しい出会いだ、オレがおごるぜ」

「重ね重ねすまんな、同族」

 

 男は壁にあるメニューに目をやる。すぐに驚いたように目を見開いた。


「同族、このメニューは――」

「おうよ、オレたちと同じ人狼族ウェアウルフがやってる店よ。なつかしい香りがするだろう?」

「そう言われれば、故郷の香りがするな」

「王都でも数件しかない、同族御用達ごようたしの店だ。遠慮えんりょなく注文してくれ」

「ああ、そうさせてもらおう」


 そう言いながらも、男は羊肉の串焼きを3本とエール酒を一杯頼んだだけだった。

 出された串焼きにかぶりつくと、瞬く間に3本とも平らげる。そしてのどを鳴らしながらエール酒を飲み、一息つく。

 男はジョッキをテーブルに置いてガストンを見ると、


「そういえば同族、名乗りがまだだったな。俺はベルトラン=ジラール、旅の者だ」

「オレはガストン=ウェイン。さ、もっと食って飲むといい」

「実を言うと、全然足りない」

「そうだろう?」


 灰色と焦げ茶色の人狼が、ニヤリと笑い合う。

 エール酒のジョッキを互いにぶつけ合うと、一気に飲み干した。

 次いで、競うように料理とエール酒を注文していく。

 腹が満ち、ほろ酔いとなった二人はつまみ代わりの干し肉をかじりながらベルトランの旅の話をしていた。


「ドリッテ帝国は今そんなんになってるのか……」

「ああ、前よりも豚鬼族オーク小鬼族ゴブリンなんかが幅をかせてる。軍人たちが武力にモノを言わせてやりたい放題してるよ。俺たち人狼族は豚鬼族や小鬼族なんぞとは比べ物にならないほど強いが、なにせ数が少ない。おかげで肩身が狭くてな、帝国からこの王国へつい最近やって来たばかりだ」


 ドリッテ帝国は、ラケント大陸の西端を占めるクァトル王国から南東に位置する、鬱蒼うっそうとした密林と流域面積の広大なヘルツェル川を主な国土とした国である。人族よりも亜人族たちが多く、国民の3分の2が豚鬼族などをはじめとする亜人族で占められていた。

 現在の帝国の長は皇帝ボニファティウス14世、鬼人族オーガである。帝国は世襲せしゅう制ではなく、実力のある者がその座に就くため、皇帝が変わるたびに名前も種族も変わるのだ。唯一引き継がれるのは、何代目の皇帝かを示す数字と『世』だけである。

 現帝は一般的には知能が低く、代わりに筋力が高いとされる鬼人族出身であるが、賢帝の異名を持ち、善政をいている――と対外的には言われている。実態は今聞いての通りだった。


「もともと軍人たちが偉そうにしてる国だったが、更に軍備増強してるのか」

「ああ。近いうちにどこかに攻め込むんじゃないかって、もっぱらのうわさだったぜ。クァトル王国もうかうかしてられないんじゃないか」

「そうか……」


 真剣な表情で考え込むガストン。

 過去に帝国が裏で糸を引いていた事件があり、なし崩し的に当時の特殊犯罪課が国境付近で帝国の軍人たち――しかも国外に送り込まれる程の精鋭せいえい部隊――とやりあった経験がある。事態を重く見た国王が、直轄ちょっかつ部隊である近衛このえの中でも最も移動力の高い航空隊を援軍として派遣はけんしてくれたが、その到着があと5分遅かったなら敗北していたのはガストンたちだっただろう。帝国の軍人たちは、不利をさとるとすぐに母国へ撤退てったいしていった。その強さと引き際のあざやかさをガストンは忘れてはいない。

 現在も帝国の秘密部隊が王国のどこかにひそみ、何らかの策謀さくぼうっているだろうことは想像にかたくない。可能ならこれを検挙したかった。

 だが、帝国の人間を逮捕することは警察の上位組織程度でしかない特殊犯罪課の職分を大きく超えている。専門家たる軍の諜報機関インテリジェンスに任せるべきだろう。

 そこまで考えたところで、ベルトランがじっとこちらを見ているのに気が付いた。


「どうした、同族。自分の国が心配か?」

「まあな。戦場にり出されるのはもうごめんだ」

「なんだ、元軍属か。どうりでただ者じゃないと思ったぞ」


 そう言うベルトランも、ガストンほどではないにしろ相当にきたえられていることに気付いていた。人狼族とはいえ、ただの旅人にしては珍しいレベルである。

 なにか心に引っ掛かるものを感じながらも、口には出さない。代わりに口から出たのは、乾杯の言葉だった。


 やがて夜更よふけになり、二人のささやかな飲み会はお開きとなった。


「今日は感謝するぞ、同族ガストン。この恩は必ず返すからな」

「気にするな、同族ベルトラン。今度は行き倒れるなよ」

所詮しょせんその日暮らしだからな、約束は出来んぞ?」

 

 焦げ茶色の狼の顔に苦笑が浮かぶ。


「だが、また会おう。では良い月を」

「ああ、良い月を」


 人狼族流の別れの挨拶の言葉を告げて片手を挙げてみせると、ベルトランは店を出て行った。

 ガストンも会計を済ませ、飲み会の間は外していたよれよれのタバコを咥えると桜花館への帰路きろに着く。

 店に入る前に降っていた雪は、いつの間にか止んでいた。




◇◆◇




 翌日。

 王立調査局・特殊犯罪課にはいつもの三人の姿があった。

 ガストン、フィリア、ジュリオである。


「……ですって。聞いてます? ガストンさん」

「――ん、すまん、ちとぼーっとしてたみたいだ。なんだって?」

「だから、昨夜の窃盗せっとうの一件ですよ。どうにも手掛かりが少ないからって、わたしたちに回って来るって話です」

「そうか」


 相変わらず火のいていないタバコをくわえたまま、言葉少なく応じるガストンを不思議そうにジュリオが見る。


「どうしましたガストン先輩せんぱい。考え事ですか?」

「いや、二日ふつかいみたいだ」

深酒ふかざけとは先輩にしては珍しいですね。いくら飲んでも、いつも朝にはシャキッとしてるのに」

「昨夜たまたま行き倒れの同族に出会ってな。話してるうちに飲みすぎちまったみたいだ」

「そうなんですか? じゃあコーヒーでも入れましょうか」


 フィリアが部屋のすみにあるポットに向かう。


「お、悪いなじょうちゃん。とびきり苦いやつを頼むわ」

「はーい」


 てきぱきとコーヒーの用意がされていく。格闘技と料理を除けば大抵のことを器用にこなすフィリアならではの手際だった。


「はい、どうぞ」


 湯気の立つカップに、コーヒーが満たされている。

 ガストンはタバコを一旦机に置くと、狼の手で器用にカップをにぎって一口すすった。口の中をコーヒーのい苦みと、若干の酸味がけ抜けていく。


「お、こいつはくな。死人でも目が覚めそうだ」

「しっかりしてくださいってば。局長がそろそろ来ますよ」

「おう、もう大丈夫だ。ありがとな」

 

 残りのコーヒーを一気に流し込むと、カップを自分の机に置く。

 それと同時に、局長室へと通じるドアが開いてヴァイオレットが姿を現した。

 手には一冊のファイルを、もう片方の手にはミィを抱えている。


「おはよう諸君」

「「「おはようございます」」」

「敬礼は不要だ。もう聞いているとは思うが、今日は昨夜起こった西オエステ地区にある質屋の窃盗事件の調査をしてもらう」

「了解です。では資料を預かりますね」


 フィリアがヴァイオレットからファイルを受け取る。


「……あのぅ」

「どうした、ジュリオ捜査官見習い」

「その手にかかえてる物体のことなんですが……」

「ん、これか? 最近私の部屋の窓辺によくいるんだが、今朝は私の膝の上に乗ってきてな。引き離すのも可哀かわいそうだから、こうして連れてきた」


 ヴァイオレットに抱えられたミィが「ニャーオ」と鳴く。

 その鳴き声の内容に思わず腰を浮かせかけたジュリオだが、なんとか踏みとどまる。


「なんと言ってる?」

「いや、大したことは。窓辺より局長の膝の上の方が良いみたいです」


 ジュリオは笑顔を浮かべて答える。


(あの常に冷静な局長が、一人の時はミィをまさに猫可愛かわいがりしてるだなんて、とても皆には言えないです――)


 内心でジュリオはそうつぶやく。

 ヴァイオレットは特に疑問に思わなかったのか、


「ふむ、そうか。冬の時期は冷えるからな、私にとってもありがたい。ではミィは借りていくぞ」

「よろしくお願いします」

「では事件は任せた。今日中に解決するように」


 そう言い残すと、ミィを抱えたままヴァイオレットは局長室へ戻っていった。


「どうした、坊主ぼうず。顔がちょっと青いぞ?」


 いつの間にか咥えタバコ姿に戻ったガストンが言うが、


「いえ、なんでもありません。それより資料を見ましょうか」

「ええと、紙が一枚挟んであるだけですね、このファイル」


 フィリアがファイルを開いて見せる。


『発生日時:昨夜2~3時頃

 発生場所:西オエステ地区3番街6番地 質屋アブレゴ  

 事件内容:窃盗

 被害総額:金貨換算かんさんで20枚程度

 概要  :今朝店主が起きると、店内の質入れされた物が数点紛失している事に気

      づき警察に通報。店主は昨夜1時頃までは起きていて、異変はなかった

      と述べている。現場は客の指紋だらけで犯人の特定は困難と思われる。

      なお、盗まれた品は腕時計、貴金属製品など』


「ふむ」

「あー……」

 

 ガストンとジュリオはなんとも言えない表情。

 フィリアは乱暴にファイルを閉じると、


「こんな資料でどうしろって言うんでしょうか!」

 

 ちょっと怒っている様子だった。


「こんなんだからオレたちに回って来たんだろ。しかし窃盗か、額が額だしあんまり気が乗らねぇが……仕方ない、とりあえず現場行くか」

「それしかないですかね」

「ですね」


 三人はそれぞれ出発の準備をする。


「馬車で行くほどでもない距離だな。徒歩で良いか?」

「どのみち雪が積もってて馬車は出せないみたいですよ。大通りなら除雪されてるんでしょうけど」

「となると、歩きしかないですね」

選択肢せんたくしの少ない事件だぜ……」


 ガストンがぼやきながら、部屋のドアに手を掛ける。


「さ、行こうぜ。今日中に解決しろとのボスのお言葉だからな」

「「了解」」

 



◇◆◇




 現場の質屋アブレゴは、昨夜ガストンが向かったおどおおかみていとロランド大河の中間あたりにあった。

 店の入口周辺にも雪が積もっていたが、通報を受けた警察の足跡か、大分踏み荒らされている。


下足痕ゲソコンも難しい、と」


 一人ごちたガストンが、ふいに足を止める。


「――おい坊主ぼうず、この足跡どう思う?」


 周囲を見回していたジュリオがガストンの横にやってくる。

 ガストンは一つの足跡を見つめていた。


「大きさから言って、人族のものではなさそうですね――というか、ガストン先輩の足跡じゃないんですか? そんな風に見えますけど」

「お前もそう思うか。でもオレはこんなとこ来たこと無いぜ。それに――」


 言いながらその足跡の隣にガストンが足跡を付ける。


「ほれ、微妙に違う。だが確かに人狼族ウェアウルフの足跡に見える……」


 そのままガストンは黙ってしまった。くわえタバコのまま何事か考えている風である。


「人狼族といっても王都にはそれなりにいるんじゃないんですか? たまたまそのうちの一人がここを通ったか、質屋に入ったかしただけなのでは」


 ジュリオはガストンにそう言ってみるが、


「確かにその可能性はある。だが――」


 ガストンの脳裏には、昨夜出会ったベルトランの顔が映し出されていた。踊る狼亭を出た時間と、踊る狼亭から質屋アブレゴへの距離を計算していく。

 おもむろに顔を上げると、


じょうちゃん、この足跡、雪がけないうちに紙に写しといてくれないか?」

「何か分かったんですか?」

「まだ確定した訳じゃない。だが大筋は見えた気がする」


 そのまま店のドアの前に移動すると、鍵部分に注目した。何か鋭利な物で壊されたようで、鍵穴の周りにも幾筋か傷が付いている。

 ガストンは何かを確認するように目を細めると、一人うなずいた。


「なるほどね」

「質屋の中に入ってもいないのに分かるとは……流石さすが先輩せんぱいですね」

「中にはこれから入るさ。坊主は一緒に来い、嬢ちゃんはそのまま模写を頼む」

「「了解」」


 質屋の中はとても綺麗きれいとは言いがたかった。雑多ざったな品物が、これまた雑多に積み上げられているのだ。

 店主に名乗り、蛇喰鷲へびくいわしの紋章を見せる。王立調査局の人間だと分かると、協力は惜しまないと言ってきた。

 ガストンがそれを受け、ジュリオと一緒に店の中を見渡す。

 店内でもっとも高価だと思わる品は、店主の椅子いすの前にある鍵付きのガラスケース内に陳列されている貴金属や宝石のたぐいだろう。だが、窃盗せっとう被害にはあっていない。


「店主、盗まれた品ってのはどの辺にあったか分かるか?」


 店主は禿げた頭をぴしゃりと叩いて、ガラスケースの上を示した。

 そこには腕時計や、そこまで値の張らない貴金属製品、装飾品が飾られている。

 他にも前述した物よりも高価な有名ブランドのティーカップやソーサーなどの陶器類も置いてあったが、それらも被害にあっていない。


「盗まれた品ってのは全部これくらい――腕時計くらいの大きさだったか?」

 

 ガストンの奇妙とも思える質問に、店主は首肯しゅこうして答える。

 

「そうか、ありがとよ。邪魔したな」


 そう言うとガストンは質屋を出た。ジュリオもあわてて後を追う。


「犯人が分かったんですか?」

「ああ。後の問題は場所がどこかなんだが……そうだな」


 ガストンの推理が当たっているなら、犯人が次狙う場所は分からないが、犯人が来そうな場所には一か所だけ心当たりがある。

 今日来るのか、明日来るのか。いつ来るかは分からない。だが、今夜現れるという確信めいた予感がガストンにはあった。


「あとはオレに任せろ。坊主と嬢ちゃんは指示があるまで局で待機しててくれ」


 そう二人に告げると、ガストンは質屋から西の方へ歩いていく。時折地面を確認するような様子が見え、しばらくすると二人の視界から外れてさらに西へと歩いていった。

 残されたジュリオとフィリアは顔を見合わせてお互いに首をひねる。だが、結局先輩の命令に従って局へと戻ることにした。




◇◆◇




 その日の夕刻。

 ガストンは誰かと待ち合わせているかのように、おどおおかみていの前に立っていた。

 次第に日がかげると、雪が静かに降り始める。

 舞い踊る雪の中、くわえタバコをらしながらひたすら目的の人物が来るのを待った。


 やがて、店の前に一人の人狼族ウェアウルフが現れた。焦げ茶色の毛皮に緑の瞳、それに灰色のロングコート。ベルトランだった。


「よう、同族ベルトラン」


 ガストンが気さくに声を掛けると、ベルトランも気付いたのかガストンに手を挙げてみせる。


「同族ガストン、昨夜ぶりだな」

「ああ。また会えるとはこれも運命かな」

「違いない。そうだ、今度は俺がおごるぞ同族ガストン。昨夜の借りを返そう」

「ありがたい話だが……金はあるのか?」


 ガストンの眼が少しだけ細められる。それにはベルトランは気付かず、


「ちょっとばかり臨時収入があってな。二人分くらいなんとかなるだろう」


 そう答えた。


「そうか――」


 その返答を受けて、ガストンはベルトランの正面に立つ。


「同族ベルトラン、これから一緒に警察に行かないか?」


 まるでちょっと食事にでも、というような誘い。

 ベルトランは怪訝けげんな顔をしてみせたが、ガストンは動じない。それを見たベルトランは、あきらめたように嘆息たんそくしてみせた。


「同族ガストン、何もかもお見通しか」

「ああ。昨夜の質屋の窃盗せっとう事件、お前が犯人だ」

「どうして分かった?」

「幾つか理由はある。だが逆に聞かせて欲しい、どうしてなんだベルトラン。お前ほどの男なら、雇いたいと思う会社は山ほどあるはずだ」

「それを聞きたいのなら――我等われら人狼族の流儀りゅうぎで来るといい」

 

 足を少し広げ、両腕を上げて構えをとるベルトラン。

 対するガストンもほぼ同じ構えをとる。

 両者は無言のまま激突した。


 雪の舞う中、無造作むぞうさに振られたかのようなベルトランの腕をガストンがかわす。が、ベルトランの手から爪が伸び、トレンチコートの端を切り裂いた。お返しとばかりにガストンの低い軌道の右回し蹴り。しかしベルトランが跳躍ジャンプしてこれを回避かいひ、そのまま落下攻撃に移る。

 ベルトランのかかと落としを身体を回転させて避け、その回転を利用してガストンが再びの右回し蹴りを放つ。今度はベルトランが回避しきれずに右足を上げてガードするが、威力を殺しきれずに態勢たいせいが崩れる。

 すきを逃さずガストンが浴びせ蹴りで追撃、両腕をクロスさせたガードを無視してベルトランを民家の壁に叩きつけた。

 衝撃しょうげきで吐いた血をぬぐいながら、ベルトランが態勢たいせいととのえる。ガストンも相手に近付きながらゆっくりと拳を構えていく。

 再び両者が間合いに入るが、今度はお互い攻撃を避けようとしなくなっていた。ただ相手に拳をぶつける、それだけを考えているかのような乱打戦になる。ガストンとベルトランの拳と拳、爪と爪がせめぎ合い、お互いの体力を削っていく。

 どちらともなく両者の間合いが離れた。ガストンが三度目の右回し蹴りを仕掛ける。ベルトランは難なくこれをけ――血反吐ちへどいて崩れ落ちた。かわしたと思った瞬間、反対側からの左回し蹴りがベルトランの鳩尾みぞおちとらえていたのだ。

 

「知ってるか、【双龍脚】って言うらしいぜ」


 ジュリオと訓練半分、遊び半分で組手をした際に、ジュリオが一度だけ見せた技だった。面白いと感じたガストンが、秘かに練習をしていた技である。

 人狼族は身体能力がもともと高いため基礎きそ技術だけで事足りており、人族が持つ様々な格闘技術を小手先の技とわらって必要としなかった歴史がある。そんな人狼族が人族の技術を使ったこと。また、ガストンがわざと右の回し蹴りを続けて印象付けていたこと。そして、最初に壁に叩きつけられたベルトランのダメージが抜けていなかったこと。

 全てがこの一撃のために組み立てられていた。


「……見事だ、同族ガストン」


 地面にくずおれたまま、ベルトランがつぶやく。


「約束だ、同族ベルトラン。なぜあんな真似まねをした?」


 これほどの能力を持った同族が盗みを働く。その理由がガストンには理解出来なかったのだ。

 ベルトランは低く笑うと、


「生きるため、ただそれだけだ、同族」

「何故だ? 生きるためなら警備員でも何でも良い、我々人狼族の戦闘力を必要とする職にけば良いだけじゃないのか!」

「同族ガストン、お前はきっと運が良かったんだ。人族との間になんの軋轢あつれきもなく居続けることが出来る職を得たんだろ?」

「それは……」

「俺にはそれが出来なかった。軍にも馴染なじめず飛び出し、時には盗み、時にはうばい、殺しにも手をめた。俺を受け入れてくれる場所を求めて、街から街、国から国を転々として生きてきた。――俺を必要とする場所など、どこにもなかったがな」


 血の混じったせきをしながら、再び低く嗤う。今度はガストンを笑ったのではなく、みじめなおのれを嗤ったのだろう。


「さあ、俺の理由は話した。今度は同族ガストン、お前の番だ。なぜ俺が犯人だと分った?」

「……足跡だ。人狼族の足跡が、店の前にあったんだよ」

「それだけで俺を疑ったのか?」

「いや、他にも理由はある。例えば盗んだ品物は、すべてオレたちが手にしやすい大きさのものばかりだったこと。もっと高価な陶器のたぐいもあったのに、人狼族には持ちづらい物だったから手をつけなかったこと。店の入口の鍵を壊す時に、爪を使ったろ? その鍵穴に人狼族の爪痕つめあとが残ってたこと。そして、踊る狼亭から質屋へと向かう、人狼族の足跡があったこと。これらが理由だ」

「そうか。気を付けていたつもりでも、色々と痕跡こんせきを残していたんだな」

「あとは、さっきお前に金があるか聞いたよな? 昨日は行き倒れるほど金の無かったお前が、今日はオレに奢ると言えるほど金を持っていることもそうだった。あとは署までお前を連れて行き、店の前の足跡とお前の靴を照合する。そして、この近くの他の質屋にお前が出入りしてないか、そこで盗品を質に入れていないか確認する。それで事ははっきりするだろう」

「そこまでしなくてもいい。認めるよ同族ガストン、俺がやった。俺が犯人だ。盗品もお前の予想通り、近くの質屋に入ってる」


 再び激しく咳き込むベルトラン。意識が朦朧もうろうとしているのか、話ながらも身体が揺れている。


「――さあ、連れていくといい。この程度の窃盗、大した罪にはならないだろうが、罪は罪だ。大人しく報いを受けるとしよう」

「同族ベルトラン……」

「いいんだ、同族ガストン。まさか俺を助けてくれた同族が、刑事だったとは思いもしなかった。俺は少し疲れた。疲れたんだよ――」


 そのままベルトランが目を閉じる。意識を失ったのだろう。

 それまで物陰ものかげで待機し、顛末てんまつを見届けていたジュリオとフィリア、それに一般警察の巡査が二人現れ、ベルトランに手錠を掛ける。


「夕方に突然自分たちを呼び出したかと思ったら、こういうことだったんですね、先輩せんぱい

「手出しするなって言われてましたけど……心配しましたよ、ガストンさん」


 口々に言うジュリオとフィリア。


「悪いな、坊主ぼうず。お前の技を借りたよ」

「構いませんよ、自由に使ってください。先輩の役に立ったなら何よりです」

「そうか。悪いついでに、もう一つ頼まれてくれないか?」

「なんでしょうか?」


 ガストンはベルトランに目を向けると、


「そいつを署まで連れて行ってくれ。オレはもう少しここに残る」

「それは……構いませんが」

「なに、すぐ戻る。ちょっと一人になりたい気分なんだ」


 ジュリオとフィリアは顔を見合わせる。ジュリオの物言いたげな視線に、フィリアは無言でかぶりを振った。


「分かりました。それではジュリオ捜査官見習い、先に署に向かいます」

「同じくフィリア捜査官見習い、対象を署に連行します」

「おう、頼んだぞ」


 二人の巡査もガストンに敬礼すると、四人でベルトランを運んでいく。

 その後姿を見ながら「良い月を」と、人狼族の別れの挨拶あいさつの言葉を掛ける。

 そしておもむろふところから魔道具――ファイアスターターを取り出して、咥えていたよれよれのタバコに火を点けた。

 紫煙しえんが立ち上るタバコを深々と肺に吸い、ゆっくりと吐き出す。


「苦いな……」


 それは久々のタバコの味か、それとも今回の顛末か。

 ガストンはそう言いながらも最後までタバコを味わうと、携帯灰皿に押し付けて火を消した。


「さて、オレも行くとするか!」


 そこには普段通りのガストンがいた。飄々ひょうひょうとした態度で、署を目指す。

 いつの間にか降っていた雪は止み、あたりを煌々こうこうと月が照らしている。

 一度だけ足を止め、


「――待ってるぞ、同族ベルトラン」


 そう呟くと、今度こそ署に向かって歩き出した。

 月は真円に近い形を描いている。満月が近かった。

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