第六章:血の女王(1)

 アズサが魔法少女として動き始めて半月が過ぎた。

 銀鍵派の足取りを追うため、ノードレッドとともに主に終のカダスで過ごす日々が続いていたマリィだったが、リオから不健康を諫められることが多くなっていた。


「お姉さま、たまには外の空気を吸った方が良いですよ? カビちゃいます!」

「ヒトはカビないと思うけど……」


 そう言いつつもなかなかカダスの外に出ようとしないマリィに、珍しくノードレッドが水を向けた。


「少し行き詰まってもいますし、外の空気を吸ってきてはいかがですか? 以前も言いましたが、年頃の娘が引きこもりなのは、心苦しいです」

「だから、好きで引きこもってるわけじゃないんだってば……」


 星の智慧派の件もあってやむなく外に出ることも多かったが、マリィ本人は死んでいるため、なるべく現実に出ないようにしていたのだ。

 それに。


「アズサも安定してきたとはいえまだサポートがいるし、この前みたいな不測の事態が起こったら困るでしょ」

「う……それは……」


 アズサとともにリオが銀鍵派の屍食鬼に対処していたとき、制限時間を超過して月獣が顕現した。それを見たアズサがパニックになって月獣を攻撃した結果、月獣と戦闘になってしまったのだ。

 月獣は基本的に空腹を満たすために屍食鬼を捕食して帰るだけなので、神性を宿す魔法少女には敵対しない。とはいえ、攻撃されれば当然反撃してくるので、迂闊に攻撃しないよう注意されている。

 結局、月獣は緊急連絡を受けたマリィと三人がかりでなんとか追い返すことに成功し、事なきを得ていた。


「何かあったときにすぐ対処できるよう、一人はここにいるべきだよ。幸い、アタシは帰る場所がここしかないんだし」

「あら、でしたら絶好のタイミングがもうすぐあるのではなくて?」


 そう言って割り込んできたのは、レイだ。学校帰りのためか、制服を着込んでいる。後ろからはフランも笑顔を覗かせた。


「絶好のタイミングって?」


 マリィの怪訝そうな言葉に、レイは呆れたような表情を浮かべる。


「世間ズレも行きすぎると困りものですわよ? カレンダーをご覧なさいな」


 レイが差し出したスマホのカレンダーアプリ画面を見て、マリィは納得した。

 時期は五月初頭。

 明日から、ゴールデンウイークだ。


「れ、連休中は、私もレイちゃんもこっちで勉強しようってお話してたから……マリィさんも、自由行動で良いと思う」

「ワタクシたちも、もういっぱしの魔法少女ですもの。バックアップくらいこなしてみせますわ」


 胸を張るレイに、マリィは苦笑しつつも頭を巡らせた。

 彼女が終のカダスに流れ着いて、既に九ヶ月が過ぎている。

 確かに、マリィは種がらみのこと以外で現実の世界にはほとんど出ていない。事件の時は周りを見る余裕もほとんどなかったし、郷愁がないわけでもない。

 それに、レイも言うように、既にリオもフランも屍食鬼との戦闘に危なっかしさは皆無だ。アズサの補佐を考えても、戦力に余裕がある。

 ふぅ、とため息をつくと、マリィは観念したように言った。


「分かったよ。それじゃあ、連休中は少し外の様子を見てくる。留守は任せるよ」

「任されましたわ」

「ふふ……ゆ、ゆっくりしてくださいね」

「帰ったらまたお話聞かせてね、お姉さま!」


それぞれの顔を見渡して頷くと、にこやかに見送ろうとするノードレッドに軽く牽制しつつマリィは自室に戻った。

 どのあたりを見て回るかある程度計画を立て、ベッドに横になる。

 リオの神性を追ったときは、帰ってきた現実に涙しそうになったものだが、数ヶ月経った今は、逆に戻ることに困惑に似た感情を覚えていた。

 屍食鬼と化した盟友に殺されたあの時、自分の居場所は二重の意味でなくなってしまった。

 新たな居場所を与えられた今、そこに戻る必然性すら失われてしまっている。

 そこまで考えて、マリィは自分にびっくりしたように目を瞬かせた。


「……そっか。アタシはすっかり受け入れちゃったんだな」


 魂だけの存在となった自分。

 終のカダスに流れ着いた自分。

 そして、魔法少女になってしまった自分。

 そういったものを、いつの間にか全部ひっくるめて自分として受け入れてしまっていた。


「ま、今は存外悪くないかもね」


 呟きつつ、マリィは目を閉じた。明日は、古い故郷を訪ねるくらいの気持ちで行こう。そう思いながら。





 翌日、マリィは現実世界にひっそりと現出した。

 場所は、住んでいたマンションの近く。なんとなく、ここを中心として見て回るのが一番良い気がした。

 体の線が出ない服装とサングラス、帽子で極力変装し、街を歩く。

 歩き慣れていたはずの道を歩き、通い慣れたはずの最寄り駅へたどり着く。

 電車に乗り、降り、たっぷりと時間をかけて母校を、そして通い詰めたライブハウスを訪れて回る。

 自分から剥離してしまった生活をたどる感傷を、マリィは懐かしさと感じることにした。

 昨晩の思考で総括が済んでしまったためか、悲しみはない。

 ただ、一年も経たない間なのに、全てが自分を置いていったまま進んでしまっている実感に、ほんの少しの寂しさを感じていた。


「……ま、仕方ないね」


 つぶやき、また歩を進める。

 しばらく自分の足跡をたどり、歩き疲れてきたところでカフェに入った。繁華街と言うほどの場所ではないが、自分が普段立ち寄らないような、なるべく人に紛れられる大きめのカフェだ。

 コーヒーをすすりながら、窓際の席で外を眺める。連休の初日だからか、カップルや家族連れが多い。春めいた陽気でもあり、絶好の外出日和だ。

 平和な日常。

 それが薄氷の上に成り立つ平和であることを、マリィは知ってしまった。

 悪夢という怪物が水面下で顎を開く、そんな薄氷の上に。

 ライブハウスと有名私立高校での集団昏倒、そして路上での二件の人体爆発事件。これらはいずれも結びつけて報じられ、何らかのテロ組織の関与まで疑われた。

 だが、それらに関する証拠は何も残っていない。真相を知っているのは、マリィたちだけだ。

 そして今もまだ、悪夢の種は残り続けている。


「……少し、街中を捜索してみようかな」


 無駄足になるとは分かっていても、落ち着かない気分を紛らわすにはちょうど良いだろうとマリィは立ち上がった。

 その姿が視界に入ったのは、偶然だった。


「え……お母さん……?」


 窓の向こう側、雑踏の中から姿を現したのは、マリィの母だった。似ているだけかもしれないと思い目で追ったが、徐々に確信度が上がっていく。

 マリィはコーヒーカップを素早く返却し、店を飛び出して母と思われる人物を追った。

 彼女はマリィがやってきた方向と反対側へと歩いて行く。自宅へ帰るわけではなさそうだった。手にはバッグの他に、小さな花束を持っている。

 墓参り、の時期ではなかったはずだ。マリィの父の命日ではない。当然、自分のでも。趣味が変わっていなければ、家に花を飾る性格でもなかった。

 ならば、誰かのお見舞いだろうか。

 果たして、彼女が歩いて行く先には病院が見えてきていた。地域では比較的大きい病院だ。

 親戚はほとんど遠方だから、友人でも入院しているのかもしれない。そう思いつつも、マリィは言い知れぬ不安が蠢くのを感じていた。

 まさか声をかけるわけにも行かないため、出来る限り目立たぬように母の後をつける。

 神性の力により周囲から認識されづらくなっているとはいえ、休日であまり人のいない病院内に入るのは勇気が要った。マリィはなるべく平静を装って歩き、母がエレベーターに乗るのを見送る。

 停止階を確認し、マリィも別のエレベーターに乗った。他の見舞客や入院患者が止めた可能性もあるが、虱潰しに探すよりはマシだろう。少なくとも、その階より下は探す必要がない。

 エレベーターを降りると、ちょうどナースステーションから歩き出した母を見つけた。運がよかった、と思いながら、少し離れて彼女の後についていく。

 廊下を進み、大部屋の前を通り過ぎて、個室の並ぶ場所に出た。母はそのうちの一つにノックして入っていく。

 マリィは遠目に部屋を確認すると、万一にも出くわさないように一度階下に戻った。一階の入り口付近のベンチに座り、母が病院から出て行くのを見届けることにする。

 三十分もしないうちに、母は病院を出た。花は持っていなかったから、やはり見舞い用に買ったのだろう。

 念のため少し時間をおき、マリィは再びエレベーターに乗る。目的階で降り、先ほど母が訪ねていた病室へと向かう。

 記憶と扉の数をすりあわせ、目的の病室にたどり着く。

 そこに小さく掲示された名前を見て、マリィはノックすることもなく病室内に飛び込んだ。

 等間隔の電子音と、等間隔の気流音がやけに響く室内に、彼女は横たわっていた。

 様々な管につながれ、様々な機械につながれ、ただ胸郭だけが規則正しく上下する。頬はこけ、唇は薄くなり、シーツからはみ出した左腕は枯れ木のように細い。

 その変わり果てた、しかし誰よりも見覚えのある顔が横たわるベッドに、確かにその名が掲示されていた。


 ――愛創マリィ


 足下が崩れ去るような感覚に、マリィは思わずベッド柵を両手で掴んだ。嘔吐きそうになるのを押さえ、事実を確認する。

 生きている。

 痩せ細り変わり果てた姿になりながらも、アタシの体は生きている。

 そしてそれは、一つの致命的な嘘を決定づける。

 爆発しそうになる疑念を、マリィはなんとか押さえ込んだ。理由は、嘘をついた本人に直接問い詰めればいい。

 だが、この事実は同時にもう一つの不可解な疑問をマリィに突きつける。

 あの状況で、マリィを生かしたのは、誰か。

 ノードレッドは覚醒の世界に介入できないと言っていた。もちろん、それすら嘘の可能性もある。しかし、そうなるとこれまで頑なに貫いてきた不介入の意味が分からなくなる。

 アタシを生かした誰かがいる。

 ノードレッドが嘘をついてまで伏せたかった、誰かが。

 マリィは右手を握りしめ、廃夢への扉を開いた。もう一度ベッドに横たわる自分の姿を一瞥し、扉をくぐる。

 全ては、ノードレッドが知っている。

 彼方に見えるカダスを見つめ、マリィは悪夢の回廊を渡った。





「……どうやら、たどり着いたようです」


 そう言って、ノードレッドは寂しげに笑った。


「そうか。ならば、互いの役割を全うするとしよう」


 そう言って、無貌なる蕃神は楽しげに嗤った。

 暗闇の中に浮かび上がる円卓と、七つの座。

 小さな白い炎が灯る座には、四人の少女たち。

 仄かに照らされた彼女たちの表情に、決意が宿る。

 愉悦の表情を浮かべ、無貌の蕃神たる黒い男が闇より溶け出した。


先導ホストは我が務めよう。歓待レセプションの準備は出来ているようだから」


 大仰に両腕を広げ、黒い男は高らかに宣言する。


「さぁ、迎え入れよう。我らが女王を」


 始まりを。


「その首を、刈り取るために」


 賛美と酸鼻の饗宴を。


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魔法少女は惑星の悪夢を見る Clown(黒ノ倉雲) @clown000

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