第五章:矛盾する犬(3)

 アズサとリオが一緒に下校を始めて一週間が経過した。

 初日以降、例の少年が姿を見せることはなかった。校内でも見かけることはなく、噂では登校もしていないらしい。

 アイドル活動もおろそかに出来ないため、この前のように喫茶店でたむろしたりはなかなか出来ないが、一緒の帰り道で咲かせる話の花はリオにとっても癒やしだった。


「リオはアイドル活動以外は何かやってるのかい? 部活……の時間はなさそうだけど」

「うーん、最近は何か楽器も始めようかなって思うんだけど、なかなか時間とれないかなー。アズサは楽器とか習ったことある?」

「小さい頃にピアノをやったきりだよ。多分もうキラキラ星も弾けないんじゃないかな」

「あはは。でもピアノかー。鍵盤楽器はやってみたいかも」


 作曲もやってみたいしねー、と言いつつ、両手でピアノを弾く真似をするリオ。向上心があるのはいいことだよ、と悟ったようなことを言うアズサに、リオは「何それ」と言って顔を見合わせ、笑い合う。

 このまま何事もなければ……そんなリオの願望は、現れた黒い人影によってもろくも崩れ去った。


「……よぅ、アズサ」

「キミもいい加減しつこいね……」


 少年が、そこにいた。

 制服ではなく私服な上、雰囲気が別人のように変わってしまっていたため、リオには最初誰か分からなかった。無秩序に伸びた髪の奥に見える目に光はなく、垂れ下がる両手は落ち着きなく空虚を掻きむしっている。

 そして、最早隠されることなく匂い立つ、屍臭。


「俺は、諦めないって言ったぞ……そうだ、俺は諦めない……」

「……」


 何故かその場から動こうとしないアズサを庇うように前に立ち、リオはスマホのショートカットボタンをタップした。レイが関連企業に頼んで開発して貰った、登録者に位置情報付きの連絡が飛ぶアプリだ。

 これでマリィたちは気づいてくれるだろう。それまで、自分が対処しなければ。


「俺ハ、諦メナイィィィィッッッッ!!」


 少年の絶叫とともに、周囲の景色が一気に歪んだ。 

 半円形の歪な色彩の中に少年とアズサ、そしてリオが飲み込まれる。

 少年は全身を鋼のような筋肉でよろった屍食鬼へと変成していた。ギラギラと光る赤い瞳が、アズサを、次いでリオを射貫く。


「まずハ、目障りナお前を殺ス。俺とアズサの間に入るナ」


 そう言ってこちらに歩を進める少年を見据え、リオはペンダントに手を当てた。星の智慧派の種でなかったのは残念だが、当然野放しには出来ない。

 アズサの前で変身するのも気が引けるけど、と思いつつペンダントを開こうとしたリオの半歩前に、アズサが立った。

 危ない、と思うと同時に、彼女の冷めた横顔に違和感が首をもたげる。

 なぜ、アズサは冷静でいられる?

 その疑問は、新たな屍臭によって最悪な解答をたたきつけられた。


「……!? なんでアズサがそれを……」


 彼女がいつの間にか手にしていた箱から取り出したそれを見て、リオは戦慄する。

 黒く、鈍く光る、悪夢の種。


「ボクも言ったはずだよ。何をされても、ボクの気は変わらない。ボクは誰のものにもならない。たとえ……」

「アズサ、ダメ!!」

「……『悪夢』の中でも」


 リオの制止もむなしく、アズサは悪夢の種を噛み砕く。

 瞬間、少年の生み出した『悪夢』が頂点から雷に打たれたようにひび割れた。同時に、異常な色彩の景色は白黒に置き換えられていき、さらに広範囲を飲み込んでいく。

 そして、アズサは神性と化した。


「ハ……?」


 巨大な円筒だった。

 無数の六角形の盾を繋ぎ合わせたような円筒が、屍食鬼と化した少年の前にそびえ立っている。二階建ての建造物程度の高さを誇るそれは、緩やかに回転しながら不気味な音を響かせる。

 ピッタリと繋がれていた盾の隙間が、ゆっくりと開いた。そこから、白黒の世界にもかかわらず赤い光が漏れる。


「……!! 逃げて!!」

「ナン……!?」


 駆け上がる嫌な予感に、リオは思わず少年に向けて叫んで円筒から距離をとるよう跳躍した。少年はリオの言葉の意味を掴み損ね、行動が一歩遅れる。

 その一歩は、何よりも深い断絶となった。

 強靱な屍食鬼の肉体を、赤い光の矛が貫く。

 停止した円柱の六角形の隙間から、幾本もの矛が全方位に伸びていた。そのうちの二本が、彼の左肩と右大腿を穿っている。

 円筒が、唸りを上げて回転を再開した。盾の並んだ一段ずつが、それぞれ逆方向に。

 悲鳴を上げる間もなく、屍食鬼は細切れの肉片と成り果てた。赤い粉塵が宙に溶けていく様を、リオは歯噛みして見送る。

 巨人の神性戦の再現だ。目の前にいたのに、助けることが出来なかった。

 円筒は回転をやめると矛を収め、再び隙間なく盾同士が繋がれていく。何者をも拒絶するその姿は、アズサの信条とは真逆に見えた。

 誰とでも仲良くしたい。彼女はそう言っていたはずだ。


「アズサ、その種のこと知ってて使ったの……? どうして……?」


 絞り出すように問いかけるリオに、円筒はわずかに蠢動した。


『キミなら分かるはずだよ。自らの恐怖を具現化した、キミになら』

「……!? まさか……」

『そう、ボクもいたんだよ。あのライブハウスに』


 アズサの言葉に、リオは驚嘆する。普段は会場にいる全員の顔を覚えるくらい見ているが、あの時は憔悴していたため誰の顔も見ていない。

 その中に、彼女が。


『目を覚ました後、キミについて少し調べたんだ。その過程で、ある人に出会った。キミの力の正体を知る人にね』

「……あのライブハウスに行ったの」

『あっさり教えてくれたよ。そして、ボクにも種をくれた。悪夢を現実にする力を持つ種を』


 自分の時とはまるで違う説明がされていることに、リオは混乱した。おそらくは、アズサが自ら求めたためだろう。

 悪夢を現実にする。それは正しく、間違っている。


「違うの! その種は、そんな都合のいいものじゃないの!」

『でも、キミはこうしてボクの前に立っている。あのときとはまた違う姿で。その都合の良さは、どう説明するんだい?』

「それは……!!」


 言葉に詰まるリオを嗤うように、円筒が蠢く。


『責めているわけじゃないよ。キミのおかげで、ボクは選択することが出来た。ボクを独占しようとする人間を――根絶する選択を』

「そんなの間違ってる! あの子は確かに道を誤ったけど、それでも殺しちゃったらもう取り返しがつかないんだよ!?」

『取り返しなんて、つける気もない』


 再び、盾の隙間が開いていく。

 身構えるリオの前で漏れ出る光の奥に見えたのは矛ではなく、乱雑に並ぶ大小様々な眼球だった。

 瞳孔の色合いも異なるそれらの瞳は、ぎょろりと四方を見渡してから、一斉にリオを射貫くように見据える。

 あぁ、とリオは理解した。アズサは自分のことをよく調べてくれている。

 一瞬目を伏せ、リオは神器を呼び出した。砲の付いた巨大な大剣が、両手に収まる。

 軽く深呼吸した後、神器を眼前に構え、リオは噛みしめるように呟いた。


「その恐怖は、もう倒したんだ」


 大地を蹴り、異形の円筒に向けて突進する。円筒の隙間を狙って大剣を突き出すが、直前で隙間を閉ざされ、重い金属音とともにはじかれる。

 追撃とばかりに大振りの一撃をたたき込んだが、傷一つつかないのを見て素早く背後に飛んだ。同時にまたも盾の隙間が開き、無数の矛が展開される。

 僅かにかすめた左足の傷に顔をしかめながらも、リオは体勢を立て直した。

 相性が悪すぎる。蠢く円筒を前に、リオは思案する。

 自分の神器では、アズサの盾を貫けそうにない。大剣には銃砲も設えられているが、何度か使って大した威力がないことは分かっている。

 お姉様たちが来てくれたら、と考えたところで、リオは首を横に振った。呼び出しはしたが、いつも来てくれるとは限らないのだ。できる限り自分で対処しなければ。


『終わりかい?』

「そんなこと!!」


 アズサの異形に否を叫び、大剣を構え直して突撃する。展開される矛を避け、斬撃を叩き込むが、やはりダメージは通らない。

 不気味な蠢きを察知し、距離をとった。屍食鬼の肉片を生み出した回転が、リオに襲いかかる。本体の動きは遅いが、当たれば致命傷の攻撃の中、付け入る隙がない。

 ならば円筒の上から、と跳躍するが、円筒は見る間に伸びていき、悪夢の天蓋まで隙間なく盾が敷き詰められていく。

 回転の周期を狙って攻撃を重ねる。矛はいくつか叩き折ることが出来たが、すぐに再生するため焼け石に水だった。矛同士の隙間も狭く、幾度か狙ってはみたが有効打にはならない。

 回転を止めた異形の塔は、表面を震わせて音を立てると、矛を収めて再び眼球を覗かせた。


『キミも、これ以上ボクに関わる必要はないんじゃないかな。どうせ、ボクはこの悪夢から逃れられない。犠牲になったのは彼一人だし、収支は合うだろう?」


 冷めたようなアズサの声に、リオの表情が凍り付く。

 違う。彼女がそんなことを思っているはずがない。たった数日の付き合いだけど、彼女は友達と談笑できる普通の女の子だ。

 だが、悪夢は展開した。その事実が、リオの願望にも似たイメージを否定する。

 アズサは持っている。秘めた恐怖を。

 そしてその恐怖こそが、彼女の姿も、そして思考も、異形の怪物たらしめている。

 だから。


「……違うよ」

『何が違うんだい?』


 即座に問い返す冷たい声を断ち切るように、リオは顔を上げて異形の円筒を睨み付ける。


「アズサが救われて、罪も償う! ここまでで初めて収支が合うんだ!」


 心の底からの叫びを乗せ、リオは吶喊した。

 嘲るように翻る瞳たちの代わりに矛が突き出し、リオを迎え撃たんとする。回転が始まる前に、リオは全力を乗せた一撃を放った。幾本かの矛は折れたが、本体へのダメージはない。

 続けて二撃、三撃。

 唸るような音が響き、回転が始まる。最後の斬撃の反動で後方に飛ぶが、完全には逃れられず、リオは吹き飛ばされて地面に叩きつけられた。

 軋む体と萎えそうになる心に鞭を打って、リオは立ち上がる。咄嗟にかばった両腕は、使い物にならないくらい血まみれで、神器を構えることもままならない。

 それでも、折れるわけにはいかなかった。


『無駄だよ。もうボロボロじゃないか。キミがここで死んだら、それこそ収支が合わなくなる。もう諦めて――』

「諦めない!」


 神器で杖のように体を支えながらも、瞳の光は消えない。そんなリオの姿に、眼球を向けるアズサは初めて戸惑うような声を漏らした。


『何故? キミがそこまで深入りする必要はないはずだろう。これはボクと彼の問題なんだから』

「違う」

『何が違う?』

「わたしが、アズサの友達だからだよ!」


 力を振り絞り、リオは一歩を踏み出す。構えようとした神器は引きずるように弧を描いたが、なんとか前を指すことに成功した。その重みに引っ張られるように、また一歩、前へと進む。

 円筒の怪物が、矛を突き出す。まるで、拒絶するように。


『……それ以上踏み込まないで。ボクを、友達だと思うなら』

「踏み込むよ。だってそれが……友達だもん」


 そう言って、リオは勝ち気に笑みを浮かべた。

 悲鳴のような駆動音を響かせて、怪物は回転と前進を始める。踏み込みすぎた友達を、すり潰すために。

 迫り来る死の予感に、しかしリオは恐怖を感じなかった。誰も死ななかったとはいえ、大勢を巻き込んで怪物化した自分には、いつかこういう結末が来るだろうと思っていた。

 ただ、目の前の友達は、救いたかった。

 でもそれは、自分の死後にでも成し遂げられるだろう。

 なぜなら――


「――フルスイングっ! ですわっ!!」


 リオの思索を真っ向から打ち砕くように、凜々しくも力強いかけ声と、いかずちのような殴打音が響いた。

 振り切られた巨大な鎚に矛が打ち砕かれ、円筒の怪物はその場に釘付けとなる。

 その間に、リオは両脇を抱えられて後方へと連れ去られた。

 顔を見ずとも、分かる。


「遅くなったね。ごめん、リオ」


 左側から優しく降る声に、リオはかぶりを振った。来てくれた。それだけで、十分だった。


「かったいですわね! これは骨が折れますわよ?」

「う、うん……それに、すぐ再生する……どうしたらいいんだろう……」


 リオの前に降り立った少女と、右側の少女がそれぞれ感想を述べ合う。

 信頼し合える、仲間たち。彼女が得た、かけがえのないもの。

 そしてそれは、目の前にも。


「お姉さま、フランさん、レイさん。あの子、わたしの友達なの」


 まっすぐなリオの言葉に、三人の魔法少女たちは頷いた。


「だったら、助けてあげないとね」

「うん……助けよう!」

「まだまだ新米のワタクシですが、助力いたしますわ!」


 三者三様の肯定を聞いて、リオも神器を握り直した。

 体はとっくに限界を迎えている。それでも、一太刀でもいいから、届けたい。

 自分なりの思いの丈を、アズサに。





 彼女たちのやりとりを見て、アズサは反吐を吐く思いだった。

 あぁ、キミたちの距離感は、ソレなんだな。

 お互いに対する、深い信頼。

 ボクには理解できない、二つの価値観。

 信頼、そして愛。

 人同士の関わり合いなんて、所詮うわべだけ。信頼も愛もあまりに脆く、崩れれば自分に傷がつく。

 取り返しのつかない傷が。

 だから、ボクは踏み込まない。踏み込ませない。

 皆と仲良くしたい。それは本音だ。人と接するのは楽しい。彼らの、彼女らの価値観を知って、自分の中での変化を楽しみたい。

 でも、ボクは誰も信頼しない。愛さない。

 誰の信頼も、愛も、いらない。

 ボクは、ボク自身のためにいる。他の誰かに、傷つけさせない。

 そうだ、ボクは。


他人の愛や信頼なんていらない傷つきたくない

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