第五章:矛盾する犬(2)

 翌朝、マリィと半日過ごせて気を良くしていたリオが教室に入ると、既に着席していたアズサが左腕を押さえて顔をしかめていた。


「どうしたの、アズサ? けが?」


 机に鞄をかけながらちらっとアズサの方を見ると、彼女がまくった袖から青アザのついた白い腕が垣間見えた。

 アズサは袖を直しながら「昨日ちょっとぶつけちゃって」と苦笑する。「いたそー」と相づちを打ちながら、リオは違和感を覚えていた。

 どこかにぶつけたとして、あんなに広範囲の青アザになるのだろうか。

 見えたのは一瞬だったが、青アザは前腕の半周程度にはあった。派手に転んだとしてもそこだけ怪我するのは不自然だ。

 昨日、無理にでもアズサとあの子を追いかけておけばよかった、とリオは後悔した。確証になるものは何もないが、どうしても例の少年との間に一悶着あったのではないかと胸がざわついてしまう。

 直接聞くのもはばかられて、何も聞けないまま昼休みになってしまった。


「アズサ、お昼、中庭で一緒に食べよ?」

「いいよ。少しだけ約束があるから待っててくれるかな」


 長い休み時間に少しでも話を聞こうとリオが持ちかけた提案に、アズサは乗ってくれた。

 内心ほっとして弁当持参で先に中庭に向かうと、途中の渡り廊下でアズサが女子から何かを渡されそうになっているのを見かけた。既視感のある光景が繰り広げられ、アズサが引き返していく。

 しばらくして、弁当の包みを持ったアズサが中庭に現れた。手招きすると、彼女はぱっと明るい表情でこちらに駆け寄ってくる。

 あの顔で駆け寄ってこられたら、男女どっちでも勘違いするよね、と内心で苦笑しつつも、リオはベンチの自分の隣を勧めた。


「人気者はつらいね」

「う、また見られてたのか。ボクとしては、もう少し穏やかに過ごしたいんだけどね」


 二人で弁当箱を広げ、他愛ない雑談をしながら、リオは話題を出すタイミングを計る。昨日知り合ったばかりの少女にあまり突っ込んだことを訊くのは不躾な気もするが、やはり気になる。

 ノードレッドには昨日のわずかな屍臭について報告し、調査を依頼されている。件の少年がそうであるかも含め、可能な限り情報を集めたい。

 何より、リオ自身が感じた不吉な影が、未だにまとわりついて離れない。

 二人とも食べ終わったタイミングで、リオは意を決して訊いた。


「アズサ、その腕のことなんだけど……誰かに暴力受けたり、してない?」


 恐る恐る言うと、アズサは「参ったな……」と困ったような顔をした。


「もしかして、それも見ていた、とか?」

「ううん。ただ、アズサの後を追って、昨日の子が走って行ったのを見かけたから……」

「なるほど。推理の材料としては十分か」


 諦めたようにため息をつきながら、彼女はことのいきさつを話した。

 軽く袖をまくった前腕には、痛々しい痕がある。


「思った以上に掴まれた力が強くてね。帰って見たら、アザになってた」

「それ、警察とかに言った方が……」

「その場で電話でもしたらよかったのかもしれないね。でも、あんまり大事おおごとにもしたくないかな」

「それは……分かるけど」


 アイドルとして活動している中でも、突然ファンを自称する人に暴力を振るわれそうになったことはリオも幾度かある。

 警察沙汰の一歩手前までいった事例もあるが、騒ぎになるとこちらに非がなくても活動を縮小せざるを得なくなる。マネージャーとも協議して、暴力を含む犯罪行為には毅然とした対応を徹底しているが、悩みの種だ。

 ただ、周囲が守ってくれる機会の多いリオと違って、アズサは一般人だ。しかも、相手は同じ高校の生徒。何処でまた同じ目に遭うか分からない。


「……うん! アズサ、しばらくわたしと一緒に帰ろっか!」


 リオが提案すると、アズサは軽く驚いたように目を見開いた。


「え? そこまで迷惑はかけられないよ。それに、アイドルで忙しいんじゃないのかい?」

「忙しいけど、学業も疎かにしないっていうのが事務所の方針だから大丈夫! それに、友達と下校って憧れてたんだー。だから、わたしからのお願いってことで!」

「……わかった。友達のお願いは、無碍むげにできないね」


 やれやれ、と諦めたような笑顔のアズサに、リオも笑顔で頷く。力で男の子に勝てるとは思えないけど、助けを呼ぶなら二人の方が確実だ。

 それに、本当にいざというときは、魔法少女の力がある。目的外の使用になるけど、ノードレッドなら笑って許してくれるだろう。

 放課後、約束通り二人は一緒に下校した。知り合ってすぐだし、そんなに話題もないかと思っていたが、意外にアズサは話し好きだった。


「ボクはアイドルにさほど興味は無いけど、母が好きでね。こっそりオーディションに応募されてたことがあるよ」

「え、そういうのホントにあるんだ! 結果は?」

「不合格だよ。『華はあるけど愛想がない』ってさ」

「あはは、イヤイヤ行ったんだ?」

「まあね。母には露骨にがっかりされたけど、無理強いは良くない」

「それはそうだよー」


 彼女の意外なエピソードや私生活の話を聞いているだけでも、リオには新鮮だった。

 今でこそフランという同年代の友人がいるが、リオには友人と呼べる友人は同年代にほとんどいない。アイドル活動が忙しかったのもあるが、地味と言われて蔑まれていた時代が長かったこともある。

 だから、こうして友人と一緒に帰路につくのが憧れ、というのはあながち嘘でもない。口実にしたつもりはないが、リオはすっかり楽しんでいた。

 警戒を怠っていたわけではないが、視界の隅をよぎったものを見過ごさなかったのは、運も良かったのだろう。リオはスマホを片手で器用に操作すると、笑顔のまま画面をアズサに見せた。


『振り返らないで 昨日の子がいる』

「そういえば、わたし行きたいお店があるんだー。せっかくだからお茶していかない?」

「……うん、いいね。寄り道しようか」


 リオの自然な会話のつなぎに、アズサは一瞬詰まったものの無難に返答する。そのまま帰路を外れ、二人はリオが事前に調べておいた喫茶店に入った。

 少年が後をつけてくる場合、そのまま帰宅すると彼に自宅を突き止められてしまう。そうならないように幾つかの待避所を設定しておき、彼が諦めるまで煙に巻き続ける。その間にストーキングの証拠を積み上げて、学校や警察に突きつける。


「そう上手くいくのかな」

「証拠を掴むのは必要だと思う。うちのマネージャーにも、一度相談してみるね。わたしもいつ同じ被害に遭うか分かんないし」


 店内まで少年が着いてこないのを確認してから、リオは春先にはまだ少し冷たいレモネードをすすりつつ、アズサに考えていたシナリオを説明した。

 温かいカフェオレを一口含んで少し落ち着きを取り戻したアズサは、申し訳なさそうに口を開く。


「すまない。結局巻き込んでしまったね」

「全然! さっきも言ったでしょ? 憧れの友達との下校だもん、これでも楽しんでるんだから」


 楽しむはさすがに不謹慎かな、と思ったが、リオの偽らざる本音だった。トラブルだって、友達の関係なら苦じゃない。

 アズサは苦笑したが、気分を害した様子はなかった。


「心強いよ。流石にこういうのは初めてだから」

「あはは……この年でそんな頻繁にストーカー被害に遭うのはイヤかな。でも、交際を断られた逆恨みーみたいなのって、今まではなかったの?」

「記憶にはないな。同じクラスだと、気まずくなったりはしたけど」

「それはそうかも」


 彼女の話では、去年だけでも男女問わず十回以上は交際の申し込みがあったらしい。そのたびに断り続けていたが、噂にこそなれ、申し込みは減る気配もなかったようだ。


「この人ならいいかなって人はいなかったんだ」

「いなかったというか、ボクは恋愛には興味がないんだ。みんなと仲良くするのは好きだけど、ね」


 寂しげな表情で言うアズサからは、応えられない申し訳なさの他に、言い知れぬ機微が滲み出ているような気がした。本当に興味がないんだな、と理解するにとどめ、リオは軽く相づちを打つにとどめる。

 その鼻腔を、微かな異臭がかすめた。

 ハッと顔を上げたリオの視線の先、突然の行動に疑問符を浮かべるアズサの、さらに向こう側。

 窓ガラス越しに、こちらを見やって通り過ぎていく少年。


「……いるのか?」

「うん。通り過ぎていったけど、こっちを見てた。もうちょっとここにいた方がいいかも」


 小声で尋ねるアズサに、リオも少し声のトーンを落として答える。

 しかし、リオの中には別の警報が鳴り響いていた。

 彼が、種の持ち主かもしれない。

 確証を得るためには彼に近づく必要があるが、流石にそれは一人では危ないと判断。廃夢でマリィたちに相談しよう、と思いつつ、アズサとの会話を続けた。

 異臭は、いつの間にか消えている。


「あまり長居しても迷惑だし、そろそろ出ようか」

「そうだね、流石にもういないと思うし」


 一時間ほど店内で過ごし、二人は外に出た。警戒しつつ一度帰路とは別方向に移動してみたが、少年が着いてくる気配はない。

 少し回り道をして、リオはアズサを家まで送った。その後、念のため周囲に誰もいないことを確認してから、自宅ではなく廃夢へと帰還する。

 マリィたちやノードレッドに相談し、リオは引き続きアズサとできる限り行動を共にすることにした。少年が種を持っているにしても、銀鍵派か星の智慧派かは判別がつかないが、いずれにせよ放置する選択はない。

 少年の身辺はマリィとノードレッドが洗うことになり、放課後はフランとレイも可能な限りリオとアズサの帰路範囲内を巡回する。


「お姉さま、あんまり無理しないでね」

「大丈夫だよ。ありがとう」


 今もまだ本調子ではなさそうなマリィを気にかけつつ、リオは自室に戻った。

 魔法少女は、今や四人。レイはまだ力をの使い方を持て余しているが、それでも戦力にはなる。たとえマリィがいなくても――いや、マリィを安心させるためにも、出来れば三人でコトを終わらせたい。

 ベッドに腰掛け、ぐっと拳を握る。種のことだけじゃない。アズサのことも守ってあげなきゃ。決意を新たに、リオは体を休めた。





 凜玖りんくアズサは考える。

 なぜ、みんなと仲良くしたいのに、それ以上を求めようとしてくるのだろう。

 誰かのことを深く知るために、誰かを独占する必要はないはずだ。

 ボクは、誰も独占しない。誰にも独占させない。ボクはみんなのためにいて、みんなはボクのためにいる。そういう関係でいいはずだ。

 それを壊そうとするのなら、それはボクにとっての敵だ。

 そして、ボクたちにとっての。

 リオは、理解してくれるだろうか。つい先日に出会って、親睦を深めた少女のことを考える。アイドルでもある彼女は、距離感を知っている。ボクに興味を示しつつ、話題の踏み込みに強弱をつける。

 そう。ボクには、そういう距離感が心地いいんだ。だから、つい彼女の好意に甘えてしまった。少年からの暴力の危険性があるにも関わらず。

 彼女に頼り過ぎてはいけない。それは、彼女の独占につながるから。

 あの少年とは、ボク自身の手で決着をつけなければならない。

 アズサは目の前に置かれた小さな箱を手にした。中には、小さな黒い種。


「……リオ。君には隠していたけど、ボクはキミを知っていたんだ。キミの持っている、も」


 そう独りごち、アズサはその箱を通学鞄に忍ばせた。

 悪夢を。

 悪夢のもたらす、力を。

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