第五章:矛盾する犬(1)

 ボクは、誰とでも仲良くしたい。

 世界には、八十億人も人がいるらしい。日本だけに絞っても、一億二千万人。

 人の数だけ違う価値観がある。ボクは、それを知りたい。

 人を知れば知るほど、ボクの価値観も変化していく。

 人と交じり合うことで、ボクの多様性は増していく。

 だから、ボクは誰とでも仲良くしたい。


 ボクは、一人に愛されたくない。

 世界には、八十億人も人がいるらしい。日本だけに絞っても、一億二千万人。

 人の数だけあるはずの価値観を、ボク一人に求めて欲しくない。

 人を知れば知るほど、ボクの価値観は変化していく。

 人と交じり合うことで多様性を増すボクを、独占されたくない。

 だから、ボクは一人に愛されたくない。


 仲良くなるなら、平等が良い。

 誰か一人と深い仲になるのは、嫌だ。

 世界中じゃなくても良いし、日本中じゃなくても良い。

 ただ、ボクの周りにいる人たちと、仲良くなりたい。

 誰か一人の愛は要らない。

 だから、ボクは。





 桜も散り始める頃、新たな学年が始まった。

 高校二年生になった始業式の日、リオは代わり映えのしない通学路を浮かない顔で歩いていた。

 レイの一件が終わった後から、マリィの元気がない。元気と言うより、覇気がない印象だった。マリィが戦う前からリオと同じく戦力外になったことは後でフランに聞いたが、そのことを気にしているわけではないらしい。

 この一ヶ月間、散発的に現れる屍食鬼の処理は、もっぱらリオが主導で行っていた。フランもかなり戦闘に慣れ、レイをサポートしながら戦ってくれている。

 ちなみに、レイの選択した神器は巨大なつちだった。「鍛冶屋敷の象徴と言えばこれしかありませんわ!」と喜んで振り回す姿に、マリィは苦笑していたが。

 そのマリィは、この間に一度しか廃夢を出ていない。

 ノードレッドにも話を聞いてみたが、彼にも理由は分からないようだった。距離を置いている感じではないが、自室にこもっていることが多いらしい。


「お姉さま、大丈夫かな……」


 リオも春期休暇中はアイドル活動が忙しく、悪夢関連以外でマリィとゆっくり話す時間がとれていない。

 今日は始業式以外にイベントもないし、早く廃夢に行ってお姉さまとおしゃべりしよう。そんなことを考えながら学校の門をくぐったところで、リオの前に珍しい光景が飛び込んできた。

 ショートカットで小柄な少女の前に、一人の少年が立ち塞がって何かを差し出し頭を下げた。少女は受け取らず、何事かしゃべった後に同じように頭を下げ、少年はそれを見てどこかへ走り去っていった。


「学校で告白する子もフラれる子も初めて見た。青春って感じだなー」


 ウンウンと頷きながら、次は失恋ソングでも発注してみようかな、などとたくましいことを考えるリオ。

 始業式を終え、新しいクラスに入ったところで、偶然の怖さを思い知った。

 先ほど見かけた少女が、同じクラスの自分の席の隣にいる。

 明るいオレンジに近い茶髪をショートカットにした少女は、格好が違えば美少年にも見えそうな中性的な容姿をしていた。宝石のような大粒の瞳と長いまつげが印象的で、こちらに気づいて笑いかける表情は、同性のリオでも思わずドキッとしてしまいそうなほど魅力的だった。


「お隣さんだね。ボクは凜玖りんくアズサ。よろしくね」

「あ、うん! よろしくね、アズサちゃん。わたしは葉月リオ!」


 立ちあがって挨拶をする少女・アズサに、リオも笑顔で挨拶を返す。


「アズサ、で良いよ」

「じゃあ、わたしもリオで!」


 どちらからともなく右手を差し出して、軽く握手をした。並ぶと目線がリオと同じくらいの高さで、同年代でも小柄な方のリオは少し嬉しくなる。

 しばらく他愛もない雑談をしてから、リオは今朝のことを軽く聞いてみた。


「そう言えば、朝の見ちゃったけど、知ってる子?」

「見られてたのか、ちょっと恥ずかしいな」


 苦笑めいた表情を浮かべながら、アズサは頬をかく。


「別の組になった、去年のクラスメイトだよ。好意を持ってもらえるのは嬉しいんだけどね」

「仲良かったの?」

「悪くはなかったと思うよ。あまり話したことはなかったけど」


 遠慮がちに言うアズサに、それは脈ないよね、と心の中で独りごちるリオ。クラスが変わってしまって接点が少なくなるから、慌てて告白したんだろうな、などと話題を変えつつ考えていると、微かな、ほんの微かな違和感を覚えた。

 一年生の時の思い出話をしながら、リオは隙を見てちらっと教室の中に目をやった。

 特に変わった様子はない。だが、確かに一瞬感じた。

 あれは、屍臭ししゅうだ。すぐに消えてしまったが、近くにいたはず。

 フランとレイの高校のことを思い出す。もしかしたら、彼女の学校にも知らない間に例のカウンセラーが来ていたかもしれない。

 新しい担任が入ってきたのを合図に、アズサとの雑談を終えたリオは放課後の行動を決めた。





 アズサは誰とでも気易く話をする性格で、一日目にしてあっという間にクラスの大半と仲良くなっていった。

 自分よりもアイドル向きじゃないか、と呆れるリオに、アズサは「みんなと仲良くするのが好きなだけだよ」と謙遜したように答える。ちなみに、地下アイドルをやっていることはアズサは既に知っていた。


「ボクはアイドルが出来るほど胆力はないし、リオの方がよっぽど凄いじゃないか」

「わたしは自信のない自分を変えたかっただけだから……必要に迫られてって感じかな」

「必要に迫られても、普通アイドルって選択肢は選ばないと思うけど。聞きかじりだけど、大変なんだろう?」

「大変だけど、今は楽しいの方が勝ってるかな。アズサならメジャーデビューも目指せると思うけどなー」

「やめておくよ。歌もダンスも苦手だからね」


 そんな話をしつつ放課後を迎えたリオは、アズサと別れて保健室に向かった。カウンセラーが来るならここだろうと踏んだからだ。

 リオは真面目に通学こそしていたが、アイドル活動を優先して学内行事にはほとんど出ておらず、校内で何が起きていたかも知らないことの方が多い。

 保健室に出入りしたことはないが、保健の先生は知っていた。アイドル活動を応援してくれている人の一人だ。

 ひとまず、彼女に話を聞いてみることにする。


「カウンセラーは来てないわね。来てたとしたら、私の耳にも入ってると思うけれど。何か相談したいことでもあった?」

「ううん、他校の人からそういう人がいたって聞いて、もしかしてうちにも来てたのかなーって気になっただけです」

「そう? メンタルヘルスはあまり詳しくないけれど、葉月さんが困ってるなら私も相談に乗るわよ。知り合いのお医者さんも紹介出来るから、気軽に相談してね」

「はい、ありがとうございます!」


 どうやら、リオの学校には来たことがないらしい。となると、リオの感じた屍臭が気のせいだったか、あるいは別の経路で種を入手した学生がいることになる。

 お姉さまに相談しようかな、と思ってから、リオは首を横に振った。今はあまりマリィに心労をかけたくない。ノードレッドに相談して、後は出来るところまで自分でやろう。

 そんなことを考えながら下校の準備をして校門を出ると、先に出たはずのアズサが少し前を歩いていた。

 あれ? と思いながらも、同じ経路を通るため声をかけようか迷っていると、次の交差点を右に折れて見えなくなってしまった。

 追いかけてまで声をかけるのも気が引けて、リオはそのまま帰ることにした。早めに帰って、廃夢でお姉さまと一緒にお昼ご飯にしよう、とそわそわした気分で何処のお弁当を買おうか思案しはじめる。

 そんな彼女の横を、早足で通り過ぎていく影に気づいた。


「……あれ、もしかして朝アズサにフラれた子?」


 思わず声に出してしまってから口を塞いだが、どうやら聞こえてはいないらしい。

 少年は他の生徒を避けながらさっさと歩き、交差点をアズサが消えていった方へと行ってしまった。 

 少し、嫌な予感がする。

 屍臭こそしなかったが、少年から不吉な影が伸びているような気がして、リオは彼を追いかけた。交差点を曲がって彼の背中を見つけ、急いで追いかけたが、長身の少年は早歩きでもリオが走るより速い。

 追いつくことも出来ないまま、少年は次の交差点も右に折れ、リオがそこに辿り着いた頃には既に姿が見えなくなっていた。

 軽く息を整えながら、リオは少年の辿ったであろう先を見つめた。やはり屍臭はない。けど、何か引っかかる。

 アズサの顔が一瞬浮かんで消えた。今日知り合ったばかりの彼女だが、今朝のこともあって心配になる。

 何事もないことを祈りながら、リオは気分が晴れないまま帰路についた。





 後ろから近づいてくる気配に、アズサは気づいていた。


「ボクにまだ何か用かい」


 路地裏に少し入ったところで振り返ってそう言うと、朝の少年は息を切らせながら彼女に詰め寄った。


「お、俺は諦めないって言っただろ。少し付き合ってくれよ。喫茶店で話するだけでもいいから」

「ボクも言っただろう? ボクは特定の誰かに深入りするつもりはないよ。キミと一緒に喫茶店に入ったのが見つかって噂になったら、他の人と距離が出来てしまう。ボクはそれが嫌なんだ」


 溜息をつきながら言うアズサだが、少年は一歩も引く気配がない。


「じゃあ、今度の休日に隣町ででもいい。この辺じゃなきゃ見つかる可能性も低いだろ? お金は俺が出すから、日曜にでも……」

「しつこいな、キミ。ボクは嫌だと言ったよ」


 素っ気なく答え、アズサは前に向き直ってその場を離れる。

 少年は歯噛みすると、勢いをつけてアズサの方に足を踏み出した。そのまま彼女の左肩を掴んで無理矢理自分の方を振り向かせ、驚いたように目を開く彼女の左腕を掴んで拘束する。

 固まってしまったアズサに向けて、少年は苛立たしげに言った。


「俺は譲歩してるんだ! 少しくらい付き合ってくれてもいいだろ!?」


 掴まれた腕の力強さに顔をしかめながら、アズサは恐怖よりも滑稽さを感じていた。

 なぜこの元クラスメイトは自分に固執するんだろう。たとえボクが彼と話をしたとしても、ボクが彼に今以上の好意を持つことはあり得ない。出来れば彼とも仲良くしたいけれど、この状態ではそれも望むべくもない。

 だとしたら、彼のこの行為に何の意味があるのだろうか。自分の好意を素直に受け入れてくれる人に時間を使った方が、有意義なはずだ。


「離して。何をされても、ボクの気は変わらないから」

「この……!」


 冷たい目に射られて少年は一瞬躊躇ためらったが、腕を放そうとしない。

 いい気はしないけど、叫んで助けを呼ぼう。そうアズサが決意したところで、タイミング良く横やりが入った。


「おい、何やってるんだ」

「!!」


 男性の声で我に返ったような少年は、アズサをもう一度ちらっと見てから彼女を押しのけるようにして逃げていった。

 アズサは声をかけてくれた初老らしい男性に丁寧に礼を述べ、何事もなかったかのように歩き出した。

 左腕に残る鈍い痛みを抱えたまま。

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