第四章:兎の茶会(4)

 とある私立校での集団昏倒事件は、一部メディアでは半年前に起きたライブハウスでの同様の事件と結びつけられて、センセーショナルな話題となった。

 前回と違って今回は室内といえどかなりの広さがあること、なにより場所が学校であることも踏まえ、警察では薬品を使ったテロなどの可能性も考慮して、慎重に捜査が進められているという。


「い、一時はどうなるかと思いました……」

「面目ない」

「ごめんなさい……」


 悪夢の終焉とともに無事に人の姿を取り戻したマリィとリオは、一戦も交えず離脱するという不甲斐なさに深々とフランに頭を下げた。慌てて「あ、謝らないでくださいぃ」と恐縮するフラン。

 その後ろには、キョロキョロと物珍しそうにカダスのホールを見ているレイがいた。


「面白いお屋敷ですわね? 使用人の方はいらっしゃらないのかしら」


 ついさっきまでの事など無かったかのように好奇心旺盛なお嬢様に、マリィは苦笑する。状況は違えど、リオもフランももう少し取り乱したものだったが。

 そう言えば、珍しくノードレッドのお出迎えがない。これまでは廃夢に帰ってくるたびに何かと出迎えてくれていたが、今日は一度も姿を見ていない。

 代わりにとでも言うように、ニッグが人懐っこく鳴きながらマリィの足にすり寄ってきた。

 彼女を撫でてやりながら、マリィはレイに言った。


「さて。レイには色々説明しなきゃいけないんだけど、今はここの主がいないみたいだから、アタシから簡単に説明するよ」

「えぇ。お願いしますわ」


 少し表情を引き締めたレイに、マリィは手短に説明する。

 悪夢の種のこと、神性のこと、そして、この廃夢について。

 途中レイの話も聞いたが、種はやはり件のカウンセラーからもらっていたとのことだった。精神安定剤と言われていたので、送辞の直前に飲んだという。


「そんな物騒なものとは知りませんでしたわ……」

「まぁ、普通は思わないよ」


 種は飲んだ人の根源的恐怖に根付き、悪夢を発生させる。フランを連れ帰ったときノードレッドはそう言っていたが、レイにとっての根源的恐怖とは『家柄』と『個人』の問題だった。

 フランの憶測は、間違いではなかったらしい。


「特殊な家格かかくなのはワタクシも理解しています。ですが、ワタクシが何をやってもワタクシの前に家格が評価されるのです。このままでは、ワタクシの価値は永遠に家格に隷属することになる……そう考えると、不安で仕方なかったですわ」


 だから、彼女は考え方を変えた。最高の環境を与えられたのだから、それを使いこなす義務がある。そしてその先に、家格が自分に隷属する未来がある。

 それでもなお、今後も変わらないという恐怖は拭いきれなかった。

 彼女の悪夢と神性は、それ故特殊な事象として発現した。


「悪夢の内側がまるまる全部神性だったなんて……」

「どうりで小さすぎると思ったよ」


 リオやフランと同じく、神性になっていた間の記憶もレイにはあるらしい。

 だから、その流れは何となく予想がついていた。


「それにしても、皆様凄い格好されてましたわね」

「う……」


 わざと魔法少女の話題を出さなかったのだが、無駄に終わった。

 リオの目が輝き、フランも何故か説得の体勢を取る。マリィは止めようとしたが、レイの元気な「やりますわ!」を聞いて頭を抱えた。

 レイの部屋を作ろうと提案し、二階へと連れて行くリオとフラン。何となく一人残ったマリィがニッグと戯れていると、応接間の方からノードレッドが姿を現した。


「おや、マリィだけですか? ずいぶん賑やかに思ったのですが」

「みんな二階に行ったよ。新しい魔法少女候補を連れてね」


 暢気のんきなことを言うノードレッドに白い目を向けながら、マリィは溜息交じりに言う。ノードレッドは悪びれた様子もなく、微笑みながらマリィをねぎらった。


「お疲れ様でした。新たな種の発芽は気づいていたのですが、こちらも少し喫緊きっきんの要件がありましたので」

「喫緊の要件って?」

「かつて幻夢境げんむきょうにいた蕃神ばんしんの一人が蒔いた種がありまして。そちらの処遇についてです」


 それ以上は語ろうとしないため、マリィは「ふーん」と相づちを打つにとどめる。

 他の種があろうと無かろうと、マリィに出来ることは見つけた種を取り除くことだけだ。銀鍵ぎんけん派の種は尽きることがなさそうだが、星の智慧ちえ派の種は分かっている範囲では残り一つ。

 見つけて、今度こそ芽吹く前に処分する。

 そう思ったところで、ノードレッドの言葉に引っかかりを覚えた。かつての蕃神が蒔いた種の処遇。それは、一体いつ蒔かれたものなのか。


「ねぇ、ノードレッド。その種って……」

「あ、ノードレッドさんだ!」


 マリィの言葉を遮るように、二階から降りてきたリオが声をかけた。フランとレイもその後についてきている。

 階下まで降りると、レイはノードレッドがこの屋敷の主と見抜いて優雅に一礼した。


「初めまして。鍛冶屋敷レイと申します。お邪魔しておりますわ」

「ご丁寧にありがとうございます。ノードレッドです。レイ、とお呼びしても?」

「構いませんわ。これからお世話になりますもの」


 完全に決意を固めたレイに溜息をつきつつ、マリィは取り敢えず疑問を保留にする。新たな種なら、いずれ話題に上るだろう。

 その横で、レイには早速ペンダントが渡され、新たな魔法少女が顕現していた。

 レイの衣装は深い蒼を基調としたもので、意外にもパンツスタイルだった。金のボタンや刺繍があちらこちらに施されたコートにジャボタイとベスト、コートの肩にはご丁寧に肩章まで設えられた、まさに「男装の令嬢」といった装いだ。


「あら、皆様の衣装とは随分違いますわね」

「どういう基準かは、アタシたちも全然分からないんだけどね……」

「でも、レイさんかっこいいです! 王子様みたいです!」

「う、うん! かっこいいと思う!」

「そう? そう言われれば、悪い気はしないですわね!」


 高笑いしそうなほど舞い上がった気分のレイに苦笑しつつ、マリィはなんとなく衣装の共通項を掴みつつあった。


 リオは、アイドルとして花開いた姿。

 フランは、縛り続けた自分を解放した姿。

 レイは、家格を超えて認められた姿。


 それらは、彼女たちが抱えていた恐怖と表裏一体となる『希望』の姿なのだろう。


 ならば、自分の姿は?


 ペンダントからの借り物の神性とはいえ、自分の変身後の姿は何を反映しているのだろう。

 戦乙女のようとリオが評した深紅のドレスと真っ黒な鎧。死神のような大鎌。そして、本来の自分には無い燃えるような紅い髪。これらは、元の神性が持っている特性か、それとも……。


「あら、マリィ、顔色が優れなくてよ? 具合が悪いのではなくて?」


 レイの声に、はっと我に返る。リオもフランも心配そうにこちらを窺っているのを見て、マリィは愛想笑いのような微妙な表情を浮かべた。


「……ごめん、確かにちょっと疲れてるかも。先に休んでていい?」


 マリィがそう言うと、レイは彼女の手を握って申し訳なさそうに言った。


「あたりまえですわ。元はと言えばワタクシの不始末に巻き込んでしまったのですから。ゆっくりとお休みになって」

「そっちは気にしないでいいけど……ありがと」

「お姉さま、しっかり休んでくださいね」

「お、おやすみなさい、マリィさん」


 気遣わしげな二人にも礼を言い、無言で労るような視線を送るノードレッドにも軽く会釈すると、マリィは自室に戻った。

 服を着替えるのも煩わしく、そのままベッドにごろんと横になる。

 頭の中に、同じ考えがずっとぐるぐると巡り続けていた。

 自分の纏う神性は、いったい何なのか。自らの恐怖を乗り越え、希望へと転換した彼女たちとは違う、借り物の神性。それは、本当に彼女たちと同質のものなのか。

 そもそも、神性とはいったい何か。

 ノードレッドは「旧き神性から力を得る」と言っていた。つまりは、この力のもとになった神のような存在がいるはずだ。

 それはノードレッドが言っていた、この星の外から来た神――蕃神と呼ばれるものたち。

 じゃあ、その蕃神たちは、今どこにいる?

 この力は、本当は、いったい何処から来ている?

 少しずつ、意識がぼやけてくる。様々な思考の渦の中、マリィの意識は、渦の底へと飲み込まれるように薄れていった。





 薄暗い部屋だった。

 マリィは懐かしい空気を感じながら、ゆっくりと頭を巡らせた。

 家族三人の、小さな家だ。勉強机が置かれた二階の部屋は、一人には大きすぎるくらいだった。隣には、両親の寝室。向かいには、父の書斎。廊下とも呼べない狭いスペースでつながった三つの部屋と、階段。

 階段を降りると、リビングルーム。キッチンといっしょになった、一番大きな部屋だ。廊下があって、玄関があって、そこを通り過ぎるとトイレと洗面所、そして浴室。

 あぁ、そうだ。この家で暮らしていた。

 父と母、そして、アタシ。

 父は会社勤めだけど、家で働いていることも多かった。母もキャリアウーマンで、父よりも帰りが遅いこともあった。

 父も母も忙しい人だったから、一緒に遊んでくれる時間は短い方だったと思う。でも、愛情を持って接してくれてることが分かるから、不満は無かった。

 その日は――確か、少しわがままを言った。

 幼児期によくある、一時的な寂しさだった。仕事に行く父と母に泣きついて、父が家に残ることになった。母は大事な用事で帰りが遅くなると言っていた。

 幼稚園の送り迎えを父にしてもらい、すっかり機嫌の良くなったアタシは、一人リビングで遊んでいた。父は書斎で仕事をして、時折様子を見に来てくれていた。

 夕飯は外で食べようという父の提案に、無邪気に喜んだのを覚えている。

 その父が、夜になっても書斎から降りてこない。おなかもすいて、心細さが強くなったアタシは、書斎に行って催促することにした。

 教えられたとおりノックをした。返事がなかった。

 仕事の時はかかっているはずの鍵が、開いていた。

 そっと扉を開くと、イヤなにおいがした。

 父がいた。

 床に倒れていた。

 その胸には、棒が立っていた。

 血がいっぱい出ていた。

 慌てて父に駆け寄った。

 部屋に、もう一人男の人がいた。

 男の人は、何か言っていた。


 ダメだ。

 ダメだ、ダメだ、ダメだ!

 そいつの言うことを聞いちゃダメだ!


 アタシは父に近づく。


 ダメなんだ!


 男の人が、耳元で囁く。


 ダメだったんだよ!


 アタシは父の胸に立っていた棒を、


 やめて……やめてよ! お願いだから!


 ゆっくりと、


 やめて……!!


 引き抜いた。

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