第四章:兎の茶会(3)

 卒業生の皆様、ご卒業おめでとうございます。在校生一同を代表しまして、心からお祝い申し上げます。

 思い返せば二年前、右も左も分からぬ私たちに諸先輩方は愛情を持って接してくださいました。自らの多忙にもかかわらず、私たち後輩を導き、育ててくださいました。勉学に励み、様々な学校行事にも率先して参加されるお姿に、私たちは励まされ、奮い立たされて参りました。

 そんな卒業生の皆様が三年間にわたり続けてきた努力が、花をつけ、実を結び、また新たな種として旅立たれる今日という日を、私たちは心から慶び申し上げます。

 私たちは今、そのような諸先輩方のお姿に近づけているでしょうか。

 私たちは今、実を結び得る努力が出来ているでしょうか。

 私たちは。

 いえ、ワタクシは。


ワタクシは、まだ何も持っていないワタクシは、すでに全てを持っている





 油断しきっていた。

 フランの高校の卒業式当日、突如として生じた悪寒にも似た感覚に、マリィは慄然りつぜんとする。同日に卒業式で休校だったリオも感じたらしく、廃夢に来てすぐマリィの部屋に飛び込んできた。


「これって、アレですよね……?」

「種を使った感覚だ。まさか……」


 二人は急いでレイのいるはずの高校へと移動する。フランに連絡しようとした矢先、彼女から泣きそうな声で電話がかかってきた。


『ど、どうしようマリィさん……! レイちゃんが怪物になっちゃう……!!』

「落ち着いて、フラン。今どこにいるの?」

『あ、そ、卒業式のお手伝いで学校に来てて……そしたら、体育館から屍臭がして……それで……!」

「分かった、そっちに向かうよ。体育館だね?」


 リオにも聞こえるように言うと、頷き合って近くにあった案内表示に従って体育館の方へと向かう。

 その間も通話状態でフランをなだめながら走って行くと、次第に屍臭が濃くなってきた。人影はほとんどない。みんな卒業式の会場である体育館に集まっているのだろう。

 そして見えてきたドーム状の屋根を持つ建物は、屍臭とともに異様な色彩を放っていた。


「これって……」

「悪夢の外殻だ……多分、レイもこの中に」


 リオの疑問に、マリィが答える。屍食鬼が既に悪夢の主と化している場合、神性を宿す者には悪夢の境界が外殻として可視化されることがある。恐らくは同じ原理だろう。

 つまり、既に種は取り込まれ、主は神性をその身に宿している。

 その主がレイである可能性は、極めて高い。


「ま、マリィさん、リオちゃん……!」


 体育館の入り口付近で祈るようにスマホを握って立ち尽くしていたフランは、二人の姿を見つけて駆け寄ってきた。心細さに震える背中をポンと叩き、マリィは状況を訊く。

 卒業式が始まってしばらくは、何事もなく進行していた。準備に忙しく、レイとはほとんど話せなかったが、見た目に不安や緊張の気配はなかったらしい。

 その後、フランが写真撮影に使う機材を運ぶために体育館を離れてすぐ、強烈な違和感とともに屍臭が広がった。

 時間的には、レイの送辞が始まった直後。

 すぐに引き返そうとしたフランだったが、既に悪夢は完成していた。内部に入る方法を知らなかったフランは急いでマリィに電話をかけ、今に至る。

 マリィはすぐさまペンダントに手をかけた。フランもリオに促されて変身の準備をする。


「中がどうなってるか分からない。慎重に行こう」


 自分にも言い聞かせるように忠告して、マリィはペンダントを閉じた。変身とともに現れた神器で悪夢の外殻を切り裂き、内部へと侵入する。

 現れた光景に、マリィは絶句した。

 内部は、体育館の床面と思われる部分を無理矢理球面の内側に貼り付けたような構造をしていた。広さは体育館自体の容積よりもやや広い。

 パイプ椅子や様々な小道具が乱雑に散らばり、講演台とおぼしき物体がぽつんと一つだけ置かれている。重力は床面方向、球体の中心から遠い方向に働いているようで、頭上から物が落ちてくる気配はない。

 そして、内部にいるはずの生徒やその親族、教職員の代わりにいるのは、体を丸めて縮こまるウサギたちだった。


「な、なんですかこれ……」

「……!!」


 困惑するリオと、声もなく立ちすくむフラン。これまでの悪夢とは全く違う景色に、マリィも息を呑む。

 怪物は、いない。

 リオの時もフランの時も、神性を宿した怪物は悪夢の展開とそれほど時間を置かずに出現している。電話があってから、もうかなり経つ。既に顕現していてもおかしくないはずだ。

 周囲を観察するマリィに、フランが声を上げた。


「あ、あれ……!」


 彼女が指さす方向を見て、マリィは首をかしげる。

 球面の中心部に、淡く光る何かがいた。上下に僅かに動いてはいるものの、何かを仕掛けてくる気配はない。

 浮き上がって、ゆっくりと近づく。

 光の中にいたのは、小さな蛞蝓なめくじ、あるいはウミウシのような生物だった。大きさは十センチ程度しかなく、深い蒼の体に、金色の触覚のような突起が二本伸びている。

 周囲のひだを波のように動かし、それはただ浮いているだけだった。


「……え? これがレイさん……なんですか?」


 後からやってきたリオが、訝しげな顔をする。フランも気の抜けたような表情をしているが、マリィはまだ警戒を解いていない。

 これがレイの怪物だとして、じゃあ周りにいるウサギたちは何だ?


「でも、なんかちょっと可愛らしい……」


 そう言って、リオは光る生物に手を伸ばす。

 迂闊に触らないようマリィが警告する前に、それは起こった。

 金色の突起が僅かに伸び、近づいたリオの手に触れる。同時に、リオの体から神性が剥ぎ取られ、変身が解除された。


「え……!?」

「リオ!!」


 力を失い、落下し始めたリオを咄嗟とっさに抱き上げるマリィ。しかし、変身が解けただけでなく、リオの体はどんどん縮んでいく。

 マリィの腕の中で、ついにリオは小さなウサギになってしまった。


「こ、これって……」

「……ここにいるウサギたち全員、こいつの犠牲者ってことか」


 驚愕するフランに、マリィは苦々しく独りごちる。

 恐らくは、悪夢が展開したときに空間内にいた人たちは強制的にウサギに変えられてしまったのだろう。 

 そして今、リオはこの生物に触れた瞬間に神性を奪われ、ウサギに変えられた。

 抱えながら戦うわけにもいかず、マリィは一度床面に降りて変わり果てたリオを降ろした。他のウサギのように、リオもその場に縮こまる。

 やりきれなさをかみ殺し、マリィは生物を見上げた。


「厄介だね……」


 リオは、金色の突起に触れられていた。恐らくそれが原因なのだろうが、突起に触れるのが駄目なのか、それとも全身触れてはいけないのかが分からない。更に言えば、神器が触れても同様のことが起こるのであれば、対処法がない。

 一緒に降りてきたフランは狼狽えつつマリィに訊いた。


「あの、リオさん、他のみんなも……大丈夫なんですよね? 元に戻りますよね?」

「分からない。どっちにしろ、あの生物を倒すしか解決策はないと思うよ」

「で、でも、あれレイちゃんなんですよね!? 倒すって、こ……殺しちゃうってことじゃ……」

「……そうなるかもね」

「そ、そんな……!!」


 恐慌に陥るフランに、マリィは顔をしかめる。

 怪物になったリオとフランは、倒しても元に戻っている。もしかしたら、今回もそうなるかもしれない。

 だが、これまでに戦ってきた屍食鬼たちの末路が、希望的観測を塗り潰す。切り裂かれ、あるいは月獣ムーンビーストに喰われた彼ら・彼女らは、二度と戻ってこなかった。

 だから、

 塞門ミキの顔が、脳裏に浮かぶ。

 もう、彼女を失ったときのような経験はしたくない。知っている笑顔が無残に失われていくような、あんな経験は――


「――マリィさん!!」

「……え?」


 フランのいつになく鋭い声が、マリィを現実に引き戻す。

 だが、一歩遅かった。

 いつの間にか、目の前に神性を纏う生物が出現していた。その金色の角が、マリィの神器に伸ばされている。

 戦慄する間もなく、マリィから神性が奪われ、哀れなウサギへと姿を変えた。

 リオの横で縮こまってしまうマリィを見て、フランは絶望に膝を折った。この異様な空間の中で、異様な生物へと姿を変えた幼馴染みと、たった一人で対峙する事への恐怖に。

 まさに、悪夢だった。

 生物は、ゆっくりと回旋する。襞をドレスのように翻し、フランへと近づいていく。

 そして、彼女の目の前まで来ると、小さく体を震わせた。


 ――ヴ……ヴヴ……ヴ……


 低く唸るような音が、空間を揺らしていく。

 同時に、聞き慣れた声がフランの頭の中に響いた。


『ワタクシは、空っぽの器。贅を尽くし、華美にまみれ、見目麗しく仕立て上げられた、空っぽの器』

「レイ……ちゃん……?」


 寂しげに震えるレイの声に、フランは一時いっとき気を取り直す。

 声を発しているのは、目の前の生物ではない。空間の様々な場所から聞こえてくる。


『ワタクシには、何もない。与えられ、授けられ、供されたものだけで形作られた、矮小な存在』

「そんなことない……そんなことないよ!!」


 大きな声で否定する。

 確かに彼女は恵まれていた。何でも与えられていた。でも、フランは知っている。彼女がもたらされる以上のものを得るために、どれだけ努力してきたかを。

 自らの手で、自らの力で、成し遂げたいと思うもの全てのために。

 そんな心からの叫びを、冷たい声が否定した。


『誰もワタクシを見ていない。ワタクシの家格かかくを見て、納得する。それは、ワタクシに何も無いことと同義ではなくて?』

「!!」


 あぁ、とフランは思い知った。

 レイは、フランが思うよりずっと『鍛冶屋敷』としてしか見られてこなかったのだ。家が彼女の全てで、『レイ』は単なる記号に過ぎなかったのだ。

 彼女の努力は、私が知っている。それは、単なる自惚うぬぼれだった。

 彼女の努力の意味を、私は知らなかった。


『だから、ワタクシは全てを無為にする。ワタクシも、ワタクシ以外も、全て等しく』

「……ダメだよ」


 フランは、神器を呼び出した。巨大なチェーンソーの歯を両手で掴み、ゆっくりと立ちあがる。

 裂けた掌から伝わる痛みを脳に焼き付けながら、彼女は異様な生物と対峙した。

 今なら、はっきりと分かる。レイの宿した神性の正体は、目の前の生物だけではない。球体にしつらえられたこの空間そのものが、彼女の神性だ。

 鍛冶屋敷という巨大な家と、その中に囚われて必死に手を伸ばす、小さな生物。

 それが、彼女の恐怖の象徴。


「リオちゃんがね、言ってたの……レイちゃんの作ったフィナンシェ、もう一度食べたいって」


 血塗れの両手で、チェーンソーを構える。


「……レイちゃんの恐怖、全部は分かってあげられない……私とレイちゃんは、違うから……でも」


 スターターグリップを引き、チェーンブレーキを解除する。


「……レイちゃんがしてきた努力を自分で無駄にするなんて、私が許さないから……!!」


 トリガーを握り混むと、咆吼を上げて刃が走り出した。

 フランは回転するチェーンソーを右手で振り上げ、左手をまっすぐ前に伸ばす。

 生物が、金色の突起を蠢かせた。ゆっくりと伸び、目の前の獲物に近づいていく。

 それが左手に到達する前に、フランは叫んだ。


「狂える星辰せいしん滅夜めつやとどろけ!」


 チェーンソーの刃から、無数の光輪が生み出される。

 それらは弾けるように四方八方に疾走し、空間をバラバラに切り裂いた。

 か細い悲鳴が上がり、ウミウシのような生物がもだえ苦しむ。

 最後の光輪が床面を跳ね、生物を両断した。突起から金色の光が消え、蒼い液体をこぼしながら崩れていく。

 そうして全ての形を失ったとき、悪夢はガラスのように音を立てて砕け散った。

 悪夢の中心から、一人の少女を解き放って。


「……帰ったら……早速フィナンシェを焼かなくちゃいけませんわね……」

「うん……うん……!」


 華々しく飾られた舞台の上、二人の少女は額を付き合わせ、幼い頃のように笑い合った。

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