第四章:兎の茶会(2)
何となく、こうなる気がしないでもなかった。
「何やってるんだか……」
学校が終わった頃を見計らってフランに会いに行くと、レイも一緒に歩いてきたので、その時からイヤな予感はしていた。
程なくして、朝とは違う白いリムジンがすっとマリィとリオの後ろにやってきた。レイが手を上げると、運転手が外に出てドアを恭しく開け、二人に乗車を促す。
遠慮しようと口を挟む間もなく、後から来た二人に押しやられるように車に乗せられ、フランたちと一緒にレイの自宅へと連れ去られて、今に至る。
「すごい豪邸ですよね……わたし、迷ったら二度と出れる気がしません……」
「出られても帰れない気がするね……」
「あ、あはは……」
レイの家は、リオの言うとおりまさに豪邸だった。小さな山をまるごと開拓したような敷地内に建っており、中庭を囲むようなコの字型の巨大な建造物と二つの離れで構成されている。
敷地の入り口には当然のように警備員がおり、ドーベルマンも二匹いた。物々しい門扉には監視カメラがついており、侵入者に目を光らせていた。
玄関前に停められたリムジンから降り、レイに促されるまま邸宅内に入ると、豪奢なシャンデリアが吊り下がるホールがマリィたちを圧倒した。そこからはレイの代わりに使用人と思われる人物が三人を応接間へと案内した。
そこに至るまでの廊下も複雑で、まるで迷宮に潜り込んだようだった。案内された部屋も、ここだけで終のカダスの玄関ホールくらいの広さがある。
背もたれの高い豪華な椅子に落ち着かなく座っていると、先ほどとは別の使用人が滑るようにカートを押してやってきた。何事かと思う間もなく目の前に紅茶とフィナンシェが用意され、来たときと同じように滑るように帰って行く。
慣れているフラン以外の二人がポカンとしている間に、私服に着替えたレイがやってきた。
「皆さん、お待たせですわ! さ、お二方、お近づきの印にどうぞ召し上がって!」
パン、と軽く手を叩くと、レイはニコニコと人懐っこい笑顔でマリィとリオに喫食を勧める。朝とずいぶん様子の違う彼女に呆気にとられながらも、二人はフィナンシェに手をつけた。
しっとりとした食感と香ばしいアーモンド、バターの香り。甘みは強いがしつこくはなく、口の中でほどけるように溶けていく。
「お姉さま、これすごく美味しい!」
「フィナンシェなんて滅多に食べないけど、こんなに美味しかったっけ」
リオとマリィの感想を聞いて、レイはほっとしたような、満足げな笑みを浮かべた。
「昨日作っておいて良かったですわ! 一人で食べきれるか心配でしたの」
「え、これ自作なの?」
驚愕するマリィに「もちろんですわ!」と元気よく返事をすると、レイは机の上にあったハンドベルを鳴らした。
ほとんど時間差なく現れた使用人に「残りのフィナンシェもお持ちして」と告げると、風のように去って行った使用人がまたもワゴンとともに滑るようにやってきた。
ピラミッドのようにきれいに積み重ねられたフィナンシェの載った皿をテーブルに置くと、忍者のように去って行く。
「いくらでも召し上がって!」と勧めるレイを見て、余計なことを言ったと思いつつもマリィは添えられたトングでいくつか自分の皿によそった。リオも嬉しそうに自分の分を取り分ける。
「ほら、フランも遠慮しないでいいのよ? うちに来るのも久しぶりなんですから」
「う、うん、いただくね」
フランもいつにも増して笑顔でレイに応対する。幼馴染みとは言っていたが、本当に仲が良いのだろう。
「そう言えば、家では呼び捨てなんだね」
話し方が今朝よりフランクなのも気になったが、呼び方も変わっているので何とはなしに尋ねてみるマリィ。レイはハッとした表情をすると、口元を軽く手で押さえた。
「あら、ワタクシったら。お客様の前ではしたなかったですわね」
「いや、全然気にしないんだけど。なんならアタシたちも呼び捨てで構わないよ」
マリィの提案に、リオも同意するようにこくこくと頷く。
レイは目をぱちぱちと瞬かせると、合わせた両手を頬に添えて楽しげに微笑んだ。
「では遠慮なく、マリィ、リオ。改めて、宜しくお願いしますわ!」
そう言って着座すると、自分もアフタヌーンティーをたしなみ始める。
その後は、和やかな世間話が進んだ。
マリィはそれとなくレイの私生活などに探りを入れたが、分かったことは多くはなかった。
鍛冶屋敷家は、文字通り鍛冶職人の組合のようなところから始まった家だ。名はあまり知られていないが相当な資産家で、第二次産業では広範囲に名の知れたグループ企業でもあるという。
レイはその中で不自由なく暮らしていたが、フランと出会ってから色々と変化があったらしい。
「幼稚園の頃にフランと同じ組になって、ワタクシ思い知りましたの。ワタクシは今までなんて狭い世界に住んでいたのだろう、と」
「えらく悟った幼稚園児だね……」
フランは手先が器用で、その辺の草花で王冠や笛を作ったり、ブロックを積んで城を作ったりと、遊びにかけては天才的だった。それを見て、レイはいたく感動したのだと。
何でも与えられてきたお嬢様は、この時初めて『自分で作る』ことの喜びを覚えた。
「そ、そのときから、レイちゃんは何でも頑張る子だったよね」
「ワタクシ、負けず嫌いですもの」
その後も、勉強や運動、料理など、フランと一緒に切磋琢磨してきた。それが決定的に変わってしまったのが、中学二年生のフランの事件だった。
「フランが塞ぎ込んでしまって、ワタクシも落ち込んでいましたの。でも、きっと立ち直ってくれると信じていましたわ!」
「レイちゃん……」
「しかも、ワタクシの知らない間に学外のお友達を二人もつくるなんて、フランも案外スミに置けないですわね?」
「あ、あはは……」
知り合った経緯が経緯なため、フランは乾いた笑いしか出てこなかった。レイは『人体爆発事件』でフランが入院していたことを知っていたので、二人はそこで助けてくれた人たち、ということになっている。
「幼い頃からの友情っていいですねぇ……」
「リオ、取り敢えず涙と鼻水拭きな……」
結局ほとんどが思い出話に終始していたが、一つだけ気になる話が出てきた。
「そ、そうだ。レイちゃん、卒業式の送辞……出来た?」
「それが、まだなんですの……なかなか難しくて」
フランの問いに、困ったように答えるレイ。
三年生は既に卒業試験も終わり、フランたち在校生の学年末試験が終われば、すぐにも卒業式だという。
「そっか、もうそんな時期だもんね。レイが在校生代表ってこと?」
「そうですわ! ワタクシが代表なんて、
「そ、そんなことないよ。だって、レイちゃんは主席なんだから」
「主席って、学年トップってことですよね? すごーい!」
「それはそうなのですけれど……」
これまでと違って歯切れの悪い言葉をこぼすレイに、マリィは僅かに引っかかりを覚える。
「主席なんて、なろうと思ってなれるもんじゃないでしょ。レイが頑張った証じゃないの?」
マリィがそう言うと、レイは初めて苦笑いのような、どこか寂しそうな笑顔を浮かべた。
「ワタクシが頑張れているのは、鍛冶屋敷の家のお陰ですもの。ワタクシ自身の力ではありませんわ」
希望のものはなんでも与えてくれる家の存在がなければ、自分はここまで来れなかっただろう。彼女はそう語る。
勉強は一流の家庭教師が教えてくれる。運動は一流のインストラクターが指導してくれる。料理は一流の調理師が手ほどきしてくれる。
運転手の送迎により通学の煩わしさからも解放され、自由に使える時間は山のようにある。環境が、自分を押し上げてくれている。
だから、たとえ主席であったとしても、自分は在校生を代表するような存在ではない、と。
「でも、努力したんでしょ? 環境に溺れて何もしない奴だっているんだから、胸張って良いんじゃないかな」
「そうですよ! 与えられた環境を最大限使いこなせるなんて、かっこいいです!」
マリィの擁護に、更に援護射撃を被せるリオ。フランもしっかりと頷くと、まだ遠慮がちなレイに言った。
「レイちゃんは、誰よりも頑張り屋さんだよ。ずっと隣で見てきたんだもん。だ、だから、きっとレイちゃんらしい送辞が出来ると思う!」
きっぱりと言い切るフランに、レイの顔は次第に真っ赤になった。
「も、もう! 三人がかりで褒めるなんてズルいですわ! さてはフラン、最初からこうするためにマリィとリオをワタクシに紹介しましたわね!?」
「ご、誤解だよぅ!」
照れ笑いをしながら怒るレイに、フランも困ったような笑顔で応じる。
「見てなさい! 皆さんをあっと言わせるような、感動的な送辞を書いて差し上げますわ!」
「レイちゃん、私たちは卒業式出れないから……」
「……あぁ!?」
レイの天然な言動に、三人は声を立てて笑った。
その後も四人でお茶とおしゃべりを楽しみ、マリィたちはフランの家の最寄り駅まで送ってもらった。マリィはそのまま廃夢に戻り、リオとフランは一度家に帰ってから廃夢へと集合する。
再びマリィの部屋に集まると、三人はレイの様子について話し合った。
「なんて言うか、思ったより大丈夫そうだったね」
「ですね! フランさんから見て、どうでした?」
「う、うん……最近は少し無理して明るく振る舞ってるのかなって感じてたのだけど……なんだか、杞憂だったみたい」
二人の意見を聞いて、フランもそう評する。
家の大きさに囚われて自分自身を過小評価している節はあるが、フランの言うとおり、彼女は大変な努力家なのだろう。環境は人を左右するが、彼女はブレがない。
だが、彼女は実際に例のカウンセラーに会いに行ったという。何か他に落とし穴があるのか、それとも、一時の気の迷いのようなものだったのだろうか。
「まぁ、ひとまず今出来ることはなさそうだね。フランは一応様子を見ておいてくれる?」
「わ、分かった……」
「レイさんの作ったフィナンシェ、また食べたいなぁ……」
「そ、それ聞いたら、レイちゃん喜ぶと思うよ」
「あの子、毎回あの量作ってるのかな……」
緊張が解けたせいもあって、レイの話題から学校の話題まで、深夜になるまで三人の会話がつきることはなかった。
○
書きかけの原稿用紙に向かいながら、レイは今日のことを思い返していた。
「ふふ……久しぶりでしたわね、あんなに誰かとお話しして笑い合うのは」
思わず笑みがこぼれる。何より、あんなに塞ぎ込んでいたフランが立ち直り、友達を作ってくるとは思いも寄らなかった。
フランも、自分の見えないところで頑張っている。
自分も、もっと頑張らねばならない。マリィもリオも、環境にかかわらず努力する自分を褒めてくれた。けれど、それに甘んじてはいけない。
環境の恩恵があればこそ、自分はもっと努力しなければならない。
「……ワタクシには、その義務がありますのよ」
そう呟いたところで、レイはふといつかのことを思い出した。そう言えば、以前にそのことで少し参っていたときに、短期で学校に赴任していたカウンセリングの先生に相談したことがあった。
その時にもらった、『精神安定剤』が、今も机の中にある。
フランには何となく気恥ずかしくて「もらってないですわ」と言ってしまったが、もしもの時のお守り代わりとして、今も大事にしまってある。
「……この送辞を読むときは、お世話になるかもしれませんわね」
そう呟きながら、レイは原稿用紙の末尾に句点を打った。
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