第四章:兎の茶会(1)

 ワタクシは、何でも持っている。

 由緒正しき鍛冶屋敷かじやしき家に産まれ育ったワタクシには、最初から全てが用意されていた。

 一流の教育を受ける環境。

 一流の運動をこなす環境。

 一流の食事を食せる環境。

 そして、それら一切を手中に収める、経済的優位。

 欲しいものは何でも手に入った。手が届かないものは何もなかった。

 ワタクシは、何でも持っていた。


 ワタクシは、何も持っていない。

 最初から全てが用意されていたワタクシには、由緒正しき鍛冶屋敷家以外には何もなかった。

 一流の教育を受ける環境?

 一流の運動をこなす環境?

 一流の食事を食せる環境?

 そして、それら一切を手中に収める、経済的優位?

 欲しいものは何でも与えられた。手が届く範囲内に全て置かれていた。

 ワタクシは、何も持っていなかった。


 ワタクシは努力した。

 勉強も、運動も、料理も、自らのモノにするために。

 でも、その努力が出来るのは、時間が使えるのは、全て鍛冶屋敷家がお膳立てをしてくれるから。

 本当にワタクシ自身で得たものは、得られたものは、どこにある?

 本当にワタクシ自身が持っているものは、何?


 ワタクシは、何でも持っている。ワタクシの外に。

 ワタクシは、何も持っていない。ワタクシの中に。

 だから、ワタクシは。



 廃夢はいむに季節はないが、リオやフランの服装から厳しい冬が終わりつつあることはなんとなく分かっていた。


「もうすぐ三学期も終わりですよ。早いなぁ」

「うん……あっという間、だね」


 夜になって廃夢に移動してきた二人の話を自室で聞きながら、マリィは既に過去になりつつある学校生活に思いをせた。


「そっか、もうそんな時期か。次はフランが三年生で、リオが二年生?」

「は、はい……そろそろ、大学受験のことを考えないと……」

「え、もうですか? そう言うのって、夏休みくらいに考えるんじゃ……」

「リオはちょっとノンビリしすぎな気がするけど」


 マリィの苦笑に、リオは頬を膨らませる。フランは少し慌てたように釈明した。


「あの、うちは厳しい高校だから……本当は、一年生の頃から考えておかないといけなかったのだけど……」

「わたし、今までずっとアイドルで売れることしか考えてませんでしたけど……」


 余計に落ち込むリオに、更にあたふたとするフラン。マリィは小さく笑いながらも、助け船を出すようにリオに言う。


「リオは次まだ二年生だし、アイドルも続けるんでしょ? 進路はもう少し先でもいいんじゃない」

「うーん、でも、やっぱり不安定じゃないですか、アイドルって。普通の進路も考えとかないとって、マネージャーにも言われちゃいましたし」


 意外な答えが返ってきて、マリィは少し感心した。てっきりアイドル一筋で猛進するのかと思っていたが、リオなりに色々考えてはいるらしい。

 一度興味本位でどれくらいの収入になるのか訊いてみたことがあるが、リオの集客力で月十~二十万円程度にはなるそうだ。高校生にしてはかなりの稼ぎだが、ここから先へステップアップできなければ確かに将来性は寂しい。


「で、でも、リオちゃんは偉いと思う……実際にもうお仕事してるんだもの……」

「そ、そうですかね……えへへ……」

「あんまり褒めると調子乗るよ、リオは」

「お姉さまヒドイ!」


 そんな談笑に花を咲かせていると、いつの間にか現れていたニッグがゴロゴロと喉を鳴らしてフランにすり寄った。

 珍しいことに軽く驚きながら彼女の頭を撫でてやるフランだったが、ふと思い出したことを口にした。


「そ、そういえば、私の幼なじみが同じ高校に通っているのだけど……最近、少しずつ昔みたいにお話が出来るようになって……」

「へえ、良かったじゃないか」


 いい報告だと思って相づちを打ったが、フランの表情はどちらかというと少し心苦しそうで、マリィは姿勢を正して先を促す。

 ありがとうございます、と言いつつも、フランは先を続けた。


「レイちゃんって言うんですけど、少し前からなんだか様子がおかしくて……それで、何か困ってることないかなって聞いてみたら、その……前にいたカウンセリングの先生にも相談してるって……」

「!!」


 思わぬ情報に、身を乗り出すマリィとリオ。若干気圧けおされるフランだったが、一応結論を述べておく。


「あのあの、一応『種』のことも聞いてみたんだけど……もらってないって……」


 最後は自信なさげにしぼんでいく言葉を額面通り受け取るのは危険だ。マリィはそう判断する。

 フランもそう思っているのだろう。彼女自身もそんな大層なモノだと思っていなかったのだから、レイというその幼馴染みも自覚無く貰っている可能性がある。

 そもそも件のカウンセラーがいなくなって三ヶ月は経つ。記憶が曖昧になっていてもおかしくはない。


「異臭とかはないんだね?」

屍食鬼グールとかの……ですよね? はい、今のところは……」


 この三ヶ月弱の間に、フランも屍食鬼と何度か戦闘している。一度は時間切れで月獣ムーンビーストが出現しており、そのあまりの屍臭にフランは昏倒寸前だった。

 そのことを思い出してか泣きそうに顔をしかめるフランに同情の視線を送ってから、マリィは思案した。

 ノードレッドからも、まだ種の新しい情報は入ってきていない。しかし、種がカウンセラーの手に集められていた可能性が高い以上、接点のある人物は要注意だろう。


「さて、どうしたもんかね……」


 フランにそれとなく気を回してもらうか。そう思ったところで、リオが勢いよく手を上げた。


「はい! わたしとお姉さまも、その人とお友達になれば良いと思います!」


 また何か言い出したよこの子は、とマリィが頭を抱える横で、フランは何故か表情をぱっと明るくしている。


「よ、良かったら、私たちの学校に来る……? レイちゃんも、きっとお友達が増えるの、嬉しいと思うから……」

「良いんですか!?」

「いや良くないでしょ……リオは自分の学校があるじゃないの」


 斜め上の提案に即座に乗っかろうとするリオをたしなめるマリィ。何となく目をキラキラさせているフランがまぶしいが、最悪の場合、その幼馴染みを手にかけなければならないのだ。仲良くする利があるとは思えない。

 そんな彼女の心の内を知ってか知らずか、リオはマリィに向けてピースサインを送る。


「なんと、明日は創立記念日でお休みです!」

「えぇ……」


 あまりのタイミングの良さにめまいのする思いだった。どうやら、そういう運命にあるらしい。

 キラキラの目をリオに向けたフランとの間であっという間に話が進み、結局翌日にフランの通う高校に出向くことになった。





 私立高校とは聞いていたが、あまり聞き覚えのない名前だったため、どんな学校か興味がなかったと言えば嘘になる。

 翌朝、フランに連れられてリオとともに高校に着いたマリィは、思わずぽかんと口を開けた。


「……城じゃん」

「すごーい!」


 隣でリオも感嘆の声を上げる。


「わ、私も最初の見学に来たときは驚いたよ……」


 フランがそう言って案内した学校は、まるで北欧あたりの城塞のような建物だった。壮麗な装飾が施された鉄柵に囲まれた広い敷地の奥に鎮座し、異様な存在感を放っている。

 周囲は閑静な住宅街で、通りを歩いているのは通学中の学生くらいしかいない。それも皆どこか温和おとなしそうな女学生ばかりだ。


「完全にお嬢様学校だね……こんなとこあったんだ」

「フランさんも、もしかして結構なお嬢様……?」

「ち、違うよぅ!」


 慌てて否定するフランを、半ば羨望せんぼうのまなざしで見るリオ。マリィは軽く溜息をつきながらも、たまに飛んでくる物珍しげな視線を避けるようにフランの影にそっと移動した。

 それにしても、学校か。マリィは再び感傷的になる。自分も、生きていれば次は三年生だ。せめて高校くらいは卒業したかったけれど。

 にわかに周囲がざわめく感覚があり、思考を中断させた。周囲を見渡すと、いつの間にか如何にも高級車な外観の黒いセダンが校門前に停車している。

 後部座席から降りてきた少女に、またも周囲の空気が騒いだ。


「ごきげんよう、皆様」


 そう言って立ちあがったのは、ハーフアップにした眩い金髪をなびかせる細身の美少女だった。切れ長な目に勝ち気な笑みを浮かべる少女は、さっと髪をかき上げて歩き出す。

 これまでザワついていた女生徒たちが、ほとんど一斉に彼女の方を向き直り、あるいは彼女の歩む道を空けるように移動して、順繰りに挨拶を始めた。レイは笑顔で挨拶を返しながら、ゆったりと歩いて行く。

 その足が、フランを見つけて止まった。


「あら、フランさん。ごきげんよう」

「ご、ごきげんよう、レイちゃん」


 心なしか先ほどまでより柔らかい笑顔で挨拶する少女・レイに、フランも笑顔で挨拶を返す。

 この子が幼馴染みか、とマリィは僅かに警戒しながら様子を探った。絵に描いたようなお嬢様、と言った様相は、恐怖心とは無縁に見える。もちろん、そんな印象が当てにならないことは、痛いほどよく分かっているけれど。

 程なく、レイの目がフランの影にいたマリィとリオに向いた。


「そちらの方々は?」


 いぶかしむでもなく、どちらかというと興味津々のていで訊くレイに、フランは事前の打ち合わせ通りの紹介をした。


「こちらは、学外のお友達のマリィさんとリオちゃん。通ってる学校がお休みだから、会いに来てくれたの……」

「初めまして、葉月リオです!」

愛創あいそうマリィです、はじめまして」


 フランの紹介に、リオは元気よく、マリィはなるべく平静を装って挨拶する。レイはそれぞれの顔をしげしげと眺めると、ややあって制服のスカートの端を両手で軽くつまみ上げ、優雅に一礼した。


「鍛冶屋敷レイですわ。宜しくお願いしますわね、リオさん、マリィさん」


 一分の隙もない所作に、リオだけでなくマリィも一瞬ほうけたように溜息をつく。レイはそんな二人ににこやかな笑顔を送ると、フランの方に向き直った。


「さぁ、フランさん。お友達がいらっしゃったからと浮かれていると、遅刻しますわよ」

「あ、そ、そうだね……」


 時計をチラリと見て相づちを打つフラン。次いで僅かに視線をこちらに向ける彼女に、マリィは「行っておいで」のサインを送る。


「それではお二方、ごきげんよう」


 そう言って再び一礼すると、レイはフランを促すようにして颯爽と歩いていった。

 フランは「あの、また後で!」と言い残すと、既に校門をくぐってしまったレイを追いかけていく。

 しばらく見送っていたマリィとリオは、二人の姿が見えなくなると同時に肩の力を抜いた。


「あんなテンプレみたいなお嬢様、いるとこにはいるんだな……」

「お姉さま、失礼ですよ。……わたしもちょっと思っちゃいましたけど……」


 マリィの率直な感想を窘めつつも、素直に同意もするリオ。ピンと背筋の伸びた姿勢や会話時の物腰の柔らかさなど、一朝一夕に身につくものではない。ずっとそうやって育てられてきたのだろう。

 そんな彼女から、フランの言うような『様子のおかしさ』は何も感じ取れなかった。リオも同じようで、「でも、何もおかしなところはなかったような……」と独りごちている。

 ある意味、一般人から見れば全部おかしく見えるけれど、と失礼な考えは表に出さず、マリィはリオを促して廃夢に帰還した。

 詳しい話は後でフランから聞こう。そう思いながら。

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