第三章:臆病な蟻(4)
現実は、阿鼻叫喚の地獄と化していた。
悪夢から戻ってきたマリィが最初に見たのは、一面の赤だった。おびただしい量の血液とグズグズの肉片があたりを染め上げており、周囲からは悲鳴と戸惑いの声が上がっている。
少女は、血塗れの状態で仰向けに倒れていた。リオの時と同じく、彼女の意識は廃夢に連れて行かなければならない。
解像度を下げたまま、マリィはリオと一緒に気を失ったままの少女をつれて
少女を路地の壁に寄りかからせたところで、マリィは膝をついた。
「お姉さま、大丈夫?」
「……大丈夫。ちょっとふらついただけだから……」
そう言いつつも、マリィの顔色は悪く、冷や汗が頬を伝っている。
それは、幼い頃の、鮮血と、死の。
「お姉さま!!」
リオの叫び声に、マリィは辛うじて意識をつなぎ止めた。倒れそうになるのをぐっと堪え、支えようと駆け寄るリオを制してペンダントを操作する。
廃夢への扉を開き、マリィはリオと少女の意識を伴って帰還した。
止まぬ動悸を、抱えたまま。
○
突然、人体が爆散した。目撃者は口を揃えたそうだ。
ガラの悪い男たちに絡まれていた背の高い女子学生が倒れてすぐ、男たちは突然発狂し、散り散りに逃げようとして一斉に破裂した。偶然一部始終をスマホで撮影していた野次馬の一人は、後にこう証言した。
まるで、でかいミキサーにかけられたみたいだった。
警察に爆発物処理班まで動員される騒ぎとなったが、当然のごとく何も見つかることはなく、唯一の関係者とされる女子学生も昏睡状態のままだ。
厳戒態勢の中、街は粛々と清掃され、元通りになっていく。
一人の少女の恐怖を、その痕跡を、洗い流しながら。
○
「
「は、はい……一応……」
廃夢に着いてすぐに気がついた少女を連れて、マリィは応接間に向かった。そこでノードレッドと顔合わせをし、それぞれ互いに自己紹介をする。
マリィと同じ、高校二年生。私立高校らしく、かなり遠方まで通っているらしい。
身長は、百九十五センチ。リオと四十センチ以上も差がある。
昔から身長は平均よりも高く、力も強かったために、周囲からは
そして、中学二年の春、決定的な事故が起きた。
「……ニコちゃんを殺してしまってから、私は誰からも距離を置きました。学校も、できるだけ静かで遠いところへ行こうって、頑張って今の高校を受けました」
責め立てる隣人から守ってくれた両親も、彼女の意向は尊重してくれた。
高校に入ってからも、通学以外ではなるべく人を避けて生活し、目立たないようにしていた。仲の良い幼なじみもいたが、彼女との交流も少しずつ避けるようになった。
身をかがめ、息を潜め、周囲に怯えながら生きる。自分が傷つくことも、他人を傷つけることもないように。
そして今日、それも無駄なことだったと知った。
「あの男の人たちを殺してしまった感触、覚えているんです。地面の蟻を潰してしまったみたいな、感触」
開いた右手をじっと見る。そこにまだ血がこびりついているようで、思わず目を背けたくなる。
でも、もうそれはしないと決めた。
「フランの罪を問えるような証拠は、現実には何も残ってないよ」
何の慰めにもならないと分かっていながらも、マリィは言う。男たちを殺したのは、フランの純粋な意思ではない。
しかし、フランは首を横に振った。
「決めたんです。もう、目を背けるのはやめるって。たとえ罪に問われなくても、私が殺してしまった命は、償える日まで私が背負っていきます」
「……そっか」
決意を秘めた目に、マリィはそれ以上何も言えなかった。オドオドと歩いていた少女の姿は、そこにはない。
自分の中にある恐怖に、ちゃんと向き合ったのだろう。
これなら、神性の発現さえ封じられれば大丈夫。
そう納得したマリィの横から、リオがひょっこりと顔を出し、名案とばかりに提案した。
「じゃあ、フランさんも魔法少女、一緒にやりましょう!」
「え……!? ま、魔法少女……!?」
「ちょ、リオ……」
そんな軽々しく、と反対を表明しようとするマリィを制して、リオはフランと向き合う。当惑するフランに、リオは笑顔で言った。
「今のフランさんみたいに、わたしもマリィお姉さまから救ってもらいました。だから、次はフランさんが他の人を救ってあげればいいんです!」
自信たっぷりのリオに、半ば頭を抱えるマリィ。
ノードレッドがニコニコと成り行きを見守る中、オロオロとしていたフランは小さく深呼吸すると、ほんの少しの勇気をもって言った。
「わ、私、がんばります!」
「はい!」
元気に返事をして、マリィとノードレッドの方をにっこりと振り返るリオ。マリィは大きめに溜息をついてから、隣で満足げに頷くノードレッドを肘で小突いておいた。
しばらく魔法少女のシステムについて雑談をしていたが、マリィは訊いておかなければならないことを思い出した。
「ところで、フランは誰から『悪夢の種』をもらったの?」
「『あくむのたね』……?」
「小さい、黒い種みたいな錠剤だよ」
名前を聞いてもピンとこないように首をかしげるフランに、マリィは説明する。黒くて冷たい、その名の通り種みたいな形の錠剤だと言うと、フランはポンと手を叩いた。
「あ……カウンセリングの先生からもらった、心を落ち着かせるお薬……」
「カウンセリングの先生?」
「は、はい。一時期学校に来てて、私、少し相談に乗ってもらったんです」
思わぬ形で種の提供者の情報が出て、マリィたちは色めきだった。
「その先生が、種を?」
「はい……お守りみたいなものだって」
小さなピルケースに入れて胸元のポケットに携帯していたものを、茶髪男を突き飛ばしてニコの記憶がフラッシュバックしたときに縋るように飲んだという。
フランの神性が発現する直前までマリィたちが気づかなかったのは、そういう理由だった。
「その種が、フランを化け物に変えた元凶だよ」
「えぇ!? そ、そんな……」
狼狽えるフランに、リオが同情するような視線を向ける。マリィは同情しながらも、更に話を続けた。
「その先生は、今は学校にはいないんだね?」
「あ、はい……一ヶ月くらいで、別の高校に異動したって聞いてます」
「どんな容姿か覚えてる?」
「えっと……きれいな若い女の人でした。眼鏡をかけてて……」
リオの方をチラリと見ると、彼女は首を横に振った。リオに種を渡した人物とは違う。おまけに、種の効果の説明も全然違ったものになっている。
ノードレッドは何かを考え込むような表情をしていたが、ややあってフランに訊いた。
「その種を渡された人が他にいるか、ご存じですか?」
「え……と、私、その……学校では、他の人とお話、ほとんどしてなくて……」
そう言って俯いてしまうフラン。「人の話はちゃんと聞いときなよ」と苦言を呈するマリィに、ノードレッドは珍しく申し訳なさそうな顔をする。
しかし、ノードレッドの視点は重要かつ厄介だった。その女は、カウンセリングと称して悪夢の種を他の学生にも渡している可能性がある。説明がよりカジュアルにされており、気軽に服用するリスクも高い。
ノードレッドの感知している種は、あと二つ。
少なくともあと二回は、神性を
「ノードレッドも、まだ他の種の行方は分からないんだね?」
「はい。ですが、やはり種はその女性のもとに集められたと言っていいでしょう」
そう言い切って、ノードレッドは三人の少女たちに視線を送る。
「皆さんには、引き続き種の捜索・回収をお願いします。私も、出来る限りのサポートをお約束します」
「はい!」
「が、がんばります……!」
「分かった」
三者三様の返事が、
○
二階にフランの部屋を作るべく移動する少女たちを見送ってから、ノードレッドは応接間の隅で静かに
「あなたらしくない策謀ぶりではありませんか、蕃神様」
「そうかね? 最も効率的だと思うが」
「
ノードレッドの嫌味に、闇はクツクツと笑う。
「選定はあくまで基準に則っている。言っただろう、芽吹くかどうかは運次第。あと二つの種がいつ芽吹くかも運次第、ってな」
「既に
闇は、否定しなかった。
「『輝くトラペゾヘドロン』が本来の輝きを取り戻すには、最低あと二本の柱が必要だ。しかも、一本は腐りかけときている。猶予はないはずだが?」
そう
「その一本を再生するためにも、あと二本の柱が重要なのです」
「なら、せいぜい早くしたまえよ。
微かに空気をざわめかせ、闇は溶けていった。
誰もいなくなった応接間で、ノードレッドは溜息をつく。
言われなくても、分かってはいる。だが、歪な拙速は柱の腐敗を早めるだろう。そうなれば、彼の、彼らの計画は大いに狂う。
「まだ、時期ではないのです。今は、まだ」
手のひらに映る映像を、握りつぶす。
そこに映るのは――
○
幼い少女が泣いている。
血塗れの男が倒れている。
狂気の滲む男が笑っている。
「さぁ、早く楽にしてあげなさい」と男が言う。
幼い少女は、血塗れの男に近づいていく。
そして、ナイフを。
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