第三章:臆病な蟻(3)
景色が歪み、大地が揺れた。
リオの時とは違い、背景はフレームワークのように外観を残したまま漆黒の悪夢が展開される。
原色に取り残されたのはマリィとリオ、そして少女に絡んだ四人の男たちのみ。
わけも分からずパニックを起こす男たちをよそに、マリィとリオは変身した。神器を呼び出し、背中合わせで辺りを見渡す。
少女がいない。
油断なく周囲を警戒するなか、それは目覚めた。
――オギャァァァァァァァァアアアアァァァァァァァァ!!!!!!!!
雷轟のごとき咆吼とともに地面が割れ、マリィたちと男たちを引き裂くように広大で深遠な
そして、永劫の深みから突き立つ黒き光の柱を伴って、悪夢の主が這い出てきた。
「……もう何が来ても驚かないと思ってたけど」
「おっきい……」
巨人、と形容するにあまりある異形は、露出した上半身だけでも二十メートルを優に超える。筋肉に鎧われた
しかし、その体に乗る頭部はまるで
強大な肉体に幼い魂を宿した、
「なんなんだよ……なんなんだよアレはァァァァ!!」
対岸の男たちから、悲鳴のような叫び声が上がる。異形の巨人は、巨大な眼球をぎょろりとそちらに向けると、体を掻きむしっていた両手を止めた。
その右腕が、ゆっくりと頭上に掲げられる。
「まずい!!」
マリィは勢いよく地面を蹴って跳躍し、漆黒の峡谷を飛翔する。リオも意図に気づいてマリィに続くが、道半ばで思わず目を背けた。
巨人の右腕が、大地を削り取る。
逃げ惑う男たちは、悪態も命乞いも残せず、紅い霧となって消えた。そのまま白黒の瓦礫と混ざりあい、峡谷へと消えていく。
自業自得ではあまりに釣り合わない哀れな末路を悼む間もなく、マリィは空中に静止して巨人と対峙した。僅かに遅れたリオも横並び、目の前にした不具の異形に哀れみとも苦悶ともつかぬ表情を浮かべる。
これが、悪夢の種を使用した者の末路。
自分もなり得た、最悪の未来。
ライブハウスでの件を思い出し、リオは総毛立った。マリィが止めてくれなかったら、自分もファンを血煙に変えていたかもしれない。
思わず震えが止まらなくなるリオの肩を、マリィが力強く掴んだ。一瞬びくりと揺れるリオだったが、こちらを見るマリィの真剣なまなざしに、いつしか震えは収まった。
「大丈夫。リオはもう自分の恐怖を克服した。次は、あの子を手伝ってあげる番だ」
「……!! はい!」
リオの目に生気が戻り、神器を握る手に力が入る。マリィは僅かに微笑むと、再び巨人に目を向けた。
巨人は先ほどのことなど無かったかのように、体を掻きむしる行為を再開している。
彼女は、一体何に恐怖している?
「……まずは、あの腕を無力化しよう。リオ、いける?」
「お任せください!」
顔を見合わせ頷きあい、散開する。マリィは右腕、リオは左腕を目指して飛翔し、それぞれの切断あるいは無力化を狙う。
巨人は再び左右の眼球をバラバラに蠢かせると、二人の姿を捉えた。両腕を広げ、蠅や蚊を叩き潰すように左右の掌を叩きつける。
寸前で
巨人はまず右手で左腕の上にいるリオを叩き落とそうとした。次いで、左手でマリィを。腕が動くたびに、筋肉の
マリィが大鎌を、リオが大剣を振り
「かったーい! お姉さま、全然効いてないですよ!」
「次は目を狙おう」
両肩に叩きつけられた掌を躱しながら空中で短いブリーフィング。すぐさま別れて見開かれた二つの眼球に突撃する。
しかし、次の斬撃も降りてきた分厚い目蓋に阻まれ、眼球に届かない。痛みは感じるらしく、絶叫しながら腕を振り回し始めたため、二人はいったん距離を取った。
「参ったね。全く歯が立たない」
文字通りの意味合いで吐き捨て、マリィは前方を見据えた。
巨人は髪で大地につながれているため、その場から動くことは出来ない。しかし、こちらから仕掛けても攻撃が通じなければ、いずれはじり貧になる。
リオは肩で息をしながら、それでも強い意志で巨人を見ていた。またも体を掻きむしる巨人の様子を眺め、ふと気づく。
「……お姉さま、あの巨人、変です」
「変?」
「体はあんなに傷つけるのに、顔には触らないんですよ」
「……そう言えば」
さっきから巨人が掻きむしり、抉っているのは
マリィは先の攻撃を思い出した。肩口に切りつけたとき、巨人は
その時でさえ、巨人は顔には手を出さなかった。
痛みで暴れたのではなかったのか。では、いったい何故。
「お姉さま、試したいことがあるんですけど」
決意の目で、リオは相談を持ちかける。マリィはその案を躊躇したが、他に解決の糸口がない以上は賛同せざるを得なかった。
マリィは巨人の腕の届かないギリギリの範囲まで近づき、唱えた。
「狂える
五体に分かれ、マリィはあらゆる方向から巨人に攻め入る。
巨人の両の眼球が油断なく
警戒されている。残り三体の分体と本体は飛び回りつつ、可能な限り両腕を引きつけるべく動く。一体が右手小指を切り落とすのに成功すると、巨人は流石に看過出来なくなったのか、両腕を伸ばして分体を薙ぎ払おうとした。
巨木のごとき両腕の関節が伸びきった、今。
「リオ!!」
「はい!!」
巨人の視界に入らないよう待機していたリオが、一気に飛翔した。眼球がリオを捉えたが、伸びきった腕を戻す時間はない。
腰だめに構えた大剣とともに、リオは
「狂える星辰、
一閃。
眩い光を
巨人の首と胴体が、分かれた。一拍遅れて、決壊したダムのように血液が噴き出す。
首が、
楔から解き放たれた胴は首を求めて腕を伸ばし、虚しく空を掴む。首は斬られた勢いで峡谷から外れ、白黒の大地に落下していく。
瓦礫の山に首が叩きつけられ、ぐしゃりと潰れた。
胴は狂ったように両腕を振り回し、首の不在を嘆くように身を
中身を盛大に
山が崩落したような音が響き、そして静寂が訪れた。
「はっ……はっ……はぁ……っ」
分体を解いたマリィの額から、滝のような汗が流れ落ちる。致命の一撃を躱し続けて、心臓が破裂しそうだ。
やや離れたところで、リオも同じように荒い呼吸をしている。不意打ちを狙ったとは言え、一撃で仕留めなければならない緊張感は半端ではない。
しばし息を整えてから合流し、二人は潰れた首の元へと降り立った。
啜り泣くような声が聞こえる。
右頬から右目が潰れた状態で、首はまだ蠢いていた。無事な左目が力なく動き、近づいてくるマリィたちを捉える。
歪んだ唇から、言葉が漏れた。
『私は……弱い……弱いから……殺すのを……止められなかった……』
『私は……強い……強いから……殺すのを……ためらわなかった……』
『心が……弱いから……自分を……殺せないのに……力が……強いから……みんなを……殺した……殺した……殺した……』
針の飛んだレコードのように同じ言葉を繰り返す巨人の首に、リオが涙を堪えながら叫んだ。
「違います! だってあなたは、ずっと自分を縛り付けてたじゃないですか! ずっと自分を責め続けてたじゃないですか!!」
その言葉の中に、巨人が不具の異形である理由を察して、マリィは拳を握りしめた。
街中を怯えるように歩いていた少女。腕の一振りで成人男性を気絶せしめた少女。
弱い
そんな自分が嫌で、自分を傷つけ続ける。悲しい二律背反が、巨人の正体。
彼女もまた、己の中の恐怖と戦っていた。
「自分を殺せないなんて言わないでください! 他人を傷つけないために自分を犠牲にするなんて、そんなの絶対に間違ってます!!」
いつの間にか決壊した涙を拭うこともせず、リオは巨人の首に、首の向こうにいるはずの少女に訴える。その言葉が、きっと届くと信じて。
潰れた首が、
『どうすれば……良かったの……? どうすれば……償えるの……?』
左目から、涙が落ちる。
あぁ、やっぱり届いた。リオは、無理矢理笑顔を作った。
「一緒に、考えましょう? わたし、これでもみんなを笑顔にするアイドルなんですよ?」
そう言って、頬を優しく撫でる。
巨人の首からぐたりと力が抜け、蠢く左目を突き破って少女が産まれ直した。
二人で彼女の体を支え、マリィの大鎌が悪夢を切り裂く。
支えられながらも、少女は自分の足で歩き出した。
容赦ない光が照らし出す、覚醒の世界へと。
○
ニコちゃんを殺してしまった日、私も死んでしまいたかった。
ずっと泣いていた。ずっと謝っていた。ずっと、ずっと、ずっと。
ご飯も食べずに泣いていれば、いつか死ねると思った。
なのに、私は飢えに耐えられなかった。
ニコちゃんを殺したのに、私はご飯を食べて、まだ生きている。
そして今日また人を殺して、私は誰かに許されて、まだ、生きている。
ねぇ、ニコちゃん。私、このまま生きてていいのかな。
弱さも強さも克服出来てないのに、生きてていいのかな。
記憶の中の白い犬は、何も答えてくれない。
そうだよね。そんな都合のいい
だから、私、生きてみるよ。
生きて、痛みも、恨みも、苦しみも、全部背負うよ。
それが私の罪で、罰だから。
どうやって償えば良いかなんて、まだ分からないけれど。
自分が嫌いなのだって、変わらないままだけれど。
それでも、私は、生きていく。
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