第三章:臆病な蟻(2)

 廃夢へと帰還後、マリィはノードレッドに長身の女性について報告した。

 二メートル近い巨体で、黒ずくめ。顔立ちが幼いせいで年齢不詳だが、特徴的な人物像だ。


「ふむ。今のところ、私の情報網にはそれらしい人物は当たりませんね」


 申し訳なさそうに言いつつも、ノードレッドはマリィの報告を肯定した。


「ですが、マリィの感じた屍臭ししゅうは正しいと思います。銀鍵ぎんけん派の可能性もありますが、恐らくは種の所有者でしょう」

「屍臭、してました?」

「ほんの少しだけね」


 気づかなかった、という顔のリオに、マリィも若干自信なさげに答える。

 とはいえ、現状の有力な所有者候補であることには間違いない。


「明日、この人を探してみるよ。もし見つかったら、少し話してくる」


 マリィが言うと、リオは手を上げて提案した。


「はい! 私も行きます!」

「明日は平日だよ? リオは学校でしょ」

「へへー、明日から期末試験なので、学校は午前で終わりです! だから、午後から合流しますね?」

「そこは試験勉強しときなよ……」


 リオが頬を膨らます気配がしたため、「分かった分かった」と了承するマリィ。

 いずれにせよ、リオの時と違って彼女が何者であるかは今のところ分からない。闇雲に探しても彼女を捕まえるのは難しいだろう。最初に出会った場所を中心に、網を広げていくしかない。

 先日の事を思い出し、マリィは少し考え込んだ。マリィを見たときの彼女の怯えたような目からは、とても社交的とは言いがたい。運良く出くわしてきっかけもなく話しかけても、また逃げられるのがオチだ。

 さりとて、リオの時のように泡沫の悪夢に誘い込んでも、まともな会話になるかは怪しい。それに、あれは隣に介抱してくれる人がいるときしか使えない。小柄なリオに頼むには、彼女の長身は荷が勝ちすぎている。


「……お姉さま、一人で考え込んでる」

「ん? あぁ、ごめん。どうやってアプローチしようかなと思って」

「わたしだって同じ魔法少女なんですからね! ちゃんと相談してください!」

「分かってるって。ほら、そろそろ明日に備えて寝な」


 まだブーブーと文句を言いたげなリオを部屋に帰して、マリィはため息をついた。彼女はもちろん信頼しているが、やはり現実の方を大切にして欲しい。

 それもマリィ個人の勝手な願いだとは、自覚しているのだけども。

 足下で「ニアー」と鳴いて頭をこすりつけるニッグを拾い上げて膝に乗せ、ゴロゴロとのどを鳴らす彼女を撫でてやりながら、マリィはノードレッドに尋ねた。


「今のところ、リオの体に影響はないんだね?」

「はい。今の神性は、リオによく馴染んでいるようです」


 マリィとともに変身して屍食鬼と戦ってきたリオだが、現在のところ体に影響はないように見えた。何かの拍子でまたあの怪物になってしまったら、というマリィの不安は、杞憂のままだ。


「マリィの心配はもっともですが、もう少し肩の力を抜いても良いと思いますよ」

「元はと言えば誰の所為だっけ」

「私は選択肢を提案しただけです」


 しれっと言うノードレッドを殴ってやりたいという衝動を抑え、マリィは軽く深呼吸した。

 リオのことは取り敢えず保留にしておこう。今は、新たな種の所有者への対応に全力を注がなければ。

 そんな彼女の決意をあざ笑うかのように、女性の追跡は困難を極めた。





 リオと女性がぶつかった地点を中心に、マリィは自身の解像度を落として街を捜索した。出会ったのは夜だから、走り去っていった方に帰宅すると仮定して範囲を広げていく。

 しかし、すぐに難題にぶち当たった。その方向には、地下鉄の駅がある。南北に長大な路線で、その駅はちょうど路線の中央あたりに位置する。


「これに乗ったんだったら、もう範囲を絞りきれないな……」


 いったん地下鉄のことを脇に置き、マリィは更に進行方向について思考を巡らせた。

 ショッピング街のある区画から幹線道路を挟んで向こう側には、いくつかの商業施設とマンションを中心とした住宅街が混在した区画がある。更に向こう側はやや古めの住宅街で、もう少し先に行くと別の地下鉄路線がある。

 取り敢えずそこまでを目安として、探索を開始する。午後から合流したリオと手分けし、連絡を取り合いながら範囲を広げていくが、目星の女性の影はつかめない。


『ぜんぜん見当たらないですよ、お姉さまー』

「まぁ、砂漠で砂金見つけるようなもんだからね……ノードレッドにも探してもらってるけど、まだ見つかってないみたい」


 途中で思い当たり、ノードレッドに地下鉄沿線沿いの捜索を依頼したが、そちらも見当たらないらしい。そもそも彼は神性の感知に長けているだけで、人捜しが上手いわけではない。

 一通り探索したものの、その日の成果はゼロだった。


「せめて名前とか職業とかが分かれば、まだ探しようもあるんだけどね……」

「聞き込みとかします?」

「お互い身バレしたくないでしょ……でも、最終的にはそれしかないかも」


 廃夢に戻り、明日以降の方針を考える。幸い、女性の特徴だけはわかりやすいため、聞き込みでヒントが得られる可能性が高そうなのは救いだ。ただ、出来ればそれは最終手段にしたい。

 なにせ、こちらは一人はアイドル、一人は死人だ。


「アプローチを変えて、前にぶつかったところで張り込んでみようか。あの時は休日だったから、空振るかもしれないけど」

「分かりました! じゃあ、午後に待ち合わせですね!」

「遊びに行くんじゃないんだから……」


 窘めつつ、マリィは明日の計画を立てた。基本的にはファーストコンタクトの位置で張り込みをし、リオが合流してからは交代で周辺の巡回を行う。一点狙いではあるが、うろうろとしてすれ違うよりは確率が高いと信じたい。

 そして翌日、動きがあったのはリオが合流し、マリィが周辺巡回を開始した直後だった。


『お姉さま、見つけました! ……え? 制服……?』


 リオの報告を受けてとんぼ返りしたマリィが、尾行中のリオに追いついて視線を向けた先には、果たして学生服とおぼしき衣装に身を包んだくだんの女性がいた。


「学生だったのか……」

「わたしと同じで、試験期間中なんですね、きっと」


 マリィもあまり見たことのない制服だが、少なくとも高校生だろうと判断。リオと顔を合わせて頷き合い、つかず離れずで尾行を始める。

 常に何かにおびえるように猫背気味に歩く女性、もとい少女は、それでも周囲より頭一つ分以上高く、見失うことはまずなかった。

 少女はマリィの予想に反して、以前走り去った方向とは反対の方へと歩いていく。

 歩幅が大きいぶん移動速度も速いのかと思いきや、視点が高いせいか何かにつまずいたり、人とぶつかるたびにペコペコ謝ったりして、なかなか先に進まない。


「背が高いって、大変なんですね……」

「それだけじゃない気もするけど……」


 そうやってしばらく歩いて行くと、大きな幹線道路に辿り着く。その先は、反対側と同様に商業施設と住宅街が混在する雑多な区画だ。

 黒い長髪を申し訳なさげに揺らしながら歩く少女を追って、マリィたちは小さなマンションやスーパーマーケットが建ち並ぶ道を進む。

 相変わらずオドオドと歩みの遅い彼女を視界に入れながら、マリィはどこで声をかけるべきかタイミングを見計らっていた。出来れば彼女が一人になるタイミングを狙いたいが、この先もそれなりに人がいる。

 いっそ挟み込むか。そう思ってリオに相談を持ちかけようとしたところで、少女の動きが止まった。

 同時に、荒っぽい男の声が響く。


「ってーな! どこに目ぇつけて……」


 怒声が、一気に萎んだ。少女にぶつかったらしい二十代くらいの小柄な茶髪男は、相手の頭の位置を見て唖然としている。


「ひぁ……ご、ごめんなさい!」


 少女はこれまでと同じように頭を下げて謝罪すると、すぐさま駆け去ろうとした。しかし、どうやら彼には仲間がいたらしい。

 三人の男たちが、彼女の行く手を阻んだ。軽薄そうな笑顔をそれぞれ貼り付け、少女の周りを取り囲む。


「謝るときはちゃんと相手の目を見ろって教わらなかった?」

「困るなー俺らのダチにそんな態度とられちゃー」

「あ……あの……ごめ……」

「聞こえないからもっと頭下げよっか?」


 男たちは次々と言葉を放ち、彼女の逃げ道を奪っていく。

 絵に描いたような破落戸ごろつきぶりに、マリィは溜息をついた。隣ではリオも普段見ないような冷めた目線を男たちに送っている。

 ある意味好機チャンスか、とマリィは思い直した。仲介に入れば、話をするいい切っ掛けになるかもしれない。こんなことに神性の力を使うのは忍びないが、全員まとめて泡沫の悪夢にでも放り込めば騒ぎにもならないだろう。

 そう思っている間にも、ぶつかった茶髪男が少女の左手に掴みかかった。マリィは素早くペンダントに手をかけ、泡沫の悪夢を展開しようと試みる。

 そのまま、マリィは目の前で繰り広げられた光景に固まった。


「や、やめてください……!」

「!?」


 少女が掴まれた左手を振り払うと、茶髪男の体は軽々と浮き上がり、そのまま近くに建っている電柱に叩きつけられた。鈍い音が鳴り、男は白目を剥いて地面に崩れ落ちる。

 その場にいる全員が呆気にとられる中、マリィとリオだけはすぐさま臨戦態勢をとった。

 少女から満ちあふれる、屍臭に向けて。





 白い犬だった。

 名前は、確かニコちゃん。

 かわいらしい雑種の中型犬で、お外で会うたびに尻尾を振ってじゃれついてきた。

 最初は少し怖かったけど、すぐに撫でてあげられるようになった。

 お隣さんの飼い犬で、お散歩の時はよく一緒にお出かけした。

 ずっと仲が良かったから、いつしかお隣さんから散歩を任せてもらうようになった。

 私は嬉しくて、ニコちゃんといっぱいお散歩した。

 ニコちゃんも、喜んでいっぱい尻尾を振ってくれた。

 私は、ニコちゃんと友達になった。


 その日も、ニコちゃんとお散歩した。

 いつもの道を歩いてると、前から大きな犬を連れた人がやってきた。

 大きな犬は怖そうな顔をしてて、私はビクビクしながら横を通り過ぎようとした。

 その時、大きな犬が私に向けて吠えかかった。

 ロープがピンと張り詰めて、私の近くまで大きな犬の顔が迫ってきた。

 私は思わず、ニコちゃんのリードを離してしまった。

 ニコちゃんは、私が攻撃されてると思って、大きな犬に飛びかかろうとした。

 そんなことしちゃダメだよ!

 私は、ニコちゃんを止めようと飛び出した。


 ニコちゃんが、倒れている。

 頭から血を流しながら、ぐったりと舌を出している。

 電信柱に、血がついている。

 私が、突き飛ばした。


 ――違う、止めようとしたの。


 私が、突き飛ばした。


 ――違うの、止めようとしたの!


 私が、突き飛ばした。


 ――こんなことをしようと思ったんじゃないの!


 弱い私が、突き飛ばした。


 ――こんなことになるなんて思わなかった!


 強い私が、突き飛ばした。


 ――私は、悪くないの……!


 臆病な弱い私が、責任を突き飛ばした。


 ――私の……


 臆病で強い私が、生命いのちを突き飛ばした。


 ――私の、せいなの?


 臆病で心が弱いことを言い訳に、強い力の制御を怠った、私は。

 傷つくのが怖くて、傷つけるのが怖くて、自分自身に蓋をし続けてきた、私は。



私は、弱い私は、強い


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