第三章:臆病な蟻(1)
弱い私が、嫌いだった。
「あの……そこ、私の席……」
「は? 言いたいことあるならもっとはっきり言いなよ」
「ご、ごめんなさい……」
気が弱くて、いつもウジウジしている私が、大嫌いだった。
誰にも声をかけられず、いつもひとりぼっちの私が、大嫌いだった。
「……私のせいじゃない」
それなのに、自分を変えられない自分が、一番嫌いだった。
強い私が、嫌いだった。
「あー! こいつ雛を握りつぶしたー!」
「ち、違うの! 逃げちゃうと思って捕まえたら……!」
「俺たちも潰されるぞ逃げろー!」
力が強くて、意図せず誰かを傷つける私が、大嫌いだった。
みんなから怖がられて、いつもひとりぼっちの私が、大嫌いだった。
「……私のせいじゃないのに」
それなのに、誰かのせいにしてる自分が、一番嫌いだった。
誰かに傷つけられるのが、怖い。
誰かを傷つけてしまうのが、怖い。
だから、私は、私が嫌い。
だから、私は。
○
「デートに行きましょう、お姉さま!」
「は? デート?」
突然のリオの提案に、マリィは思わず胡乱な返答をする。
リオの事件が片付いて、三ヶ月が経った。その間、
ライブハウスでの集団昏睡はちょっとした事件になったものの、その後リオは無事にアイドルとして復帰、現在も精力的に活動している。その裏で、彼女は廃夢にも出入りしており、マリィとともに悪夢の捜索に協力していた。
終のカダスはマリィがいる部屋以外は全室空き部屋になっており、リオは当然のようにマリィの隣室に自分用のスペースを
マリィをお姉さまと呼び慕う彼女だが、最近は何かとマリィの気を引いて構って欲しそうにしていた。
「そう、デートです! お姉さま、種のこと以外でほとんど
「前にも言ったでしょ。アタシは現実ではもう死んでるんだから、あんまり目立たない方がいいんだって」
「いつもみたいに変装すれば大丈夫ですって! 人って、意外と他人に無頓着なものですよ?」
「それは……そうかもだけど」
現役アイドルの説得力のある言葉に、マリィも少し心が揺らぐ。
基本的に、マリィは廃夢で過ごし、種がらみの事件があるときだけ動くことにしていた。
街の様子を知りたい。いや、断たれてしまった普通の生活を、少しでも満喫したい。
そんな欲が首をもたげるたびに、マリィは心に蓋をしてきた。
その蓋を外したのは、以外にもノードレッドだった。
「行ってきてはどうですか、マリィ。年頃の娘が引きこもりなのは、私も心苦しいです」
「いや、別に好きで引きこもってるわけじゃないんだけど」
軽くツッコミを入れつつも、マリィは魅力に抗しきれなくなってきていた。
何より、ノードレッドが推奨するというのが珍しい。これまでも別に反対されていたわけではないが、特に用もないのに覚醒の世界へ行くことを許可するとは思わなかった。
チラリと横を見ると、期待のまなざしをキラキラさせるリオ。
マリィは軽く溜息をつくと、降参と言わんばかりに両手を小さく上げた。
「分かったよ。息抜きに少し出かけようか」
「やったー! お姉さま大好き!」
上げたマリィの手にハイタッチして、リオは着替えのためにスキップするように応接間を出て自分の部屋に戻っていった。マリィはもう一度溜息をつくと、ノードレッドの方に向き直る。
「でも、本当にいいの? あんまり目立たない方が良くない?」
少し不安げに言うマリィに、ノードレッドは微笑んで返した。
「リオも言っていましたが、意外に人は他人を見ていないものです。それに、実は気になる動きを先ほど掴みました」
「星の智慧派の?」
「はい。種が一つ、既に譲渡されている可能性があります」
突然の報告に、マリィは軽く唸る。
一度は動きが活発化したに見えた星の智慧派だが、銀鍵派の行動が目立ってくると一転して尻尾を出さなくなったという。
その間、小規模な屍食鬼による事件が相次ぎ、幸か不幸かリオの実戦経験は積まれていった。先週には、リオ一人で屍食鬼の処理を終えている。
そこへ来て、星の智慧派の急な動向。タイミングが良すぎると思うのは、考えすぎか。
マリィの思考を横目に、ノードレッドは提案した。
「今回は、種の所有者の特定には至っていません。そこで、お二人にはデートのついでに種の所有者を洗い出してもらえませんか?」
「デートじゃないって。て言うか、洗い出しってどうやって」
「マリィには心当たりがあるはずですよ、種の所有者が持つ特有の気配に」
「……
銀鍵派・星の智慧派にかかわらず、悪夢の種を所有するものからは
実際に街を歩き回り、屍臭を捉えることが出来れば、種を使われる前に事態を収めることが出来るかもしれない。
「そうは言っても、どこにいるかも分からないんでしょ? リオの時みたいに、アタシの知ってる街にいるわけじゃないだろうし」
マリィの言葉に、しかしノードレッドは軽く首を振った。
「いえ、近くにいます。どうやら、確認出来た残り三つの種も全て、マリィの住んでいた街の近辺に集められているようなのです」
「!? なんで!?」
「星の智慧派の有力者がそこにいるのでしょう。種を管理しているのは、教団の幹部ですから」
それにしても出来すぎてる。
マリィは改めて警戒感をあらわにした。リオの件で、星の智慧派がこの街に目をつけたのか。あるいは、何か他の思惑があるのか。
星の智慧派の目的は、旧支配者の復活だとノードレッドは言っていた。もしかしたら、この街にその鍵となるものがあるのかもしれない。いや、鍵だけではなく――
「もー! お姉さま、まだ着替えてない!」
思考の奥に入り込もうとしたところで、怒ったような声が遮った。ハッと顔を上げると、おしゃれな防寒具に身を包んだリオが両手を腰に当てて頬を膨らませている。
「ここと違って、現実はもう冬なんですから! お姉さまも早く厚着に着替えてください!」
「ご、ごめん……すぐ着替えてくるよ」
ノードレッドが苦笑する中、マリィはばつが悪そうに自室に駆け足で戻った。
取り敢えず、今は久しぶりの現実を楽しんでこよう。そう思いながら。
○
街は、すっかり冬景色となっていた。
雪こそ降っていないものの、空気は乾燥しており、常緑ではない街路樹も、ずいぶん寂しい見た目になっている。
十二月に入り、早めのクリスマス商戦も始まっているためか、ショッピング街は平日にも関わらず賑わっていた。白い息を吐きながら楽しそうに行き交う人々を見ると、マリィも少し気分が高揚してくる。
「いいもんだね、こう言うの」
「でしょ? お姉さまとショッピングデートするの、楽しみにしてたんだー」
そう言って、マリィの左腕に抱きつくリオ。微妙にかみ合ってない会話に苦笑しつつも、マリィは軽く相づちを打った。
地下アイドルとはいえそれなりに名の知れたリオだが、サングラスやマフラーで軽く変装するだけで、誰からの視線も集めないようだった。彼女の言ったとおり、人は意外に他人を見ていない。
リオに先導されながら、マリィはしばし街歩きに興じた。普段着るものにあまり頓着しないマリィをコーディネイトしようとするリオに四苦八苦したり、楽器店で立ち止まって思わずマイクの品定めをしたり、リオのお勧めスイーツ店でアフォガートを堪能したり。
昼前に街に出たはずだったが、気づけば早くも日が落ちつつあった。
「うー、もう暗くなってきた。冬は夜が早いなー」
「ホントだね。楽しいとあっという間だ」
マリィが思わずそう漏らすと、隣を歩くリオは彼女に向けて嬉しそうにニコッと笑った。
「お姉さまが楽しんでくれて良かったです! 振り回しちゃったから、ちょっと不安でした」
「振り回した自覚はあったんだ……」
「えへへ」
誤魔化すような照れ笑いに嘆息しつつ、マリィはそれでも満足そうに微笑んだ。
「でも、本当に楽しかった。久しぶりに、生きてる感じがしたからさ」
「お姉さま……」
「あ、ごめん……軽率だった」
少し哀しそうな顔をするリオに、マリィは慌てて謝罪する。
別に、死んでしまった自分を悲観しているわけではなかった。ただ、失ってしまったはずの日々をこうして少しでも取り戻すことが出来て、マリィは本当に嬉しかったのだ。
「ありがと、リオ。こうして誰かとまた一緒に遊べて嬉しいよ。ときどき、また連れ出してくれる?」
そう言って微笑むと、リオは徐々に明るい笑顔を取り戻した。
「お任せください! 毎日でもデートに誘います!」
「毎日はダメだし、デートじゃないってば」
「えー、そこはデートでいいじゃないですかー」
一転して頬を膨らますリオに、マリィは小さく声を立てて笑う。コロコロと表情を変える彼女は、以前よりもずいぶんと自然体のアイドルになった。
しばし談笑して、そろそろ廃夢に戻ろうかというところで、リオが何かを思い出したようにポンと手を叩いた。
「そうだ、ノードレッドさんに何かお土産買っていきませんか? お菓子とか」
「ノードレッド、そういえば何かを食べてるとこ見たことないな。食べるかな?」
「そっか、神様ですもんね。じゃあ他に何か……」
顎に手をやって考えを巡らそうとするリオだったが、突如何かに突き飛ばされたようにマリィに向けて跳ねた。
「きゃっ!?」
「おっと」
危ういところで抱き留める。リオは驚きのあまり硬直しているようだが、怪我はないようだった。
無事を確認し、マリィは彼女を突き飛ばしたであろう人物に文句を言ってやろうと顔を上げる。
その視線が、予想よりも遥かに高いところで固まった。
「え……?」
「ひ……! あ、あの……す、すいません……私……」
そこにいたのは、身長二メートルはありそうな大柄な女性だった。長い黒髪を無造作に垂らし、黒っぽいダウンジャケットに黒っぽいスカートという、あまりに黒づくめの女性は、まるで何かの影のように背景に溶け込んで目立たない。
背の高さに反して、顔立ちはひどく幼く見える。少し垂れ気味の目をおどおどさせながら、女性は鳥の
「ご、ごめんなさい……!」
そのまま、脱兎のごとき勢いで去って行く。
マリィは二の句も告げぬまま、彼女を見送ることしか出来なかった。フリーズの溶けたリオも、目を丸くして彼女の背中を眺めるにとどめる。
「おっきい人、でしたね……」
「……うん」
頷きながら、マリィはリオに怪我がないか再確認する。くすぐったそうに無傷を主張するリオに安堵しながらも、マリィはほんの微かに感じた異臭に眉をひそめた。
これは――屍臭だ。
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