第二章:眼差す人形(1)

 わたしは、わたしに自信がない。


「はーい、リオちゃんチェキ入りまーす」

「わー、ありがとー☆ 今日のライブどうだった? かわいく出来てた?」

「今日もサイコーだったよリオきゅん! ポーズこれでお願いしてもいい?」

「もちろん! じゃあはい、チーズ☆」


 周りから「地味」だと言われ続けた。

 特徴がない。存在感がない。積極性がない。自己アピールが足りない。

 それがわたしだと思い込まされた。地味で、目立たなくて、誰の目にもとまらない。

 どうしようもなく、つまらない、わたし。


「あ、あの、僕……」

「また来てくれたんだ! うれしい!」

「え、えぇ!? お、覚えててくれてるの……」

「もちろん! 一度お話しした人は、ちゃんと覚えてるよ☆」


 アイドルに憧れた。

 可愛くて、カッコよくて、歌もダンスも出来て、何より自信に満ちあふれていた。

 そんな自分になりたくて、「つまらないわたし」から抜け出したくて、地下アイドルの活動を始めた。

 最初は戸惑うことの方が多かったけど、バッチリメイクして、可愛い衣装を着て、拙いながらも歌って踊ってトークもして、少しずつファンも増えていって。


「CD布教用に十枚買ったよ! 今度職場で配るんだ!」

「えー、そんなに? お財布だいじょぶ?」

「リオちゃんのためならボーナス使い切っちゃっても惜しくない!」

「ダメだよー、生活も大事なんだからね!」


 今では界隈でもちょっとした注目を集めるくらいには有名になって。

 それなのに、ううん、それだからこそ、わたしはに自信がない。

 アイドルの皮を被っていない、「つまらないわたし」に。

 毎夜のように、素顔の自分が周囲から後ろ指さされる悪夢を見るくらいに。


「今度のライブはいつ? 次も絶対来るから!」

「次はまだ決まってないけど、SNSにアップするから毎日チェックしてね☆」

「毎分チェックする!」

「あはは、それはやりすぎ!」


 だから、わたしは。





「地下アイドル?」

「はい。恐らく今『星の智慧ちえ派』の種を持っているのは、この『葉月はづきリオ』という名の地下アイドルの少女と思われます」


 ノードレッドが飛ばしてきた画像よりも、彼から『地下アイドル』という単語が出てきたことに衝撃を受けたマリィは、思わず二度聞き返した。


「あんたのその、無駄に広い現代知識はどこから得てるの?」

「なにぶん、屋敷の周りは灰しかないもので……勉強する時間だけは、たっぷりあるのですよ」


 そう言って微笑むノードレッドを、何となく白い目で見るマリィ。

 知識の偏りは気になるものの、今は次の目的が重要と思い直し、画像に目を落とした。

 葉月リオ、十五歳の高校一年生。学校は別だが、マリィより一つ下の学年だ。中学生時代からアイドルをやってるらしく、キャリアはマリィより長い。

 容姿は『アイドル』という呼称に偽りない。メイクの助けもあるだろうが、小顔でぱっちりした目と通った鼻筋、笑顔に整えられた自然な膨らみの唇は、女のマリィの目から見ても可愛く映る。

 白を基調としたブラウスにティアードスカートの衣装でライブ中に撮られたような画像が数枚、オフショットと思われる私服姿の画像が数枚続く。

 SNSなどのネット上から抽出した画像みたいだけど、どうやって手に入れたんだろう。頭の中に渦巻く疑問を振り払うように頭を振って、マリィは尋ねた。


「この子から、種を回収すれば良いんだね?」

「そうです。出来れば穏便に」

「まぁ、それは頑張ってみるけど……」


 どういう経緯で彼女がそれを手に入れたのか分からない以上、穏便に行くとは思えないけれど、という感想は心の中にしまっておく。

 そもそも、今このときにでも彼女が種を使ってしまっているかもしれない。

 その懸念を悟ったように、ノードレッドは言った。


屍食鬼グールと違い、旧き神性は宿った瞬間にそれと分かる存在感を放ちます。種を摂取してから宿るまでにはタイムラグがありますが、今のところ兆候はありませんよ」

「その言葉、フラグにしか成らない気がする……」


 不穏に思いつつ、マリィは覚醒の世界に移動する準備をする。

 マリィは神性の力で廃夢から覚醒の世界にノーリスクで移動出来る。移動する際も、周囲から自分の解像度を下げることが出来るため、よほど人通りの多い往来にでも出現しない限り騒ぎになることはない。

 とはいえ、死んだことになっている彼女が堂々と姿を現すのは良くないという判断から、変装してなるべく人目につかない場所へ出ることにする。

 マリィの部屋にはいつの間にか衣装ダンスがしつらえられ、着替えも豊富に用意されていた。「出所はご想像にお任せします」と怖いコメント付きだったが、背に腹は代えられないためありがたく使わせてもらっている。

 丸レンズのサングラスにツバの広めのキャップを被ったマリィは、派手さを押さえたTシャツにデニムパンツ姿で屋敷の玄関に立った。『扉』という存在が重要らしく、屋敷の外へ出る以外にもここから覚醒の世界や悪夢に入り込むことになる。


「まずは本人に接触してみるよ。今日はこのライブハウスに来るんだね?」

「えぇ。現地時間の十八時頃にライブがあるはずです。解像度を落とせば楽屋にも入り込めると思いますよ」

「入り込めても話なんて出来ないよ……知ってる箱だから、出待ちでもしてみる」


 ペンダントを握りしめ、一度閉じてからまた開く。出現地点を思い浮かべながら玄関扉を開いた。

 空間がねじれ、歪曲した光の帯がマリィを誘う。


「じゃあ、行ってくるね」

「はい、いってらっしゃい、マリィ」


 ノードレッドの見送りを受けて、扉をくぐった。

 歪んだ光の中を通過したと同時、見慣れた景色が目に飛び込んできて、マリィは泣きそうになった。

 時間にすれば数日なのに、いろいろなことがありすぎてもう何ヶ月も経っている気がする。

 出てきた場所は、ライブハウスのあるビル脇の路地だ。人目はそれほどない。解像度低下がなくてもほとんど気づかれないだろう。

 軽く両頬を叩いて気合いを入れ直し、マリィは路地から出てビルの正面に回った。ライブハウスはビルの五階にあり、マリィの出てきた路地と反対側の路地に入り口に続く階段、更に奥に機材搬入などに使うエレベーターのある裏口がある。

 出演したことはなかったが、客としては入ったことあるライブハウスだったので、まずはライブを観てみることにした。


「さて……当日券はあるかな」


 これも出所不明の財布にそれなりの現金が入っているのを確認し、マリィは反対の路地に入って階段を上った。

 八月も終わりを迎えようとしているが、日が傾いてきてもまだ暑さが残る。階段を上りきった頃には顔に滲んでいた汗を軽く拭い、マリィは既に前売り券の客が列をなしている横を通り過ぎた。

 カウンターで運良く残っていた当日券を買い、最後尾に並び直す。客層は概ね男性だったが、女性客もちらほらいる。キャパは四百程度の箱だったが、券面の整理番号を見るに大方埋まるようだった。

 開場時間になって入場を促され、場内後方のバーカウンターでワンドリンクを引き換えてそのまま近くに陣取る。顔も知っているし、わざわざライブを観る必要は無かったが、何となく観ておいた方が良いような気がしていた。

 会場のBGMが大きくなり、客席の熱が一段階上がる。懐かしい感覚を覚えながらも、マリィはステージに注目した。

 壇上のアイドルは、なかなか堂に入っているように思えた。歌やダンスにそれほど強い魅力があるわけではないが、観客一人一人に応えるかのような目配りやパフォーマンスは一朝一夕に出来るものではないだろう。

 小柄なためか、懸命に跳びはねて「後ろの方まで見えてる」アピールをする姿は、子ウサギのようで見ていて微笑ましい。一度マリィとも目が合ったが、すかさず手を振る徹底ぶりに脱帽した。

 一時間半程度でライブは終わり、続いて特典会が行われる。マリィはこの時点で会場を後にし、外に出た。出演者は楽屋側にある非常口から出て、裏路地に一度回るはずだ。解像度を落として、そこに張り込むことにする。


「それにしても、なんであんな子が『種』を持ってるんだろ」


 ライブの様子を思い起こして、マリィは自問する。

 彼女は心の底からライブを楽しんでいるように見えた。観客とのやりとりを見ても、やらされてる感はなく、本当に好きでやっているなと感じられた。

 もちろん、その裏には彼女もあずかり知らぬような苦労や苦悩があるのかもしれない。あるいはミキをそそのかした『ヒロ君』のような存在がいる可能性もある。

 いずれにせよ、種を持っていると言うことは、何かしらの不安や恐怖を抱えているはずだ。ノードレッドいわく、種は人間のそうした感情に反応して発芽するらしい。それが、人間を屍食鬼や神性に変えるのだと。

 故に、種の持ち主は選別される。

 日常的に抱える不安や恐怖を、極限まで育てた人間に。

 気づけば周囲はすっかり夜に呑まれていた。点った街灯が、少しばかり夜に抗っている。

 そろそろ特典会も終わってけ始めているはずだ。このライブハウスは時間に厳しい。アイドルがどういう営業形態かは分からないが、よほどのブラックで無い限り高校生を遅くまで働かせる愚も冒さないだろう。

 マリィの予想通り、ビルの裏口からライブの関係者とおぼしき人間が出てきた。気配をなるべく消しながら、目当ての人物が出てくるのを待つ。

 ターゲットの少女・葉月リオは、最後に現れた。

 隣に、二十代くらいの女性がついている。

 流石に一人では帰らないか。そう思いながら、考えていたプランの一つを実行に移す。


「あの、すいません。道を教えて欲しいんですけど……」


 少し間を置いて、マリィは女性の方に話しかけた。振り返った女性は怪訝な表情をしていたが、相手が若い女性と知って雰囲気を和らげる。この辺の人間なら知っているような場所を挙げ、スマホで道案内をしてもらう間、マリィはリオに注意を集中した。

 そして、『かかった』瞬間を見逃さず、声を上げる。


「あ、すいません。お連れの方、眠そうですね」

「え……? あら、大丈夫、リオ?」


 マリィの言葉に女性が振り返ると、立ったままうつらうつらとするリオの姿があった。リオは何事か言おうとしたようだが、まともな言葉になっていない。


「アタシはさっき見せてもらった地図で大丈夫ですから、お連れの方についてあげてください」

「えぇ、そうさせてもらうわ。ごめんね、途中で」

「いえ、助かりました。ありがとうございました」


 互いに会釈し、女性はリオに肩を貸しながら去って行く。

 マリィは二人が辻を曲がって見えなくなるまで見送ると、パチンとペンダントを閉じた。周囲の空間が歪み、奇妙に色づいていく。同時に、マリィの体は黒い光に呑まれて神性へと変身した。


「さて……あんまり長くは保たないんだっけ」


 独りごちて、マリィは手にした鎌で空間を切り裂いた。

 裂け目の向こうに、街灯の光を一切通さぬ暗闇の世界がある。

 ノードレッドはそれを指して『泡沫うたかたの悪夢』と呼んだ。

 選んだ対象を、ひととき閉じ込めておくための悪夢。かつては夢見人ドリーマーが幻夢境に渡るための足がかりとして創り出したものらしい。当然これにも儀式が要るが、神性の力を宿すマリィなら、少し相手に注意を向けるだけで創り出せる。

 そこに、リオの精神を誘導した。ここなら、邪魔が入ることもなく話が出来る。

 そう、まずは対話だ。

 マリィはゆっくりと深呼吸した。聞かされている制限時間は、およそ十分程度。その間に、彼女が種をどこから手に入れ、何の目的で所有しているかを聞き出す。

 場合によっては、多少脅してでも。

 二度目の深呼吸を終え、マリィは泡沫の悪夢に足を踏み入れる。

 暗闇が包み込み、彼女の姿は完全に消え去った。

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