幕間(1)

「おやおや、迂遠なことで」


 暗闇から暗闇へ、その声は明瞭な響きを持って飛び込んだ。

 ノードレッドは声の主の方を見ようともせず、淡々と言葉を返す。


「必然性ですよ。我々には獣道を突き進む余裕はありませんから」

「そのために樹木を切り伏せアスファルトで舗装すると。お優しいね、は」

「減らず口を叩く前に、自分の仕事をこなしてはいかがですか、

「おっとこれは手厳しい」


 暗闇が小刻みに震え、漏れ滲む笑みが清浄な空気を淀ませた。

 波紋のごとく減衰し、再び凪を取り戻した暗闇から、蕩々とうとうと言葉が紡がれる。


「『種』は慎重に選定してるが、芽吹くかどうかは運次第ってやつだ。それよりも『鍵』がウザいな。信者がダース単位でお釈迦シャカになった」

「動向は見ていますが、後手になっていますね。『門』を使っている可能性は?」

「無いだろうな。普通の人間は秒も保たない」


 肩をすくめる様子が暗闇から伝わり、ノードレッドは嘆息した。

 かつて、幻夢境は『夢見人ドリーマー』と呼ばれる旅人たちが行き交う広大な世界であった。創り上げたのは蕃神ではあるが、その繁栄には覚醒の世界から特別な儀式を経てやってきた夢見人の貢献が大きい。

 しかし、ある夢見人が全てを台無しにした。

 彼は幻夢境に自らの郷愁を求め、彷徨さまよい、永きに渡る旅路の果てに『鍵』を手にした。

 その『鍵』は、覚醒の世界と幻夢境の狭間にある『門』を開くもの。意識と無意識の境界を越えた、神の領域に至るもの。

 宇宙の外、『終極の空虚ラスト・ヴォイド』の玉座に座る、原初の痴愚神かみ拝謁はいえつするもの。

 そして、彼はくるった。

『個』から『全』への相転移を経て、彼は誰でもあり、誰でもなくなった。

 虚ろなる微睡みの中、彼は悪夢を見、悪夢に囚われ、


「やはり、彼奴きゃつはあのとき殺しておくべきだった。郷愁狂いの男かと思いきや、まさか本当に狂っていたとはな」

「予見出来るものではないでしょう。私も『門』を開く者が出てこようとは思いもしませんでした」

「お陰で、俺は玩具オモチャ遊技場スタジアムも失った」


 今度は暗闇が嘆息した。

 たしなめる視線を送りながらも、ノードレッドは今後みらいに目を向け直す。

 道筋は見えている。ただし、その道はどれだけ踏み固めならそうとも、些細なことで容易に崩壊するほど脆い。

 しかしようやく、漸く手にした反撃の糸口だ。

 全ての悪夢が収束し、彼が再び『個』として痴愚神に拝謁したとき、次は覚醒の世界が灰と化す。

 その時、集合無意識の上に成り立つ廃夢は、『無』へと還るのだ。

 だから、その前に。


「『悪夢を以て、悪夢を制す』。その案に全賭けベットしたからこそ、貴重な『種』を蒔くんだ。ガッカリさせないでくれよ」

「そうならないよう祈ってください。祈る神がいれば、ですが」


 珍しく軽口を叩くノードレッドに、暗闇は声を立てて笑う。「さすが辺境惑星の神様は洒落が効いている」とうそぶくと、笑いを殺さず続けた。


「それにしても、かたる名が『恐るる勿れNo Dread』とはな。皮肉かね?」

「いいえ。『希望』ですよ」


 真剣な表情で言い切るノードレッドに鼻を鳴らし、暗闇は紅い舌を覗かせて去って行った。後には、ただの闇が残る。

 ノードレッドは静かな溜息をつき、席を立った。

 暗闇の残滓ざんしを視界に収めながら、ぼそりと呟く。


「『希望』であらねばならないのです。騙るからには」


 言葉は誰の耳にも届かず、ただ闇へと消えていった。

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