第二章:眼差す人形(2)

 暗闇の中、一人の少女がぽつんとたたずんでいる。

 マリィは彼女に近づくと、驚かせないようにそっと名前を呼んだ。


「葉月リオ、だよね」

「……あなたは……」


 夢入りの茫然ぼうぜんから脱し始めたリオは、目の前に現れたマリィを見て記憶を巡らせた。


「格好が違うけど、さっき道を聞いてた人……ライブの時も後ろの方にいましたよね」

「あの一瞬で覚えてるの……」


 彼女の記憶力のすさまじさに、マリィは素直に舌を巻いた。ライトがあるとはいえ、会場はそれほど明るくもなかったはずだ。たった一度見ただけで、顔を覚えているとは。


「わたし、会いに来てくれた人は全員覚えるようにしてるんです。わたしのことも、覚えてて欲しいから」

「凄いね……」

「そんなことないです。わたし自身のためですから」


 そう言った彼女の顔に見えた陰りが、マリィの心胆しんたんさむからしめた。

 彼女の中にも、確かに存在している。言い知れぬ不安や恐怖が。


「ところで、ここは何処なんですか? わたしは、夢を見ているんでしょうか」

「夢だよ。少しだけ、特殊な夢。訊きたいことがあって、ここに呼んだんだ」

「訊きたいこと……?」


 夢だと言われて僅かに安心したような表情のリオに、マリィは少し迷いつつも核心を突いた。


「『種』を、持ってるよね」

「…………」


 一瞬、リオの表情が揺らいだような気がしたが、すぐに柔らかな笑顔にかき消される。


「なんの種ですか? お花?」

「いや。『悪夢の種』って呼ばれるものだよ」

「知りません」


 柔らかな笑顔のまま、リオは即座に否定した。その返答は、マリィが確信している上で訊いていることを理解した言葉だ。

 追撃を許さない、明確な拒否反応。

 しばらく彼女の出方を探っていたが、笑顔が途切れることも、それ以上の言葉を紡ぐこともなかったため、諦めて忠告にとどめることにした。


「その種は、使えば二度と人間には戻れない。ずっと悪夢に閉じ込められるんだ。もし手に入れても、絶対に使っちゃダメだ」

「はい、ご忠告ありがとうございます」


 もはや拒絶の色を隠そうともしない声音こわねに、マリィは溜息をつく。結論を急ぐあまり、アプローチの仕方を間違えた。多分これ以上何を言っても無駄だろう。

 そして、もう一つ確信出来たことがある。

 彼女は、使う気だ。

 何が彼女をそこまで追い詰めているかは分からないが、リオは種を使ってでも何かを成し遂げたいと思っている。あるいは、自暴自棄になっているのかもしれない。

 暗闇が、ほころび始めた。そろそろ刻限だ。


「……時間とらせてごめん。ライブ、楽しかったよ」

「ありがとうございます。また、来てくださいね」


 リオの言葉に苦笑すると、マリィは鎌を振るって暗闇を切り裂いた。泡沫の悪夢は終わり、リオの精神は暗闇とともに溶けるように消えていく。

 覚醒の世界に還ったマリィは、ペンダントを開いて元の姿に戻った。

 今から彼女の本体を追おうかとも思ったが、追ったところで何が出来るわけでもないと思い直す。種を奪い取るにしても、彼女が肌身離さず保っているとは限らない。

 今日はおとなしく引くか。そう思い、マリィはポケットに折りたたんで入れてあったフライヤーを開いた。

 葉月リオのライブは、明日、別のライブハウスでもある。最悪、そこへ乗り込んでも構わない。

 彼女を、ミキの二の舞にはさせたくない。

 マリィはぐっと拳を握ると、廃夢への扉を開いた。





 ゆりかごのような心地よい振動は、悪夢からの目覚めには似つかわしくないなとリオは思った。

 まだぼんやりとする目で、流れていく景色を眺める。

 等間隔で並ぶ街灯と不揃いの建物たちが、彼女を誘うように道を譲っている。その先は、何処へ続いているのだろうか。

 栄光か、あるいは破滅か。

 ゆっくりと首を巡らせると、運転手の横顔が見えた。長く支えてくれているマネージャーでもある彼女の顔からは、焦燥とも諦念ともつかぬ色が滲んでいる。あるいは、単に疲れているだけなのかも知れない。


「まだ寝てていいわよ。明日もライブだから、体調は整えないと」

「大丈夫。今はあまり寝たくないから」


 マネージャーは「そう」とだけ返し、運転に集中し直す。

 彼女の横顔を見届けて、リオはさっき見た夢の内容を思い返した。

 凜々しい女性だった。

 深紅の髪をなびかせ、甲冑のようなドレスのような不思議な服を着てそこに立っていた。手には大鎌を持ち、まるで戦女神のような出で立ちだった。

 そして、『種』のことを知っていた。

 彼女は、確かにライブに来ていたお客さんだったはずだ。さっきマネージャーに道を聞いていたのも。そんな彼女が何故、自分の夢の中に出てきたのか。

 いや、彼女は「呼んだ」と言っていた。それは、何処に? 彼女の夢の中に?

 種のことを訊かれたとき、リオは戸惑いを隠すのに必死だった。

 確かに、彼女は『悪夢の種』と呼ばれる小さな種状の物体を貰った。少し前にライブをやったライブハウスのオーナーから渡されたものだ。

 いわく、「一度だけ悪夢を見て、その間に不安や悩みが消える」らしい。

 直感的にドラッグの類いだと思った。

 最近は見られなくなったが、以前は一部のライブハウスでドラッグがやりとりされたりしていたらしい。そこのライブハウスは熱心に勧誘されて出演した箱だが、何らかの宗教組織と繋がっているらしいことは噂に聞いていた。

 リオは、受け取った。

 好奇心ではなく、ライブハウスとの関係がこじれるのが嫌だったからだ。もちろん、ドラッグを持っていると知れたらそれだけでアイドル生命は終わりかねない。だが、それ以上に彼女には切実な事情があった。


「……ねぇ、マネージャー。この前のオーディションの結果、聞いてないけど」

「…………」


 彼女の問いに、苦々しい沈黙が降りる。それは、何よりも雄弁な答えだった。

 再び、流れる景色を追いかける。窓ガラスの反射越しに見えたマネージャーの横顔が苦渋に塗れているのが見えても、リオには何の感慨も浮かばなかった。

 結果は、わかりきっていた。

 いわゆる忖度そんたくの働くようなオーディションではなかった。歌、ダンス、ビジュアル、その他諸々の、純粋な実力勝負だった。

 ある審査員の一言が、まだ耳に残っている。


「君には個性が足りないね。まるで誰かのつぎはぎみたいだ」


 地味な自分を変えたいと思った。誰にも愛され、視線を集める存在になりたいと思った。そのために門戸を叩いたアイドルの世界で、リオは自分に皮を被せた。

 昔見たアイドルの、アイドルたちの、パッチワークで出来た皮を。

 いつかそれが自分のものになると思っていた。吸収され、自分の一部となり、わたしを彩る装飾の一つになると思っていた。

 視線を集めていたのは、結局パッチワークの被り物の方だった。

 悔しくてたまらなかった。同時に、恐怖を感じた。普段自分を見に来てくれているファンたちも、実際は自分ではなく、パッチワークの被り物を見に来ているのではないか。自分は、被り物を見せるためのマネキンにすぎないのではないか。

 わたしは、今も「つまらないわたし」のままで。

 種を手渡されたのは、そのすぐ後だった。

 夢の中で言われたとおり、種は手元にある。

 彼女は言っていた。使えば、二度と人間に戻れない。

 それは、どういう意味なのだろう。中毒で廃人になるということだろうか。それとも、本当に人間以外の何かになる?

 それでもいいかな、とリオは思った。つまらないわたしであり続けるくらいなら、いっそ別の何かになってしまえばいい。


「着いたわよ。今日はゆっくり休んで、明日に備えてね」

「うん。ありがとう」


 いつの間にか辿り着いた自宅前で、車を降りる。

 仕事で帰りの遅い両親に代わり、家に灯をともす。

 誰もいない居間で水を飲み、シャワーを浴びて、二階の自室に上がる。

 疲労感のままにベッドに倒れ込み――枕の下にあるそれを引っ張り出した。


 ――悪夢の種。


 小さなチタン製のタブレットケースに納められたそれは、吸い込まれそうな黒だった。

 種の名の通り、楕円形をした小さな錠剤。冷蔵庫に入れているわけでもないのに、常にひやりと冷たい。

 そして時折、黒の中に銀河のような光が見える。

 忌避感を超えてむしろ神秘的とも言えるそれを、リオは一息に飲み込んだ。

 種は溶けるように喉元から消え、冷気だけが体の中心を通して全身に行き渡るような感覚を覚える。

 それだけだった。

 幻覚を見ることも、気分が高揚することもなく、種は手元から無くなってしまった。


「……なーんだ。ぜんぶ欺瞞ぎまんだったってことか」


 全てをごちゃ混ぜにした言葉が、力ない笑顔とともにリオの口からこぼれ落ちた。

 ゆっくりと失われていく意識の中、彼女はそれでも悪夢を願った。

 これまでの全てが、悪夢だったなら、と。





 その揺らぎは、マリィにも捉えることが出来た。


「使いましたね、種を」

「……みたいだね」


 ギリ、と音が鳴るほど噛みしめた隙間から、怒りと後悔が綯い交ぜになった吐息が漏れる。

 こんなことなら、本体を追って無理矢理にでも取り上げれば良かった。後悔なんて、何の役にも立たない。


「以前お伝えしたとおり、芽吹くまでには時間がかかります。いつ芽吹くかは個人差がありますが、それまでに出来れば、被害を最小限に抑えられます」

「……殺せってこと」

「あるいは、廃夢まで連れてきていただければ、封じることは出来ます」

「どっちにせよ、葉月リオの存在は向こうでは消えるってことだよね」

「はい」


 淀みなく言い切るノードレッドに、めまいのする思いだった。あるいはそれこそ彼が『神』である証左なのだろう。

 どちらにせよ、マリィに出来ることは少ない。


「……


 敢えてそう口にする。

 彼女を殺したくない。もちろんそれもある。けれどそれ以上に、彼女には自信を持ってアイドルの道を歩んで欲しい。

 ライブで見た彼女の輝きは、本物だったと思うから。

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