第一章:廃夢(2)

 屋内に戻ったマリィは、玄関から大広間の右隣に併設された応接間に通された。


「『幻夢境』とは、生きとし生けるもの総ての集合無意識によって象られた、もう一つの世界です」

「集合無意識?」


 一人と一匹暮らしにしてはやけに大きな机に向かいあわせに座ると、どこからともなく現れたニッグが机の中心に寝そべる。

 顔を見合わせて苦笑すると、ノードレッドは続きを話し始めた。


「現代風に言えば、クラウドネットワークです。万物の精神は水面下で密に接続され、影響を及ぼし合っています。予知夢を見たことは?」

「予知夢……かは分からないけど、行ったことのない風景を見たりしたことは」

「それも集合無意識の一端です。遠い世界の誰かの精神に触れたことで、その誰かの記憶を垣間見たのでしょう」


 そう言って、ノードレッドは机の上にあった古めかしい紙とペンを使って簡単な図を書き上げた。

 書き終わると同時に立ちあがったニッグが紙をくわえ、マリィの元へと運ぶ。得意げな彼女の頭を撫でてやると、マリィは走り書かれた図を見た。

 そこには重なり合う三つの丸が示され、それぞれに『覚醒の世界』『幻夢境』『悪夢』と書かれている。


「『覚醒の世界』が、いわゆる現実です。『幻夢境』はそれと重なり合うように存在しています。もう一つの現実、と言っても良いかもしれません」

「ただの夢とは違うってこと?」

「個々人の見る夢は、あくまで記憶のかけらの集合体です。敢えて言えば、幻夢境に至る回廊の入り口といったところでしょうか」


 かつては幻夢境に至るにはそれなりの儀式が必要だったんですよ、と付け加え、ノードレッドはパチンと指を鳴らした。

 同時に、彼とマリィの前に水の入ったグラスが出現する。マリィが軽く驚くのを見て、ノードレッドは満足そうに頷いた。


「先ほど『幻夢境』を神々の住まう都市、と言いましたが、集合無意識を一つの世界へと創り上げたのは、蕃神ばんしんと呼ばれた今は亡き神々です」

「蕃神……?」

つ神、とも呼ばれる、この星の外から来た神性。実は私も半分はそうなのですよ」


 何処となく自慢げに見える彼に愛想笑いをしつつも、マリィは半ば納得してもいた。

 恐らく彼は、見た目通りの存在ではないのだろう。最初に広間で見たときに感じた年齢不詳感は、彼の言葉を信じるなら神のような存在であるからだ。

 超能力めいたもので強引に納得させられたのが気に入らないけど、と思いながら、彼女はいくつかの疑問をぶつけてみた。


「じゃあ、以前はここに人や神が住んでたってこと?」

「そうです」

「その人たちは現実とここを行き来してたの?」

「いえ、ほとんどの住人は『幻夢境』にのみ生きていました。蕃神が集合無意識から創り上げた世界とは舞台だけでなく、舞台装置や演者も含めたまさに『世界』なのですよ」


 マリィの頭の中で疑問符が渦巻くのを感じ取ったノードレッドは、しばし考えてから説明し直した。


「再び現代風に言えば、先ほどのクラウドネットワーク上にAIで動くNPCを配置した、現実そっくりの仮想世界を作成したと思ってください」

「……さっきよりは分かったけど、急に陳腐になったね……」


 一気に神秘性がなくなった話に、露骨にがっかりした表情のマリィ。「実際はもっと高度な業なんですよ」と言い訳をしつつ、ノードレッドは続けた。


「生物は総てこの世界に精神でつながっているため、本来的には二つの世界の往来が可能なはずです。しかし、実際にはそれは容易ではない」

「そう言えば儀式がいるって言ってたよね。なんで?」

「なぜなら、『幻夢境』の生命は現実での肉体を持たず、現実の生命は『幻夢境』に居続ければ肉体が衰弱して死に至るからです」

「……あ」


 夢を見続けるのと同じか、とマリィは思い当たった。

 当然、その間は現実では寝ているのと同じで、飲食は出来ない。ほんの数時間なら大丈夫だろうが、何日も居続けることは出来ない。

 もしこっちで死ぬような目に遭ったら……思わず想像して、身震いする。

 逆に言えば、既に肉体が死んでしまった自分だからこそ、こうやってのんびり出来るわけだ。そう思うと、マリィは複雑な気分だった。


「そして、ここからが本題になります」


 彼女の気落ちを察して、ノードレッドは少し落ち着いた声で仕切り直した。

 ただならぬ雰囲気に居住まいを正すマリィに向けて、彼はゆっくりと話し始める。


「その重なり合いながらも往来が困難な二つの世界を、容易にまたぐ存在が二つあります。一つは私たちのような神性。そしてもう一つは屍食鬼グールです」


 屍食鬼。

 さっきも、彼は言っていた。悪夢と現実を重ね合わせ、自由に往来できる怪物。

 紙片に目を落とす。

『覚醒の世界』と『幻夢境』の二つにまたがるように書かれた『悪夢』の文字。


「屍食鬼は元は『幻夢境』の生物ですが、『悪夢』を通じて現実に移動することが出来ます。その際、彼らは現実にいる生物の体を乗っ取り、自分の体に作り替えます」

「!!」


 つまり、ミキは屍食鬼に体を乗っ取られたということか。

 一瞬そう思ってから、マリィはおかしな点に気づく。

 彼女の言葉からは、紛れもなくミキ自身の意思を感じ取れた。体は確かに醜い化け物のようではあったが、中身が別物であるとは思えない。


「あの屍食鬼は、確かに塞門さいもんミキそのものです」


 彼女の思考を読んだように、ノードレッドが続ける。


「つまり、反対のことが起こったのですよ。『悪夢』という回廊を生み出すため、

「そんな……!」


 彼女自身が望んだというのか、怪物の体を。

 ただ、自分を殺すためだけに。

 薄々分かっていたことだが、改めて突きつけられる事実はマリィを暗澹あんたんとさせた。彼女の語った殺意の理由が全てかどうかは知る由もないが、少なくともそうさせるだけの何かがあったのだ。

 人間の形を、失ってでも。


「もちろん、ただの人間が屍食鬼になるなど普通はあり得ません」


 ノードレッドの言葉に、はっと我に返る。

 そうだ、人間があんな風になるなんて、普通はあり得ない。だとしたら、彼女をあんな風に変えてしまったのは何者か。


「『銀鍵ぎんけん派』――それが塞門ミキを屍食鬼に変えたの名です」

「組織……!?」

「そうです。そして、その組織の頂点に立つ者こそ、『幻夢境』を滅ぼし、『廃夢』へと変えた元凶。私は、ずっとそれを追っているのですよ」


 彼がマリィの名を知っていた種明かしだった。


「『銀鍵派』の動きを追う中で、あなた方の名を知りました。凶行を止めることは叶いませんでしたが、あなたの精神はまだここに残っている」


 そこまで言って、ノードレッドは真剣な面持ちで立ちあがった。

 わずかに間を置き、告げる。


「塞門ミキは、生きています」

「……!!」


 気がかりではあった。自分を殺したあと、怪物になったミキがどうなったのか。

 ノードレッドの話では、屍食鬼は現実にも『幻夢境』にも移動できるという。ならば、彼女はここにいる自分を再び殺しに来るだろうか。

 答えは意外なものだった。


「彼女は今、自ら生み出した『悪夢』に囚われています。屍食鬼の身で現実に戻ることも出来ず、『幻夢境』の存在も知らない。強靱な肉体故に自死することも叶わず、ただ朽ち果てるまでの時を過ごし続けるのです」

「……そんな」


 あまりに大きすぎる代償だと、マリィは思った。

 殺されたのが自分とはいえ、たった一人を殺したために、怪物の姿で孤独に死を待ち続けるはめになるとは。

 何より、彼女はかけがえのないバンドメンバーだった。彼女がそう思っていなかったとしても、マリィは彼女を姉のように慕っていた。

 うつむき拳を握りしめるマリィに、ノードレッドは問う。


「彼女を、救いたいと思いますか」


 思わぬ提案に、マリィは顔を上げた。

 ノードレッドの瞳は、まっすぐにマリィの視線を捉えている。

 その目に、気休めや誤魔化しの気配は一切なかった。

 塞門ミキを救える。少なくとも、その可能性がわずかでもある。問いかけの答えが、怪物と化した少女の運命を左右する、と。

 しばしの対峙のあと、マリィは深く頷いた。


「……救いたい。どうすればいいのか正直よく分からないけど、このままにはしておけない」

「分かりました」


 彼女の答えをしっかりと受け止めると、ノードレッドは小さなペンダントを取り出した。マリィの元まで近づき、立ちあがった彼女に手渡す。

 ペンダントは先の尖った楕円形をしており、中心部に紅い石が埋め込まれていた。銀の鎖が尖った頂点の一方につながっており、そこを起点として扇のようにスライドする蓋がついている。

 よく見ると、紅い石の中には微細な光の粒子が渦巻いており、まるで銀河のように見える。

 装着するように促され、マリィはペンダントを首から提げた。


「これは……?」

「とあるふるき神性から力を得るための『窓』です。その蓋を閉めれば、あなたに力が流れ込み、一時的に神性に近づきます」

「神性に近づく……ってどういうこと?」

「そうですね、現代風に言うなら――」


 マリィの疑問に頭の中をざっと検索したノードレッドは、ふさわしい言葉を見つけたとばかりに微笑んで頷いた。



「――魔法少女に変身します」  

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